|
目が覚めると、僕はそこにいた。
ここには名前が無いのを僕は知っている。見渡す限り続く白い大地は、僕を造ったモノが支配する世界の土台で、あちらこちらに色々な世界が存在している。
勿論、この白い大地を内包する闇の向こうには、また別の世界が広がっているのだけど、僕はそんなことはどうでも良かった。
問題は、何故、生まれたばかりの僕が、この白い大地に縛られているのかということだ。
呻きながら、白い大地から生えた鎖を引きちぎろうと暴れていると、目の前に誰かがやって来た。
黒い髪、黒い瞳、黒い洋服、それに黒い傘をさしている人間の女の子。
でも、生まれたての僕は直感的に、これが人間ではなく、僕と同じような"モノ"だと分かった。
"モノ"というのは、この大地の支配者であり、僕を造った"何か"が造り出したもので、一言で言うと、生き物じゃないけど感情を持っていて、世界の外にある存在。
僕の視線に気付いた"黒いモノ"が口を開く。
「はじめまして。あたしはシャカラート。と言っても、これは今使ってる名前でしかないわ。あなたには"気紛れ"と名乗った方がわかりやすいかもしれないわね」
そう言ったシャカラートに僕は色々と尋ねることにした。というのも目の前の"モノ"は、僕よりもだいぶ前に造られたのが分かったからだ。
「"気紛れ"は、名前じゃないの?」
「そうよ」
「じゃあ、何?」
「あたし達を生み出した"何か"が、あたし達"モノ"シリーズを区別するためにつけた記号に過ぎない。一種の製造番号であり、大枠でもあるわ」
「それを名前と呼ぶんじゃないの?」
「違うわ。本当にあなた馬鹿ね。例えば目の前に動物が何匹かいる。それを"犬"とか"猫"とか呼んだとするけど、そう呼ばれた動物には飼い主だか親だかが付けてくれた名前があるのよ。例えば"ポチ"とか"タマ"とかね」
腹立たしそうに言われて、僕は困惑した。何せ、生まれたての僕には、あまりに知識が無かったのだから仕方ない。
「ところで、それじゃあ僕はどんな記号をもらってるか知ってる?」
謎掛けみたいに尋ねたのは、本当は知っているんだと思わせたかったからで、知らない事をバレないようにするためだった。
「知ってるわ。あなたにソレを教えるためにあたしが来たんだもの。わざわざそんな遠まわしな聞き方しなくてもいいわよ」
言われて、僕は驚いた。全てはお見通しというわけだろうか。
「誰に言われて来たの?」
「勿論、あたし達を造った"何か"よ。本当にあなたってばダメね、鎖に繋がれたお馬鹿さん」
言われて、僕は自分の姿をもう一度見た。
目の前の"気紛れ"とさして変わらない大きさの竜の姿をしていたけど、体のあちこちが鎖でこの"場"に縛られていて、確かに動けそうにない。
同じ"モノ"シリーズならば、何故こうも僕と"気紛れ"は違うのだろう。
「とりあえず、あたしも暇じゃないんだから、さっさと貴方の記号を教えてしまうわ」
言われて、僕は鎖からシャカラートへと視線を戻す。
「あなたは"歪み"よ」
「"歪み"」
口にしてみると、なんだかホッとした。やっと僕が僕として落ち着ける場所を見つけたような感じだった。
「あなたには"対なるモノ"が存在する。それは"狂気"」
「"狂気"」
口に出すと、なんだかとても心地よい音だった。僕はなんとなく、"対なるモノ"というのがとても大切な相手なんだと理解した。
「ねぇ、"狂気"はどんな仔か知ってる?」
「知ってるわ。体の無い、霧みたいな仔よ。一つの処に存在し続けられないから、いつも色々な世界を渡り歩かなければいけないの」
それはどうも僕とは違うようだ。僕には、仮にとはいえ竜の体があって、この"場"から動けないのだから。
「それじゃあ、僕達はいつ会えるの?」
「一生会えないかもしれないし、すぐ会えるかもしれない。それはあたしにはわからないわ」
「そう……」
残念だった。
会いに行くことができない身だからだろうか、どうしても会いたいという気持ちがどんどん大きくなっていた矢先の言葉に、僕は少ししょげた。
「じゃあ、そろそろあたしは行くわね」
背を向けたシャカラートに、僕は吼える。
