|
世界歴736年5月14日
雨が降っている。何もかも押し流そうとするかのように。
雨具を買う金も、盗む腕も無かったので、少年とも青年ともつかないコソ泥は、下着までぐっしょり濡らしていた。
トレードマークのワインレッドの帽子も、刈り込んだ黒土色の髪も、生気を失った黒い瞳も、全部濡れている。
「俺たち、まるで濡れねずみだな。……はは、濡れねずみ! 自分で言ってて笑っちまうよ」
コソ泥は抱きかかえた弟分に笑いかけたが、相手は何も反応せず、堅く目蓋を閉ざしているだけだ。
「死んじまったんだっけな」
幼い弟分の腹から下はなく、残った内臓がとび出ている。
雨に打たれて余分な血は全て洗い流されて、綺麗なものだ。
コソ泥の青年と、その子分の少年は、通る者の少ないこの道で魔物に襲われ、青年は助かり、少年は命を落とした。
それがだいぶ前なのか、少し前なのか、日も差さないどしゃぶりの日にはさっぱりわからない。
ただ、お互いに体が冷え切ってしまったことだけは確かだ。
霊とも悪魔とも違う、邪悪が実体を持ったモノである魔物に襲われ、ずっと愛用してきたナイフで応戦したが、二束三文で買えるような安物で太刀打ちできる相手ではなく、魔術師が通りかからなければ自身も命を落としていたことは自覚しているし、助かったことは嬉しい。
だが、素直に喜べない。
時には喧しくつきまとい、少し前の街道沿いの町でも財布を盗るのにヘマをした弟分。
そんな目障りなだけの少年だったが、いなくなってみるとどれほど大切だったかわかる。
「お前とコンビを組みはじめたのはいつだっけ?」
返事があるはずもないとわかりながら話しかける。
「……あぁ、戦争に巻き込まれて廃墟になった街で会ったんだ」
コソ泥は、過ぎ去ったある日を思い返す。
三年前、ここより南方にある国で、少年だったコソ泥は、やはりコソ泥をしていた。
街から街へと渡り歩き、かっぱらいをしては食い繋ぐ日々だった。
南方で戦争が勃発したのは今から十五年も前のことで、当時はもう戦争も終焉に向かい始めていたのだが、戦時下で風紀が乱れて全うな仕事などなかった。
そんな荒んだ生活をしている最中、徹底的に街を焼かれ、住処も家族も失った弟分に出会った。
幼いながらに、なんとしてでも生き残ってやるという強い意思を持った瞳の少年で、なんと自分よりも二回りは大きいコソ泥から、パンを盗もうとしたのである。
勿論返り討ちにしたが、コソ泥はパンを分け与えてやった。
彼もまた、戦争によって家と家族を失い、今の盗賊家業に身をやつしたという過去があったからだった。
よく見れば、泣きながらパンを頬張る少年は、幼くして路頭に迷ったコソ泥の少年時代とよく似ていた。
「同情したのが悪かった」
コソ泥は、弟分の濡れた額にこびりつく髪を払う。
「足手まといだって言っても、お前は後をついてきたっけな」
だがもう、ついてくることはできないだろう。
足も無ければ、生きてすらいないのだから。
遠くから蹄の音と車輪が泥をはねる音が近づいてきた。
コソ泥が呆然と座っていると、その傍らを馬車が走り去り、跳ね上げた泥を被り、コソ泥も少年も汚れてしまう。
突然、どうしようもなく腹が立ち、コソ泥は叫んだ。
「ふざけんなぁーーーっ!!!」
生きるために苦しんでも、誰も手を貸してはくれないし、死んでもなお汚される孤児。
一方で、雨にも当たらず、悠々自適に馬車を駆る裕福な奴がいる。
この差はなんなのか。これが世の中なら産まれてきたくはなかった。
それでも、今までは弟分がいただけ、そういうことを考えずに済んでいた。
今は彼もいない。
汚れた手には、孤独ばかりが重みを増していく。
コソ泥がただただ叫んでいると、後ろから肩を叩かれる。
ハッとして振り返ると、雨具を着込んだ男が立っていた。袖口から覗く皮鎧からして、戦士か何かだろう。
「そいつ、お前の弟だったのか?」
戦士が、後味の悪そうな顔で尋ねてきたので、コソ泥は小さな声で答える。
「本当の弟じゃないけど、俺の大切な弟だったんだ」
