鈴の音と共に連れ去って

フェイリン・クルーウォ

 

朝日が上る少し前、霧の濃い街はとても静かだ。そんな街を形作る家の一つの扉が開き、中から一人の男が現れた。
男は周囲を窺うように視線を左右へやった後、クーラーボックスを肩から提げて歩き出す。
なだらかなアスファルトの通りを下り、潮風と喧騒が耳に届く頃には、それほど広くもない道の両脇に露店が並ぶ。
商品の群れを軽く見定めながらも、足取りはむしろ無骨なほど速く、道の先にある船着場へと向かった。
船着場に到着すると、続々と戻ってきては魚を陸揚げする漁船の中に、御目当ての船を見つけて近寄る。
「おぅ、フェイリンじゃん。おはよう!」
フェイリンと呼ばれた男が近づいてくるのを見て、漁船の上で網の片付けをしていた男が手を振る。
「あぁ、おはよう」
男にフェイリンは硬い声で答える。別に不機嫌というわけではなく、彼は普段からこんな声だったので相手は特に気にした風もなかった。
「今日はなかなか良いのが獲れたんだ。まだ陸揚げしてないから、見てけば良いんじゃん。安くするぜ」
「ありがとう」
言いながらフェイリンは船に飛び移ると、船倉に入れられた魚を見回し、男から受け取った網で掬い取る。
男はその魚を受け取り、鰓に包丁を入れて手早く内臓を取ると、フェイリンが用意してきたクーラーボックスへと入れる。
「今日は内臓も使うんだが」
「おぉうスマン。まぁ、小分けにして持って帰っても問題ないんじゃん」
言いながら、ビニル袋に内臓を入れて、それをクーラーボックスへと入れた。
フェイリンと男は二、三やり取りして、金とクーラーボックスを交換する。
「お前になら安くしてやるから、また来いよ! 山形口の棒人間!」
「……あぁ」
そう言って背中を叩かれて、フェイリンは少し間を置いてから返事をし、来た道を戻った。
帰りに、煮込み用のトマトとナス、しし唐、アサリを買い求めた。ついでに、朝飯に食べるサラダ用のトマトとレタス、それからチーズを買って家へと戻った。
男の名前はフェイリン・クルーウォ。漁師の男に指摘された通りの棒人間だ。
棒人間が珍しいわけでもないのだが、フェイリンは他の棒人間に比べ190cmと長身な方で、珍しい部類に入る。
ところで棒人間というのは、どこか感情に欠けたところがあるものなのだが、フェイリンの場合は表情を作るほどの感情の変化がとことん無い。
唯一あるのは、感情が欠落した自分や他の棒人間の存在に対する疑問で思い悩んでいる時で、それでも白い球状の顔にへばりついた口が山形に歪むぐらいだ。その他には微々たる変化しかない。
時折、冗談半分に、その表情を指摘されると、フェイリンはつい口を噤んでしまうし、場合によっては暴力的な方法で相手の口を噤ませることもあったが、その行動は淡々としてる。
家へ戻ると、まず余分な食材を冷蔵庫に入れてから、焼いたトーストに先ほど買ってきたサラダ用のトマトとレタス、それからチーズとハムを挟んで食べる。
朝はあまりボリュームのある食事を食べる気がしないので、これでも今日は多いほうだ。
「夜動くと、腹が減るな」
言いながらコーヒーを啜ったフェイリンは、壁に掛けたカレンダーを見て、一瞬眉間に皺を寄せる。
今日の欄には、「納入日」と青いペンで書きなぐられていた。
「……スープを作ってから行こう」
フェイリンの仕事の一つにシルバーアクセサリーの作り売りがある。と言っても、店を持つほどでもないので、二区画先のシルバーアクセサリー専門店で委託販売しているというのが正しい。
直径10cmはあろうかという円柱状の腕からは想像もできない器用さで作られたアクセサリーは、どちらかというと堅牢な中世の古城を思い浮かべる、ずっしりとした作りのものが多い。
