鈴の音と共に連れ去って

グルード=ワイツェルン

 

路灯が星明りを消し、今にも落ちていきそうな深い穴を思わせる夜空を、一層暗くしている。
昼間の暑さを思い出させる生ぬるい風が吹く度、寂ついた看板が軋んだ音を立てる。
町を行きかう人の顔は昼間と別物で、純真そうな女は胸をはだけ、生真面目そうな青年がウタう。
そう、今は夜、戦争で疲弊したヴァーリ国の夜だ。
そこに品性や格式を求める方がおかしいと言うものであろうと、男は皮肉な笑みを浮かべる。
まだ二十代前半だろうに、くたびれた、世の中に対して斜に構えるような雰囲気を放つ男は、毎夜見慣れたヤニ色に染まるガラス窓の通りを、確固たる意志もなく歩いて行く。
また来てしまったという後悔と、これからもこの行為は続くのだろうという諦めから、小さな溜息を吐き一軒のバーを見た。
看板には流行遅れ甚だしい色彩感覚のズレた文字で「ナイトライト」と書かれてある。
「夜の光」という意味なのか、それともマスターが元々騎士でもやっていたのか、店名の由来はわからない。
しかし男にとって、落ち着いて酒を飲めればどんな名前だろうと関係なかった。


凛とした鈴の音が店内に響く。
男は奇妙な違和感を感じて小さく驚いたが、すぐにいつもの仏頂面へと戻しカウンターへ歩み寄る。
普段ならば、そこそこ客の入った薄暗い店内には古臭い家具がいくつか置かれ、年期の入ったカウンターの向こうで初老のマスターが一瞥する。
そうして一言も話さず、お決まりのように、度の強い酒を出してくれるのだ。
いつも通りカウンター席の一番奥へ腰掛けると、男は小さな迷いを見せる。
客は疎らどころか一人もおらず、カウンターの向こうにはマスターもいない。どこか異質だ。
ふと顔を上げると、いつもカウンターの隅に置かれている置物が傍らにあった。
クリスタルで作られたソレは、台座部分から出る光で内部から発光しているように見せる代物で、数秒ごとに光の色が変わって行く、そんな代物である。
天を仰ぎ見て今にも飛ぼうとするかのように、翼を広げ直立した飛竜を象ったソレになんとなく触れてみると、光の熱のせいだろうか滑らかな表面が僅かに熱い。
一瞬、飛竜が睨み付けたように見えて、男は目を擦ったが、やはりクリスタルの彫像で動く気配は皆無だった。
男がマスターの現れるのを待つかどうか思案していると、突然カウンターの向こうに誰かが立ち上がる。
「おや、お客様がいらしてたとは気付きませんでした。すみません、ちょっとまだ寝ぼけてて」
ひょっこりと顔を覗かせたのは、見慣れない人物である。
初老のマスターと同じ服を着ているところを見ると、バイトか何かなのかもしれない。
男は驚きを悟られないよう平静を装いながら、口を開いた。
「マスターはどうしたんだ」
「ご安心下さいグルード=ワイツェルンさん。私がこの場の支配人です」
グルードと呼ばれた男は、何故自分の名前を知っているのだろうと思ったが、ここの店員だったかもしれないと考えて尋ねないことにした。
そんな胸中を知ってか知らずか、にこにこと現金な笑みを浮かべる相手は、男とも女ともつかない中世的な顔の持ち主である。
外見を見る限りではグルードと同じく二十代前半と言った風だが、声音の妙が年齢を不詳にしている。
「ところで、ご注文は?」
「……前のマスターから聞いてはいないのか?」
「前のマスター? あぁ、そうか。貴方にとって、ここは馴染みのバーに見えるわけですか。ふむふむ。そうですか。 ……貴方が普段飲んでるそのお酒はちょっと度が強いようにも思いますね。しかも、ぐでんぐでんに酔うまで飲むわけですか。わかりました」
独り言にしては大きすぎるが、会話というには一方的に言葉を吐くと、若いマスターは背後の棚から酒を下ろし、凍えるグラスの内へと注ぐ。
「どうぞ」
差し出されたグラスを受け取り、グルードは若いマスターを睨みつけた。
「何の冗談だ?」
言ってから、グルードは眉をしかめる。他人に干渉しないことを良しとする自分らしくないからだ。
代理らしい若いマスターとくだらない話を交わさずとも、酒を黙々と飲めば良い事ではないか。
「私はこれでもしごく真面目ですよ。このところお客様がいらっしゃらなくて、気が緩んでいたのは事実ですけど」
「俺は昨晩も、その前の晩も、更にその前の晩もずっとこの酒場に、通っていたが、客足が絶えた晩なぞそうそう無かった」
「ですから、貴方の知るナイトライトとココは違うんですよ。いえ、貴方の知るヴァーリ国のあった世界ですらありません。貴方のように魔法に長けた方ならば、理論上は存在しうる別の世界というものに寛容だと信じたいのですがねぇ」
若いマスターが唇の端をクッと上げて笑う。
「…………」
(別の世界だって? 馬鹿馬鹿しい。そんな物語はガキの読む本の中だけで十分だ)
グルードは呆れ、今日は早く店を出ようかと戸口の方を向き、顔を強張らせた。
視線の先には、先ほど入ってきたはずの扉は無く、小さな台が置かれ、歪で大きな器らしきものが置かれている。
深淵色の表面は赤と白の液体が零れ落ちる瞬間に固まったような風で、グルードの知るどんな花瓶よりも口が広く、壷というには小さすぎた。
「扉は今、お散歩中なんです。この場においての統率者たる存在、規定を与える外部要因たる貴方をもってしても、扉の散歩だけは食い止められない。扉ほど自由自在に空間の歪を渡るものがないのは、まぁ、澱んだ世界の底辺ではわりと知られた事実です」
グルードにはさっぱり意味がわからなかった。
そればかりか、扉が散歩中などという答えは、からかわれているとしか思えない。
そのまま壁に向かって歩き、扉があった辺りを軽く叩いてみたが、ただの壁だった。
壁一面を叩いて回ろうかとも思ったが、面倒なので辞める。
どうせ出られないなら、大人しく酒を飲もうと改めて席につくと、若いマスターはにこりと笑う。
「折角ですし、あの器ができるまでの逸話をお話しましょう」
グラスを傾けたグルードに、扉があった場所に鎮座する器を指し示すマスター。
「ある所に、一人の少年がおりました。彼は孤独を心に秘めて暮らしていたのですけれど、ある日一人の少女に出会い恋をしました。戦乱の続く国での出来事ですから、お互いの身は必ずしも安全というわけでもありません。それでも二人は末永く共にあろうと誓ったわけです」
