鈴の音と共に連れ去って

月詠 鏡

 

終業のチャイムが鳴ると、彼は同じ制服の友人達に別れを告げて、ふらりと学校を出た。
見上げれば、そこには超高層ビル群が立ち並び、ガラス窓には青い空が映りこんでいる。
おだやかなものだ。
少年はそう思って、雲ひとつない青い空を、何もかんがえてなさそうな顔で見つめる。
このままで良いのだろうか。
家に帰れば、母が夕飯の仕度をしながらお帰りと言ってくれるし、父も仕事から帰れば人生の先輩として良い相談相手になってくれる。
学校には親しい友人もいるし、町は平穏そのもので、全てが良いとは言えなくても、生きるのに不自由はない。
だが、この町を一歩出れば、世界中が戦争をしている。今この瞬間に、誰かが殺されている。
少年にはこの暮らしに幸福を感じることを好としない心の動きがあるのはわかっていた。だが、どうしようもない。
彼は学生で、ちっぽけな人間なのだから。
そう思いながら、下校の途中でよく寄る駄菓子屋へと入った。


凛とした鈴の音が店内に響く。二重に。
少年は、目の前に広がるはずの駄菓子屋の景色が一変し、どこかの趣味の悪い博物館のような周囲を見回す。
すると、やはり驚いた顔で周囲を見回していた男と目が合った。
たぶん、二十代前半ぐらいだろうが、外人らしく、正確な年齢はわからない。
一体何が起きているのだろうか、どうもこの男もわからないらしいということしかわからなかった。
「いらっしゃい。あたしはニア・オア・クレア。ここのお店番をしてるわ。さぁ、こっちへいらっしゃいな」
はっきりとした声に振り向くと、博物館の中央にあるソファに悠々と腰を掛けた少女が少年を見ていた。
ニアを形容するなら、モノクロのキツイ感じの美少女という感じで、頭の高い位置で縛った黒いストレートの髪は美しく、黒を基調とした華美な服装がよく似合っている。
少年は隣に立った男と顔を見合わせてから、どちらともなく歩き出した。
ニアの掛けたソファに、クリスタルガラス製のテーブルを挟んで、向かい合うように置かれた長椅子の、右側の隅へと少年は腰掛けた。男の方も、その左端に腰掛けている。
一体何がどうなっているのか。
少年が困惑しながら少女を見ると、どうもニアは不機嫌らしく、眉間にくっきりと皺が寄っていて話しかけ難い。
沈黙していると、ニアの方が口を開いた。
「いちおう名前を聞いておいてあげる。あなたの名前は?」
鷹揚な態度で尋ねられて少年が目を瞬かせる。
「俺ですか?」
少年は自分の顔を指差しながら問い返す。突然名前をたずねられるとは思ってもいなかったのだ。
「そう、ぼやぼや顔のあなたよ」
その言葉に少年はムッとしたが、ニアはもっとムッとした顔で見返してきた。
どうもニアは、喋り方や態度こそ大人っぽい部分があるとはいえ、自分の思い通りにならないと腹を立てる、見た目通りの子どもらしい。
でなければ、こんなに怒った顔をしている理由がわからない。
「月詠 鏡です」
諦めて答えたが、ニアの機嫌はさしてよくならなかった。
「鏡ちゃんね」
云われて、鏡と呼ばれた少年はやや顔をしかめた。
彼は今年で15歳だ。外見年齢だってそのくらいに見えるはずである。対するニアは、どう見たって10歳前後の女の子にしか見えない。
こんな相手にちゃん付け呼ばわりされることに慣れていない鏡が腹を立てても詮無いことだった。
しかし、ニアは鏡のことなど我関せずという感じで、長椅子の反対の端で溜息を吐いている男に目を向ける。
「溜息ばっかり吐いてて煩いわね。あなたの名前は?」
「陰気臭い溜息を吐いて悪かったね。僕の名前はロン=ビュンジだよ。どうせそこらへんに転がってるたいしたことのない名前だよ」
「ロンちゃんね」
言ってまたも盛大に溜息を吐いたロンという男に鏡は呆れてしまった。
自分よりもどう見たって年上の男に、ちゃん付けするニアもどうかと思ったのだが、こんなに陰気で気分の悪い男はそうそういない。
鏡自身、魅力的とか積極的という言葉よりも、ぼんやりという言葉の方が似合っていたが、陰気な奴よりは幾分かマシだろうと思った。
「僕は男なんですけどね。せめて、ロン君あたりにしといてもらいたいですけど、僕にはそういうことを言う発言権さえないんでしょうかね」
「さぁ?」
ぶっきらぼうにニアが答える。
妙に小気味の良い口ぶりに、鏡は少し楽しくなって、笑いそうになるのを堪える。
「なんだって……」
「ところで、ここはどこなんですか?」
ロンの言葉を遮って鏡が尋ねる。ロンに会話を任せていたのでは、聞きたいことも聞けないと思ったからだ。
て立ち上がろうとしていたロンは、出鼻を挫かれたような顔で座りなおして、別の言葉を口にする。
「どうせ、あの魔女の悪戯なんでしょう。今年は自分の店にまで魔法をかけたのかな。だいぶ若返ってるけど、ニアさんだっけ? 貴方本当は魔女なんじゃないですか?」
魔女というのはたぶん何かの形容だろう。外国人だから、変わった言い回しをするのかもしれない。
「ここは異世界よ。鏡ちゃんの入ったお店でも、ロンちゃんの入ったお店でもない。帰ることはできるけど、帰り道はただいまお散歩中」
異世界?
