「一人ぼっちの冬」

type:short story

 

ルクテアは一人ぼっちで、凍った窓辺に座っている。
霜で飾られたガラス窓の向こうは、眩い満月を浴びて一面の銀世界を晦冥に浮かべている。
遠くでは狐の歌が響き、雪の華を咲かせた木々が、時折吹く風に揺れている。
ルクテアは窓の向こうから視線を逸らし、小さすぎる手を見下ろした。
ゴワゴワで真っ黒な毛糸の髪を撫でる小さな手は、肌色のデニム生地で薄汚れている。
合皮の靴を履き、硬くて頑丈なピンクの民族衣装を着てはいるが、お情け程度の黒い瞳も高低を感じさせない鼻も、ままごと人 形としての派手さはない。
「はぁ。またおいてかれちゃった」
この家の一人娘モイラの顔を思い浮かべ、ままごと人形は片付け忘れられたことを嘆く。
もともとルクテアは、モイラの5つの誕生日にモイラのおじいさんが与えた人形で、モイラの趣味には合わず、おもちゃ箱に戻 れないことも今日が初めてではなかった。
「おい、ルクテア! またモイラに置いてかれたのか?」
「そうよ! リリエラは好かれていてうらやましいわ!」
窓の下の薄闇へ手を振りながら、この会話をもう何度繰り返したのかとルクテアは思う。
見下ろした先には、硬い木目の床にはルクテアを見上げる人形が仁王立ちしている。
細かな部分も再現できるゴムの肌にはめ込まれた、真っ青なガラス玉の瞳が月光に輝く。
緻密にして理想的な細い四肢を包む、清潔感漂うナース服と同じ素材のキャップが、櫛で梳く意味さえ忘れさせるブロンドの髪に載せられている。
ほんのり薄桃色に染まった頬が愛らしく、真っ赤なルージュに染まった唇は、甘く優しい小鳥のような声を出すのだろうと、見るもの全てに思わせる。
どこからどう見ても白衣の天使だ。
昼間の日差しの中で見れば、子供向けとはいえ大人でも楽しめる一品だ。
そんな看護婦人形のリリエラは、モイラのお気に入りのままごと人形である。ルクテアとは全く違う美しさなのだから当然と言えば当然かもしれない。
だが、一つ問題がある。おもちゃには心があり、それが外見通りとは限らないということだ。
「あたりまえだろ! オレはお前と違ってモイラのお気に入りだからな!」
リリエラはその優しげな外見に似合わず、性格も口も悪い人形だ。
ルクテアがおもちゃ箱に帰れなかった日は、ルクテアをいじめるために、わざわざおもちゃ箱から出てくるのである。
「そんなこと、いわれなくてもわかってるわよ!」
ルクテアが哀れな声を上げると、リリエラは満面の笑みを浮かべ、のしのしとおもちゃ箱へ戻っていった。
おもちゃ箱のある隣の部屋からは、おもちゃ達の楽しそうな声が聞こえるが、ルクテアにはどれもルクテアの悪口のように聞こ えてしまう。
「みんな、モイラにみつかって壊れてしまえばいいのに!」
小さな両手で大きな顔を覆う。
こんな時、人間のように涙が出れば良いのにとルクテアは思った。
おもちゃは、人間達が寝静まった夜の間だけ、おもちゃ箱から出て動き回ることができる。
だが、もしもその姿を人間に見つかってしまった場合、壊れなければいけない。
というのも、昔々、人間の前でおもちゃ達が踊った所、悪魔のおもちゃと言われて、おもちゃ狩りにあった苦い歴史があるからだ。
酷い事を言ってしまったと思いながら、ルクテアは顔を上げて、また窓の外を見る。
真っ白な世界に立ち咲く銀色の樹木の上に、太った月が腰掛けているのが見える。
「あぁ、お月様のようにひかりかがやくお人形だったらよかったのに」
ルクテアは指のない手を合わせて、お祈りの真似事をしてみたが、余計に悲しくなった。