グルードの肩がピクリと動く。
彼にも昔、将来を誓った恋人がいた。戦乱止まぬヴァーリ国だったが、彼女と過ごした時は幸福だった。
「戦乱は彼等を追いたてて、やがて飲み込んでしまいます。それでもめげずに、気の合う仲間と連れ立って、二人は戦渦の中でさえ強い意志を持って楽しく暮らしていたのです」
グルードの耳がピクピク動く。
彼にも昔、親友と呼べる仲間がいた。じゃれあったり、くだらないことで喧嘩をした唯一無二の親友が。
「しかし悲しいかな、戦火は愛した娘を奪い、信じていた仲間に裏切られた少年は、孤独を友として修羅の道を歩むことに」
グルードの手が震え、グラスの中に映る姿が揺れた。
彼もまた、恋人と自身の左手を失い、暴発した魔法で親友の命を奪ってしまった。
「こうして、悲しみにくれた少年の心から生まれたのがあの器。空虚な心を表す器に滴る釉薬は、涙と血を表しているわけです。あれの入っていた箱なぞ、まるで棺のようでしたよ」
グルードは勢いよく立ち上がって、癇に障る笑みを浮かべたマスターの襟首を掴んだ。
相手は酷く楽しそうで、苦しさも怯えも、ましてや驚きさえ感じていないらしく、その瞳に映ったグルードの方がよっぽど取り乱していた。
「どうなさったんですか? まるで、取り返しの付かない過ちを犯してしまったようなお顔ですが」
こいつが知るはずもない、悲鳴と狂気が入り混じる戦場で散った彼女のことを。かばうこともできず、無意味に吹き飛んだこの左手のことを。
こいつが知るはずもない、彼女の死で自分を見失ったまま発動させた魔法で、相棒を吹き飛ばしてしまったことを。
なのに、どうして何もかも見透かしたような、嫌な笑い方をしてるんだ?
「そんなに悩まなくても宜しいのですよ。貴方のこの左腕が例え義手だったとしても、もはや二人が生き返ることがなくとも、誰も貴方を責めたりしないんですから。そう、責めようにも、家族さえいないのだから」
グルードの鋼で出来た左腕を優しく撫でたマスターに驚いて反射的に手を離す。
「魔法使いは大変ですねぇ、戦場で人を殺すのだから」
つばを飲み込むと、ゴクリと良い音が響く
「貴方が殺した兵士達や魔法使い達にも、家族や恋人や親友がいたんでしょうね」
ねっとりとした汗が額からこぼれ落ちる。
「そういえば、貴方も戦争で幼い頃にご両親を亡くされてましたっけ?」
「やめろっ!!!」
グルードの叫び声が、店内を振るわせた。
「やめてくれ……」
力なくうな垂れてつぶやいた言葉が、自身の胸に痛かった。
戦争とはそういうものだ。奪うか奪われるか。そう言い聞かせなければやっていけない。
だからと言って、罪悪感がないかと言えば嘘になるし、わからないはずがない。奪われた悲しみで、酒に溺れたのだから。
「俺に何か恨みがあるというなら、いっそ殺してくれ。二人の元へ行かせてくれ」
あの世の存在なんて信じちゃ居なかったが、それでも生きて行くには酒でもないとやっていられなかった。
死んでしまえるならそれに越したことはなかったが、いざ死のうとすると躊躇ってしまう。
自分では死ねない、それを弱虫と言われても、否定はできなかった。
「まぁまぁ、そう悲観されずに。というか、私は久方ぶりのお客様に感謝こそすれ、恨むなんてとてもとても!」
若いマスターは、おどけた様に両手を振った後、空になったグラスに新しく酒を注いでくれた。
「それにですよ、折角生きてたんです。私が言うのもなんですが、もっと有効的に生きては如何でしょうか?」
そう言って席に座るよう促してきたので、グルードは言われるままに席へ付く。
相手の言い分は正論ではあるが、今のグルードにとっては耳が痛いこともまた事実だった。
「例えばですね、魔法を使って猫と人を混ぜてみるとかどうですか?」
「合成獣というやつか。馬鹿馬鹿しい、そんなものこの世に存在するはずがない」
「何をおっしゃるんですか。魔法使いとしての腕前に関しては誉められこそすれ、侮られることのない魔法使い。グルード=ワイツェルン殿の頭脳ならばどうにかできますよ、たぶん」
「だいたいだな、できたとしても、何の役に立つというんだっ」
魔法使いとしての才能を誉められたことで、グルードの機嫌はよくなる。
すると、若いマスターはもう一杯酒を注ぎ足してから、まるで他愛もない話をするような風に言った。
「新しい器に、死者の魂を入れられたら……」
ガタンッ
若いマスターの言葉を遮るように盛大な音が響き、グルードは反射的にそちらを見た。
そこには、あの器の変わりに扉が平然と壁に埋まっている。
「おや、もう帰ってきたんですね。今日はずいぶんと早いこと」
若いマスターの笑い声に、呆気にとられていたグルードはハッと思い出したように笑い声の主を見る。
「可能だろうか?」
酒に酔った勢いだったかもしれない、グルードが熱のこもった瞳で訪ねると、相手は静かに笑って何かの図面を手渡した。
開いてみると、それはとても難解な言語と図式によって作られていて、解読するだけでもどれほどの時間を要するかわからなかった。
しかし、可能性があるように感じられた。
少なくとも、酒に溺れるような日々を過ごすよりはよほど有意義だろう。
「そろそろ扉が動きますよ。お早いお帰りを」
言われてグルードがお勘定を置こうとして断られる。
「ここは泡沫の夢、貴方の意識の虚、そんなものに金を払う必要はありません」
その言葉に、何故だか妙な得心を抱くと、グルードは挨拶もそのままに店を飛び出した。
背中に凛と透き通った鈴の音を聞き振り返ると、扉が開かれて顔見知りの男が現れた。
「どうしたんだい、入らないのか?」
言われてグルードは首を横に振り、引きつった笑いを返す。
「新しいマスターはどうだい?」
「新しいマスター? なんのことだ? あの爺さんは当分、カウンターに巣を作ってるはずだろうに」
その言葉に、グルードは小脇に抱えた紙を握り締めた。
(間違いない、本物だ)
「いや、どうも昨日の酒が抜けてないらしい、すまなかった」
「おいおい気をつけろよ」
軽く談笑して分かれると、グルードは急ぎ足で部屋へと戻った。