鏡は自分の耳を疑って聞き返そうとしたが、それよりも先にロンが叫ぶ。
「あぁ、とうとう魔女の国に連れてかれて、すっかり騙されて殺されてしまうんだ!!」
取り乱して、かっこ悪いな。本当に俺より年上なのか、こいつ。
ロンの様子を見て、鏡は軽蔑するような声で言い放つ。
「確かに馬鹿にしたような喋り方は魔女みたいだけど、いちいち泣き喚かないでください。耳が痛くなります」
またも何か泣き叫ぼうとしていたロンを無視して、ニアは笑った。
「鏡ちゃん、あなたのこと気に入ったわ! 星座占いをしてあげましょう。あなたはそうねぇ……瀕死の五つ目座? それとも嘆きの猫ヒゲ座? わかった、笑う額座ね!」
上げられた星座に、鏡は苦笑する。まるで子どものお遊びのようだ。
「なんですか……それは。俺の星座は山羊座ですよ」
鏡の言葉に、ニアが溜息を吐く。
「あら、それじゃあダメね。あたしの星座占いとは違うんじゃできないわ。あ、それなら血液型占いをしてあげる! ドロドロ熔岩型? サラサラ大洪水型? ネバネバ泥沼型?」
これまたすごい名前だが、鏡の血液型はそのどれでもない。
「えっと、俺の血液型はRh(+)のO型です」
「これも違うの? あなたダメね。あたしの占いと相性が悪いみたい」
残念そうに俯いたニアは、ふと何かに思い当たったらしく顔を上げる。
「そうだ、あたしのとっておき、顔占いをしてあげる。あら、あなた、額に第三の目がないわ! この占いには、第三の目と他の目との間の皺や黒子が大きく関係してるって言うのに!」
「普通の人間には目は二つですから」
額を押さえて溜息を吐いた鏡へと、ロンが同情の眼差しを向けている。
「じゃあ、占いはやめ」
そう言って溜息を吐き、ニアが頭上を見上げる。鏡もつられて上を見上げた。
鮮やかなステンドグラスがはめ込まれた天井から、ワイヤーで吊るされているのは竜の置物だ。
ふと、竜と目が合った。ありえないはずだが、確かに鏡は見た。
竜の澄み渡った青い瞳に、共感と憐れみと悲しみと、そして侮蔑が、刻々と移り変わる空のように映し出されたのを。
まるで、いつか見上げた空のよう……。
「大きな鯨だな……まるで生きてるみたいだ」
ロンの呟きに鏡は竜から視線を逸らせずに反論する。
「竜だろう。よく出来ているが」
よく出来ている。その感情さえ伝わってきそうなほど。だが、どこをどう見ても鯨とは似ても似つかない。確か鯨には、あんな鋭い牙はなかったはずだから。
「あれは鯨だって」
食い下がらないロンに、鏡は溜息を吐いて沈黙した。
特に喋るのが好きというわけでもなく、見ず知らずの年上の男相手に口論する気もないからだ。
会話が途切れると、たまりかねた顔でニアが口を開く。
「何か食べる? 一応、ここは食事処みたいなものだし。今日はあたしが奢ってあげましょう」
問われて二人は天井から視線を下ろしニアを見た。
鏡としても、駄菓子屋に寄ったのは、小腹に入れるお菓子を買う予定があったからで、貴重な小遣いを使わないで済むならそれに越したことはない。
欲を言うなら、美味しいお茶と、つまめる程度のお菓子が良かった。ただし、菓子パンやシフォンケーキみたいにもそもそしたものは、それほど好きでもないので遠慮したい。
「良いんですか? まぁ、どうせ僕は見かけ通りそんな大金持ちってわけじゃないですし、貧相に見えるでしょうが……」
「確かに少し腹が減りました。できればお茶と何か……」
『<――私の注文通りに、そのままに、有形の男達が思い浮かべるままに、そのままに、有形の男達の願通りに、そのままに、私の言葉の通りに、そのままに――>』
どこの国の言葉なのだろうか、それとも意味はない適当な言葉なのだろうか、二人の言葉を遮るようにニアが言葉を吐く。
すると、今まで何もなかった彼女の手の中に、四つ折りにした白い紙が現れた。手品の一種なのだろう。
ニアは傍らに置かれた、文鳥らしい良く出来た置物の顔の前へとその紙を向ける。
途端に、鳥は動き出して紙を咥えて、店の奥へと飛び去ってしまった。
「竜の置物が動いた!?」
ロンの叫びに鏡は驚く。どうもこの男には、竜の置物が鯨で、小鳥が竜に見えるらしい。
