鈴の音と共に連れ去って

スラ=ヴァン=ジ・エアリス

 

オレはQue Van The Ealithを護る為に造られたモノ、cela Van The Ealith。
ただいま相棒竜と共に、彼女を助けるため時空を突っ走ってる最中だったりする。
竜人の男を模した体は、青みがかった灰色の被毛で覆われ、黒い対の角と赤い瞳で、翼を持たない。つまり、Queに似せて造られてる。
相棒竜の方はというと、Queが一目で分かるように、Queの兄の顔をした青銅製の竜の置物だ。昔はもっと蒼くて綺麗な龍だったのにな……。
ふと気付けばQuoの世界の前まで来ていた。さすがに、主人の腹の中と比べるとでかい。
「もう一度言う、オレの使命は彼女の命を護ることだ。だから通してくれ!」


病室へと駆け込むと、初めて会った護衛対象の女に対して、見知らぬ男が銃を突きつけていた。


男は、突然駆け込んできた竜人に驚き、そちらへと銃口を向けて発砲するが、竜人はあっさりと回避し男の手首を叩く。
痛みを訴えるように悲鳴を上げた男が銃を取り落としてその場に膝をついた瞬間、竜人は男を蹴り飛ばし、宙に浮いた体を強引に引っつかむ。
「大丈夫かっ!? 死んでないか!?」
問われて、竜人の女は驚きに目を見開いたまま頷く。何が起きているのかわからないという顔だ。
すぐに看護婦や医師達が病室へ入ってくると、犯人らしい男と、床に転がった拳銃、それから男を締め上げる竜人とを押さえつけて病室の外へと連れ出した。
「君、名前はなんというんだ?」
恰幅の良い医師が犯人を取り押さえた竜人の男に尋ねると、男は少し困惑してから答える。
「スラ=ヴァン=ジ・エアリス。クー=ヴァン=ジ・エアリスの生き別れの兄です、先生」
そう言うと、医師は一拍置いた後に目を丸くして、スラの姿をマジマジと見る。
「君があの、若くして証券王となったスラ=ヴァン=ジ・エアリスなのか!?」
その声に、周囲もざわつく。スラは恥ずかしくなり、真っ赤な顔で一度頷いた。
ほんの少し前に造られたばかりのスラは、ずっと昔、こことは違う世界で死んでしまった劫という男の記憶を持っている。
だから、他人がこういう感情を示す時にどう振舞うべきかとか、どんなものが常識なのかということを知らないわけではなかった。
だが、それは記憶や知識であって、スラ自身の経験ではなく、なかなか慣れるものではない。
それにしても、どうもクーを護るために過剰な地位をこの世界で負うことになってしまったらしい。
造られた時に与えられた知識を探ると、この世界でのスラ=ヴァン=ジ・エアリスというのは、若くして大金持ちになった、いわば成功者の一人らしかった。
「いやいや、保険証の名前が同じだから、まさかとは思ったんだよ」
言って握手を求めらたスラは、握りつぶしてしまわないだろうかと不安に思いながら握手する。
相手が痛そうな顔をしなかったので、力の加減は間違っていないようだ。
こじんまりとした部屋に通されたスラは、首を傾げて尋ねると、警察がもうすぐ来るので事情聴取を受けるために用意したこの部屋で待機していて欲しい、と言われた。
だが、走る邪魔になって受付に置いてきた箱だけは、どうしても他人に触れられたくない代物だったので、頼み込んで取りに行くことにした。
受付の女性がスラを見つけると、一躍ヒーローであるスラに好意的な態度で箱を渡す。
「あの、実は私、今日は八時に仕事が終わるので……」
受付の女性が顔を赤らめる隣で、スラは箱を抱きしめてさっさと部屋へと戻ってしまう。
部屋へ戻ると、いつの間にか茶菓子が用意されていた。
用意がいいなと思いながら、スラはそっと箱を開けた。
中には青銅製の竜の置物が入っていた。それなりに大きな代物で、まるで生きているかのようだ。
「碧龍、さっきは置いていってごめんな」
言ってから、スラは違和感を覚える。
記憶の中では言い慣れたはずのその名前が、まるで別の誰かの名前のように感じたのだ。
「あれ? どうしたんだ? だって、オレは劫なんだぜ」
言った名前もまた、別の誰かのもののように感じる。
間違いなく、記憶の中では自分を指していた言葉だというのに。
すると、澄んだ声が頭に響いた。目の前の竜の声だと分かったスラは、竜の瞳をジッと見る。
『もう別々のものになってしまったから、どちらの名前も私達を縛ってはくれない』
言われて、スラは泣きたくなった。
とても大切な半身に久々に会ったというのに、相棒の名前を沢山呼んで抱きしめられないのが辛かった。
『かわりに私が君の名を呼ぶから。そうしたら寂しくないだろう、スラ』
竜の言葉にスラは鼻先を竜の鼻先にこすり付ける。昔からの親愛の印だった。
暫くして警察がやってくると事情聴取が始まった。
色々聞かれたが、その全てにもっともらしい回答が頭に浮かんで、スラ自身に苦労はなかった。
(そう造られているんだ。クーを護るために、自然に振舞うように)
確信したスラは腹が立った。
あんな小娘を護るためだけに造られて、相棒の名前も呼べなくなってしまったかと思うと、怒りのやり場に困ってしまう。
「少し出来すぎてませんか」
警官の言葉に、スラは笑う。
確かに、生き別れの妹の所在を知って、胸をときめかせて駆け込んだ先に、妹を殺そうとしている人間が立っていて、それをあっさり撃退したのだから、出来すぎているに違いない。
「それもまた人生というものですよ」
にっこり笑ったスラに、警官は苦笑して、大富豪は庶民と考え方が違うねと付け加えた。
そんなことはないとスラは思う。考えが違うのは、スラが警官ではなく、スラでしかないからで、階級や職業なぞ付加価値にすぎない。だが、それを主張する気はなかった。
事情聴取が終わったので、スラは売店で果物をいくらか買ってクーの病室へと向かう。
途中で、顔見知りの人間の女性を見かけて声をかける。
「シホさんですね?」
問われて、シホと呼ばれた女性が振り返る。
「すみません、お名前がわからないのですが、以前どこかでお会いしましたか?」
「いいえ。今日が初めてです。申し送れましたが、オレはスラ=ヴァン=ジ・エアリス。クーの兄にあたります」
そう言って上着に入っていた名刺入れから取り出した名刺を渡すと、シホが驚く。
「それじゃあ、あなたがクーちゃ……クーさんの生き別れのお兄さんっていう方なんですか?」
「クーちゃんで良いし、オレのことはスラと呼んでくれて良いよ。オレもシホちゃんって呼ぶから。こう見えて、堅苦しいのは苦手なんだ」
人好きのする笑みを浮かべて笑うと、シホは僅かに迷ってから笑った。
「それじゃあスラさん、本当にクーちゃんのお兄さんなんですか? 血が繋がってないのに?」
「あぁ。真新しい戸籍上では、ね」
なかなか鋭い。スラはそう思ってシホを見る。
確か、職業はレストランのウエイトレスだったが、裏ではスナイパーをして稼いでいたはずだ。クーの素性を調べていても当然だろう。
「色々事情があるんだ。ちょっと話をしないか」
そう言って人気のない場所まで移動し、いくらかの事実を告白すると、シホは驚いたようだったが、スラはその驚きを飲み込む前にシホに尋ねる。
「クーを助けるにはオレ達だけじゃ手が足りない。君を、スナイパーとしての君を雇いたい」
シホのスナイパーとしての腕前は、そこらに転がっているものではなく、超遠距離射撃の腕前は群を抜く。味方に付ければ頼りになる相手だ。
「……冗談じゃなくて、私は高いですよ?」
言われて、スラは懐から小切手を取り出し、相場と思われる値段を書いてシホに手渡す。
「とりあえず今日から一週間分だ。一週間後、この仕事をきちんと請けるなら、次の一月分を支払うよ。なんだったら現金でも良い。だが、とりあえず今日から一週間は手伝ってくれ」
「このお金をおろしたら高飛びするかもしれませんよ?」
シホが額面に驚きながら顔を上げたのでスラは笑う。
「まさかそんなことするはずない。仕事は信用問題ですぐに客が遠のくし、何より君は、個人的な理由で何度かクーをスナイパーとして助けてる」
