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はじめまして!
あたしはミラ。北の荒野にある村に住んいます。
この村は北の端っこにあって、どのお家もみんなレンガでできています。
長い冬がやってくると、村は雪と氷ですっかり凍えてしまうのだけど、レンガのお家の中はいつだって暖かくって、お外から帰ってくる時などはホッとします。
昔は、村が寒さの丘の上にあって家の中に氷柱を作っていたのだけど、ある竜のおかげで、お家の中が暖かくなったのですって。
その竜のお話しというのが今から綴る物語、あたしのおばあちゃんがよく聞かせてくれたお話です。
ちょっと長いけど、読んでくれたらとっても嬉しいな。
それはまだ世界に四季がなかった頃のお話しです。
世界の中心に広がる海の上には、どんなものも行くことのできない楽園がありました。
ここに住む生き物はみんな、毎日の糧を感謝し生きる喜びを歌って暮らしていたので、とても平和でした。
そんな美しい楽園の中で、たった一人だけ、いつも涙をこぼしている竜がいました。
ウィルターという名前の竜で、彼は生まれたときから片方の翼がありませんでした。
そればかりか、瞳は真っ白で、蒼い体は氷のように冷たく、声はごうごうと叫ぶ嵐のようでした。
「はぁ……。どうして僕はこんな姿なんだろう?」
誰もいない緑の公園を歩きながらウィルターは呟きました。
「皆は僕のことを、三つ目の青い月に住む死神だって言うし……」
空を行く三つのお月様の中で、一番小さくて青い色の月に住む死神は、とても醜くて恐ろしい姿をしている怖い者です。
ウィルターがそんな死神のはずがありません。
なぜなら、彼ほど心優しく、苦しみに耐える竜は、世界のどこにもいなかったのですから。
彼は芝生の上で止まると、青く広がる空を悲しそうな顔で見上げました。
「竜なのに僕だけが空を飛べないで、地面を歩いているなんて……」
空を見上げ細めた目には、高い所を飛び回る竜たちが見えます。
どの竜もとても楽しそうに空を飛んでいるものですから、ウィルターの心は悲しくてチクチクしました。
「……考えてもしょうがないよね」
溜息まじりの言葉を、今までに何度言ったか彼自身も覚えていません。あまりにも長い間繰り返してきたからです。
ふと彼はあることを思い出しました。
「そうだ、今日はサナーの誕生日だったっけ。楽園中がお祝いするのだし何かプレゼントをしないと」
赤い炎のサナーと呼ばれる竜は、赤いウロコと真っ赤な瞳と大きくて力強い四枚の翼を持つ竜です。
しかも、誰もが驚くほど強い炎と、若葉の頃の風に似たさわやかな声まで持っていたものですから、楽園中の人気者。
片翼のウィルターとは全くの正反対でした。
だからというわけではありませんが、ウィルターは今日がサナーの誕生日だったことを、すっかり忘れていました。
楽園中の者がサナーの誕生日を祝うために彼の家へと集まるのですが、彼だけは呼ばれたためしがありませんでしたから、覚える必要もなかったのです。
「どうせ僕はお誕生日会に出られないから、妹に花を持って行ってもらおう。確かサナーは妹を招待していたから……」
楽園一人気者の少年竜サナーは、ウィルターの妹のことがとても好きでした。
なにせ、妹のライアときたら春風のような愛らしい声と、どんな花でも敵わないほどの美しさを持っていたからです。
「どんな花にしよう? ライアが持っても色あせない、とびっきりの花にしないとね」
みんなに嫌われている彼ですが、それでも周りのみんなに親切にしたいと心から願う優しい少年です。
そして、自分のせいで愛らしさが半減してしまっている妹だけでも、どうにか良い人生を送って欲しいと願っていましたから、どの花にしようか、うんと考えました。
「そうだ、ピンク色の花にしよう! この前見つけた花畑は全体がピンクで素敵だったな。あの花ならライアに良く似合うぞ」