「待って。まだ色々聞きたいんだ!」
「イヤよ。あたし、あなたみたいに負の感情の突出した仔は嫌いですもの」
「君は違うの? "気紛れ"!」
分かっている。"気紛れ"が違うことぐらい、直感でわかっている。
「えぇ違うわよ。あたしは正の感情に近い方の、恋とか愛とかが食事ですもの」
「僕は違うの?」
それも分かった。"モノ"シリーズは、いくつかの種類に分かれるけど、僕と"気紛れ"は同じ分類の中の別の種類に属してる。
だけど、引き止めるには、会話を続けなければいけない。
「あなたの食事は不幸そのものね。それじゃあもう本当にこれでさようなら」
「待って! 待って!! ねぇ、待ってよ!!」
悔しいことに、僕には鎖を引きちぎることができなくて、後を追うこともできなかった。
暫くしたら、ぼんやりしてきて、僕は眠ってしまった。
次に目覚めると、体の中で鈴の音が響いた。
意識を体の内側へ持っていくと、お腹の中に扉ができていて、その中から人間が出てきた。
人間が僕のお腹の中に入った瞬間、僕はそいつの名前も、今までの人生も、どんな世界に住んでいるのかもすっかりわかってしまった。
そして、僕は難無く、その人間そっくりの姿をして人間の前に現れた。
人間は驚いたみたいだけど、僕は色々喋りたくて引き止めた。
話をするには、喫茶店や酒場の方が良いと知って、お腹の中の見栄えを変えてみると、人間はまた驚いたみたいだった。
それで、僕のことを悪魔だと言ってから、自分の身に起きた不幸を沢山話した。
その話を聞いているうちに、僕はお腹が満たされてくのを感じた。
"気紛れ"が、僕の食事を不幸だと言った意味がやっとわかった気がした。
やがて、いつの間にか消え去った扉が戻り、人間も元の世界へ戻ってしまった。
また眠たくなってきて寝ようと思ったら、また腹の中に扉が現れた。
さっきの人間か、別の誰かだろうかと思って期待したら全く違った。
「ちーっス。"モノ"シリーズの"宅配"っス。"扉"とは同業者っス。どぞ、以後お見知りおきを」
"扉"の外から入ろうとしない"宅配"は、声だけでは性別も年齢もわからないし、"扉"の影に隠れて姿が見えないから、どんな形なのかわからなかった。
「"扉"も貴方も"モノ"シリーズなの? どうして僕のお腹の中に人間を入れたか知ってる?」
「それは製造者である"何か"が、"場"に縛られた"モノ"シリーズに食事を与えるために造ったんっスから、人間を入れるのは当然のことっスよ」
「じゃあ、貴方は?」
「食事になった生き物は、その後、食事にされた影響が残るんっスよ。で、その影響が凝固してできた物を、食事した"モノ"に届けるんっス」
そう言って"扉"の影から投げ込まれた物に触れると、さっきの人間が"扉"から出て行った後のことが分かるのだと、直感する。
「んじゃ、他にも仕事あるんでこれにて失礼するっスね」
慌しくそう言うと、"宅配"と"扉"の姿が消え去った。
僕はうきうきしながら、荷物を開ける。中に入っていたのは年老いた男の顔を模した面だった。
それに触れた瞬間、ここを出て行った人間の死ぬまでの人生が僕の中に流れ込んできた。
不幸な人生だった。
その不幸は、とても美味しくて、僕は満腹になって、今度こそぐっすり眠った。
そんな風に、時々"扉"が連れてくる相手の不幸を糧に僕は次第に大きくなっていった。
同時に、僕はあることに気付いた。どうも僕の腹の中では、"宅配"に届けられる物は意思を持って勝手に動くことができるらしかった。
大きくなると、僕を縛る鎖も大きくなって、やっぱり逃げられそうに無かったので辛かった。
ここを訪れる"お客様"達は、けっしてここに残ってはくれなかったし、"気紛れ"もやってきてはくれなかったから、僕は寂しかったのだ。
本当に、僕はとてもとても"狂気"に会いたかった。
僕と"対なるモノ"という相手なら、"お客様"よりかは長い間、僕の傍にいてくれるんじゃないかと思ったというのもあるし、純粋に会いたいという気持ちが僕の心を支配していた。
でも、"狂気"はいつになっても来なかった。