その重量感が好まれて、只今人気急上昇中のアマチュアバンドのヴォーカルにさえ愛用されている。おかげで、売れ行きはなかなかのものだ。
フェイリンは、朝一番に買い求めた魚を下ごしらえしてから、野菜とアサリをずん胴鍋で炒め、ペースト状にした臓腑とトマトをその中へと入れると、最後に魚を放り込んで煮詰める。
そろそろ約束の時間だったので、煮立ったのを見計らいシャトルシェフへと鍋を入れて外出する。勿論、商品であるシルバーアクセサリーは忘れない。
洒落た外装のジェラート店が隣接するなだらかな坂道を、無骨な態度で歩いて行き、店で商品を渡して、それまで売れた分の金を受け取ると、また外へ出た。
「ちょっと親父のとこへ寄ってくか」
言いながら、フェイリンは細い道を通って一本向こうの通りに出ると、そのまま人気の疎らな方へと歩いて行く。
更に歩くと、喫茶店ウェピルエッヂに到着した。
一見すると、洒落たカフェが続く表通りからは想像もできないほど、落ち着いた雰囲気の喫茶店だが、裏では武器の売買なんかもやっている。知る人ぞ知るという奴だ。
オープンの文字を見ながら、フェイリンは扉を開けた。


凛とした鈴の音が、落ち着いた風合いの店内に響き渡る。
普段なら特徴的なしゃがれ声のマスターの「いらっしゃいませ」ぐらい聞こえてくるものだが、今日はマスターの声どころか他の客の気配もない。
変わりに、出入り口のすぐ脇に1mはありそうな置物がある。熊の首の剥製を壁にかけるだけでは、ここの店主は飽き足らないらしい。
漆黒の体からは、置物であるはずなのだが、不思議と生気が漂っているようにも感じる。
棒人間と、置物の竜。他の生き物から異質すぎて、逆にしっくりくるのではないだろうか。生きているならばいい相棒になれたかも知れない。とフェイリンは思った。
しかし、それ以外の変化は、これといって気にも留めずカウンター席に腰掛ける。
すると店の奥からマスターと同じ服装の人間が現れた。
「いらっしゃいませ」
丹精な顔つきと、華奢な体つきのせいか、それとも赤い髪と声音の妙のせいか、男とも女ともつかない。
だが、くっきりと通った鼻筋と、割れ顎からして、どうも男のようだと思われた。
「親父に告げてくれ。子守は請け負わない方の何でも屋が用事だ、と」
見ない顔だが、店員がいるということは、マスターもきっと奥にいるのだろう。先客に商品を見せているのかもしれない。
「失礼ながら、当店では条例に反する品の取り扱いは基本的に行っていませんのであしからず」
そう言って笑った赤毛に、フェイリンは白い顔を向ける。
「てめぇじゃ話にならない。親父を呼べ」
「ですから、貴方の言うウェピルエッヂの極道親父など、当店にはいないと申し上げているのですが、空気しか入ってなさそうなボール頭では理解できかねるのでしょうか?」
瞬時に立ち上がったフェイリンは、鼻で笑った赤毛の顔面目掛けて蹴りを放ち、寸止めする。
今日は生憎と武装していなかったが、裏の仕事では特別あつらえの鎌を装備しており、今ぐらいの早さの蹴りならば鎌鼬が発生していただろう。
だが、大抵の相手ならば、風を切る音を立てるような蹴りが目の前で静止しただけで、簡単に態度を改めるものである。
「てめぇ、何様のつもりだよ?」
白い球体状の頭に唯一存在する口が、不快さで一層山形になる。
「これは失礼。私はヴェルシーファと申しまして、この店でお客様相手に茶や話を売るのが仕事でございます」
ヴェルシーファはどうも、その他大勢の人間とは違い、肝が据わっているようだ。もしかしたら、棒人間級の感情欠落があるのかもしれない。