言われてシホはスラを足先から頭の先までザッと見た。
スラの知識では、この行為は特に裏の仕事関係で油断ならない相手の実力を見るための癖らしいので、少しは見直してもらえたのかもしれない。
まぁ、信じてもらえなければ、ここで死んでもらうのも手だ。色々風潮されて波風が立つと迷惑だから。
「わかりました。クーちゃんの身が危険だというなら、それを護りたいと思うのは事実でし。その依頼受けます」
「よろしくね、シホちゃん」
言って手を差し出す。
シホが何か言いたげな顔をしたが、スラは聞かずに強引に手を握ると、さっと背を向けて歩き出した。


シホと別れてから真っ先に病室へ向かうと、病室ではクーがまだ眠っていたので、足元に相棒の入った箱を置き、椅子に腰掛けて果物を剥き始める。
ナイフと器は誰かが持ってきたものらしく、枕元に置かれた机の引き出しに収められているものを使った。
ショリショリと皮を剥いていると、クーの目覚める気配がしてスラはそちらを見る。
「目が覚めたか。どうだ、死んでないか?」
そう尋ねると、クーは困惑顔でスラをジッと見た。無理もない。
スラだって、数時間前に病室へ入った時に、知識として知っていたクーを実際に見て、これが本物なのかと思ったのだ。
何の知識もないクーが、スラを見て反応に困らない方がおかしいのである。
「見ればわかるだろう、生きてる。それより、貴様は何者だ?」
気丈にもそう答えたクーの傍らで、剥き終えて一口大に切った果物を器に入れたスラは、その一つを摘んで口に入れながら答える。
「お前が死なないように守る係り」
「なに?」
クーが目を細めて真意を探るように見てきたので、スラは首から下げたシルバーアクセサリーをジャらつかせる。
「オレの主人がお前を守るためにオレを作った。そしてこれは、お前がオレの主人に贈ったモノだ。信じてもらうために首から下げるよう言われた」
クーに見覚えがなくても、きっと雰囲気でわかってくれるだろう。
実際、これは今はこんな形だが、クーの手を離れた直後には、優しい光そのものでしかなかったのだから。
「あと、面会時間以外でお前を守るためにコイツも授けられた」
早口にそう言って足元に置いた小箱を拾い上げると、中から青銅製の竜の置物を取り出す。
相棒竜は、スラに向かって、クーの傍に置くよう騒ぎ立てている。
「あ!」
クーの声なぞ気にせず、スラは笑いながらクーの枕元にある小さな机に竜を置く。相棒の願い通り。
竜は、悪夢のような塔の中で彼女を助けた小さな竜のままの姿で、クーの目の前に鎮座した。
こちらの世界では、たとえ誰かがいなかったとしても、クーの命の危機にならない限り動くことはできず、じっと置物の真似をしなければいけないのが辛かったが、スラには声が届いたので我慢しいているようだった。
「もしや、お前の主人とはあの趣味の悪い男か?」
「趣味の悪い"男"……。まぁ、ソレだな」
驚いたようなクーの視線から逃れるように、スラはあらぬ方を見た。
確かに趣味の悪い奴だが、男だと言い切られると不思議に思う。普段から、性別不詳の成りをして楽しんでるような悪趣味な主人なのだから。
与えられた記憶と知識を遡ると、確かに主人はクーの前では男であった。珍しいこともあるものだと思いながら、スラはクーに視線を戻す。
貧相な胸の女は、確かに顔は悪くないし魂も上質で、その肩に背負った不幸は主人が恋してしまっても仕方ないように見える。
だが、スラの命を捧げてでも助けるべき相手には全く見えない。
「あれは夢ではなかったのか……」
クーの呟きに、スラは小さな怒りを覚える。
お前はそんなぼんやりした顔をしていて良い立場じゃない、命を狙われてるんだ、そう怒鳴りたかったが、怒鳴れなかった。
そんな感情をクーにぶつけられないよう、感情が無意識のうちに押さえ込まれるように作られていることを、今まさに気付く。
「とりあえず現状を先に話すぞ。お前は強盗に胸を打たれて肺に穴が開いて生死を彷徨った。そこへ生き別れの兄スラ、つまりオレね。その兄貴がやってきてお前を病院へ入れている。そうでなけりゃ、保険証もない、身元不明のお前がこうして病室でぼんやり寝てられないからな。とりあえず、保険証はオレのを使ってる。もうすぐ、お前の奴も出来上がってくるから安心しろ。あとは……そうそう、お前のオンボロアパート、あそこに暫くの間厄介になってるから」
「貴様、勝手に人の部屋へ!? というか、どうやって入った!!」
「ほら、オレの主人と同じでオレは生き物じゃないから」
そう言って笑ったスラに、クーは呆れ顔をした。
スラ自身、自分の言葉に呆れた。こんな軽口を叩くのは、むしろ主人の方の性格である。本当に自分が急造りなのだと思った。
主人と、劫と、竜の、記憶と経験と感情を与えられて造られた存在。
今のスラの持ち物のほぼ全ては、肉体も魂も心さえも、スラが苦労して手に入れたものではないという事実が、スラの生まれたての心を傷つけた。
「ところで、もう少し話を聞いてくれ」
目の前の娘はまだ体力が回復しておらず長時間起こしておきたくない。早く必要事項だけでも説明せねば。
そう思ったのはスラではないのに、スラの顔が真剣なものになる。
「オレの主人は"歪み"だ。その"歪み"にお前は命を救われた。つまり、本当は死ぬはずだったお前がここに生きてる」
スラの言葉にクーが僅かに目を瞬かせて、照れくさそうな、もどかしそうな顔をしたが、スラは無視した。
「おかげで世界にちょっとした綻びができて、お前をなんとしても殺そうとしているんだ。だけど、オレの主人はお前を殺したくない。だから、綻びが戻ってお前が世界から問答無用で排除されなくなるまでオレと碧龍で守ることになった。オレの主人はここには来られないからな」
もう一度だけ呼んでみた竜の古い名は、本当に竜を指し示していないのだと思って眉間に皺が寄る。
クーはそれを事が重大であるための表情と取ったに違いない。それも、クー自身に起きている方の。
確かに、死ぬべき者が生きていれば問題だし、まさにその問題の中心が自分だと言われれば、話す方も多少は深刻な顔になると思っても仕方がない。
「碧龍とはこの竜の名か?」
疑うような目で見てきたクーに、スラは困ってしまった。
「あー、うーん、そーなような、そーでもないような、どーだろうかな?」
「なんだ、その曖昧な返事は」
オレだって困ってるんだ。そう叫びたいのを堪えて、スラは説明をする。
「いや、オレの前の形がそう呼んでただけで、オレの主人は特に名前で呼んだりしないし、オレもこいつに名前をつけてないから、碧龍がこいつの名前っていうのもなんだかおかしいっていうか、なんていうか」
言いながら、どんどんとぐだぐだになっていくと、竜が耳を貸せと言ってきた。言われたとおり耳をその口元に寄せて声を聞く。
それは名案なように思えたが、むしろ自分がスラであって劫ではないことを核心する行いでもあった。
普段なら、そういう提案は碧龍に対して劫がするものだったのだから。
「そうだ! お前こいつに名前をつけてやってくれよ。そうしたら、それがこいつの名前になる。こいつもお前に名前をつけてもらいたいらしい」
言うと、クーが鼻で笑った。
「まぁ、この竜には何度も助けられたし、顔は気に食わないが、名前をつけてやっても良いかな」
言って顔を上げたクーの瞳が、彼女の記憶に住む幼い兄とよく似た顔の竜の瞳とぶつかる。
クーと視線が交わって、動けなくても声高に喜んだ竜を見て、スラはクーに嫉妬した。
(相棒はオレなのに)
不機嫌さが顔に出ないようにクーを見ると、いつの間にかスラとは別の意味で顔が暗く歪んでいた。
「なんだ、急に暗い顔して」
「煩いな」
「煩いってなんて言い草だよ」
「それに顔がムサイ」
「をい。俺だって、お前の兄っぽい顔にしなきゃいけなかったからこの顔で、本当はむしろお前の本当の兄貴達みたいな顔の方が良かったぜ」
言った瞬間、クーにおもいきり睨まれて、スラは一瞬怯んだが、食い下がり付け足す。