僕はもうどうしようもなく悲しくて、寂しくて、一緒にいてくれる誰かが欲しかった。
そんな時にやってきた獣人の女の子に恋をした。
不幸の味は絶品で、父親を殺した男の元に嫁ぐのだと言って泣いていた。
だから、一緒に暮らそうって言ったのだけど、彼女は結局、幼い弟妹が路頭に迷うのは困ると言って帰ってしまった。
そのことがまた悲しくて、僕が泣いていると、"狂気"がやってきた。
昔、"気紛れ"が教えてくれた通り、"狂気"は霧みたいに輪郭があやふやだったけど、中心部分の一等闇の深いところから、沢山の触手を生やしていた。
いや、そう見えるだけで、それは肉体というより、幽霊みたいな精神の塊のようなものなのだと僕には分かった。
「君が、"狂気"?」
尋ねた瞬間、"狂気"の触手が鎖で繋がれた僕の胸を貫いた。
そして"狂気"は、僕を浮気者だと罵りながら、鎖で縛られた僕の体を触手でズタズタにして去って行った。
その傷を癒すのに、とても長い時間と、沢山の不幸が必要になった。
だけど、僕は自分の腹の中で形を保っていられないほどだったから、僕の代わりに"気紛れ"が"お客様"の相手をした。
"気紛れ"の名前はシャカラートからアフェクシオンに変わっていた。
どうしてやってきたのかと尋ねたら、僕達を造った"何か"の命令でやってきたのであって、それ以外の理由じゃないと言った。
でも、嬉しかった。誰かが傍にいてくれることが嬉しかった。
だけど、"気紛れ"は僕のことを嫌いだと言った。命令じゃなかったら顔も見たくないと言った。僕はそれ以来"気紛れ"が嫌いになった。
僕が回復し、役目を終えた"気紛れ"が去ると、また僕は扉の連れてくる"お客様"相手に不幸な話しを聞く日々が続いた。
今まで一度も訪れたことのない"狂気"がやってきて嬉しかったのに、"狂気"は僕を殺そうとした。それを思い出す度に、"お客様"の前でも、態度が悪くなった。
そう思っているうちに、いつの間にか僕は、今度"狂気"がやってきたら絶対に喰い殺してやろうと考えるようになっていた。
あとで気付いたけど、それは殺意というより……。
でも、またとても長い時間が経って、"狂気"のことを忘れて、また恋をした。
今度は人間に造られた男だった。
自分が生まれるために、沢山の人間の命が奪われ、その人間達の肉体を繋ぎ合わせて造られたことが不幸だと話してくれた。
ずっと前に恋した獣人の女の子よりも、僕はもっと彼のことが好きになった。
だからまた、一緒に居て欲しいってお願いした。
だけど、彼は気持ち悪いものでも見るように僕をなじって帰ってしまった。
すごく悲しかった。
悲しくて悲しくて、眠るのも忘れて泣いていると、また"狂気"がやってきた。
二回目に出会った"狂気"は、前より大きくなっていて、更に触手は増え、今度は沢山の目玉も持っていた。
喰わなければ。
そう思って、僕は全力で鎖を引きちぎろうとしたけど、上半身がやっと自由になっただけだった。
しかし、僕は自由になった腕で"狂気"の周囲を飛びまわる目玉を潰してやった。
同時に、"狂気"の触手が僕の足を貫いて痛かったけど、この前よりも長い間、僕と彼女は喰らいあった。
彼女の触手が僕の体の中をひっかき回すために突き刺さると、すかさず僕は触手を掴んで引きちぎる。身動きがとれないように絡めとられた時などは、牙で千切ってやった。
だけど、自由な分だけ彼女の方が強くて、またも僕は瀕死の重傷を負った。
"狂気"が去った後、これまた同じように"気紛れ"がやってきて、僕の代わりをしてくれた。
また名前が変わっていて、今度はペルレと名乗ったけど、どうでも良かった。
僕はもう"気紛れ"のことが好きじゃなかったから。
"気紛れ"が去った後、僕は腹の中の異変に気付いた。
今まで沢山不幸を食べてきたのだけど、"お客様"が帰った後に届く物は全て保存してあった。
残しておくと、僅かながらに不幸が滲み出て、空腹を誤魔化してくれるからだ。
そういうもののいくつかが無くなっているのである。
調べると、どうも、初めて"狂気"と出会った時も、今回も、そのどさくさに紛れて逃げ出していたらしい。