「小鳥だろう。置物のように見えたのは確かだが」
静かに止まっていたので気付かなかったが、たぶん生きていたのだろう。きっと、よく躾のされた頭の良い鳥に違いない。
「いいや、竜だった。間違いなく竜だった!」
引き下がらないロンの言葉にカチンと来る。どうも、この男とは相性が悪いようだ。
「しかし……」
「うるさぁぁぁぁぁぁぁぁいいいいい!! いい加減にしろぉぉぉぉぉっ!!」
鏡の言葉を遮り、バシンッとテーブルを叩いたニアに、二人は驚いて振り返る。
そこには、今日一番の不機嫌顔と思われるニアが立ち上がっていた。
「あのねぇ、あんた達いちいち煩いのよ。二人とも別の世界から来たんだし、別のものに見えてもおかしくないでしょうが!?」
煩かったのは認めるが、その七割ほどは間違いなくロンの方だと鏡は思った。
それにしても、ニアの口ぶりからして、本当にここは異世界だとでも言うのだろうか。確かに、現実にこんな場所があるとは思えないし、夢というには感覚が鮮明だ。
とはいえ、異世界だからという理由で、見えているものがこうもはっきりと違うものなのだろうか。
それとも、鏡には鳥に見えるものを、ロンの世界では竜と言うのだろうか。
ロンさえも沈黙していると、ニアは据わりなおしてから口を開いた。
「ところで、あなた達、なんだかとっても不幸そうなそうでもないような微妙な感じなんだけど。どっちかはっきりしてくれない?」
そんなに不幸そうな感じだったろうか。
ぼけっとして、何を考えているかわからない顔というのは、時々言われるので気にはしているが自覚もしている。しかし、不幸に見えるとは初めて言われた。あまり良い気分ではないが。
「見ればわかるだろう! 僕は不幸なんだよ! 魔法をかけられてね!」
「魔法?」
ニアが不思議そうに聞き返す。鏡も、魔法という言葉が不思議でロンを見た。
「魔女じゃないの?」
「……違うわね」
含みを持ったニアの言葉が気になったが、魔女ではないと言われて、一瞬、戸惑ったロンの方が不思議だった。どうも本気で魔女だと思っていたらしい。
すると今度は、まるで見下したような嫌な顔でロンは口を開いた。
「じゃあ、君みたいに小さな女の子にはわからないかもしれないけど、僕は魔女に魔法をかけられたんだ。なんでもかんでも悪くしか考えられないようにね。その魔法の副作用に違いないけど、友達連中も次第に減ってきて、家族にまで煙たがられて……」
「まぁ、そんな嘆いてばっかりの性格の相手と付き合ってたら、誰だって嫌になるわよね」
ロンが話し終わる前に、ニアはざっくりとロンの話を切った。
そのあまりの切れの良さに、鏡は胸がすく思いになる。
何せ、ロンときたら、口は溜息を吐くか、陰気なことを言うか以外の使い道を知らないような感じだったから。
衝撃を受けたらしいロンが、ニアを指し示して怒鳴り散らす。
「君まで僕を馬鹿にするのか! やっぱり君は魔女なんじゃないか!?」
「なんとでも言いなさいな。それより、せっかく美味しそうな食事がきて、あたしがご馳走してあげるって言ってるんだから、ありがたく食べなさい」
言いながら、店の奥から戻ってきた小鳥の首を撫でるニア。
小鳥に促されるように、ウエイター風の男が、料理の載ったカートを押してやってくると、次々に料理を置いていく。
鏡は声が出ないほど驚いてしまった。
お茶を美味しそうな匂いだし、更に盛られたサンドウィッチやクッキー、その他にも軽食の部類の料理は、どうも鏡が頭に浮かべた物のようだ。しかし、それはどうでも良い。
むしろ鏡が気になったのは、それらの料理を置いて行く男の方だ。
男はどこからどう見ても人間なのだが、首から上が羊なのである。それも、黒い毛に紫の瞳の、制服店に張られていたポスターでしか見たことがない珍しい羊。
「羊……」
「羊だな……」
珍しく意見が一致したロンと顔を見合わせる。どうやら、これはロンにとっても羊らしい。
「えぇ、この仔は羊さんよ」
にっこり笑うニアに二人は視線を戻す。
「やっぱり羊なんだ。ってか、なんで羊?」
「趣味、なんだろ」