飛び切りの笑顔で彼は花畑へと走っていきます。その姿を見た鴉が空から笑っていました。
「ただいま。ライア、サナーへのプレゼント決まったかい?」
家の中へ飛び込んだウィルターが妹にたずねました。
「お帰り。まだよ」
ライアがぶっきらぼうに答えました。ライアは流れ星で作った髪飾りをどこに飾るかに夢中で、鏡とにらめっこしていました。
「そうかい。なら、この花を持ってゆくといいよ。ライアからと言えば彼も喜ぶだろうし」
ライアがこっちを見ないことは寂しかったのですが、ウィルターは花束をテーブルへと置きました。
「ありがとう。でも、当然でしょ? 兄からだといえば彼は気を悪くするわ」
またライアはぶっきらぼうに答えましたが、ちらりと見た花のほうは気に入ったらしく、花束を包むステキな紙を探しに部屋へと入りました。
「良かった」
妹の自分に対する冷たい態度も彼は諦めていましたから、ほんの少し胸がチクリとするのをこらえて、また外へとでかけて行きました。
サナーが楽園中の友達と楽しくパーティーをしている頃、仲間外れのウィルターは川原に座って一番星を眺めていました。
家中のみんながサナーの誕生日会に出ているものですから、ウィルターは家にいる必要がなかったので、大好きなこの川を見にやってきたのです。
川は緩やかで、水面に薄紫色の空を映して星屑といっしょにゆっくり流れていきます。
「今頃ライアは楽しんでるだろうな」
ポツリとウィルターが口を開きました。
「あの花はサナーに喜ばれただろうか? ううん、きっと大丈夫。とてもキレイな花だったもの。それに、僕のことを忘れて楽しんでいるだろうから、うん、大丈夫だよね」
自分の言葉に胸がチクチク痛んで、おさいほう箱の針山よりも穴だらけになった気分になりました。
だんだんと空にお星様が増えていきます。空に浮かぶ星々はキラキラと目配せして夜を歌っています。
「星にも友達がいるのになあ」
空を見上げて、彼は静かに泣いて、こぼれた涙は川の中にぽとりぽとりと落ちては、美しく溶けていきました。
どれくらい経ったのでしょう?
薄紫の空は蒼さを増し、三つめの月がおずおずと空に昇ってきました。
「そろそろ家へ戻ろう。夕飯を作らなきゃね」
真っ赤な目をこすりながら立ち上がり、お家へ帰ろうとした時です。
ふと川の中で何かが光っているのに気付きました。
楽園の川には空の星が映りますし、星屑だって沢山流れていますから、最初は全く気付かなかったのですが、その光は何 よりも一番にキラキラ光っています。
「なんだろう?」
気になってウィルターがそれを拾って見ると、月光石のついたイヤリングでした。
「だれが落としたんだろう?」
彼は持ち主を探すためにイヤリングを家へ持ち帰ることにしました。
それを見ていた三番目の月が、何か言いたげに光りました。
誰もいない木製の家は、静かで、胸がチクチクするような両親の溜息を聞かなくてすみます。
ほんの少しの寂しさと、大きな安堵を抱いていたウィルターのお腹がグルルと鳴りました。
「お昼のシチュー、残ってたよね」
台所でシチューを温めたウィルターは、具の少ないシチューに黒糖パンを千切って入れて食べました。
お腹がいっぱいになり、片付けを済ませると、拾ってきたイヤリングをきれいにしました。するとイヤリングはさらに輝いて、まるでお星様のようです。
家族が帰るのを待ちながら、ウィルターはイヤリングを見て楽しみました。暗い中でも光る姿にうっとりとしていました。
「本当に綺麗だな。明日お父さんに渡そう。今日は疲れて帰ってくるだろうから早く寝かせてあげたいしね」
暫くして両親と妹のライアが帰ってきました。
「お帰りなさい」
「ただいま」
ウィルターに頷いた両親は、ギクリとしました。
「どうしたの?」
ウィルターが尋ねると、お母さんが口を開きます。
「そのイヤリングはどうしたんだい?」
深刻な声に、ウィルターは今までのことを話しました。すると三人は顔を見合わせて、お父さんが言いました。