しかし、フェイリンはそんなことなどどうでも良かった。問題は、親父がいないということだ。
昨晩こなした裏の仕事で、武器である鎌に問題が出てきたので、新しい鎌を見たかったのである。それができなければ、ここにいる意味はなかった。
仕方なく、店を出ようと振り返ると、フェイリンは小さな一対の瞳と視線を交えた。
見れば5、6歳ぐらいの人間の少女で、茶色い巻き毛を短く刈っていて、可愛い部類であるのだが、その手に握り締めたナイフと、何の迷いもなくフェイリンを睨んでいる姿は、危険である。
フェイリンが動こうとした瞬間、ヴェルシーファが叫ぶ。
「"憂い"! お客様に刃物を向けるとは何事だ!!」
威圧的な声に少女は肩を震わせて、一瞬躊躇った後に口を開く。
「だって、そこの動くボールと縄が、パパをいじめたんだもん!! シグレは悪くないもん!!!」
指差されたフェイリンとしては、蹴り倒してやろうかとも思ったが、動く前にヴェルシーファが更に怒鳴る。
「動くボールと縄じゃなくて、棒人間で、彼の世界ではごく当たり前な種族の一つなんだからな!! それと、お客様に失礼な口をきくんじゃない!! あと、パパと呼ぶなと言ってるだろうが!!」
「でも、パパが蹴られたらシグレ悲しいよ!?」
「それはお前の主観であって、必ずしも私の主観ではない!! それと、パパとは呼ぶな!!」
「主観! 主観!! 主観!!! いっつもそう言って笑ってるけど、本当は傷つくのも置いてかれるのも嫌いな癖にっ!!」
「黙れ!! 生まれたばかりのお前に何がわかるというんだ!!」
フェイリンを挟んで盛大な口論を続けるヴェルシーファとシグレは、問題のフェイリンなどすっかり見えていないようだった。
「もうパパなんて知らないもん!! だいっっっっっきらい!!!」
泣きながら店の奥へと走って行ったシグレにヴェルシーファが怒鳴りつける。
「だからパパと呼ぶな!!」
さすがのフェイリンもこの光景には呆れてしまった。
人間というのは、いや、人間に限らず、棒人間以外の生き物というのは、様々な感情を複雑にからめて、怒ったり泣いたり忙しないものだ。
肩で息をするヴェルシーファを見ながら、フェイリンは別のことを口にする。
「それで、ここの出入り口はどこへ行っちまったんだ?」
振り返らずに背後を指差す。そこには、あるべきはずの扉はなく、ただ壁があるだけだった。
「見苦しいところをすみませんでした。娘は礼儀がなっていなくて。扉は散歩に行っております」
「散歩?」
「異世界ゆえ、行き来するための扉も不規則に動いてしまうのです」
言いながら、アイスコーヒーを入れて差し出すヴェルシーファ。
受け取ったフェイリンは、それをわきへ寄せた。
異世界。それは自分の住んでいる世界ではない世界。空想科学が好きな連中や、ファンタジー小説家が好んで使う言葉だ。
イタリア在住のフェイリンも、世界的に有名なファンタジー小説の表紙ぐらいは見たこともあったし、他の生物と異なりすぎる棒人間の存在を考える時、異世界という言葉を思い浮かべることもあった。
とはいえ、それらは空想や妄想、あるいは簡単な答えを求める行為であって、事実の証明にも追及にもなっていなかった。
それにもかかわらず、目の前の男はあっさりと、ここが異世界だと言ったのだ。
「獏だな」
「イタリアの有名クイズ番組ですか。そういえば、トスカーナの方には肉類を出さないホテルがあるのをご存知ですか? そこのホテルの名前もこの番組から取ったそうですよ。なんでも、菜食主義を続ける愚か者という皮肉を込めて。しかし、貴方ご自身はくだらないと決め付けて、その番組を見たこともないのでしょう? フェイリン・クルーウォさん」
「何故そこまで知っている?」