凛と透き通った鈴の音が響き扉が開かれる。
「宅配便っスー。ここへ置いとくっスよぉ〜」
拍子抜けするほど底抜けに明るい声と共に、扉の隙間から木箱が置かれると、扉は音を立てて閉められた。
「長かったね、今回は」
若いマスターは、大人が立ったまま楽に入れそうなほど大きな木箱を見ながら苦笑する。
それから、重みを感じさせない動きで木箱をカウンターの前へと運ぶと、梱包を解く。
中には白磁でできたかのような彫像が収められていた。
「もう少し造詣が深い方が趣味だけど、欲張らない方が身の為かな? どう思う?」
そう尋ねると、カウンターの上に在ったクリスタルの竜が鮮やかなピンクに照らし出される。
「君は気に入ったんだね。珍しい」
そう笑うと、竜は上下に口を裂いて威嚇してみせる。
「おっと、ごめんごめん。そう怒らないでよ」
苦笑しながら部屋の片隅に彫像を移動すると、クリスタルの竜はその彫像の肩に止まる。
「本当に気に入ったんだね」
感心したような若いマスターの顔に、竜は小さく頷いて、彫像に頬を摺り寄せた。
「どうにも理解できないよ、愛とか、友情とかに命をかける輩のことはね」
溜息を吐くと、竜が睨んできたが、若いマスターは我関せずという顔で歩き出す。
「でもまぁ、失われたものを得ようとして大きな罪を背負う羽目になったところは楽しかったかな。次のお客様も、そういう楽しい人だと良いな」
明朗に笑う声と、床を歩く足音が、奇妙に歪み、やがて何もかもが輪郭を失った。