「サナーのお姉さんは知っているね?」
「うん……」
頷きながら、ウィルターはサナーのお姉さんを思い出します。
ライアほどではありませんが、とてもキレイな竜でしたが、ウィルターを見つけるとすぐに怒鳴りつけるので、ウィルターはサナーのお姉さんが苦手でした。
「彼女はこの前、月光石のイヤリングを失くしたらしい。もし見つけたら教えてほしいと言われたんだ」
「そうだったんだ。じゃあお父さんから返しておいてくれないかな……」
「ああ、その方が良いだろうね」
お父さんが頷いてイヤリングを受け取ろうと手を伸ばしました。
コンコン
「こんばんは、ライアにちょっとお話しがあるのだけど」
そう言って入ってきたのは、サナーのお姉さんでした。
サナーのお姉さんはテーブルの上のイヤリングと、そばに立つウィルターに気付いて叫びました。
「あたしのイヤリング!! あんたが盗んだのね!!」
指差されたウィルターが弁解しようとすると、更に大きな声でサナーのお姉さんが叫びました。
「いやー!! 誰か来て!! ここに恐ろしい盗人がいるわ!! ウィルターは盗人よ!!」
ウィルターは恐ろしくなって、チクチクする胸を抱きしめながら早足で駆け出しました。
夜が終わり朝が来てもなお走り続けました。
振り向くたびに追っ手は増え、竜だけでなく、人間も、他の動物達も恐ろしい顔で追ってきました。
それでもなお逃げ続けていましたが、太陽が天上に昇る頃、彼はとうとう捕まってしまいました。
彼は泣きながら叫びました。
「僕が何をしたんだ!? 僕はただ拾っただけなのに!! 僕の言い分は何で信じてくれないの!?」
ですが、縄で縛られた彼の言葉を聞いてくれる者はなく、ウィルターは冷たい岩の中に閉じ込められてしまいました。
ウィルターの悪口を言う声が少しずつ減っていき、もう何も聞こえなくなって、ウィルターは一人ぼっちになったようでした。
「この世に神様がいるのなら、どうして僕のような不幸な者をお生みになったのだろう」
ウィルターの問いに答えてくれる者はいなくて、声だけが岩の中で虚しく響きました。
「僕は生まれたときから不幸だった。空も飛べない、こんな醜い姿で生まれてきてしまったから」
僅かに天井から見える空に、ウィルターは目を細めました。晴れ渡った青い空でした。
「幸福はいつだって、醜いもののためにはやってこないんだ」
頬を零れ落ちた涙が、縄に染み込んでいきます。
「悲しいな……」
お腹が「ぎゅるるる」と鳴りましたが、縄に縛られていて、お腹をさすることもできません。
ウィルターは涙を零しながら眠ってしまいました。
夕暮れが近づいた頃、外からすすり泣きが聞こえてきました。かろうじて耳に届く泣き声は、ライアのもののようでした。
「ごめんなさい、あなたを助けてあげられなくて」
それはウィルターのお母さんの声でした。
「すまないね、私たちの力が及ばなかったばかりに……お前は明日殺されてしまうんだ」
それはウィルターのお父さんの声でした。
自分が死んでしまうのだと告げられたウィルターは、体中が凍えるように震えました。
しかしウィルターは、三人が自分のことを心配してくれているのだとはもう思えませんでした。
「いいんだ。僕が邪魔ならそう言っていいよ。あの時、サナーのお姉さんが来たのは偶然じゃないと思えるんだ」
「そんなことはない!」
お父さんの声に、ウィルターは疲れたような声で言いました。
「……もう、僕は誰も信じられないんだ。放っておいてよ、いつもみたいに」
すると三人はめいめいお別れを言って、すすり泣く声と共に遠くへ行ってしまいました。
本当にもう外には誰もいなくなってしまうと、ウィルターは悔しくなって縄を引き千切ろうとしましたが、どうにもこうにもなりませんでした。
「どうして僕ばかりなんだ?」
死がすぐそこまで近づいていると悟ったウィルターは、弱音を吐きました。
生まれてこのかた努力し続けてきましたが、一向に報われないばかりのように思えたのです。