僕の腹の中では何かが作用して、そういう物がみんな意志を持ってしまうので、逃げることができれば逃げようとしてもおかしくないとは思えた。
でも、許せなかった。
僕がこの"場"から動けないのに、自分達ばかり逃げ出して自由になった奴等が腹立たしくて、僕は人形を二つ造った。
一つはその時に擬態していた人間の男の姿を模して造り、劫と名付けた。
もう一つは、その時に擬態していた人間の男が想像する龍の姿に似せて造った。
この二つに、逃げ出した馬鹿共の破壊と、それから外の世界がどんなものなのかを、たまに報告するよう命じて追い出した。
次々に、壊したという報告が入って僕は嬉しかった。
「ざまあみろ」
僕らしくない言葉を吐きながら、特に気に食わない物に関しては、何度も報告書を読み返して嘲り笑った。
だけど、ある日、最悪の事態が起きた。
逃げ出した奴等の何体かが、共同で世界を造ったというのだ。僕は世界ごと壊せと命じた。
でもそれは失敗した。
僕造った"何か"が、彼等に世界を造る場所を与えたせいで、もう僕や人形達には彼等に干渉して破壊することができなかった。
腹の中から意識を体の方に映し、広大な白い大地を見ると、確かに不恰好で小さい世界が報告書の通りの形で存在しているのが見えた。
鎖が解けたなら、あんな小さな世界など壊してやれるのにと思って暴れたが、鎖は壊れなかった。
しかし、彼等を除いては、ほとんどの脱走者が壊れると、劫達からの連絡も次第になくなっていった。
また、寂しくなった。
「浮気者だと怒るぐらいなら、僕が誰かに恋する前にやってきてくれれば良いのに」
そう思って、"狂気"のことを思い出して泣くぐらいに、僕はまた寂しくなっていた。
更に時間が経ち、色々な"お客様"が訪れ、私は相変わらず胃を満たすために、より主観的に不幸だと考えるよう"お客様"達を陥れる術を学んでいった。
そのために、一人称も、喋り方も変えた。
姿も、今までは相手の姿を模していたが、基本的には若者の姿をとることにした。
女とも男ともとれない姿をすると、より一層、相手は私の存在を不信がり、それが不幸を無意識のうちに煽るので効果的なのだ。
もとより、私には性別などなかったので、何も辛くは無かった。
あまりに空腹な時は、ついつい"お客様"に触れて直接不幸を食べてしまうこともあったが、基本的にはそうしないように、立ち居振る舞いにも注意するようになった。
ある日、劫が死んで、龍だけが戻ってきた。
龍は私のことを嫌ったので、私も龍のことはあまり好きではなかった。
そうこうしているうちに、私はまた恋をした。
死ぬ間際の竜人の娘だった。その不幸の重さときたら、極上で、涎が垂れそうだった。
彼女も私と居てくれることはないようだったので、代わりに私は彼女を生かすことにした。
彼女の世界に干渉し彼女を生かすと、怒った"狂気"が彼女を殺そうとした。
私は好機だと思った。
彼女を表面的にでも助ければ、彼女に恩を売って、名前が得られるかもしれないと思ったからだ。
名前を得れば、この鎖を解き、"狂気"を喰い殺せる。
その頃の私はもう、名前によって縛られることで力が増大することを理解していた。
私は、新しく人形を造り、スラ=ヴァン=ジ・エアリスと名付けて、龍と共に彼女を救うよう、彼女の世界へ飛ばした。
彼女の世界を治める存在に無理を言って、二体の存在を強引に認めさせた。
それからは怒涛のように時が流れた。
私が竜の姿をしているせいで、竜人の娘に浮気したのだろうと、今まで以上に腹を立てた"狂気"が私と彼女を同時に責め立てた。
おかげで、私は自身の腹の中で姿を保てず、またも"気紛れ"に店番を頼むことになった。
今度の名前はニア・オア・クレアと言ったが、まぁ、そんなことはどうでも良かった。
"気紛れ"は今までの私のことを知っていたので、今回の姿が保てないのも、失恋の悲しみのせいだと信じて疑わなかった。
やがて、"狂気"がやってきた。
この前よりも大きくなった"狂気"は、竜に似た顔を持っていたが、体は相変わらずの闇色の霧で、中央から無数の触手を生やしていた。勿論、複数の眼球も周囲を飛んでいる。