「さっきも言ったがな、オレの前の形だって、こいつに碧龍と付けた奴だが、そうとうの美形だったんだぞ」
「ふーん」
「うわ、なんだよその気のない返事! いかにも信用してないって顔だな! じゃあコレを見ろ!」
言いながら懐から出した一枚の写真をクーに渡す。
「証拠写真だ。オレの前の形は一番左側で、その肩に乗ってるのが碧龍」
言った直後の名前は、確かに写真の中の龍をさしていると実感できた。これが変化の代償なのかと思うと辛い。
説明を受けたクーが勢い良く起き上がりかけて、胸の痛みにのたうつ。
「をいをい、死ぬなよ」
「……ゴホッ……死んでない!」
咳払いして、もう一度体勢を整えると、クーはじっくりと写真を見る。
一番左に立っている劫は、腰まで優にあるだろう長くて美しい黒髪の一部を頭上で結い上げており、皮肉を込めた笑みの似合う黒い瞳の美丈夫で、人間だ。
その肩にいるのは青銅製の竜ではなく、青い鱗に覆われた細い蛇のような龍だ。今のスラと竜とは似ても似つかない姿をしている。
「どう見ても人間だぞ。それに、碧龍も全く違う」
「あぁ、人間だよ。それに違って当然だ。世界が違う。オレもオレの主人もこいつも、その世界にあったように姿を変えるからな」
もう一度写真を覗くクーに、スラは苦笑した。本当に信じられてないんだ、と。
「そう睨んだって竜人には化けないぞ。こいつはもう死んでるんだから」
言われてクーはわけがわからないと顔を上げる。その瞳が説明を求めているので、スラは少し寂しい笑みを浮かべて口を開く。
もう戻れない過去を口にするのは、とても胸が痛かった。
「簡単に言えば、そこに映っているのはオレの兄弟みたいなものだ。兄弟みたいというのは、同じ主人に作られたからという意味。だけど、それはオレの前の形であると言った。理由は簡単。オレはそいつの経験や記憶も持っている。話すとややこしいんだが、うーん、そうだな、ここに粘土があるとしよう。で、オレの主人は粘土から人形を作る。その人形がそこに映ってる美男子。暫くそのままの形で、手を動かされたり、座ってたり立ってたり色を塗られたり、まぁ色々と遊ばれるわけだ。で、遊びが終わってただの粘土の塊に戻された時、色とか手垢だとかがどうしても残る。その汚れたままの粘土から作られたのがオレって感じかな」
実際は、素材となる粘土は帰ってこなかった。劫の体と魂は、いまだ劫が死んだ世界に縛られている。
しかし、それを詳しく説明する義理はなかったし、話そうとすればややこしくなるだけだとスラは思った。
「よくわからないが、同じ素材を使っているから、兄弟ではないということか?」
「うん、そんな感じ」
学歴が無いって話しだが、本当に理解力が変に欠けてるな。そう思って笑ったスラに、クーは更に質問を続ける。
「じゃあ、この写真に写っている者達も、どっちかがお前の兄弟に守られていたのか?」
「違うね」
そんな悪趣味なことを劫がするもんか。
そう思いながら、不思議そうに首を傾げるクーに説明を続ける。
「オレの前の形は、この世界には別の用事で行ってた。で、その世界で出会ったこの二人と個人的な感情で友達になった」
それはとても自由な行為で、今のスラよりも主人に縛られる感情の領域が少なかった結果だ。劫はスラよりも自由だった。
「二人は、この世界の住人ではないことを知っていたのか?」
クーの言葉に、スラはギョッとしてクーを見る。馬鹿にしていた相手が予想外の質問をしてきたのだから仕方ない。
「なかなか鋭いじゃないか。そうだ、知ってた。というか、こいつらもこの世界の住人じゃなかった」
「え?」
「この真ん中の男は、ゲーム機の故障でこの世界に意識だけが飛ばされてきていた。この世界で一度死んだから、元の世界に戻っちまったがな」
指差した薄い栗毛の兼太は、昔のままの詰めの甘い笑みを浮かべている。一番ガキっぽかったのは、あいつの本体が十六歳の人間だったからだ。
兼太にとってのこの世界での人殺しは、ゲームの中での人殺しとなんらかわらなかった。兼太にとって、三人で遊んだ記憶は、夢の中での出来事だった。それを知った時の劫が、人知れず泣いていたのを覚えている。
「一番右の女は知らん。まだこいつだけは死んでないから」
「死んでないとどうしてわかる?」
「三人で約束したんだ。この世界で死んだら自分がどんな世界からどうやってやってきた何者なのかを、枕元に立ってでも話そうと。で、今の処その約束を守ったのは、この真ん中の奴とオレの前の形だけ。まぁ、最後の一人が死んでないんだから仕方ないが」
その約束通り、死んだ兼太は劫達の夢枕に立った。劫自身も、元の体に戻った兼太の夢枕に立った。
「それは死んでないことを肯定しないぞ」
指摘されたスラは盛大に笑った後、指を左右に振って答える。
「ちっちっち、そこがオレ達の違うところさ。お前の兄貴のアイゼンとはまた違うけどな」
「どういう意味……」
「ジ・エアリスさん、面会時間は終わりですよ」
看護婦の言葉に遮られたおかげで助かったと思う。
つい口が滑ってしまったとはいえ、アイゼンの名前は危険だからだ。
スラは世話になった医師や看護婦の何人かに挨拶してから病院を出る。
傍に相棒竜がいないのはとても恐ろしかったが、クーを護るためには我慢しなければならなかった。


「これからどうしよう」
考えると、脳裏にクーのアパートが浮かぶ。スラは今、クーのアパートに暮らしている。それも数日前から。
その記憶に、スラは驚いた。
スラの存在が、今を基点にこの世界の過去と未来へ刻まれ始めていることがわかったからだ。それはつまり、歴史の改ざんでもある。
事態はスラの予想を超える力で動いているとわかったが、スラにはどうしようもできない。
何せその力は、世界を動かすもの、神だのと呼ばれるタイプの巨大なもので、スラなぞ裏事情を多少知っている程度の駒に過ぎなかった。
(クーの身代わりになるための生贄として生まれた)
突如、その事実が頭に響き渡り、スラは驚いて泣きそうになるのを堪えてクーのアパートへ向かう。
生まれたてのスラには、自分が他人の代わりに死ぬ定めにあるという事実は耐えがたかった。
程なくして、クーの借りているアパートへやってきたスラは、クーの部屋の前に一人の白竜人が突っ立ているのを見てとり顔を歪める。
「まずいな」
噂をすれば影が立つという話しだが、もう一度白竜人の顔を確認してみるも、やはり間違いない。
あそこに立っているのはクーの精神的な兄にあたる男、アイゼンだ。
確か、実際の名前を陽春龍と言う竜人の娘に、クー=ヴァン=ジ・エアリスの名前を与えた男である。
回れ右をしたところで、下の階に住んでいる大家とばったり会ってしまう。運が悪い。
「おや、兄さんお帰り」
「あ、あぁ、どうもただいま」
曖昧に返事しながら、アイゼンがこちらを見ないことを心から願う。
「消毒臭いってことは、病院に行ってきたんだね。クーちゃんの怪我はどうだった?」
大家がそう言った瞬間、アイゼンがスラと大家を振り返った。
ヤバイ。
スラは「まぁまぁだった。じゃ、買い物があるからこの辺で」と早口に大家との会話を切って走り出す。
しかし背後から、錆びた金属製の階段を勢い良く降りた足音が、想像以上の速さで追っかけてくるのが聞こえる。
スラ自身、並みの竜人から比べれば身体能力は高い。クーを守るためにそう造られている。
しかし、相手は"あの"アイゼンだ。
こちらの世界では、だいぶ前に最強の傭兵と呼ばれていた、パンツァー・イェーガーその人である。
一分もしないうちに追いつかれ、足を引っ掛けられたかと思うと、あっという間に地面へと捻じ伏せられてしまう。
「クーがどうした?」
肩口に見た緑の瞳は、背筋が凍るほど冷たい。
嫌な男に出会ってしまったと思いながら、スラは出来る限り人好きのする笑みを浮かべる。
この笑みには特別な作用があって、どんな相手の警戒心もある程度は緩和してくれる代物だ。
だが、アイゼンにはあまり通じないようだった。