だけど、弱音を吐くとよけいに悲しくなるばかりで、お腹を満たす事も死の恐怖に打ち勝つ事もできません。
「あぁ、見た目が悪いから努力しても意味がないんだろうか? 神様って不公平だよ。サナーと僕が一緒の年に生まれるなんて……」
いつの間にか夜がやってきて、一番大きな月の光が、岩の中を青白く照らします。
その光を浴びて、ウィルターは初めて他人を憎みました。
「月よ、許してください。僕はもうじき死んでしまうのだから、初めて人の悪口を言います。この哀れな化け物の最後のお願いだから、どうか許してください」
その言葉に、月光がリーンと甲高い声を上げました。
ウィルターは月の許しを得たのだと思い、心に浮かぶまま呪いの言葉を吐きました。
「イヤリングを落としたサナーの姉を憎みます。僕を縛りつけた奴らを憎みます。僕を忌み嫌う全ての者を憎みます。僕を生んだ母を憎みます。言葉ばかりで何もしてくれなかった父を憎みます。いつも僕を汚い物を見るようにしてろくに口さえきかなかった妹を憎みます。そして何よりも、僕とは正反対で幸福にまみれたサナーを憎みます」
彼は一晩中泣きながら月へと訴え続けました。
彼の心はもうボロボロで、逃げている間に、チクチクする心の穴から、残っていた優しさの欠片はみんなこぼれ落ちてしまっ ていました。
彼の心に残っていたのは、べったりとついた憎しみと、凍った悲しみだけしかありませんでした。
だから、両親の言葉も、妹の涙も信じる事はできなかったのです。
長い長い訴えを聞く月は何度もリーンと言いました。まるでウィルターを咎めるように。
「一つ目の月よ、あなたは大きいから僕の苦しみがわからないんだ!」
そう言ってウィルターは、一つ目の月を怒鳴りつけました。すると、月のリーンという声は聞こえなくなってしまいました。
次に聞こえたのは二つ目の月のシャララという声が聞こえました。これは一つ目の月よりも、哀れみに満ちていました。
「二つ目の月はお美しいじゃないか。せいぜい僕を哀れんで、善人を気取るんだね。あなたじゃ僕の悲しみはわからないんだから!」
すると、二つ目の月のシャララという声も聞こえなくなりました。
最後に、三つ目の月のチリリという声が聞こえました。それはウィルターに肯定的に歌います。
この月は、空に浮かぶ月の末っ子で、いつだって低い位置しか飛べないものでしたから、星たちによく笑われていました。そればかりか、兄弟にも好かれず、あまつさえ地上の誰もが死神の住む月だと噂して、見上げる度にため息をついては不吉な物語を作ったので、三つ目の月はいつも気が重くて幽かに青白く光ることしかできませんでした。
だから、同じような境遇のウィルターに一つの贈り物をすることにしたのです。
ウィルターはそれを受け取り、三つ目の月に初めて感謝しました。
長い紺碧の夜が終わり、小鳥のさえずりと共に空へと太陽が戻ってきて、世界は朝になりました。
岩が開かれ、縄でしばられたウィルターが外へ引きずり出されました。
暗い所から明るい所へ出たために、ウィルターは目がチカチカして痛くてたまりませんでした。
そんな彼に向かって、黒い服を着た偉い人が言いました。
「ウィルター。お前は長年、周囲の物に不快感を与えた事と、泥棒の罪で、サナーと戦う事になった。これは、サナーとその家 族の怒りと思え」
ウィルターは思いました。
(なんだ、ただの見世物として殺そうというのか)
岩牢から出てきた彼は一言も声を漏らしませんでした。その必要がなかったのです。
今までは、みんなに認められたくて取り繕ってきましたが、もうそれをしたところで意味はありませんし、何よりも、この場にいる者達全てを憎んでいましたから、したいとも思いませんでした。
彼は一夜にして生まれ変わってしまったのです。青き月の眷属として……。
楽園の北側にはどこまでも広がる荒野があり、二人の竜はその真ん中に立ちました。
