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世界歴736年5月14日
「緑豊かな右の道か、ちょいと整備されてる真ん中の道か、廃れきった左の道か」
男は顔をしかめ、三つに分かれた道を順番に指差しながら首を傾げる。
使い古した皮鎧で身を固めた戦士風の男は、床屋の仕立てとは到底思えない銅色のひっつめ髪を掻き毟り、黄金色の瞳をしきりに動かす。
しかしどこにも道しるべは無く、振り返っても道を聞けそうな相手は見えない。
「しかたない。もともとあてのない旅だ」
戦士は軽く笑うと、もう一度三つの道を眺める。
「楽そうだし、真ん中の道にすっか……」
戦士が思案していると、突然、右の道から悲鳴が聞こえた。
驚いて右の道を覗くが、だいぶ先で起きているようで、悲鳴の主は見えない。
続いてまたも別の悲鳴が響く。
「誰か襲われてるのか?」
襲っている方も襲われている方も何者なのか、どれほどの数なのかわからない中で、下手に助けに行くことはできない。
それに、戦士は一人旅の最中だ。腕に自信がないわけではないが、返り討ちにあう可能性もある。
戦士は苦い顔で、真ん中の道を歩き始める。その足取りは重たい。
意味を汲み取れない悲鳴や怒声を聞きながら歩いていると、急に静かになった。
男は驚いて顔を上げ、周囲を見渡す。
「なんだ?」
生暖かい湿った風が吹いた。
嵐の前の静けさ、緊張が高まり静寂に飲み込まれた一瞬、あるいは口火が切られる直前の気配。
青年と言うには歳を取りすぎた戦士は、この手の沈黙をよく知っている。
突如、予想外の敵が現れた時の、息を呑む一瞬だ。
そして、きまってその後は良くないことが起こる。
無意識に左腰に下げた剣の柄に手を掛ける。
不意に、先ほどとは比べ物にならないほどの悲鳴と怒声が轟き始めた。
戦士はじんわりと額に浮かんだ脂汗を拭い、道を駆け足で引き返す。
嫌な予感はするのだが、みすみす先へ進むには、好奇心が勝ったのだ。
全速力で分かれ道へ戻ると、一番右の道を走り始める。
次第に悲鳴は消え、やがて戦士の足音以外の音はなくなった。
「間に合わなかったか……」
まだ血の臭いも届かない場所で、戦士は足を止める。
誰が死んだのか、誰が勝ったのか、今更知る必要はあるのだろうか。
己に問いかけながらも、戦士は早足で現場へ向かう。
暫くして、血の臭いと共に鮮烈な景色が広がった。
「な、何があったんだ……?」
戦士は、その光景に呆然と立ち尽くし、ゆっくりと辺りを見渡す。
左を向いても右を向いても、山賊らしき人間の躯が重なっているだけだった。その数、おおよそ三十。
よく見れば、何かの獣に喉を噛み千切られたらしく、首から大量の血を流しているものがほとんどだ。
山賊を肯定するわけではないが、これはやりすぎだと戦士は思った。
不意に視界の脇で何かが動く。
とっさに剣の柄に手を掛けて身構えた。
「た……たすけて……くれ……」
かろうじて生きているといった感じの山賊の、救いを求める虚ろな視線とぶつかる。
死の恐怖に晒され、その身に降りかかった苦痛から逃れることだけを望む者特有の瞳だ。
戦士は、山賊の前に屈みこみ傷を見るが、どうすることもできそうにない。
役に立たないとわかりながら、止血をして、山賊の口に痛み止めの薬草を突っ込み強引に噛ませる。
「何にやられたんだ?」
もしも大人数で倒せないほどの獣がいるならば、これ以上ここに留まるのは危険だ。
いや、血の臭いを嗅ぎ付けた他の獣がやってくる可能性も高い。
だが、戦士である彼は、この元凶を知りたくて、瀕死の相手の言葉を待つ。
「……く、黒い……獣……連れた……坊主………サンセリテ……」
それだけ言い残すと、山賊は息絶えた。