人間達の祈りも届かないというのに、人形の願いが神様に届くとは思えない。
しくしく泣いていると、どこからかしゃがれ声が響く。
「あんまりそんなこというもんじゃない」
ルクテアは驚いて、パッと顔を上げた。
「だれ?」
見回してみると、窓の縁に置かれた鉢の向こうから覗く視線とぶつかった。
「あなただれ?」
ルクテアが小首を傾げて見せると、鉢の向こうから声の主が現れた。
声の主は、くねくねと曲がった長い鼻をしきりにすすり、白い息を吐いている。
粘土色の肌を包むのは、深緑の帽子と灰色のチョッキとズボンで、脚はところどころ色のはげた真っ赤なブーツに収められてい る。
全体的に薄汚れていて、この家には不釣合いな上に、おもちゃらしくもない。
モイラのおもちゃならばルクテアも知っているが、彼を見たことは一度も無いし、こんなおもちゃをこの家の人間が連れ込んだ とは到底思えない。
ルクテアは相手をマジマジと見ながら、何者なのかと疑る。
「オイラは"なん・なん・なんにもなし"さ」
声の主が近づいてくる。
「なん、なん、なん……?」
「ニクスってよんどくれ」
ニクスは下品な笑顔を貼り付けて、ルクテアの前で止まる。
「あたしにごよう?」
ルクテアはよからぬものを感じ、身を反らして睨みつける。
ニクスの方は、ルクテアの顔を覗き込み、臭い息を吐いて笑う。
「べつに。ただ、あんまりにも悲しそうだったから声をかけたんだ」
そう言うとニクスは一歩離れ、ルクテアの隣に勢いよく座る。
ルクテアは突然現れた得体の知れない小人に戸惑いを感じ俯く。何かあってもルクテアは窓辺から離れることができない。もしも窓辺から落ちて逃げ出しても、朝には窓辺の真下にいなければいけない。動いたとバレては困るからだ。
しかし、そんな事をしていては、ニクスからはとても逃げられそうに無い。
もしもニクスが悪魔や魔物の類だった場合、一刻も早く逃げ出さなければならないというのにだ。
そんな事を思っていると、ニクスがケラケラ笑い始める。
「みてみなよルクテア! 月があんなに太っていやがる!」
言われて窓越しに月を見上げると、さきほど見上げた時よりもだいぶ横に広がっている。
「どうしてかしら?」
ルクテアは驚いて小首を傾げる。
空を行く月の姿ときたら、いつでも張り詰めた美しさを持っていて、憧れの的だというのに、今の月は哀れなほど太り、周りの 星々に笑われている。
すっかり気落ちした月は頬を真っ赤にして、悲しそうに銀の涙を落とした。
「悪戯小人の類は、ああやって月の涙を集めるんだ」
ニクスがケラケラ笑うと、ルクテアは慌てて立ち上がる。
「ニクスはイタズラ小人なの!?」
ジリジリと後退すると、背中に窓枠が当たる。これ以上は逃げられない。
月を眺めながら座り続けるニクスは、小さく笑うだけで何も答えない。
「なんてひどいの! あんなに美しい月をいじめるなんて最低!」
「ルクテアのことじゃないじゃんか」
ニクスが冷めた瞳で指摘したので、ルクテアは余計に腹立たしくなった。醜く太った月が、まるで己のように見えたからだ。頭でっかちで笑われっぱなしのルクテアは、今の月の姿に同情していた。
「あたしのことじゃないわ。でも、ひどいことだわ!!」
小さな黒い瞳を覆うように、顔に皺を寄せたが、怒り顔というにはあまりにも間抜けだ。
しかし、ルクテアは必死に顔を歪め、冷笑するニクスを睨みつける。
「そう怒るなよ。珍しいことなんだし、醜くなった月を笑おうよ」
ニクスは声高に笑って窓の外を指差す。
指先には、銀の涙を流し続けて、化粧がところどころ剥げた黄色と青の斑な月がいる。