楽園中の生き物が荒野と緑の境界線から二人を見つめていました。
縄を解かれたウィルターは、冷めた瞳のまま、目の前のサナーを見つめています。
「では、始め!!」
遠くで裁判官の声が響きました。すぐさまサナーが攻撃を仕掛けてきました。
しかしウィルターは、それらを避ける事もしなければ、戦うこともせず、ただじっと攻撃に耐えていました。
「どうした化け物!! かかってこいよ!!」
サナーは丸一日何も食べていない疲れきったウィルターを挑発しましたが、ウィルターはピクリとも動きませんでした。
「それとも、空を飛びたいか?」
サナーは力をこめた拳でウィルターを空高く飛ばしました。
「飛べないと不便だな!!」
サナーは四枚の翼を器用に使って、宙を舞うウィルターに攻撃しようとしました。
絶体絶命、勝負あったと誰もが思いました。
しかし、ウィルターはニッと笑ってサナーを見ました。
その笑みにぞっとして固まったサナーの隙を突き、ウィルターはサナーの顎を殴ったのです。
あまりの展開に、サナーは自分の目を疑うような顔をしました。
それもそのはずです。
ウィルターが片翼で空を飛んでいたのですから驚かないはずがありません。
「なにっ!?」
その姿にサナーは驚きの声を上げるしかありません。
驚きと恐怖と怒りに震えるサナーの姿を見て、ウィルターはニヤリと残酷な笑みを浮かべて喋り始めました。
「僕は今まで君達の為に努力してきたけど、なんの見返りもなかった。だけど、昨日の夜、僕の一生分の見返りを要求したら、青い月が空を飛ぶ力をくれたんだよ。わかる? それだけ僕は頑張ったってこと。理解してくれるかな?」
足が震えていることに気付いたサナーは、怒りに満ちた目でウィルターへ向かっていきます。
岩さえ溶かす強烈な炎を吹きました。しかし、ウィルターの凍える息で炎は消滅しました。
お互いに打ち消しあう力を持った者同士の戦いは、太陽が天井を過ぎてもなお続きました。
楽園の人々は絶句し恐怖しました。
ただ居るだけの物静かな怪物は、今や残酷な顔で、楽園の英雄を殺そうとしているのですから当たり前でしょう。
しかも、サナーを助けたくても、うかつには近付けないほど、戦いは激しさを増していました。
互いに傷つき、飛ぶこともできなくなった二人は、命を削りながら拳をぶつけ合いました。
「お前のような化け物に負けない!!」
怒りに満ちたサナーの、はき捨てるような言葉に、もはやウィルターは胸を痛めません。
「だったら、僕は英雄気取りをするお前を狩ってやる!!」
ウィルターは狂気じみた笑みを浮かべて叫びます。
二人はほぼ同時に攻撃を仕掛けました。
一瞬、時が止まったかのような錯覚を起こさせて、決着がつきました。
黒い爪が刺さり、胸に大きな穴を開けたサナーが荒野に倒れました。
「ふっ、だから英雄気取りは嫌いだ。死んで欲しいね」
ウィルターはつかれきった顔でサナーに背をむけます。
楽園中の生き物は長い沈黙の後、幸運にして最悪にも理解しました。サナーはぎりぎり生きていて、化け物はまだ動いているということを。
「弓だ!! 弓を射れ!!」
力をこめて飛び立ったウィルターに多くの矢が射られました。
慣れない翼を羽ばたかせ空を飛ぶウィルターは、かろうじて矢を避けていきます。
しかし、一条の矢がウィルターの胸を貫きました。
見れば、顔を青ざめたライアが、弓を握り締めて立っていました。
「やったわ!! 仕留めたわ!! お手柄よライア!!」
震えるライアを抱きしめて、サナーのお姉さんが笑っていました。
「おい!! サナーは生きてるぞ!!」
誰かが叫びました。
毒矢を胸に生やしたまま、ウィルターは、遠ざかる意識の中で、人々の歓声に酷い悪態を吐きながら、地面に落ちました。
サナーを中心にみんなが楽園の中心へと帰ると、荒野にはウィルターと両親とライアだけが取り残されました。
本当はみんなに誘われたのですが、三人はこっそり残っていたのです。
「……なんで……いるのさ……」