番組を見ていないのは事実だし、トスカーナにそういうホテルがあるのは知らないが、フェイリンの名前もあっている。そういえば先ほどウェピルエッヂの親父のことも言っていた。ここが異世界ならば、知るはずの無い知識だし、知りすぎている。
「ここは異世界。そして貴方という存在が入り込んだ瞬間、貴方の全存在を私が理解しお相手する喫茶。おかげで、お客様の中にはここが異世界ではなく、ご自身の夢や、店主の代わりに私がいると思われる方も多いのですが」
人を食ったような笑いを浮かべるヴェルシーファに、フェイリンは下手な怪奇小説のキャラクターだと内心なじる。読者を置き去りに、勝手に自分の世界を広げる奴だ。
そしてフェイリンは一つの決断を下す。
「ここが異世界でも、俺の夢でも、ドッキリ番組の延長でも、怪奇小説の中の出来事でも、どれでも良い。一つはっきりしてることは、てめぇが自己中だってことだ」
指差したのか、それとも拳を向けたのかは、人類には分からないところだが、フェイリンが右手を男に向かって掲げる。 すると、ヴェルシーファは逆に、声を立てて笑い、不意に口を開く。
「不機嫌な声、山形の口、感情が欠落したことを悩むのは、色とりどりの感情を持った他の生き物に嫉妬しているからではありませんか?」
新たな解釈を他人にされて、フェイリンは驚いた。
言われてみると、そんな気もするが、客の前で親子喧嘩を始めたかと思えば、客をぞんざいにあしらったりするような、あまり立派とはいえない感情もあるというのに、それを本当に嫉妬しているのだろうか。
「確かに、感情とはあまり良くないものもありますね」
心のうちを見透かされたような言葉に、フェイリンはギクリとする。
「あるところに、生贄を捧げることで天変地異や戦争、飢餓などから守られていると言われる、楽園がありました。生贄は生まれつきその証を持っていますから、20歳の誕生日まで大切に育てられるわけです。ある時、そんな生贄の一人が、行方不明になってしまいます。生贄の儀式の日が間近に迫った日でした。彼女は、自分が死なないために、楽園を裏切ったんです。まぁ、迷信だろうと信じていた部分も多かったようですが。しかし、残念なことに迷信ではなかったのですよ。彼女が20歳の誕生日、楽園は突然の大地震に見舞われ、その時期には珍しい豪雨で復興もままなりません。雨が止み、落ち着いたところを、他国からの侵略で滅ぼされてしまいました」
どこかの神話だったろうか。
「一時の感情で行動し、その結果として国一つ滅ぼせる。しいて言うなれば、感情というのは、国なり社会なり集団なりを維持して行くためにはむしろ邪魔なことも多いものです。とはいえ、それでも感情が尊ばれる。何故か?」
ヴェルシーファの瞳に、フェイリンの白い頭が映される。
「愛、友情、仲間意識、向上心、勇気……そういうものが時に、実力以上の力を発する源となるからです。大切な相手を持つ者は実に強いんですよ。えぇ、愚かなほどに」
「さっきから思ってたんだが、てめぇは、神経を逆なでするような言葉を並べるわりには説得力がねぇな。表面ばかりで、二転三転してる。根幹ってのがない」
フェイリンの言葉にヴェルシーファの顔が、一瞬歪んだ。
「だいたい、"パパと呼ぶな"と言いながら、さっきのチビを娘だと言う。自分勝手な理論に他人を巻き込むのが男のやることかっての」
普段は無口で通っているだけに、これほどまでに饒舌な己にフェイリンは驚いた。
ヴェルシーファに面と向かい合いながらも、内心の心の動きをまだ冷静な部分で見る。
そこには、フェイリンが感情として現すことのできない、熱く煮え滾ったものがあるように感じた。
今まで生きてきた中で、フェイリンはこの手の存在を内側に感じることがままあった。