ロンの呟きに鏡が答える。たぶん、ウエイターの趣味に違いない。だいぶ変わってはいるが。
「むしろあたしの趣味よ。羊って可愛いじゃない。あ、ちなみにこの羊も、天井の仔も、みんなあたしの従者よ」
心の声が聞こえたようなニアの言葉に、鏡は少しドキリとした。
ニアが指し示すと、羊と言われたウエイターが軽く礼をし、天井の竜もわずかに身じろぎする。
ワイヤーで吊るしてある竜が、まるで生き物のように身体をくねらせたので、これにはまたも驚いてしまう。
「動いたっ!?」
「動力は一体……」
「それとこの仔は、従者と一括りにしないでね。あたしのパッセンジャーだから」
特別贔屓にしているらしく、小鳥の頭を撫でるニアの微笑みはとても愛しそうだ。
紅茶のカップを傾けて、二人の質問を無視するニアに、鏡は諦めてお茶を飲む。
それに倣うようにロンもミルクティーを飲んだかと思うと、何故か眉間に皺を寄せ、飲み終えた直後に顔を輝かせた。
「こ、これはっ、僕に魔法をかけた魔女の入れてくれるミルクティー!!」
もう、何が起きても、夢として受け入れよう。
だが、普通は魔法をかけた相手に、敵意こそあるものの、相手の出した飲み物を飲むという馬鹿がいるのだろうか。
「魔法をかけた魔女の入れるお茶を飲むのか? 勇気があるというか、なんというか」
呆れ顔の鏡の突っ込みに、ロンが睨んでくる。
「それとこれとは話は別。このミルクティーは手放しに美味しいんだよ! って、キョウさん、そんなにひかないでください!! あ、わかったぞ!! 男のくせに甘いミルクティーが美味しいとか思ってる僕を馬鹿にしてるんだな!?」
一人勝手に騒ぎ出したので、たじろいだだけだったのだが、それは別の意味でとられたらしい。
鏡は訂正する気も起きなかったので、そのまま視線を逸らす。
「…………重傷だな」
「本当ね」
溜息を吐いた鏡に、ニアも小さく頷くと、意思の強そうな黒い瞳が鏡を映す。
「それで、鏡ちゃんの不幸は?」
突然、話が切り替えられたので、鏡は少し慌てて考える。
そもそも自分は不幸なのだろうか。先ほどもニアは自分のことを不幸そうに見えると言ったが、不幸だとは思えない。
「不幸と言えば不幸なんでしょうか? よくわかりません」
ある意味では、こんな夢を見ている自分というのは不幸かもしれない。
「まぁ話してみなさいよ。それを決めるのはあなたじゃないんだから」
「? 意味がわかりませんが、話しましょう。こうしておごってもらってるわけですし」
実際、これだけ美味しいお茶を出してもらって、お礼を言うだけでは何か悪い気はしていたので話すことにした。
「ありがとう」
にっこり笑ったニアの顔は、とても魅力的な笑顔で、鏡は話し出すまでに一拍置いてしまった。
「……俺の住んでる町はとても平和で、なんというか、嵐の目の中みたいな感じなんです」
「嵐の目? じゃあ、周りは平和じゃないっていうのかい?」
ロンの突っ込みに頷く。
「そうです。世界中に争いが起きていて、こうしている間にも沢山の人が殺されているんです」
「そんな馬鹿なっ」
「黙って聞きなさいな」
更に言葉を続けようとしたロンを止めるニアに、心の中で感謝しつつ鏡は話を続ける。
「俺は、そういう世界で、幸せな家庭に暮らしています。でも、本当はすぐ先の町や別の国では、俺と同じぐらいの歳の子どもが殺されたり、殺しをしているっていう事実があるんです。俺の生活が手放しに裕福で幸福ってわけでもないですけど、そういう人たちから見ればよほど幸せじゃないですか。そう思うと、俺はたまらなくなって、自分が幸せだと感じる資格がないように思ってしまうんです」
「戦争に巻き込まれてないなら幸福だと思って良いじゃないかっ」
話し終えたところへロンが口を挟んできた。その言葉はとても全うな考えだし、鏡の周りの友達もそう言っていた。
鏡は無意識に小さく笑う。
「そうかもしれません。でも、できない。それが俺の不幸です」
言うと、ニアが溜息を吐いた。
「なんていうか、こういう言葉知ってる?」
呆れ果てたような声に振り返ると、ニアが間髪いれずに言い切った。
「他人の振り見て我が振りなおさず。今のあなた達にぴったりでしょ?」