純粋な乙女よりもなお透き通った肌を持つ彫像は、女の胴体に男の手足を生やし、
掘りかけの顔は、女のものになるか男のものになるのかさえ、今ではわからない。
未来を指し示すように半歩踏み出したその足元には、犬の面をした猫が蹲り、
掲げられた腕に巻きつく蛇は、尾を咥えた愚かもので、ただ一人鋼で出来ている。



名   前:グルード=ワイツェルン
読み仮名:省略
年   齢:24
外見年齢:20
性   別:男
種   族:人間
世   界:魔法が発展した中、争いの絶えない世界で魔法を教えることを推薦する国。国の名前はヴァーリ
職   業:フリーター(元魔法使い
飲 食 店:夜になると寄るバー「ナイトライト」
性   格:あまり自発的に話さず、必要以上に人に干渉しない。バーに来るたびに酒におぼれて帰っていく。
不幸要素:戦いの最中に恋人を失い、自分を見失い暴発したものが唯一無二の親友に当たりを失った。
備   考:恋人をかばった時に左手が吹き飛び、肩まで義手のまま。親友を呼ぶときは相棒
店   主:マスター
第一印象:クリスタルで作られた上を見て直立した状態で翼を広げた飛竜、鱗などの堀込みが無いかわりにものすごく滑らかで透き通っている。下のほうから光が出てて数秒単位で徐々に色が変わり客を魅了する。

キャラクター提供元 : ノクターン 様



最終更新日 2005/05/06
感    想 相変わらず面白い使い方をする日本語多数。
        ただ、夜の街というのは書いていて楽しかったです。
        予定が許せば二千字くらい描写していたでしょう。