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世界歴736年5月17日
黒いローブに身を包んだ修道者は、空を見上げて、気持ちよさそうに伸びをした。
「今日も素敵なお天気だな」
澄み渡った五月の空は、春と夏どっちつかずの青空だが、吹きぬける暖かな風と相まって心地よい。
修道者は、機嫌よく街道を歩き出した。
何日か前には土砂降りで大変な思いをしただけに、雲ひとつ無い空というのは嬉しいものだった。
「あぁ、こういう良いお天気の日に、神と出会えたら良いだろうな」
うっとりした顔で呟いた修道者は、この旅の目的である、神のことを考える。
彼の信じる神の名前はblanche cadavre。人間風に言うとブランシュ・カダーヴル。"白いもの"とも呼ばれている。
この世界最大の派閥を占める神であり、また最も古い神であるが、文化や地域で異なった見解がいくつもあり、同名の神を崇めながらも全く異なる宗教観を持つ宗教は少なくない。
数日前に立ち寄った街道沿いの集落でも、同じ名前の神を崇めているのであろう男に出会ったが、彼と修道者とは神の認識が異なっていた。
彼にとっての神は、死後の世界の平穏を約束してくれる、慈悲深きものに違いない。
世界を生み出し、統治し、善良なる魂の庇護者たる天国の宗主、至高の存在。
そういう風なものだと聖書で語られるその神は、道理を持った聖人達を重用して世界の平穏を願うらしい。
「人間にとっての神は慈悲深きもの。私にとっての神は生み出すもの」
そう言って、修道者は苦笑する。
彼の神は、死後の世界の平穏は約束しないし、死後の世界も語らない。ましてや今生のことなど憂う前に姿を消した。
彼の神が行った唯一にして最大の業績は、この世界を生み、そこに生命を生み出したことだ。
世界を生んだ神は姿を消し、その名前だけが世界に残って、色々な解釈をされていると彼の聖書は語る。
「ですが、私は信じているのです。貴方がこの世界にいまだ存在していることを」
たとえどんな姿だったとしても構わない。生み出した者に会いたい。会って、聞いてみたい。
どうして生命を造ったのか、と。
自然の摂理を壊すように文明を築く人間と魔族。この世にある生命の中では異質な二種族。
人間は不要であっても同族を殺し、魔族は不要であっても人間を殺す。殺しを快楽とする奇妙な生き物だ。
魔物も悪魔もそれ以外の生き物も、飼いならされない限り、生き残るためでなければそんな無駄なことをしない。
ではなぜ、人間と魔族はそんなことをするのだろうか。
まして、人間と魔族は、体質こそ違うものの、姿かたちは全く同じであるし、二種族の間に子供を設けることもできる。
何故、分けたのだろう。
「問いは尽きません」
苦笑しつつ、草原の中を進む一本道を見回してみる。
腰よりも少し高い位置まで伸びた緑が波打つばかりで、通りかかる者はなく、まるで緑の海に放り出されてしまったようだ。
ぼんやりと白く浮かぶ道は、緩慢な潮の流れに身を預ける珊瑚の卵の流れのようだ。
「どこにも行き着けず、魚の餌になるのはごめんですけどね」
言いながら、袖を捲くり上げ、錫杖を構える。
草原の緑が、風に逆らうような奇妙な動きをした。瞬間、鮮やかな緑を空へと吹き飛ばし、巨大な土くれが膨れ上がる。
「悪魔なら説得もきくんですけど、魔物は見境無く食い殺すだけ。封じられるか殺されるだけの本当に哀れな存在。それでもこの世界に生まれてくるのですから、神の真意は想像し尽くせませんね」
頭頂部らしい部分に赤子の頭ほどもある球体をはめ込んだ、巨大な幼虫にも見える魔物が左右に裂けた口を開く。
魔物は、どこに現れるかわからず、どうして現れるのかもわかないが、邪気の塊が肉体を持ったようなものだ。
故に、魔物は生物を襲うことしか考えず、何者にも御すことがかなわない。
「神よ、貴方の仔を封じる愚行をお許し下さい」
祈りを終えると、重量感のある動きで近寄ってくる虫との間合いを詰める。
錫杖を握った修道者と、土くれでできたような巨大な虫は、お互いを睨む。
一瞬、風が途切れた。それを合図に、先程までの緩慢な動きを忘れて動き出す。
最初にしかけたのは虫だった。体をよじり、その反動を利用して鞭のようにくねらせた体を修道者にぶつける。
しかし、攻撃が届く前に修道士は跳躍し、大地を抉った虫の頭上に着地すると、虫の頭にある球体を錫杖で叩き割った。