「怪我をして入院してる。オレは彼女の戸籍上の兄として、彼女の入院費やら何やらの面倒を見てる者だ。敵じゃない」 そう言った直後、目と鼻の先に重たい拳が振り下ろされる。
「ヒッ! 本当にオレは敵じゃないんだ! 彼女を守るように言われて面倒見てるだけなんだ! 信じてくれアイゼン・ヴァイス・フォン・グランツ!!」
情けない声で訴えるスラの言葉にアイゼンは捻りあげた腕に力を入れる。
「てめぇ、誰からその名前を聞いた?」
驚くはずだ。この名前を知っている者は、アイゼンと、その兄と、クーだけであるのだから。
「上手く答えられない! 頼むから、全部説明するから放してくれ! こんな格好だと、今後のクーの為にもならない!」
言われてアイゼンが顔を上げる。顔を向けた瞬間、知らん顔をして過ぎ去る通行人を疎らに見た。
醜聞は口から口へと伝わるものであったし、何よりもこのままの状態だとお節介な通行人に警察を呼ばれかねない。
「とにかく、クーの部屋で話すから、逃げないからさ。この通り、頼みます、拝みます、御慈悲をアイゼン様!!」
哀れな声を上げるスラに溜息を吐いて、アイゼンは立ち上がる。
スラも大人しく立ち上がると、先ほど逃げてきた道を辿って、アパートの階段を上がり、クーの部屋の扉を開けてアイゼンを中へと招き入れる。
「珈琲飲みます?」
扉を閉め、三重ロックをかけたスラが尋ねると、アイゼンは静かに睨んできた。
「話しますけど、こっちだって生身なんですから。しかも、一度死んだら復活できない体なんで、大切にしたいんです」
というのは建前で、本当はアイゼンと向かい合って座るりたくなかったし、座ったとしても、飲み物があれば少しは気が紛れるだろうと思ったのだ。
(こんな小ざかしい態度、全然、劫じゃないや。劫は、どんな相手にだって胸を張ってたのに。オレ、全然ダメじゃん)
ケトルを探しながら、少し泣けた。
「……んじゃ、ブラックで」
僅かな間と共に返ってきた言葉に頷く。
「了解、旦那」
手狭な台所で珈琲を入れながら、スラはこれまでのことを話し始める。
クーが働き先で撃たれて、"歪み"であるスラの主人の場へと行き、世界にほころびを造ってまで生かされたこと。
そのほころびを正すために、クーがいつ殺されてもおかしくない状況であること、そのほころびが戻ってクーが問答無用で殺されないようにするまでスラと竜が遣わされたこと。
という説明をクーにはしたが、実際にはもう少し実情は異なって、そこらへんはアイゼンだから教えられるが、クーには理解できないだろうから適当に話しを作ったこと。
スラが竜人ではなく、生き物でさえないが、この器は確かに生きていて殺されると替えがきかないこと。
アイゼンの名を知っていたのはクーの護衛のための予備知識として知っていただけで、誰かに教えてもらったというより造られた時から知っていた事実だということ。
そして今はクーの戸籍上の兄として振る舞い、生活を支えるために色々と立ち回っていること。
(似たような説明を一日に三回も言うと疲れるなぁ)
全てを話し終え、入れたばかりの珈琲を目の前へ置いたスラを、アイゼンはジッと見据えた。
スラは居心地の悪さに逃げたかったが、逃げきれないことは分かっていたので、大人しく座って珈琲を少しだけ飲み、それをアイゼンに差し出す。
「毒の不安があるならこっちを飲んでください。オレが信用されないのはオレが一番良く知ってますから」
スラには相手の警戒心を解く機能がある。それなのに、根本的にはスラに対する警戒心が誰にも存在し続けた。まるで、異質なものに対する嫌悪のように。
でも、それはスラの主観で、事実かどうかはスラにはわからなかった。
また泣きそうになって顔をしかめたスラに、アイゼンはやっと少しだけ笑って、口をつけてない方の珈琲を飲む。
「不味くはねぇな」
それから何も言わずに珈琲を飲むアイゼンに、スラは溜息を吐いた。
とにかくこの男だけは敵に回したくない。こんな奴がクーを殺しにかかったら、スラと竜が束になっても救えないからだ。
だから、信じてもらえなくても敵にはなって欲しくなかった。
「なんでお前の主人とやらは、クーをそこまでして生かしたかったんだ?」
突然静寂が破られて、スラは危うくカップを取り落としそうになる。
「一目惚れらしいです。いや、一目惚れというか、なんていうか、うーん。たぶん一目惚れ? いや、きっと一目惚れ? もしかしたら一目惚れ?」
「一目惚れなのかそうじゃないのかどっちなんだ」
こんなことが前にもあったなと思って、スラは数時間前に病室で交わしたクーとの会話を思い出す。
どうも、持たされた知識では答えられないことや、主観的な問題を答える時のスラは、はっきりしない態度を取るらしいと、スラは自覚する。
劫だったら、強引にでも自分の思ったことを言って、そうなるように捻じ曲げるぐらいはしたというのにだ。
「えっと、最初に見た時はどうも思わなかったけど、次に見た時に胸にズーンときたらしいです」
無駄に緊張したスラが背筋を正して答えると、アイゼンは何か口の中で呟いたが、スラには聞こえなかった。
(詳しくはこのシリーズのクー=ヴァン=ジ・エアリスの回を読んでくださいね)
スラは自分の頭に湧いた声に、誰の声だろうと疑問に思ったが考えるのはやめた。嫌な予感がするからだ。
「で、一目惚れしたから助けたと?」
「はい。なんでも、生まれてこの方これほど最愛に思う相手に出会ったのは三人目だったから、一緒に居たかったけど断られちゃって、だったら少しでも長く彼女に生きて欲しいと思ったからだとか。普段はそんなことないんですよ。老若男女種別を問わず、オレの主人は万人の神経を逆撫でするのが仕事みたいな方なんですから。下手したら、死んだり人殺しをしたりすることを暗に勧めるぐらいのことは平気でやってのけます。そんなオレの主人が彼女を愛したのは事実です」
早口に捲くし立てたスラの耳に、アイゼンの呟きが今度ははっきりと聞こえた。
「……オレの可愛い妹に色目使ってんじゃねぇ……」
(もしかしてピンチなんじゃ……)
スラが脂汗を流していると、アイゼンは何かに踏ん切りをつける様に一度頷いてから顔を上げる。
「で、そいつはもうクーを手元に置こうとして何かするつもりはないのか?」
言われたスラは思い悩む。手元に置けるなら置きたいに違いない。しかし……
「無理ですよ。オレの主人は、入ってきた相手に干渉できても、外の奴には干渉できません。だからオレや竜を造って彼女を護らせてるんです」
「そっか」
また長い沈黙が続くと、意表をつくところから音が出る。
アイゼンがなんだと言わんばかりに顔を上げたので、スラは顔を赤らめて答えた。
「オレの腹の虫が鳴いたんです。面会時間いっぱい病院に居たんで、飯を食い損なって」
特にスラは、相棒竜の分まで食事を取らなければならないので、茶菓子や果物程度では夜までもたないことは知っていた。
本当ならば、一度部屋に戻ってから外食にでも出ればよいなと途中で考えていが、そうもいかない状況である。
「外で喰っても問題ないですけど、旦那とはまだ誰かに聞かれちゃ困る話をしなきゃいけないと思いますし、オレの手作りで我慢してください」


翌朝、朝食を終えたスラとアイゼンは、面会時間を見計らってクーの病室を訪ねる。
「死んでないか?」
朝市で買ってきた果物を抱きかかえたままで尋ねると、後ろからアイゼンに睨まれてスラは小さくなる。
しかし、このつまらない確認作業も、スラの仕事のうちだということは、アイゼンにも話してあった。
「生きてる」
そう言ったクーは、スラの後から入ってきた相手に目を丸くする。
「兄さん!!」
大声を出した瞬間、クーは激しくむせって体を丸める。
瞬間、スラの体中が恐怖で凍え、慌ててクーに駆け寄りその背を撫でる。
「無理をするなっ!! 頼むから死ぬな!!」
背中を摩りながら、スラはクーを見た。小さく頷く女に、やっぱりスラ自身は何の魅力も感じていない。
先ほどの恐怖はたぶん、主人のものだ。