それは感情として外に表出しないかぎり、なかなか治まらないものであるとわかっていながら、それができないのだ。
それができない自分に気付いて、どうしてそういう風に存在しているのかと考えて思い悩んだ。
つまり、フェイリンは、この男が言うように、感情を自由に出せる他の生き物に嫉妬しているのかもしれない。
だが、嫉妬という言葉は理解できても、その感情がよくわからなかったので、結論として出すことはできない。
はっきりしないことへの苛立ちから、フェイリンは更に口を山形にした。
「有性生殖者にはわかりませんよ。あの子は女型として生まれたので娘と呼びますが、私自身は違うので、"パパ"という風に性別を固定するような言葉で呼ばれたくないだけです」
言いながら、僅かにヴェルシーファの自信が戻るのをフェイリンは察する。
フェイリンの苛立ちを向こうも感じ取ったのかもしれない。
「そもそも、自分勝手なのは私だけではありません。どんなものでも存在すれば、自己を保たせるために他者を犠牲にするものです。同一の肉体に存在する内的欲求でさえ理性とは異なるのに、別個の個体である他者と分かり合えると思い、共存していると錯覚することほどおぞましい話しです」
言いながら乗り出してきたヴェルシーファにあわせるように、フェイリンは僅かに身を引く。
ヴェルシーファの瞳が気持ち悪かった。
本能的に、鼻に付く笑みを浮かべながら、フェイリンを大きく映す瞳が好きになれない。
いよいよヴェルシーファが両手を付いて乗り出してくると、その姿はまるで、獲物ににじり寄る爬虫類のようだと、フェイリンは思った。
「感情が気持ち悪い? 吐き気がする? それとも魅力的? そんなものはすべて主観なんですよ! 不幸であるかどうかも主観!! 結局のところ、自己の尺度で「気持ち悪い」か「そうでないか」の選択肢に、曖昧な色をつけたのが感情でしかなく、行動そのものに直結した判断材料なんですよ!!! あははははははははははははははははっ!!!!!!」
気後れしたフェイリンの頭に向かってヴェルシーファの手が勢い良く振り下ろされる。
かじる気だ。
そう思ったが、優男の見た目に似合わず早い動きで、フェイリンは避けることができなかった。
次に襲ってきた痛みと衝撃に悲鳴をあげる。予想外の力は、フェイリンの頭を引き裂き、頂点から底辺までを綺麗に割いたのだ。
死んだろうかと思った瞬間、しかし、視界には血飛沫も見えず、痛みは急に治まった。
感覚の急激な変化と、処理能力が追いつかずパニックを起こす脳みそを脇へ寄せ、フェイリンは加害者を見た。
赤い髪を振り乱した顔は、もう丹精と呼ぶことはできず、左右に大きく開いた裂け目からは、触れたらきっと粘つきと柔らかさを持っているのだろうと思わせる脳が、綺麗に赤へと染められて、裂け目近くで崩れかかっている。その下にも、空洞や、砕けた歯の羅列、千切れた舌先とが続いて見える。
マジマジと見てしまったフェイリンは、やっと状況の処理に取り掛かった脳みそのおかげで、その場に吐しゃした。
裏では殺し屋家業もしているし、足につけた鎌で敵を切り殺すのだから、グロテスクな肉塊には慣れているはずだった。
だが、こうも長時間、呆然としていたとはいえ、その断面や内側の構造を見せ付けられたのでは、さすがのフェイリンでも吐き気を覚えるものである。
吐き終わって顔を撫でると、フェイリンは更に驚いた。先ほど傷つけられたはずの顔には何一つ傷が無かったのだ。
不意に、ヴェルシーファの体が黒い靄となったかと思うと、カウンターの向こうに、無傷の男が立っていた。
「あー、失礼。お客様に攻撃すると、それは全て私に返ることを忘れていました」