十分に大きくなっていた私は、今度こそ鎖の殆どを引きちぎって、"狂気"に立ち向かった。
"狂気"の触手を掴み引き寄せて、その喉元を食いちぎろうとしたがしくじった。
"狂気"もまた私の腕をもぎ取ろうと、触手を束ねた縄で豪快に引っ張ってきたので、腕がギチギチと嫌な音を立てた。
私と"狂気"はいつの間にか、お互いに笑いながら喰らい合っていた。
この時、やっと私は"対なるモノ"の意味を理解した。
私達はお互いを喰らい合うことで、己の存在を昇華し、更に肥大化していくのだ、と。
体中に穴を穿たれた私と、触手のほとんどを引きちぎられた"狂気"は、喜びと殺意の絶頂に達した。
瞬間、私の体の中に"竜"が生まれ、"狂気"の中に"憂い"が生まれた。
私達はお互いに、重傷な相手を見ながら困惑してしまった。
仕方なく"狂気"は出産に力を入れるため、竜人の娘を殺すのを諦めると言って、スラに選ばせるような言葉を吐いた。
それは、三週間後に誰かの命と引き換えに、娘の件からは手を引くというものだった。
勿論、私はスラに、娘の身代わりになるよう命じた。
約束の日、スラは死に、私の名前を貰ってきた龍を出迎えた。
名前を得た私に、"気紛れ"はだいぶ呆れていたようだが構わなかった。
何せ、"気紛れ"は私のように体を持っている癖に、"狂気"のように色々な世界へ自力で行くことができたのだから、縛られた私の苦しみなど解るはずがないという、我ながら恥ずかしくなるほどの嫉妬心を抱えていたためである。
私は、山犬の娘の不幸と共に龍を飲み込んだ。良質な不幸と、龍のおかげで、"狂気"に刻まれた傷はすっかり癒えた。
どの時間を基点にすれば良いのかわからなかったが、まぁ、クーの世界の時間で数えれば三ヶ月かそのぐらいが経った頃だ。
私は"狂気"との間に出来た"竜"を産んだ。その苦しみは壮絶だったが、いたしかたない。
痛みにのたうっている間に、また二匹ほど内側から逃げたが、追いかけなかった。
というか、追いかけようと思ったが、私を造った"何か"の干渉するところとなり、追撃ができなかったのである。
生まれたばかりの"竜"を見ていると、扉がやってきて、"狂気"の子どもである"憂い"を私の腹の中へと放り投げた。
私はすぐに悟った。
"憂い"とこの"竜"は、劫と龍がそうであったように、お互いを補完しあう存在なのだと。
そして、体を持たず、一所に定住できない"狂気"が、"憂い"を育てられずに私の腹へと送り込んだという事実もまた、すぐにわかった。
それからは、落ちた体力を取り戻しつつ子育てをするので大変だった。
"狂気"との喰らい合いと、"竜"の出産で体力の落ちた私は、腹の中で見せる姿もだいぶ歳をとっていた。
それに、生まれたばかりの"憂い"も沢山の食事が必要だったので、"憂い"のことも気を使わなければならなかった。
やがて私の体力が戻り、彼女も自力で腹の中の調節ができるようになった。
なんと言っても、体を持って生まれた"憂い"は私と同じようなものだったので、食後は腹の中の調節をしないと、中に入った連中が勝手に暴れてしまうのだ。
一度など、調整をちゃんとしなかった"憂い"が、痛みもがき苦しみ泣いていた。
思い出せば、本当に"憂い"には苦労しっぱなしだった。
"狂気"がそう呼ぶようにと言ったらしいのだが、私を最後までパパと呼び続けた。
私としては、自分を女だと自負する"狂気"と違い、できれば性別をはっきりとはさせたくなかったので、パパと呼ばれるのは勘弁して欲しかったのだ。
そんな"憂い"も、独り立ちできると認められ、自分の"場"を与えられて巣立った。
今では海の果てに住まい、その歌声で嵐と霧を操って、海を行く者達を喰らっているらしい。竜も元気だとか。
とはいえ、"憂い"から届く近況報告や雑談を綴った手紙は、私の孤独を僅かでも和らげてくれることには違いない。
最初はまともに喋れなかったというのに、立派になったものである。
また、私の腹から逃げ出して勝手に世界を造った馬鹿共の世界に生まれた竜の死後、その魂が"宅配"によって届けられた。