とたんに、ロンの顔色が赤くなっていく。まるで茹で蛸みたいだ。
「僕はどんなに幸せな場所にいても、不幸だとしか思えないようになったんだから、僕の方が不幸に決まってるじゃないか!!」
「じゃあ、俺は不幸じゃないっていうのか?」
そう言ってから、冷静な部分で、自分は不幸だと思っていたのかと驚く。
「そうじゃないけど、僕よりは不幸じゃないよ!!」
「馬っ鹿じゃない。そんなくだらない理由で不幸だと喚き散らして、二人ともみっともないと思わないの?」
ニアのこれまた耳に痛い言葉に、ロンが鏡を指差す。
「じゃあ、僕より不幸な奴がいるってのかい? それとも、キョウ君の方が不幸だというのかい?」
「それは、俺も聞きたいな」
本当に聞きたいわけではなかったが、頭に血が上り始めていた。
「あんた達よりも不幸な奴がいるか、ですって? じゃあ端から順に教えてあげるわ。あの胡散臭い絵、額縁が汚れてるでしょ? あれは、ある女に恋した少年が、実の兄とその女が婚約すると知って、兄を殺してしまった時に出来た跡。その後の少年は獄中で自殺してしまったわ」
言われてみると、古い額縁には赤黒い斑模様ができている。
ロンが暗い顔をして目を逸らした。恋愛ごとで何かあったのかもしれない。
「あの変な器は、戦争で恋人を亡くし、仲間に裏切られた少年の心で、棺にみせた木箱に入ってたそうよ。男はその後、誰も信じることなく、戦場を駆ける人殺しになったそうよ」
鏡は顔を曇らせる。
幸福な町にとって、その中で生きながら不幸を感じる鏡は、一種の裏切り者なのかもしれない。
「あの白い像は、別の戦争で恋人と親友を亡くした男が、彼等を生き返らすために罪を犯した成果。男は神を冒涜したとして処刑されたわ」
どんな罪を犯したのだろう。
ただ、争いで奪われた命ほど、怒りのやり場がないことは、噂に聞く町の外の惨状を聞いて理解していた。人は、それほどに大切な人を亡くすと狂ってしまうのだろうか。鏡にはまだわからなかった。
「あの気味悪い鉢は、昔自分を捨てた親を殺した女の使った凶器。女は自分の罪を悔いる旅に出て、瞳から光を無くしたわ」
親殺しの大罪も、町の外には多いと聞く。それは、敵味方というだけでなく、育てられなくなったとか、一家心中とか、食い物の取り合いとか。人は切羽詰るとそれだけ醜くなれるらしい。
自分の両親のことを思い浮かべる。あの二人も、戦争に巻き込まれたらそうなるのだろうか。
考えたらゾッとして、鏡は頭を振った。
「他にも、ここにある物の殆どに不幸な逸話があるけど、全部話すのは面倒だからやめとくわ。あら、嫌な顔。自分が一番不幸じゃないと嫌って顔ね。あはは、馬鹿じゃない?」
容赦ないニアの言葉が痛い。
確かに、一瞬でも自分が一番不幸なんだと思わなかったことはない。だからといって、それだけの不幸な話と比較して、鏡は不幸じゃないなどという結論を出されたら腹が立つ。まぁ、その結論は出ていないが、この流れならもうすぐだろう。
「不幸の価値を測ることなんて、誰もしないのに、それをしようと言うの? 不幸の価値を測るってことは、そいつの一生を最初から最後まで検分して、なおかつ他者の一生と比較しても、明確な数値として出すことはできないのよ」
またも心の中を読まれたような気がして恥ずかしくなった。
顔をしかめると、目の前の少女は何かを想像してくすくすと笑う。嫌な気分だ。
「運命って言うでしょ? あれと同じよ。実際は、"有限の"パターンの並びの一つに過ぎない人生が、さも他者とは異なるかのように、運命なんてご大層な名前で呼ぶの」
鏡は運命なぞ信じない方だったので、この話には多少納得できたが、どうも聞かされるだろうと思ってたことから離れてきた。
「例えば、ここに五つの道がある。五つということは数えられるってことね。そしてその一本を通って、あなた達は目的地に着くの。ね、簡単。人生というのもそれと同じ。結局はどれを選ぶかであって、"無限の選択肢"でも"運命"でさえない。無限だの運命だのと騒ぐのは、沢山あるパターンを数え切れない奴等の虚言よ。まぁ、数えられる奴は、そういう無駄なことに時間を割かないものだけど」