僅かに意識を取り戻したウィルターが、自分を見下ろす三人を睨みつけます。
「私がお腹を痛めた子だもの。あなたが死んでしまうのは辛いわ。せめて最後を看取ってあげたいの」
お母さんの言葉にウィルターはフンッと鼻を鳴らしました。
「あの後、サナーの家に言って事情を説明して許してもらえないか言ったがダメだった。最後まで不甲斐ない父ですまなかったね」
お父さんの言葉にウィルターは「偽善者」とだけ呟きました。
「せめて、私がお兄ちゃんを殺して罪を償えと、サナーのお姉さんに言われたわ」
すすり泣くライアに、ウィルターは口から血を吐きながら笑いました。
「……とんだ……茶番だ……もう……何もかも呪われてしまえ……お前らもさっさと緑の中に戻れよ……もう僕を見ないでよ……僕が……悲しくなるだけじゃないかっ……」
謝罪の言葉を重ねる家族に、渾身の力で凍える息を吹きつけたウィルターは、彼らに背を向けて北へ北へと飛んでいきました。
ボロボロの体に鞭打って、楽園から逃げ出すように飛び続けました。
やがて彼は、北の辺境の地へとやってきました。
寒さの丘に吹く風はウィルターの吐息のように冷たく、生き物が立ち枯れていく、とても悲しい場所でした。
虫の息だった彼は、そのまま凍える大地に消えてしまうはずでした。
しかし、寒さの丘の上で凍える村から、人間が顔を覗かせて叫びました。
「おい! 竜が倒れているぞ!!」
人間達が集まってきたのに気付いたウィルターは、殺されてなるものかと、最後の力を振り絞って逃げようとしましたが、それすらもできないほど弱っていました。
人間達は身動きとれないウィルターを村へと運んでいきました。
「どうしよう? 竜は神の使いだというが、もう虫の息。助からないだろう……」
困惑しながらも、人々は一生懸命にウィルターを看病しました。
矢を引き抜き、傷をふさぎ、体を拭き、ベッドに寝かせ、凍えたウィルターを暖めるために大切な薪を沢山燃やしました。
その小さな集落の人間全てが、異形の竜であるウィルターを看病したのです。
しかし、そんな必死の努力も虚しく終わる時が来ました。三番目の青い月が、ウィルターを迎えにやってきたのです。
ウィルターが村について二日目、最後の最後に彼は目を開けました。
そして彼は自分の命が今まさに終わると気付き、周りを見回しました。氷柱の生えた天井の下には、人間達が心配そうな顔で立っていました。どの顔にもこれ以上何もできないという悲しげな色があり、ウィルター本人もそれは仕方の無いことだと思いました。
突然、部屋の中に鼻をくすぐる甘い匂いが入ってきて、一人の少女がウィルターの前に進み出て、あたたかなシチューを差し出 しました。
「ねえ、これを食べるとなんでも治るのよ! 私はこれでカゼがなおったの!!」
幼い少女は笑いながら、ウィルターにシチューを差し出します。
手渡されたウィルターは戸惑いながら少女に問い返しました。
「僕が食べても……良いの?」
「もちろんだよ! 私があなたのために作ったのよ! 早く元気になってほしいから! それにあなたの体ときたら凍った雪よりも冷たいんだもの! これを飲めばきっとあったかくなるわ!」
「ありがとう……」
ウィルターは涙をぼろぼろこぼしながら何日ぶりかの、最後の食事をとりました。
「おかしいわ? どうして泣くの?」
食べ終わったウィルターに少女が尋ねます。
「こんなに優しくしてもらったのは初めてで、胸が温かいのに痛くて。僕は他人の優しさに今まで気付いていなかったんだ。だから悲しくて、気付けたことが嬉しくて」
彼の言葉に村人達は顔を見合わせました。
「何やら事情があるらしいですな。よろしければ、我々にお話しくださらんか?」
白髪の老婆の言葉にウィルターは頷きました。老婆は村人全員を集めて、ウィルターがここに来るまでの経緯を聞くことにした。
ウィルターの残りの時間いっぱいまで。