素っ気無くそう言ったヴェルシーファに、フェイリンは言葉を失う。
異世界という言葉を信じないわけにはいかなくなってしまった。
では、あの少女に止められて、フェイリンは助かったということだろうか。
「ちなみに、お客様が攻撃されても、それはお客様には跳ね返りませんのでご安心を」
やはり内心を見透かしたような答えに、フェイリンは震えた。
「化け物っ」
つい口に出して言ってしまった言葉に、フェイリンは立ち上がってヴェルシーファに蹴りかかった。
裏の仕事で鍛え上げられた蹴りは、武器がなくともかなりの威力を持つ。頭に何度も受ければ、脳挫傷で植物人間、間違いなしだ。
そんな蹴りを何度も、無抵抗のヴェルシーファに繰り返すが、その顔はむしろ苦痛より蔑みに偏った笑みを浮かべている。
気持ち悪かった。とにかく、殺さなければいけないと、体中が叫んでいる。
蹴りつかれたフェイリンが足元を見ると、体中から血を噴出し、あらぬ方向へ各所が曲がった男が、陥没した顔で笑っていた。
もう一度その顔を蹴りつけると、カウンターに何かが置かれるのを聞いてそちらを見る。
カウンターの上には、フェイリンが愛用している鎌とよく似た形状の鎌が置かれていた。
違うところと言えば、一目見てその威力を思わせる重厚かつ洗練された刃を持っているところだろうか。質は断然こちらの方が良い。
フェイリンは素早くその鎌を装着すると、声を上げて笑い始めた物体を切り刻んだ。
カウンターの向こうの狭い空間で、何度も何度もその塊を切り刻む。
「はぁ……はぁ……」
耳障りな嘲笑が聞こえなくなったのに安堵したフェイリンの耳に、鈍い音が聞こえた。
見ると、今度は扉が戻っていた。
フェイリンは、最後に一度、肉塊の心臓があった部分を蹴りつけると、勢いよくカウンターの向こうへと飛び、そのまま扉の外へと走り出た。鈴の音が聞こえた気もしたが、フェイリンにはわからなかった。
飛び出したフェイリンの前には、朝に会ったばかりの漁師がおり、一瞬驚いたかと思うと笑ってフェイリンを小突いた。 「おいおいフェイリン、新しい玩具を買ったからって、付けっぱなしは良くないじゃん?」
言われてフェイリンが視線を足元へ降ろすと、新しい武器が装着されていた。
しかし、フェイリンの体も、武器も、決して血に染まっていない。
「なんかすごい形相してるぜ」
笑うのをやめた男は、心配そうな顔でフェイリンを見る。
「あ、いや、大丈夫だ……大丈夫だ。悪い夢を見てたようだ」
そうとだけ言うと、不信がる男に簡単な挨拶をして、フェイリンは装備を取り外し、歩き出す。
武器の方は体の中にしまった。
棒人間の体とは便利なもので、どうなっているのかは当人達にも理解できないのだが、武器や道具などをその体内にしまうことが出来た。
そのまま男が見えなくなったのを確認して、フェイリンは思い切り走り出す。
粘るような海風が気持ち良く、上気したフェイリンにとっては逆に気持ちよかった。
今までも沢山の敵を殺してきたが、これほどまでに歓喜する一瞬があっただろうか。そして「歓喜」という感情を抱いたことがあっただろうか。
答えは否だ。
フェイリンはいつの間にか高笑いして、家まで続くゆるやかな坂道を疾走した。


凛と透き通った鈴の音が響き扉が開かれる。
「宅配便っスー。……ってあれ?」
拍子抜けするような声は、いつもなら楽しげに返事する少女の声が聞こえないことに驚いたようだった。
「ここに置いとくっスねぇ」
しかし、仕事を忘れずに小包を扉の内側へ置くと、扉をまた閉めた。
ヴェルシーファがその包みを拾い、テーブル席に置いて座る。
テーブル席には、ふくれっ面のシグレが座っていた。