数えたら限がないだろうとは思う。しかし、こんな話を聞いたら、占い好きなクラスの女子達は怒るだろうな。そう思って鏡はクスッと笑ってしまった。
「だって、他人の人生のパターンを数え上げていくだけの長い生を持っていることは"不幸"なのでしょう。」
言われてふと、考えてしまう。
若くして死ぬのは不幸だが、ずっと行き続けることも不幸なのだろうか。それだけ長く生きていられるなら、幸せではないのか。世の中には早死にする連中は五万といる。
「誰かがそう言ったわ。だけど、別の誰かは、不老長寿だと言って羨ましがった。結局は、"不幸"かどうかなんて、数値化どころか客観的にすら測れるものじゃない。」
そういえば、妻に先立たれた近所の爺さんは、とても寂しそうだったのを思い出す。長生きは良い事ばかりでもないのかもしれない。
そうなると、本当の幸福だの不幸だのというのは、なんなんだろう。やはり自分は不幸ではないのだろうか。
「それをウダウダ言うなんてみっともないと思わない?」
確かにみっともない。女の子に泣きながら怒られると、余計にそう思えた。
「それでもあなた達のどちらが不幸なのか調べたいなら、自分達が辿ってきた人生を、産まれるより前から、親の代から、あるいはもっと先から調べてみなさい。そして、人生の最後にどんな人生で、どれだけの不幸があったのかを、お互いに見せ合って確かめれば良い。でも、時として人は、死んでなお汚名を被って更なる不幸を重ねるから、死んだ後のことも記録しないといけないのかしら?」
死んだ後のことまで記録するって、無茶苦茶な。
「そんなことできるわけないじゃないか! だいたい、死んだらその後のことなんてわかるわけがないじゃないか!」
「馬鹿馬鹿しい。そんなこと、時間の無駄だ」
言ってから、鏡はハッとしてロンと顔を見合わせた。
自分で言った言葉が、ニアが先ほど言っていたことと同じだったからというのもあるが、"死んだその後"という言葉に何かが引っ掛かった。
誰かが昔、命は食物連鎖によって永遠に続いて行くとか言っていたことを思い出したが、それとハッとしたことの関係が鏡にはわからなかった。
「言ったでしょ。みっともないって。測ったところで意味はないんだから。それより問題なのは、性根を入れ替えて、幸福になろうと努力することじゃない? あるいは、幸福だと思えるように努力することかしら」
ニアの笑い声を遠くに聞きながら、鏡はひっかかっているものを考えつつ、今を思う。
幸福になる努力と言うが、現状では自分はとても幸福だと思う。衣食住には事欠かないし、戦争の心配もないからだ。
これ以上に幸福になると言っても、テストで成績を上げるとか、良い進学をするとか、親が自慢できる好青年になるとか、そんなものだろうか。
でも、それは結局、今の幸福に対して幸福だと感じることに不幸を感じる鏡にとっては、あまり変化があるとは思えない。
現状では、頑張っても鏡の気持ちは変えられないのだ。
「でも、僕の魔法はかけた魔女でもとけないって……」
「この現状は変えようがない」
自分で言った言葉にへこたれそうになった。
気まずい沈黙の中、突然ニアが元気いっぱいの明るい笑顔で手を叩く。
「それじゃあこうしましょう。まずはロンちゃん。あなたはその魔法がなくなるなら、どうなってもかまわない?」
「魔法が解けたら死んじゃいました〜っとかじゃなければ……」
不安そうに聞き返すロンにニアが笑う。
「大丈夫。命なんて奪おうと思って簡単に奪えるものじゃないから。それで、あなたはあたしと契約する?」
「解けるなら、勿論だともっ」
見ると、長椅子の端に座ったロンの顔は、ただ不幸を呪う陰気なものではなく、何かを決心したもの特有の強さがあった。
「そう。それじゃあ、不幸だと思わなくなる魔法をかけてあげる。ただし、副作用付。どんな副作用かはわからないけど、それほどたいしたものじゃないわ」
「それなら契約する」
ニアは立ち上がると、テーブルを挟んでロンの手を握る。急に手を握られたロンは少し顔を赤くした。
確かに可愛い子なのは認めるけど、もしやこの男、ロリコンか?