虫が悲鳴を上げてのた打ち回る。
修道者は放り投げられないように、ひび割れた固い虫の皮膚に指を立ててしがみつき、砕けた球体の中に右腕を突っこむ。
濃厚な霧の中に腕を突っこむようなとらえどころのなさと、冷たい湿っぽさを感じつつも、腕に意識を集中する。
白い指の先端から、人間の使う文様とは異なる模様が教職に浮かび上がり、腕を覆いつくして行く。
それが右腕全てを埋め尽くすと、修道者は気合を入れるように叫んだ。
「喝っ!!」
瞬間、虫は土煙となり、足場をなくして地面に投げ出された修道者の腕に土煙が絡みつく。
修道者は苦痛に顔を歪めながら、徐々に凝縮していく土煙を睨んだ。
耳障りな音を立てる土煙は、とうとう一点に集約し、修道者の右腕に模様の一つとして刻まれた。
「ふぅ……」
息を吐くと、右腕に浮かんでいた文様が消えた。
「魔物を封じるのは辛いですね」
言いながら、露出した右腕に周囲の草を引き毟って押し当てると、草の冷たさが気持ちよかった。
邪気の塊が肉体を持ったものである魔物を殺せるのは、魔術師の操る術だけだが、それだけでは世の中は魔物だらけになってしまう。
では、残りの魔物はどうなっているのか。
答えは簡単。魔族がその体に封じているのである。一度封じられた魔物は、封じた魔族の死と共に朽ちる。
昔は、その事実を人間も知っていたが、知っていたが故に魔族を狩り、魔物を封じて殺すという愚行を犯した。
おかげで数を減らした魔族は、今や西方の一地域で細々と暮らしているのみだ。
「人間には魔術師を、魔族には封印の力を与えた我が神の真意はなんなのでしょうか。もしも、魔族にも封じる以外に魔物を殺す術があったなら……」
サンセリテは、知らず知らずのうちに左手に力を入れて右腕に爪を立てる。
魔物を封じ続けたが故に、体中に文様を刻み、耐え切れずに死んでしまった母。
魔物を封じるために人間に狩られて殺されてしまった祖母。
大切な者を失う悲しみは、魔族にもあることを、人間は知らないのだろうか。
そう思うことは何度もあったし、魔族に魔術師を与えてはくれなかった神へ、怒りを抱くこともあった。
だが、それにも意味があるのだと、神は超越した存在としてこの世界を造られたのだと信じたかった。
だから、不意に神を疑いたくなる自分の心を律し、神にこの問いを尋ねるため旅に出たのだ。
旅を始めて三年経つが、今のところこれと言った成果はないのだが。
急に、鞄の中から音ならぬ声が修道者の頭に響いた。
「ビブル?」
埃を払い立ち上がったばかりの修道者は、驚いた顔で鞄の中に手を入れる。
鞄から薄汚れた古い真っ黒な書を取り出すと、開放を意味する原書の言葉を発した。
すると書物は黒い獣の姿へと変容し、獣は嬉しそうに修道者の腕から逃れると、草原を走り出した。
「忙しないなあ」
呆れたように黒い獣を見る。
幼い頃に祖父から譲り受けたこの書物は、神の言葉を書き残した代物で、開放の言葉によって獣となる。
会話こそできないものの、長く付き合ってきたためか、なんとなく言いたいことはわかるようになった。
普段は書物の形であるが、今のように、時に音ならぬ声で修道者を呼ぶこともある。
「あぁ、そうか。ビブルはこういうところ大好きだったよね」
顔を上げた修道者は、ふっと笑う。
夕陽を受けて黄金色に煌く草原を、黒い獣が嬉しそうに飛び跳ねている。
その頭上では、暗くなり始めた薄紫の空に、星が輝き始めている。
まるで、収穫前の秋の畑を泳いでいるような、不思議な景色は、溜息が零れるほど美しい。
神の言葉をその身に刻んだ書の獣は、美しい景色が大好きだ。勿論、修道者もそういう景色は大好きだ。
一緒に、嵐の夜に海へ行って、不意に晴れた瞬間、水面に映った満月にうっとりした事だってある。
息を呑む景色に、何度心震えたことだろう。それこそが生み出すものであった神の功績を讃えているのだ。
「神はきっと、こういう美しい景色を愛されてるんだろうね」
それに答えるかのように、やわらかな風が修道者の髪を揺らした。
(御題提供元:『第七の月』)
最終更新日 2005/10/08
感 想 金色の光が、最後の風景にしか反映してません。 かなりやっちゃった感がありますが、このキャラは好きです。
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