向かい合ったまま、ヴェルシーファは包みを解き、その中から現れた小さなシャトルシェフをテーブルに置く。
「……もう、機嫌を直したらどうだ。折角の料理なんだ、一緒に食べよう」
ヴェルシーファがシグレの機嫌を窺うように苦笑すると、シグレはやっと顔を上げた。
「一緒に食べたくない」
「じゃあどうしたいんだ」
「全部食べたい」
頑なな表情のシグレに、ヴェルシーファは小さく溜息を吐いてから、仕方ないという顔で頷く。
「良いよ。食べなさい」
その言葉にシグレの瞳が輝く。
「ありがとう!!」
満面の笑みでシャトルシェフを掴むと、その顔は肥大し竜のものとなると、上下に大きく開いた口の中へと、金属製の鍋を放り込む。
鈍い音と共に腹の中へと飲み下すと、シグレの顔はもとの人間の少女のものとなった。
それから、自身の腹に両手を当てて静かに目を瞑る。
一瞬、顔が苦痛で歪んだが、すぐさま笑顔となって、向かい合ったヴェルシーファを見上げる。
「見てみて! シグレ自分でできるようになったよ!!」
言われて、ヴェルシーファがシグレの腹に手を当てて頷く。
「本当だ。よくできたな。……もう一人前だ」
腹に当てていた手を、シグレの頬に添えて撫でる。
「うん、シグレもう一人前」
頬を撫でる手を握り締めながら、シグレは涙を零した。
「シグレもう一人前だけど、でも、まだまだ半人前だよぉ……」
力強く腕を握るシグレに、ヴェルシーファは微笑む。
「泣き虫なのは、私似なんだな」
端正な男の顔を一筋の涙が伝った。


赤い海を思わせるトマトピューレのスープには、沢山の具材が放り込まれている。
魚の臓腑、殻付きのアサリ、黒い皮のナス、苦いしし唐、マッシュルームに、にんじんという按配。
火から降ろしてもなお沸き立つスープはまるでマグマのようで、骨と肉が僅かに浮かんでいる。
熱さを忘れぬシャトルシェフは、じっくりとじっくりと、内なるものを熟成させる。内側から蓋を押し開けるその瞬間まで。



名   前:フェイリン・クルーウォ
読み仮名:ふぇいりん・くるーうぉ
年   齢:19歳
外見年齢:23歳
性   別:男
種   族:棒人間
世 界 観:異世界に存在する地球、場所はイタリア
職   業:基本的に殺し屋、しかし頼まれれば護衛とかいろんなことをしたりする。表の職業はシルバーアクセサリの作り売り
飲 食 店:「ウェピルエッヂ」見た目は普通の喫茶店だが裏では武器の売買も行っている
性   格:暗い、無口、冷徹。全てのことに対して半信半疑、追求はしない。1人称「俺」2人称「てめぇ」
不幸要素:喜び、笑い、悲しみなど感情の一部がない。棒人間は全員が何かの感情が抜けているがそのことをなんとも思わない、しかしフェイリンは感情がないことに疑問を思い、悩んでいる
備   考:棒人間には珍しく長身で1.9m前後、普段は顔には口が付いているのみ。喫茶店で頼む物はブラックコーヒー。裏職業での武器は己の脚、ときどき鎌を両足につけて切刻んだりする。一般市民にむかつくことをやられたり言われた場合は威嚇として眼前に高速の蹴りを繰り出す、当てはしない。
店   主:優しい感じがただよっているが、その目は鋭く、冷酷な一面を思わせる
第一印象:「真っ黒な1mほどの竜の置物、どこか生気が漂っていて、俺と同じ感じがする。生きているならばいい相棒になるかもしれない」とか思ってたり


キャラクター提供元 : おたけい 様



最終更新日 2005/05/13
感    想 イタリアはトスカーナ地方にあるレストラン。
        日本人の奥さんを持つイタリア男性が経営中。
        某有名作家の商業本にも登場してますよん。