喧嘩相手がいるというのも、孤独を薄れさせるには十分である。
と、言っても、私達の場合口論するだけで、あの絵の闇の竜と光の竜と同じぐらい不毛だったのだが。
今また、私は孤独の中にいる。誰も彼も、ここに留まることはない。
"気紛れ"は勿論、娘である"憂い"や、人形や竜だけでなく、"対なるモノ"である"狂気"でさえそうなのだ。
いつも最後には私一人がここに残される。
皆、私を置いて行く。
「……寂しい」
呟いてみると、泣けた。
不幸で着飾った"お客様"相手ならば、優しく振る舞い相手を心底思いやるような事を並べれば、私と共にいてくれる者もいるだろうとは思う。
しかし、この空腹はおさえられない。
糧たる不幸を求め、訪れる者に不快を与えるように振舞ってしまうのだ。
「私もまた、そう造られたんだよ、スラ」
今はもう、私の手元に何も残していない人形のことを思う。
私が作った人形、スラ。自分の存在意義に反発し続けた形。私にそっくりだった。
だからと言って私はスラのように死ねない。自分では死ねないし、私は"狂気"の手でしか死ねない。
そう造られたから。
誰に?
私をこの"場"に封じ、鎖を千切る度にその鎖を強化していく相手、あるいはこの白い大地の支配者である"何か"。
そんなことを考えていると、更に涙が零れた。
どれほど泣いたのだろう。
ぼんやりしていると急に声をかけられて、私は驚いた。
「泣いてたのか?」
「"狂気"!」
振り返ると、すっかり竜の姿になった"狂気"がいた。
その体の回りには、闇色の霧と、無数の瞳と、更に多くの触手が、まるでマントのように漂っている。
「オレ様達を造った"何か"が、たまにはお前に会いに行ってもいいってやっと認めてくれたんだ。おかげで、オレ様達の性質が少し変わったぜ」
「どういうことですか?」
言いながら近寄ってくる彼女に、私は胸が高鳴るのを感じながら、用心深く聞き返す。
「オレ様は、お前が浮気しない限りココへは来れないようになってたんだ。そしてお前はオレ様を呼ぶように、浮気するようになってた。だが、今度からは、オレ様の稼動時間計算で一定時間過ぎれば、ココへ自由に来れるようになったし、ついでにお前の浮気癖もなくなったらしいぞ」
私は呆然としてしまった。
今の今まで、"狂気"がほとんどやってこない理由など考えもしなかったからだ。
動けない業に縛られていた私と同じように、彼女もまた来られない業に縛られていたのだ。
話してくれた彼女の顔が、僅かに申し訳なさそうな色をしていたので、きっと彼女も私に会いたいと思っていてくれたに違いない。
それだけで、嗚咽が洩れた。
「ほ、本当に本当なんですか!?」
鎖に縛られた私の前に移動してきた彼女に、私は喰らいつくように尋ねる。
「あぁ本当だ。そうじゃなかったら、どうしてオレ様がココにいるんだよ? そう思わないか? "歪み"」
そう言って微笑んでくれた彼女は、鋭い爪を生やした豪腕で、私の顎を上に上げる。
「えぇ、えぇ、本当に、ほん、ほ、ほんとうにっ」
私は嬉しくて、涙と嗚咽を垂れ流しながら、何度も瞬きする。
目の前の彼女はただ笑うだけ。私も、たぶん笑ってるに違いない。彼女の瞳に映る竜が私ならば。
自分の姿など、今の今まで見たことがなかったので、その竜が私なのか、本当にわからなかった。
「泣くなって。お前は本当に泣き虫だな」
言いながら、彼女が私の涙を拭ってくれる。
「"狂気"が、つ、強す、ぎるん、ですっ」
嗚咽で上手く発音できないのが恥ずかしかったが、彼女の前なら関係ない。
ダメな私も、何もかも、彼女の前に引き出して、そして彼女に受け入れてもらえなければ、私はもう本当に生きる意味などなくなってしまうから。
「オレ様もそう思うぜ。さぁ、かかってきな」
にやりと力強く笑った"狂気"の言葉に従うように、私を束縛していた鎖が自然と壊れた。
もう私にはわかっているのだ、私と彼女が喰らい合わねばならない関係にあることを。
彼女との喰らい合いは、傍から見れば不幸な殺し合いだろう。お互いが死ぬまで続くのだから当然だ。