そう思いながら、呼吸の落ち着いたクーから離れると、放り出した果物を拾ってくれたアイゼンに感謝して果物を受け取り、場所を交代する。
「よぉ、会いにきたぞ」
「兄さん」
クーがこの男を「兄さん」と呼ぶ理由は、どうもお互いの生い立ちを重ねているだけでなく、妻子持ちの男相手へ寄せた思いから、精神的にでもより近くにありたいと願うためらしい。
心の底からの笑みを浮かべる二人を初めて見たスラは、気分が悪くなった。
感動の再会というのは、こういうことを言うのだろう。だが、スラにはその感動の再会の相手がいない。
いたが、今の竜もスラも、昔とは全く別の個体になってしまって、再会というより「はじめまして」な感じだった。
つまらなくなったスラは、果物を竜の隣へ置くと、静かに病室を出て行った。
出て行くスラの背中に、竜が何度も名前を呼んでくれたので、ほんの少しだけ元気が出たが、それでもこの場に居たくはなかった。
部屋を出ると、看護婦が目に入った。嫌な匂いがする女だと思うと、頭の中にまた音とも文字とも取れない知識が響く。
(この匂いは、クーを殺そうとする者の匂い。この世界の住人は"狂気"の関与に気づかずにクーを殺められる)
"狂気"、それはスラの主人である"歪み"と"対なるモノ"で、"歪み"がクーに恋したことに腹を立てて、クーを殺そうとしているのだった。
その事実に驚いたスラは、看護婦に近づく。
こういう時、金持ちの肩書きと、人の警戒心を薄れさせる機能は役に立つなと思いながら、スラは看護婦と喋る。
何をしているのかと尋ねると、患者さんに注射をしているのだと言って、クーの注射と別の患者の注射が似ていることを話す。
これを間違えると、別の患者はともかく、クーは死んでしまう可能性があるから気をつけないといけないと教えてくれた。
スラはその言葉と、注射器の特徴をよく覚えながら、看護婦や他の患者達と談笑した。
看護婦と笑いながら病室を出ると、隣にあるクーの病室から顔を覗かせたアイゼンと目が合う。
「あ、旦那、彼女との話はもうついたんですか?」
「どういうつもりだ?」
問いを問いで返されたスラは首を傾げつつ、看護婦と一緒にクーの病室へと入る。
どういうつもりもなにも、クーを護るために看護婦と喋っていたのに、アイゼンに睨まれるのは心外だった。
アイゼンが追求しようとしてきたので、スラは「注射の時間だから後にしてください」と真剣な顔で答える。
時間が経つにつれて看護婦から"狂気"の匂いが強くなるものだから、アイゼンにかまっていられなかった。
「はい、クーさん、色男を二人も連れ込んでご機嫌いかが?」
「ははは、二人とも兄なんですが……」
苦笑気味に答えるクーの傍らで、竜がスラにこの看護婦について説明する。
この看護婦は、昨晩クーが発作になった時に巡回の途中で駆けつけてくれた人物で、クーの顔見知りである。
今朝も、金持ちの兄を持ってて羨ましいと、一方的ながら会話した仲で、口は悪くても信用できる人物らしい。
だが、スラの鼻は昨日蹴り飛ばした男同様の匂いを、看護婦から感じていた。
間違いなく、これはクーを傷つける敵だと体が認識していて、今にも飛びかかって殺しそうな衝動を抑えるのに必死だ。
「そんなこと言ってると極太注射しちゃいますよー」
笑いながらクーの右腕の裾を上げ、さっとゴム管を腕に巻くと、肘の裏に消毒をして注射針を持つ。
注射針をクーの右腕に刺そうとした看護婦の腕をスラは掴んだ。
「ダメだよ〜、それって違う患者さんの注射で間違えやすいから気をつけなくちゃって、さっき教えてくれたばっかりじゃん」
人好きのする笑顔で、これまたのほほんとした口調で言ったのだが、握り締めた看護婦の腕にスラの指が食い込んでいく。
「本当だわ! 教えてくれてありがとう!」
看護婦も言われて注射針を見ると、慌てて正しい注射針と換え、正しく注射し、何度も謝りながら退室して行った。
彼女の腕には、スラの指の後がしっかり残っているのが見えた。
「危なかったな」
そう言って笑ったスラに、クーとアイゼンが僅かに身を引いたのを見たが、スラにはどうでも良かった。
むしろ、看護婦の腕を掴んでいた腕が、ゴキゴキと音を立てて、発散させそこなった力の行方を捜している方が問題だ。
昨日の男の時もそうだったが、クーを護ろうとする感情はあまりに大きすぎて、御しきれない部分が暴走して破壊行動に出ようとするらしい。
「お前、こうなること知っててあの看護婦と?」
アイゼンの問いに、スラはなんとか衝動を押さえ込んで振り返る。
「オレには未来を予知する力はないけど、世界が彼女を殺そうとする少し前なら、なんとなくそれを感じ取ることができるし、元凶になりそうな相手から独特の匂いが出てて犯人だってわかるんだ。でも、何が起きるかわからないから元凶に近づいて色々聞くんだ。そのために、相手の警戒心を無意識に解くような機能もついてる。まぁ、昨日のおっさんは、オレがこっちの世界に干渉できた直後だったからギリギリになったけどな。あれは悪かった」
クーについた「世界のほころび」という嘘と、"狂気"の関与という事実、その二つを守る為に慎重に言葉を選ぶが、微妙だったかもしれない。
そう言ったスラの目は怒りのやり場を探すようにギラギラ光った。
「そんなに殺気立つなっての」
アイゼンの言葉にスラは声を張り上げる。スラの中に溜まっていた何かが形を持って口から溢れ出た。
「仕方ないだろ!? これもオレの機能なんだから!! こいつがちょっとでも死にそうになったら、怖くて悲しくて腹立たしくて、もう何もかも壊したくなるように造られたんだ!! オレがこいつを見捨てないように!!」
それから一呼吸置いて、スラは元の人好きのする笑みを取り戻す。
スラは自身の感情が切り替わったことに驚いたが、こんなもんかとも思った。
結局、スラは劫があまりに自由で感情的過ぎたのを反省して作られた二番目だった。
どんなに嫌でも、腹が立っても、命令に背くような可能性のある感情は、無意識に、すぐに安全な感情と切り替わってしまう。
でも、スラは忘れない。感情を強引に変えられてしまうよう、縛られた自分の現状を。その現状を生み出した目の前の女の存在を。
「ところで、さっきの質問ってなんですか? 旦那」
突然の切り替わりについていけなかったらしい二人が反応に困っている脇で、持ってきた果物を剥き始めるスラ。
鼻歌交じりのリラックスした態度で竜に話しかけると、竜も笑ってくれた。
なかなかしてやったりな冗談を言い合った時なぞ、隣で固まっている二人に、竜の声が聞こえないのが残念なほどだった。
さきほどの怒りに満ちたスラと全く異なるスラを見ながら、アイゼンが口を開く。
「なんなんだお前?」
愚問だ。何を今更言うのだろうと思いながらスラは笑った。
「cela Van The Ealithです。Que Van The Ealithを護るために造られたモノですよ?」
顔を歪めたアイゼンの隣で、クーが別の質問をしてきた。
世界のほころびが元通りになり、クーが世界から排除されなくなる日はいつなのかというものだ。
その言葉に、またも内心燻り始めた怒りを抑えながら、スラはできるだけ平静を装って答える。
「うにゃ、あんたが自由になる日? いつかは知らないけど、たぶん二、三年ぐらいじゃないかなとはオレの主人も言ってたけど。もっと長いかもしれないし、明日かもしれないって」
クーが今だ信じている嘘にそう答えると、アイゼンとクーが溜息を吐く。
スラ自身、何年も敵の存在に緊張して、対処し続ける精神力はないと思いながら、切ったばかりの果物を頬張る。
美味しくて、もう一切れ頬張ると、先ほどの言葉に沈黙してしまったクーが突然口を開く。
「あんまり喰ってると太るぞ」
病院食の中でも流動系のものしか食べられないクーが、多少悔しさを表すように言ったので、スラは声を立てて笑った。
「大丈夫、オレはニ倍食べなきゃいけないから。こいつがエネルギー補充できないかわりに、オレが変わりに補充するんだ」
そう言って竜を撫でると、スラの耳に竜の声が響く。