「醜いものの気持ちぐらいわかるでしょ!? 笑われて嫌われる悲しみが!!」
ルクテアの怒鳴り声は次第に大きくなり、間の抜けたそばかす顔が更に歪む。
少なくとも、ルクテアよりもみすぼらしい姿のニクスならば、醜いことを哀れに思う気持ちぐらいあると思ったのに、一緒に月を笑おうなどと言い出すものだから、怒りが膨らんだのだ。
ニクスは隣の部屋との出入り口をチラチラ見ながら口を開く。
「嫌われ者なのはルクテアだけだ。月は、どうなっても夜空の支配者だからな」
ルクテアは胸に手を置いて俯く。
思い出せば、月はどんなに痩せても太っても、いつの夜も星達に受け入れられ、堂々と夜空を渡って行くのである。
決して、非難されることなど恐れない強さがあると、ルクテアは痛いほどよく知っていた。
今、哀れな月に同情しても、月はちっぽけなルクテアに同情はしない。
所詮、永遠に変ることのできない醜い人形が自分なのだと思って、ルクテアはその場にしゃがみ込む。
しゃっくり混じりの泣き声を上げ、次の言葉を捜しながら、誰かが背中を叩いて優しくしてはくれないかと待ったが、ニクスも月も声の一つも掛けてはくれなかった。
とうとう痺れを切らしたルクテアは、嘲り笑いを浮かべてるニクスを睨みつける。
「モイラに嫌われて、置いてかれたさびしさなんて、あんたにはわからないでしょうね!!」
ニクスに怒鳴りつけた瞬間、部屋の片隅で毛布が落ちる柔らかな音が響いた。
驚いたルクテアがそちらを見ると、隣の部屋との出入り口で、目を大きく見開いたモイラが、口を半開きにして硬直している。
そこでルクテアは、どれだけ大声で喋っていたのかに気付き、絶望に震え上がると、そのまま勢いよく窓辺から飛び降りる。
おもちゃ達のたった一つの法律が、ルクテアの意思とは反対にルクテアの体を動かしたのだ。
次の瞬間、ルクテアはものすごい音を立てて、元来の布切れと綿と毛糸に戻った。
幼いモイラは、すっかり怯えて母のベッドへと逃げ出す。
いつの間にか窓辺の鉢植えの影に隠れていたニクスは、ニヤリと笑う。
暫くして、月が元通り黄色い化粧の丸い姿となり、周りの星々と和解をした頃、泣き続けるモイラを母があやす声が薄れ、不規則な寝息へと変わる。
すると、隣の部屋のおもちゃ箱から、リリエラがやってきた。
「壊れっちまったか」
リリエラは、足元に飛び散ったルクテアの残骸を見下ろす。
ふと、笑い声が聞こえたので顔を上げると、月光を浴びた醜い小人が窓辺に腰掛けていた。
「やぁ、リリエラ」
リリエラの視線に気付き、小人は軽く手を振る。
リリエラは相手の醜さに鼻を鳴らす。
「お前、何者だ?」
「"なん・なん・なんにもなし"。ニクスって呼んどくれ」
「ふーん」
リリエラはニクスと名乗る小人とルクテアの残骸を交互に見る。
「お前がルクテアをあおったんだろ?」
からかう様な声で尋ねるが、ニクスはただ小さく笑うだけで答えようとしない。
リリエラはすぐに興味を無くして、ニクスに背を向けておもちゃ箱へと歩き出す。
「リリエラは、ルクテアが壊れてさびしくないの?」
突然、ナイフを突き立てるような冷たい声を投げかけられて、リリエラは硬直する。
足元でルクテアの小さな瞳が割れる音が響いた。
リリエラは壊れた黒い粒を払い除けると、ゆっくりとニクスを振り返る。
皮肉な笑みで見下ろすニクスに向かって、リリエラは満面の笑みを浮かべてこう答えた。
「さびしくないから。」



最終更新日 2006/05/05
二    言 「一人ぼっちの雑文祭」参加作品の再録。
        イメージは「おもちゃのチャチャチャ」or片足の無い兵隊。