だけど本当は、私と彼女が唯一愛を感じられる一瞬。そういう行為そのものだ。
私はその一瞬を願い、請い、求め続けるように縛られていて、そして、彼女を愛する瞬間にだけこの鎖から自由になって良いのだ。
やっと確信した。
私は笑って一度咆哮した後、彼女の体目掛けて爪を振るうが、簡単にかわされてしまう。
「愛してます!」
しかし、振り下ろした腕をその場につけて、前転するように彼女の胸を蹴りつける。
「愛してます! 愛してます! 愛してます!」
倒れた彼女の胸へ飛び込み、その体をズタズタに引き裂こうと、爪を振り上げる。
「愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます!」
すると、彼女の触手が私の腕を弾いたが、私は再度腕を振り上げて、彼女の胸目掛けて爪を振り下ろす。
「愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 愛してます! 喰らいたいほど大好きです!! "狂気"!!!」
言葉を一つ吐く度に、彼女の体に爪を立てながら叫ぶと、彼女も私の体を切り裂き、触手で穴を穿ちながら答えてくれる。
「あぁ、オレ様もだよ!! "歪み"!!!」
私たちは笑いながら、何度も何度もお互いを喰らい合った。
お互いがボロボロになり、狂った愛情が絶頂に達すると、私たちは同時に果てた。
死に掛けた私達は寄り添うように隣へ寝転がる。
「貴女の不幸が一番美味しいですよ、"狂気"」
口の周りについた彼女の血を舐めると、一所に居られないが故に受けた彼女の悲しみが腹を満たした。
「お前の捩れまくった性格が染み込んでて、すっげー美味いぜ。"歪み"」
そう言って、彼女が、私からもぎ取った指を噛み砕き飲み込み笑う。実に美味しそうだ。
その光景が嬉しくて、私はまた泣いてしまう。
「おいおい、泣くなよ」
呆れたような困惑したような声に答えたかったが、私は涙を止められなかった。
嬉しかった。純粋に、彼女に美味しいと言われることが嬉しかった。至福の一言だった。
「だって、う、嬉し、くってっ」
私の言葉に"狂気"が溜息を吐いた。私は泣きながら笑って、欠けた体を起こす。
「まだ元気じゃねーか」
ボロボロになった彼女も起き上がり、私たちは向かい合った。
彼女の瞳に映る、赤い鬣の竜が私なら、なんと幸福そうな笑みをしているのだろう。
でも、その笑みだけでは言い表せないほど、私は今、幸福だった。
不意に、私を縛っていた鎖が足元からゆっくりと這い出してきた。同時に、彼女を異世界へと運ぶ風が吹いてきた。
もう、お別れの時間だとわかって、胸が痛くなるが仕方ない。
「愛してます、"狂気"。また、喰らい合いましょう」
「あぁ、絶対にまた来るよ"歪み"。……愛してる」
私たちはお互いのあるべき場所へと縛られるのを感じながら、その力に抗うように、短く口付けた。
初めての口付けは、とても甘い、血の味だった。
風が吹きすさぶと、彼女はすっかり遠くへ行ってしまった。そして私はまたこの"場"に縛られた。
でも、大丈夫。彼女はまた訪れてくれるから。
その日まで、また不幸を求めて生きよう。もっと大きく、強くなるために。
彼女を殺すことが彼女の幸福で、彼女に殺されることが私の幸福で、お互いに喰いあうことが最高の幸福なのだから。
不意に、鈴の音が腹の中に響く。
早速やってきた客のために、私は腹の中へと意識を向ける。
すると、腹の中は黴臭い喫茶店となって、私はまた赤い髪の雌雄をはっきりさせない人間となった。
どうやら、"狂気"と交わると、肉体的には破損しても、存在としての能力値は上がるらしいことを、今更ながらに気付いた。
まぁ、でも、今は目の前の"お客様"を相手に不幸を搾取しなければならない。
私は微笑んで口を開く。
「いらっしゃいませ」
キャラクター提供元 :alioth
最終更新日 2005/05/14
感 想 これでおしまい。 ただし、ヴェルのこの後の話があります。 レーネさんと共著したものですが……。 わりとヴェルも報われない最期を迎えます。
|