まだ名前をもらっていないので、できれば促して欲しいということだった。スラは小さく頷いてクーを見る。
「それで、こいつの名前は決まったか? 飛び切り良い奴!」
女は、やたら飾った名前をつけたくなるものらしいから、きっと竜も素敵な名前をもらえるに違いないと思って、期待に満ちた瞳で言った。
勿論、素敵な名前じゃなくても竜のことはこれからも好きだし、どんな名前だって中身には関係ない。
重要なのは竜を呼ぶことができるということだ。早く早く、名前を呼んで抱きしめられる幸福に出会いたかった。
「…すまん」
「なんだよ、早くつけてやってくれよ! こいつが可哀想じゃないか!」
そう言って竜の喉を撫でる。
クーには聞こえていないだろうが、竜は悲しく鳴いたのだった。
「仲が良いんだな」
「当たり前だろ? なんて言ったって、さっきも言ったけど、こいつのエネルギー補充はオレが変わりに務めてるんだからな。いわば一心同体! まぁ、最も、こいつはオレよりずっと年上だし、オレの主人ともサシで付き合う仲だけど、それでもオレにとっては唯一信頼できる仲間だ。家族と言っても良い」
そう言って笑うスラの気持ちを二人はなんとなく察したようだった。
二人にも、何だかんだ言って信用できる仲間や家族みたいなものがいるからだ。
しかし、実際のスラと竜の関係は彼等の持つどの関係とも異なっていたし、依存度は彼等の比ではない。それを悟ったのは、スラと竜だけだった。
ふと、遠くから聞いたことのある足音が向かってくるのが聞こえた。
「あ、シホが来た」
スラが立ち上がったので、クーとアイゼンは驚く。
次の瞬間、病室をノックする音が響いたので、スラが「どうぞ」と返答した。
入ってきたのはもちろん、クーの仕事仲間であり友人である人間の女性シホだ。
これもスラに与えられた機能の一つで、一度聞いた足音ならば、ある程度遠くにあってもすぐに聞き分けられるのだ。
「こんにちはスラさん! クーちゃんどうですか?」
シホは、視界の隅に立ったアイゼンを見て、顔をしかめる。
「ごめんなさい、他の方がいるとは思ってなくて」
居心地悪そうに俯いたシホにスラは席を薦めた。
ここでシホに機嫌を悪くされて、そのまま帰られてしまったら困るからだ。
アイゼンのことはシホにも知っておいてもらいたかった。クーを護る協力者として。
「気にしなくていいよ。あの人はクーの兄だから。血はつながってないんだけどね。あぁ、こっちはシホちゃん。クーの仕事仲間で大親友です」
スラがシホとアイゼンにお互いを簡単に紹介する。
言いつつ、どうにも二人を紹介する態度が、"クーの兄"と"クーの友人"を紹介しているように思えなかったので、内心冷や汗をかく。
「お初にお目にかかります。私はシホって言います。クーちゃ……クーさんとはこの近くにあるレストランの仕事仲間で、とっても良くしてもらってます」
にっこり微笑んだシホと、「それは私の方だ」と照れたように下を向くクーを交互に見てアイゼンが頷く。
どうやら、シホのことは敵じゃないと認識してくれたようなので、とりあえず今はそれで十分だろう。
「オレはアイゼン・R・シュミット。クーとの付き合いはそれなりに長いが、まぁ、妹みたいなもんだと思ってる。久々にこいつの顔を見にきてこの街にいるが、普段は別の場所に住んでる」
そう言ったアイゼンの姿を上から下までザッと見たシホは、「よろしくお願いします」と微笑んだ。
その眼の動きは、初めて会った友人の兄を見るというよりも、相手の実力を探るような感じだったので、あとでアイゼンに何か言われるかもしれない。
頭痛がしてきそうな状況でクーを見ると、彼女はとても幸せそうに笑っていた。
実際、大好きな兄アイゼンと、大切な親友シホが目の前に揃っているのだから幸福なのだろう。
それを察してなのか、アイゼンもシホも実に優しい笑顔でクーと談笑している。
だが、その光景にスラは頭が痛くなって顔をしかめた。
「どうしたんだ?」
一人浮いたスラの表情に気付いたらしく、クーが声をかけてきた。
スラはハッとして目を見開いてから、慌てて人好きのする笑みを作る。
「いや、なんていうか、うん、知らずが仏って本当だなって思って」
言った瞬間、三人の瞳がスラを見つめてきた。
殺気こそないが、三対の瞳が「それ以上言うな」と語っていることは間違いない。
スラは慌てて手を振ると、逃げ出すように部屋を出てロビーまで歩いていった。
ロビーに置かれた灰緑色のソファーに腰掛けながら溜息を吐く。
嫌な連中と付き合う羽目になったと思う。
先ほど三人に見つめられた瞬間、とにかく怖かった。こいつらはその先を言えば本気で自分を殺そうとするだろうとわかったからだ。
勿論、スラ自身も警告されなくたって言う気はない。
クーが陽春龍で、アイゼンがパンツァーで、シホがスナイパーだ、などと。
要約するとたったそれだけの事実だが、お互いに隠し続けている事実であることも知識として知っている。
言わなければ近づけない距離というものはあるが、それは本人達の問題で、赤の他人であるスラが言うべきことではない。
それに、下手に事実を知れば壊れてしまう関係もあるだろう。
とはいえ、できれば三人にはお互いのことを知ってもらいたいともスラは思う。あの三人が手を組んでくれるなら、それだけでクーの危険は減るだろう。
だが、そう上手く事が運ぶものではない。
何故なら相手は"狂気"なのだから。
世界に干渉する力を持つ者達の力は強大だ。
実際、"狂気"と対なすスラの主人"歪み"も、今回の件でこの世界を管理している存在に助力を願ったに違いない。でなければ、スラと竜がこの世界に入れるはずもない。
劫の時は、世界を渡る力があったが、スラの体にはそれを自由に行使することができないよう制限がされている。これもきっと、スラが逃げないようにという主人の思惑だろう。
(最悪)
一人、こんなに沢山の秘密を抱えると辛いなと思いながら、スラは腰を上げてトイレへと向かった。
スラの鼻に、あの敵の匂いが届いてきたからである。
トイレには辺りを警戒するような姿の男が居て、スラを見た瞬間、なにやら気まずそうな顔をした。
「おいそこの糞汚いおっさん、悪いことやるなら別の病院でやんな」
「なっ!?」
驚いた男がスラに向かって襲い掛かってきた瞬間、スラは男との間合いを詰めてその首を叩く。
あっさり倒れた男の意識が無いのを確認すると、看護婦を呼ぶ。
「なんか変なおっさんがいる!!」
その言葉で、すぐに看護婦達がやってきて男を解放する傍ら、荷物を確かめた看護婦が悲鳴を上げる。
まだ動いていないとはいえ、彼女にしてみればドラマの中でしか見たことがない時限爆弾が入っていれば、それは驚くだろう。
阿鼻叫喚とするトイレの中で、ただ一人スラだけが、静かな表情で立っていた。
あんな竜人の娘を護るためにここまでできる自分が嫌いだ。オレも、"有形の奴等"みたいに自由に生きたい。
そんな事を考えながら左腕の手首に右手を立てると、少し温かくて気持ちよかった。
またも警察の事情聴取を受けたスラは、すっかり時間をとってしまい、ロビーで待っていたアイゼンに睨まれた。
「やー、すんません。ちょっと警察の事情聴取で時間かかっちゃって」
笑ったスラに、アイゼンが眉間に皺を寄せる。
「面会時間内に帰ってこねぇと思ったら、そんな理由か。何があった」
「んー。ちょっと爆弾テロでも起こそうかなって思ってたらしいおっさん見つけたから撃退しといただけ」
そう言ったスラの腕を怪訝そうに見ながらアイゼンが尋ねてくる。
「怪我でもしたか?」
スラは苦笑して首を横に振る。
「あんなおっさんごときに、オレはかすり傷一つ負わされませんよ」
実際、あの男には何もされなかった。される前に昏倒させたのだから。
すると、アイゼンがスラの手首を掴んでリストバンドを強引にずらす。その下から真新しい切り傷が現れたので、アイゼンは少し言葉に詰まったようだった。
「……大切に使うんじゃなかったのか? 体」