話しを聞き終えた人々はみんな涙目になって、シチューをくれた女の子などはワンワンと泣き出してしまいました。
「辛かったね」
老婆がそう言って、ウィルターの頬を優しく撫でてくれました。
同情されることをちゃんと受け止められたウィルターは、とても心が温かくなりました。
同時に、どうして両親や妹や月たちの優しさに気付かず、跳ね除けてしまったのだろうと、少し前の自分が悔しくなりました。
そしてウィルターは、心優しい村人達に最後の願いを伝えました。
「僕が死んだら、僕の体全部貴方達が貰ってください。竜は楽園にしか住まないから貴重だそうですし、僕はこんな姿だけど、見世物ぐらいにはなるでしょう。せめてものお礼に受け取ってください」
すると村人達はウィルターの言葉に首を横に振りました。
確かに竜は珍しく、都では高く売れるそうですが、その使われ方は残虐なものだと知っていたからです。
仕方なくウィルターは別の願いを伝えました。
「それならば、角以外の僕の体を村の近くに埋めてください。角はこれから訪ねてくる者に渡してください。そうしてくださっ たら、僕はとても幸せです」
人々は泣きながら承知しました。そして最後に彼はこう言いました。
「たとえ凍える寒さが村中に死を告げにやってきても、僕の魂が消えない限りあなた達の家の中には入れません。雪が屋根 に積もっても家の中には氷柱が生えないよう、どんな寒さの中でも温かく過ごせるように見守ります」
人々は、死にゆく優しき異形の竜に別れの涙を流し続けました。
「僕は、幸せだな」
ウィルターは深い喜びから湧き出る安らかな涙を知り、遥かなる眠りへ着きました。彼の魂は、迎えに来た青い月に優しく抱かれて空へと昇っていきました。
それから人々はウィルターに言われた通り、角以外の遺骸を集落の北へと埋めました。
墓標は立てませんでした。
楽園の者に見つかって潰されたり、卑しい誰かに掘り返さないようにするためです。その代わりに、彼等は小さな木の実を埋めました。今でも村の北に聳える大きな木の、最初の一粒でした。
そして、ウィルターの角は、今でも尋ね人を待って、この村のどこかに隠されたそうです。
そう、私の村の家々がどんな寒さに襲われても暖かいのは、ウィルターの最後の約束おかげなのです。
やがて神様は天寿を全うしたサナーを夏の仕事につかせ、深い慈悲の心からウィルターを冬の仕事につかせました。こうして世界は春夏秋冬の四季を手に入れたのでした。
これが私がおばあちゃんから教えてもらった物語全部です。
最後に、私が友人のルーラと一緒に、ウィルターを見たお話しをします。
それはある夜、おばあちゃんがこの物語を話し終えた時のことでした。
私たち二人は、吹雪の夜の中、向かいの家の屋根からニコリと微笑む片翼の竜を見たのです。
おばあちゃんはウィルターは昔の話なのだと言いましたが、そんなことありません。
だって、翌日にルーラと一緒に作ったウィルターの雪だるまが、雪が解けて夏が来るまで残っていたのですもの。
でもきっとおばあちゃんも、ウィルターを信じていたんだと思います。
ところで、ウィルターの角がどうなったのか。それは私も知りません。
いつか誰かが、その角を取りに来ることがあるのなら、私が生きてる間なら良いなと思います。
でもきっと無理でしょう。
何故なら私はもう、しわくちゃのおばあちゃんになってしまって、命の終わりが無言で傍らに寄り添っているのだから。
最後まで読んでくれた貴方にも、人を思いやる大切さと、人の優しさを受け止められる強さが伝わったら幸いです。
最終更新日 2006/05/05
四 言 2000年の終わりに「竜の寄り道」にて投稿した話の再録。
洋画「シザーハンズ」の影響が強く、童話風の物語。
大きな更新の度に原文と少しずつ変わっているもの。
今回は大きく変わってしまいました。特に家族の性格が。(笑)
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