その言葉に、戦士はマジマジとコソ泥を見て、口を開く。
「とりあえず埋めてやろう?」
コソ泥は、戦士と弟分を交互に見てから、切ない声で頷いた。
「……うん」
二人は、街道沿いの森へ入り、少し奥まった場所を掘り始める。
「魔物に襲われたのか?」
腰から下げた剣の鞘で穴を掘りながら戦士が尋ねる。
「そうだよ。魔術師が通りかからなきゃ、俺もこいつと一緒に冷たくなってた」
そう答えながら、ナイフの鞘で穴を掘る。
「そうか」
戦士は穴を掘る手を早めた。
魔物は邪気の塊とも言う。邪悪が突如固まりになり人や獣を襲うのだと。
どこに現れるともわからず、いつ現れやすいのかもわからないが、一度現れた場所には現れやすいと聞く。
戦士はそれを懸念しているのかもしれなかった。
「なぁ、あんた、こいつの顔見た時に変な顔しただろ。知り合いだったのか?」
コソ泥の問いに、戦士は一瞬止まったが、すぐさま作業を続ける。
「この道を南へ少しばかり行ったところにある街道沿いの集落で、俺の財布を盗もうとした。ただそれだけの関係さ」
戦士が辛そうな笑みを浮かべたので、コソ泥は腹が立ち口をすぼめる。
「あんたが悲しいんじゃなくて、俺とこいつが悲しいんだよ。あんたが辛そうにすんな。戦士のくせに! 戦争がなけりゃ、俺達は盗みもしなけりゃ、こんな場所で死ぬこともなかった!!」
戦士の眼前へ、今しがた土を掘り起こしたばかりのナイフの鞘を突きつけると、戦士は小さく驚いたような顔をした後、また穴掘りに視線を戻す。
「……そうだな。俺に、同情する権利は無かった」
自嘲気味に呟くと、戦士は完全に口を閉ざした。
暫くして穴を掘り終えて弟分を埋めると、いよいよ雨が激しくなった。
土が流されて野ざらしになってはいけないと、木の枝を折って墓の上に敷いてみれば、周りの緑と混ざって、そこに人が埋まっているようには見えなくなった。
墓標もないこの墓にもう訪れることもないかもしれないと思いながら、コソ泥は哀しくなった。
誰も訪れる者の無い、墓ともわからない小山が、自分達の住処になるのかと思うと、悔しくて泣けた。
不意に、戦士が肩を叩く。
「俺はこれから北にある街まで行くが、そこまで一緒に行くか?」
戦士の顔に表情は無く、真意を探ることは難しい。
コソ泥は、墓と戦士を交互に見てから頷く。
ここにいても仕方が無い事ぐらいよくわかっていたし、今は同情でも良いから誰かの側に居たかった。
「そんじゃこれを着ろ。次の街で売るつもりだったが、特別にくれてやる」
戦士が雑嚢から取り出したのは、着古してボロボロになった雨具だった。
コソ泥はそれを受け取り袖を通す。
「ぼろっちぃ」
言いながら、地面についてしまう裾を縛って短くし、袖を折る。
「減らず口を叩くな。このアルムさんが使い古した一品ものだぞ?」
軽口を叩くアルムと名乗る戦士のわき腹を小突いて、コソ泥は笑った。
弟分の話では、アルムは自分の財布を返しただけで弟分を逃がしてくれたそうだし、考えれば直ぐに盗人だとわかるだろうコソ泥に、手を差し伸べて助けてくれた。信用できる相手に違いない。
こういう大人にもっと早く出会えていれば、自分も弟分も別の形で暮らせていたかもしれない。
アルムの顔を見上げると、もみ上げとあごひげが繋がっていて、強そうでかっこよかった。
「俺の顔になんかついてるか?」
コソ泥の視線に気付いて戦士が顔をしかめる。
「このカッパと同じで、おっさんだなと思ったんだよ。このカッパ、チョーおっさん臭ぇんだもん!」
アルムの拳がコソ泥の頭を叩く。
「いってぇぇぇー!!!」
「当然だ。獅子は兎にも手は抜かん」
前言撤回、やっぱりこいつは嫌な奴!
コソ泥は心の中で叫んだ。
(御題提供元:『第七の月』)
最終更新日 2005/10/08
感 想 愛用の武器は「言葉」ですが、不安なのでナイフを保険に。 言葉のナイフは、たった一振りでも人を死に追いやるものですが、 詐欺師にとっては心の鍵を開けさせる小道具かしら?
|