その言葉に、スラは自分でも嫌になるほど酷い笑みを浮かべる。
「あぁ、そうですね。彼女のためにね。以後気をつけますよ」
ぞんざいに言い放ってアイゼンの手を振り解くと、スラはクックと笑った。
「そうだ、オレはQue Van The Ealithを護るモノだ。うん、そうだ。所詮、そんなものだ」
クーを護るという自分の存在意義、それは分かっている。分かっているが、受け入れられない。
だから腹が立つし、クーが嫌いでならないが、その思いは感情として表すことができない。
そういう風に造られていることを、スラはすでに何度も実感して、その度に心の中で泣いてきたのだ。
独り言のようにブツブツと繰り返しながら笑うスラの肩をアイゼンが掴む。
「そんなにクーを護るのが嫌か?」
的に見事命中した言葉に、スラは大声で笑う。狂ったように。
「ソレは許されないんですよ、アイゼンの旦那! ソレを考えたらオレはすぐに切り替わる! オレはそう造られてるんです、個人的な感情なんてオレの主人の意思に背くならばいらないんです! だからオレはすぐに切り替わる! ほら、この通り!」
言った瞬間、スラの狂気じみた笑顔が、人好きのするものへと戻った。
もう、慣れてしまったこの感情の切り替わりは、逆にスラへと空しい笑いを与えてくれる。
所詮そう造られたという事実を如実に語り、スラが自由ではないことを明確にしているから。
「そんな驚かないでくださいよ、旦那。昼間も見たでしょ?」
ニコニコと笑ったスラに、アイゼンは怒ったような顔をした。
どうも、スラの状況を察して怒ってくれているらしい。スラをこんな風に造った主人に対して怒りを覚えているのかもしれない。
だが、それは良い迷惑だ。憐れまれたところで、何かが変わるわけではないし、アイゼンが何かをしても、主人の意思がなければスラは変わらないのだから。
「オレの主人に手を上げないで下さいね」
「何故?」
「とりあえず、彼女が排除されなくなるまでは、旦那に怪我されたら困るから。それに、できればオレの主人に会わないで欲しい。会ったら、もしかしたらあんたは主人を殺すかもしれない。そうしたらオレも死ぬ。自分勝手と笑ってくれて良いけど、彼女を護るために生まれて役目が終わった時に死ぬとわかっているオレでも、死ぬのはちょっと怖いから」
本当に死にたくない。
死んだら、また竜を一人ぼっちにしてしまうから。否、竜はきっと主人の傍に残されるだろうから一人ではないだろう。
そしてまた、何かの機会に造られる、劫やスラの後の形の相棒として、どこかの世界へ送られるに違いない。
その時、また竜は名前を失って別の形になって、そして劫やスラの記憶を持つそいつに名前を呼ばれない悲しみで泣くのだ。
クーが死ぬよりも、自分が死ぬよりも、スラにとっては竜が泣くのが悲しかった。
歩き出したスラは鼻歌交じりに空を見上げる。アイゼンもつられて空を見る。
空に浮かんだ月はまん丸で、記憶の中の様々な満月をたちどころに蘇らせてくれたので、もっと綺麗な満月をスラは思い浮かべる。
だが、スラになって、この世界の時間で二日と少しが経ったばかりのこの体には、今見ている満月こそ、初めて見た最も綺麗な満月だった。
後何回、満月を見られるだろうと思ってスラは可笑しくなる。
「満月って生まれて初めて見ました。綺麗ですね」
別に返答を求めたわけでもなかったのだが、アイゼンは無言で頷いた。
その後、適当に外で食事を摂った二人は、クーのアパートへ戻った。
アイゼンは用事があるとかなんだとか言って部屋を出て行ってしまったので、突如一人になったスラは、部屋の隅で膝を抱えた。
もう何も考えたくないのに、頭は自動的に、クーを護る為にこれから何をすべきかを具体的に考えていく。
そんな自分が怖くて、相棒竜に不安を話したかったが、相棒竜はクーを護るために今夜も病室に居る。
悲しくて、辛くて、スラは泣き出した。泣きながら左手を掻き毟った。
すると、暖かくて赤い液体が滲んできて、それを舐めると少しだけ落ち着いた。
たっぷり泣いて、たっぷり血を飲んだスラがうとうとし始めた頃、アイゼンが戻ってきて、血まみれのスラの腕の手当てをしてくれた。
警戒しながらも、スラの身を案じてくれるアイゼンの様子がおかしてく、スラはまた笑った。


それから二ヶ月が過ぎた。
シホとアイゼンもお互いの正体を明かすことはなかったが、影ではスラと繋がってクーを助けた。
シホは勿論、スラにも表向きの仕事があったので、二人がいない時は、いまだ名前をもらえない竜と、暇人らしいアイゼンとがクーを護った。
クーが撃たれて二ヶ月と少し。
やっと退院許可が出たのを期に、スラはクーを防犯設備が徹底されたビルの一室に住まわせることにした。
アパートの方は、危険性が多々あったので引き払ったのだ。
戻りたければ、排除の手が消えた後に戻れば良いと言ったが、クーにはそこまでして戻りたいという意思がないようだった。
クーの新しい住居は、要人さえ利用するというホテルで、全ての窓ガラスは二重の防弾ガラスで出来ているという徹底振りである。
おかげで、この部屋を借りるために相当金を使い込んだし、ホテルの信用を得るための時間もだいぶ使った。
しかしその金も、クーを"狂気"から護るために与えられているものであったし、すぐに使った分だけ稼いだので問題はなかった。
どうせそのうち死ぬと知っているスラには、金など何の価値もない。
「どこから金が出ているんだ?」
急に尋ねてきたクーの言葉に、スラは今更それを聞くのかと思って、隣に立った女を見下ろす。
この二ヶ月間、クーは金の心配を何一つしていないようで、ちっとも聞いてこなかったからだ。
「んー。オレとあんたはスラム育ちの、言わば家の無い子どもだった。で、途中で生き別れになったんだが、オレはその後、運よく入った孤児院で勉強できて大学を卒業。株取引で大金を稼ぐようになり、今ではそうやって溜めた金で、ちょっとした企業の頭にさえなってる。だから金がある。な、悪くない話だろ?」
つまらない答えだなと思いながら答えると、窓の外を見ていたクーが溜息を吐く。
「私の存在より、貴様の存在の方がよっぽど世界のほころびとやらを広げてる気がするぞ。よく死なないな」
棘のある言葉にスラは笑う。
今だに、ほころび説を信じてるクーが滑稽だと思ったし、この世界の管理者が許してくれているのだという自信も相まって、おかしくなる。
他人のため死ぬために護られる。
なんだか悲劇のヒーローのような状況で、美談のようにも思えるが、当人であるスラにとっては悪夢でしかなかった。
「だって、あんたを護るためにオレは死ねないんだから仕方ないだろう」
笑いながらスラが左手をかじると、クーがスラの右手を掴んだ。
「やめろ、最近特にひどいぞ」
笑うスラにクーは困惑したような顔を見せる。
クーが、過去の不幸を引きずって自傷行為をしていたが故に、スラの行動を止めることができないことを、スラは知識として知っている。
だが、クーを護ると口にする度、クーを護る度、自分の存在のつまらなさに苛立ってやってしまうのだから仕方ないと、スラは思う。
一方でこれが甘えなのだということも、スラは薄々勘付き始めていた。
二ヶ月近く前、自傷行為をしたスラを見て、アイゼンがスラの主人に怒りながら手当てしてくれた。
この行為が周囲の者を心配させて、スラに少しでも優しくしてくれるとわかると、自分のことながら飽きもせずに繰り返すようになった。
特に良いのは、クーに対してなら、目の前で掻き毟ること。それも常軌を逸したような風に。
アイゼンに対してならば、クーの話をした後に、血の滲んだ傷口を押さえるような風に。
シホに対してならば、傷を作った後にそれを後悔するような事を吐きながら、泣いて縋るという風に。
すると彼等は優しくしてくれて、警戒心が僅かながら薄れるのがわかった。だからやめられない。
ただ、そんなスラの行為を全て理解している相棒竜の、憐れむような声は辛かった。
「癖なんだから仕方ないじゃないか」