しかし戦士はそんなことよりも、"サンセリテ"の名に驚く。
「サンセリテ! 悪魔憑きの聖職者と噂高いやつか」
傭兵家業をしていると、酒場や仕事場で時折耳にする名前だった。
神を求めて旅をしている男で、人ならざる豪腕は、まるで西方に住む魔族のようだと聞く。
興味は惹かれたが、よた話程度にしか思っていなかった存在が、つい先ほどまでこの場にいたという事実は強烈だった。
真実味を帯び始めた"サンセリテ"という名前に、否が応にも興奮する。
走れば追いつくだろうか。是非、会ってみたい。どうせ当てのない旅だ。
戦士は山賊達には目もくれず、走り出す。
しかし、だいぶ走ったが、一向に件の聖職者の姿は見えてこなかった。
いつの間にか街道は広がり、人も増え、脇には民家や茶屋が転々と立ち始め、完全に見失った。
元々、容姿を知っているわけではなし、ざっと辺りを見回しただけでも聖職者風の旅人は少なくない。
戦士は呼吸を整えながら、近くの食堂に入った。
「いらっしゃい!」
戦士は、カウンターの端の席に座ると、出された水を一気に飲み干し乾きを癒す。
料理を頼み、人心地つくと、男はぼんやりと先ほどの光景を思い出した。
戦い慣れしているとはいえ、戦争でもない限り、あれほどの惨劇はそうそうあるものではない。
しかも、それをやったのは一人の男と一匹の獣だけらしい。
それほどの力があれば、もっと値の張る仕事もできるだろうなと羨ましく思いつつも、そんな力を持った相手と敵にはなりたくないなと苦笑する。
だが、会ってみたいという気持ちは、そんな冗談や不安で濁すことはできなかった。
食事を終えて店を出ると、道に人が集まっていた。
近づいて話を聞くと、少し先にある森の中で山賊達が死んでいるため、死体を片付けに行くらしい。
金が出るならば手伝おうかとも思ったが、名のある山賊というわけでもないらしく、良い値とは思えない。
戦士は、さっさと人垣から出ようと振り向いたところを誰かにぶつかられた。
こういう場所では多いことだと思いつつ、ぶつかった相手の襟首を掴み人垣から出る。
捉えた相手は、全体的に薄汚れた感じのする少年で、体格の良い戦士と比べるとその半分の背しかない。
「俺から盗った物を返せば見逃してやる」
「な、なんのことだよ?」
おろおろとした表情の少年の首筋に、短剣を添える。
腰から抜き放ち、短剣を首筋に這わすまでの、無駄の無い動きは、場慣れしている者でも感嘆してしまうほど素早かった。
「早くしないと、殺しはしないが、無傷では放さないぞ?」
大柄な戦士の影になり、他の人間からは短剣が見えないようで、少年の身を案じる者は一人もいない。
少年は降参といわんばかりに首を縦に振ると、懐から皮袋を取り出す。戦士の財布だ。
「いってよし」
減っていないことを確認し襟首を離すと、少年はすぐさま走り出し、人混みに消えた。
「まったく、俺から財布をすろうなんざ良い度胸だぜ」
短剣と財布をしまい、戦士は歩き始める。
サンセリテを探して、聖職者を見つけてはそれとなしに見てみたが、純朴そうな青年か、きな臭い顔の青年ぐらいしか見当たらなかった。
好奇心だけで動くには、さすがに手がかりが少なすぎたかと、戦士は溜息を吐く。
元々人探しは得意でなかったし、好きでもなかったので、戦士はこの件を諦めて次の街に向かって歩き出す。
「こりゃ、急いだほうが良いな。すぐに雨が降りそうだ」
見上げた空は雲に覆われ、天使の梯子は次第に消えていった。
(御題提供元:『第七の月』)
最終更新日 2005/10/08
感 想 愛用の武器というわりには、結構ぞんざいな使われ方の短剣。 もう少し逸話とか書ければ良いなと思うけれど、難しいなあ。
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