『<――愚かな魔女の言葉は無に消える、何故なら私が願うから、しかし願いに捧げる生贄は、この男そのものだ――>』
目を瞑り呪文を唱え終わったニアが、ロンの手の甲に小さく口付けると、慌ててロンは手を振り払った。
ロリコン決定。しかも、何気にシャイ。
「これで終わり。ここを出たら効果が出るわ」
「ど、どうもっ」
ニアの視線が、顔を真っ赤にしたロンから鏡へ移る。
見つめてきた黒い瞳は、新月の夜の空を思わせる深いものだ。
「次は鏡ちゃん。あなたは今の現状だったわね。でも、それは元の世界へ戻ればおのずと変わってくるわ。えぇ、おのずと」
「おのずと……」
どう変化するのだろう。何かとんでもないブームが起きて町が更に活気付くとか、この歳になって弟妹ができるとか、彼女ができるとか、そんなとこだろうか。
そう思いながら、最も大きな変化であり、可能性の一番高いものを、無意識に選択肢から排除した。
「そう、おのずと。それでも少し不安なら、これをあげるわ」
差し出されたのは、長方形の緑の紙だった。
「なんですか、これ?」
受け取り両面をひっくり返してみたが、特に何も書かれていない。ただの緑の紙である。
しいて言うならば、名刺よりもしっかりしていて、一度や二度洗濯したぐらいじゃ千切れなさそうな感じではある。
「自分の見たい夢が見られる枕とか、おまじないってあるじゃない。そういうものの一つよ。ただし、鏡ちゃんだけしか使えないわ。使い方は簡単で、それを身に付けて、眠る前に何が見たいか念じれば良いだけ」
身に付けるということは、ポケットでも可なのだろうか。というか、自分の見たい夢ってなんだろう。
鏡が悩んでると、ロンが羨ましそうな声を上げる。
「うわ、なんかそっちの方が凄いものなんじゃないかい?」
「そんなことはないわ。だって、使えるのは鏡ちゃんだけだもの」
言われて、ロンの視線が鏡から外れる。
「本当に?」
「えぇ」
ニアの言葉にロンが残念そうな顔をした。どうも、欲しかったらしい。
「でも、これが何の役に立つんですか?」
鏡には本当に使い道がわからなかった。
「例えば、町の外の様子とか、例えば、無くしたものとか」
意味深な笑みに、鏡が更にたずねようとすると、背後で鈍い音がした。
振り返ると、扉が二つ隣り合って壁にはめ込まれていた。
「あら、扉が帰ってきたみたい。二人とも、早く出た方が良いわ。扉はいつまでも壁にはめ込まれているわけじゃないから。あ、そうそう、自分の入ってきた方から出なさいね」
いつまでもない扉なんて、と思ったが、実際先ほどまで扉はなかったので、事実なのだろう。
慌てて立ち上がり扉の前へと小走りに移動する。ロンも隣を駆けてくる。
「それじゃあ二人ともさようなら」
背後からそう声をかけられたので、鏡は肩越しに振り返り軽く頭を下げる。
「ご馳走様でした」
ロンもそれに続いて挨拶する。
「ありがとうございました」
肩越しに見たニアは、愛らしく手を振っていて、やはり少女なのだなと思わせた。
扉の前まで来ると、ロンが声を掛けてきたので、鏡はそちらを見た。
最初に見たよりいくぶんか陰気さの無くなった男の顔に、鏡は勇気が沸くという言葉を実感した気がして、他人事ながら少し嬉しくなった。
「これで君ともお別れだけど、頑張って。僕ももう少し変わろうと思うからさ」
「はい。ロンさんも頑張ってください」
鏡は扉を開けて、外へ出た。背後で、来た時同様に涼しい鈴の音が響く。
振り返ると、やはりそこは駄菓子屋で、出てきた子供の腕にはお菓子が抱かれていた。
「夢、だったのか?」
ぼんやりポケットに手を入れると、何か固いものに当たる。取り出して見ると、ニアに渡された緑の紙切れだった。
それを見ながら、鏡は真っ直ぐ家へと向かって歩き出した。


「もう、二人も相手にするなんて疲れちゃったじゃない! もうちょっと真面目に仕事しなさいよ!!」
ニアが扉に怒鳴っていると、突然、凛と透き通った鈴の音が響き、豪快に扉が開かれる。
「宅配便っスー!」
「きゃあっ!」