そう言いながら、スラは面白い冗談を思いついて口にする。
「なぁ、そんなに心配してくれるならさ、もっと別のストレス解消法を教えてくれよ」
悪戯な声でそう言ったスラの顔を見てクーが小首を傾げる。何を言っているのかわからないようだ。
「例えば、あんたを抱かせてくれるとかだよ」
そう言ったスラの頬を、クーが力いっぱい叩いた。あまりに力を入れすぎたせいか、クー自身もかなり痛かったらしく、赤くなった手を左右に振る。
クーが昔、陽春龍だった頃、家族から性的虐待を受けていたこと、生きるためとはいえ家から逃げ出してからも暫くはウリをしていたことも、スラは知識として知っている。
だから、そんなクーの過去を想起させるようなことを、今までは言わないできたが、今日は言ってしまった。
どうしても、今日だけは我慢できなかった。
「冗談だよ。オレ、あんたのこと嫌いだもん」
クックと笑ったあと、スラはいつもの人好きのする笑みに切り替わる。
初めて、スラはクーを嫌いだと言えた。いつもなら、言う前に切り替わるというのに。
笑いながらキャビネットから外套を取り出して羽織る。時節柄、そういうものはいらなかったが、格好つけたかった。
スラは一度深呼吸してから、普段とは異なる言動ばかりを繰り返すスラを疑うようなクーに振り返る。
「ちょっと外へ出ないか?」
相棒竜を箱へしまい、それを片腕に抱えたまま、はんば強引にクーを外へ連れ出す。
箱の中から竜の声がした。その声に心の中で答える。もうすぐ来る「その時」を考えながら。
暫く歩いてから、竜の言葉に促され、傍らを歩くクーに尋ねる。
「なぁ、こいつの名前決まった?」
「まだ」
「決めろよ、もうこれで終わりなんだから」
「へ?」
言った直後、発砲音が街に響く。近い。
スラは覚悟を決めて口を開いた。
「今から組織から足を洗おうとして追われる男がこっちへ向かってくる。その銃弾がお前の心臓を抉る。でも、安心しろ。銃弾に倒れるのはお前じゃない、オレだ。やっと再会できた生き別れの妹を護って撃たれて死ぬ兄、美談だろう?」
クーが目を見開くと、その赤い瞳にスラの姿が大きく映し出されたので、スラは顔を逸らす。
この事は、アイゼンにもシホにも先に話してあり、今もここからは見えない場所で万が一がないように見張ってもらっている。
とはいえ、これを話すと、何故か他人は憐れむような眼で見てきて、その憐れみ方が自傷行為の比ではないので、さすがのスラにも耐えられなかった。
「もしもの為に、アイゼンの旦那達にも協力してもらってるとはいえ、やっぱり怖いな。死ぬのは」
「わかってるなら、なんで出てきたんだ!」
「……あんたには話してなかったけど、ほころびが戻る瞬間あんたが死ぬ。これは避けられない。それを避けるための生贄としてオレの命がある。で、そのほころびが戻る瞬間がもうすぐ来るんだ。これを逃したら、次にいつやってくるかわからない」
そう言ったスラの体が震える。
死ぬのは怖いが、何より、こんなくだらない嘘を最後まで信じ込ませなければいけない、自分の役割が腹立たしくて震える。
「大丈夫、オレが死んだらあんたに遺産が渡るように手配してあるし、会社のゴタゴタとかないようにやってくれるよう良い弁護士を用意してある。あの弁護士は安全だ」
「いつから、今日死ぬと?」
震える声でクーが尋ねてきたので、スラは笑った。
「三週間前」
思い返すと、その頃スラの主人から届いた"狂気"の言葉に、スラは絶望した。
三週間後の今日、スラの死が訪れることは間違いないという、最終通告だったのだから、絶望しないはずがなかった。
それ以来スラの自傷行為と自嘲癖が酷くなったのは、誰の目からも明らかだったに違いない。
「なぁ、ちょっとでも同情してくれるならさ、名前を三つ……否……二つで良いから考えて欲しいんだ。こいつと、オレの主人の名前。オレ達には名前が無いから、名前をつけてくれることが一番嬉しいんだ」
自分で吐いたその言葉にスラは僅かに笑う。
確かに名前は欲しい。だが、三つと言ったところが曲者だった。
主人の名前が欲しいと言った瞬間、主人が名前を得るために、あえて竜に名前を与えずクーに名前をつけさせるよう促させたことを悟ったからだ。
怒りに震えるスラの手をクーが握ってきたので、スラはその手を握り返す。
少し強く、できれば相手に苦痛を与えられるように。でも、失敗したようだった。クーを傷つけないように力が制御されるのも、スラの機能だった。
「あぁ、わかった。三つ考えてやる。だから、もう少しだけ待ってくれ」
「早く頼むよ」
言いながら歩き出したスラに、クーは頷いて静かについてくる。
更に歩いていくと、銃撃の音が近づいてきた。敵である"狂気"を察する時のあの嫌な匂いがきつくて、鼻の奥を傷める。 「さぁ、あと少しだ。あと少しでほころびの終わりがやってくる」
言った刹那、発砲音が複数響き、腕に持っていた竜が箱ごと砕けた。スラも銃弾を受けながらクーを押し倒して盾になるよう覆いかぶさる。
次の一秒には銃声が豪雨のように、最初の発砲音の当たりに降り注いだのが聞こえた。その音からして、アイゼンとシホに違いなかった。
銃声が止んだのを確認したスラは、クーの上からゆっくりとズリ落ちる。もう、機敏に動くことはできそうにない。
「あは、は、痛くって、死ぬんだな」
痛みよりも、恐怖よりも、怒りよりも、腕の中で砕けた青銅製の竜の悲鳴が辛くて涙が毀れる。
それでも使命を果たさなければならない。
クーは護った。あともう一つ。主人の名前を得なければ。
「名前をおくれ、名前を。どうかオレ達に名前をおくれ」
(主人はよほど名前が欲しいらしい。オレにこんな猿芝居をさせるほどに)
哀願する自分の声に笑いたかった。
僅かな間の後、クーがスラの手を握りながら耳元で三つの名前を囁いた。
「最初が竜の名前、次があの胡散臭い奴、そして最後がお前の名前だ」
クーの言葉にスラは一瞬驚いてから、笑う。初めて、心の底からの笑顔を竜以外に向けた。
たとえ主人の命令だったとしても、何もクーが知らないで付けたのだったとしても、その名前はスラにとって最高の名前だった。
竜の名前も、スラ自身に与えられた名前も。
あぁいう言い回しをしたのだから、主人と竜の名前しか考えないに違いないと思っていたので、スラの名前まで考えてくれたクーの優しさに、初めて心から感謝したというのもあった。
心底嬉しくて、自分の名前をかみ締めながら、スラは逝った。


『"リヴェル・アド=リビトゥム"か。良い名前をもらったな』
時空を渡りながら、"護雅"と名付けられた竜は呟いて、スラが最後まで首から提げていた首飾りを見る。
クーは優しい少女だったなと思い、少し優しい気持ちになったが、同時に、無知のために"歪み"に名前を与えてしまったことを悲しく思う。
"護雅"が戻ると、山犬の少女を見送り、"気紛れ"に用事を頼んだ"歪み"が出迎えた。
「お帰り。よくクーを護ってくれたね。それと、私の名前をもらってきてくれてありがとう」
満面の笑みの主人の中へと、首飾りと、写真と、主人の名前と、それから相棒の魂を投げ込む。命令だから仕方なかった。
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!! やっと得たぞ!!! 私の名前はWerseevaだああああああああああああああああああああああああああ!!!」
名前を得た主人が、本性たる巨大な竜の姿となって、狂ったように笑いながら己を"場"へと縛る鎖を引きちぎり始めた。
こんなモノを自由にするための名前を考えてしまったと知ったら、あの少女はどう思うだろうと思って、"護雅"は寂しい顔で俯いたのだった。

キャラクター提供元 :alioth



最終更新日 2005/05/13
感    想 皮肉屋だけど腰抜けなスラは凄い好きな子の一人です。
        とはいえ、この回だけの参加という、とっても短命な子。
        でも、レーネさんと共著した物語の中で再登場かも?