扉に押されて尻餅をついたニアの鼻は、扉にぶつかったのか赤くなっている。
「わざとでしょ!?」
「同業者の扉が苛められてたら、やっぱり助けないといけないかと思ったんで。あしからずっス」
そう言って笑う声に、ニアは立ち上がりながら、両手を立てて威嚇する振りをしてみせた。
「なにはともあれ、荷物お願いするっスー」
「はいはい。あ、ところで、Que Van The Ealithの件で何か進展はあったかしら?」
不意に尋ねた言葉に、笑い声が止まる。
「いや、あの当たりはあまりいかないんで……。ただ、もしかすると近々"狂気"がここへ来るかもしれないっスね」
「……うそ」
「嘘なんて吐きませんよ!」
言った瞬間、店の奥で轟々と嵐のような声が響き渡ったので、扉の外の声が急に小さくなる。
「ちょっと小耳に挟んだ程度なんで、詳しいことがわかったらまた連絡するっス」
「そうして頂戴。お願いね」
「じゃ、またっス」
閉められた扉を見ながら、何か悩んだ後、ニアは荷物を拾ってクリスタルガラス製のテーブルまで歩く。
テーブルの上に荷物を置くと、上から釣り下がっていた竜が首を伸ばしてニアを見た。
「あら、珍しい。お前が高い所以外に興味を抱くなんて」
そう言って竜を一瞥した後、ニアは包みを解いた。
中から出てきたのは、一片のガラス片で、それ以外は梱包用の紙切れしか入っていないようだった。
ニアはガラス片を覗き込んで呻く。
「嫌な夢」
そこには、目の前で死んでいく少女に、緑の紙切れを握らせて、少女の見たい夢を見せようと必死になる鏡が映っていた。
ニアがガラスを取り落とすと、箱へと収まったガラスはまた別の景色を映した。
教室の中で居眠りをしていて、友人の死に顔を夢に見て叫ぶ鏡の姿。
「気持ち悪い」
ハンドカチーフで口元を押さえたニアは、箱ごと店の奥へとガラス片を投げる。
店の奥へと箱が消えるのを見たニアは、ふと上に吊り下げられた竜を見た。
「お前、あの子のこと気に入ってたの?」
天井に吊られた竜は、空色の瞳からポトリと涙を零したのだった。


それは鏡が見上げていた高層ビルのガラス片で、いつも澄み渡った青い空を映していた。
何故砕けたのか、何故鏡を映しているのか、何故鏡は苦しんでいるのか。
それを如実には語ろうとしないが、暗に示すように、彼の苦悩する姿を映し続ける。
まるで、夕暮れに向かって刻々と変わっていく、空を映すように。



名   前: 月詠   鏡
読み仮名:つくよみ きょう
年   齢: 15
外見年齢:15
性   別: 男
種   族:人間、
世   界:戦争が常に起こって居る世界の真ん中の町に住んでいる。そこは唯一戦火に巻き込まれていない町、高層ビルが立ち並び見上げる空には雲ひとつない青い空だけが広がっている。その世界は皿のように平らな世界、
職   業 :学生
飲 食 店:駄菓子屋
性   格:何時も何も考えていないような顔をしていつも何かを考えている。何かを求め探し、心からそれを望んでいるくせにそれが何からない。
不幸要素:戦争をしている国もある中で自分が幸せな家庭の中で苦しむことがあっても自分が今を幸せだと感じ同時に自分にはそういう幸せな中で暮らす資格がないと考えている。
備   考:平均より少し高いくらいの細身で黒目で髪を青く染めている。大抵はガッコから帰る途中で店などによっている。
店   主:駄菓子屋のお兄さん?
第一印象:天井より吊るされている少し前にはやった蛇のような竜の置物、目を合わせた瞬間よぎるものは共感と哀れみそして、悲しみと侮蔑


こんどTIME TO COMEの続編で出そうと思っているキャラなので
無理には使われなくてもOKです〜

キャラクター提供元 : 強化型でぃぷエモン 様



最終更新日 2005/05/06
感    想 同じ時間を共有する二人を別視点から書こうとした回。
        実はこれのニア視点バージョンも製作段階中にはありました。
        そっちは「白い大地」の裏設定満載なので出せないという落ち。