鈴の音と共に連れ去って

アシュラフ・ゾンボルト

 

この世の無常をすべて詰め込んだような暗雲が頭上を過ぎ、僅かな温かさを与る太陽を隠すと、生きている感覚を奪うかのような冷たい風が、雪を纏って吹き過ぎる。
冷たい銀の髪から覗く、鋭い光を宿した漆黒の瞳は、紺碧の胴衣が斑に染まる姿を凝視した。
早くカフェにでも入って、熱いカプチーノを飲みたいとごちりながら、侍然とした少年は白い溜息を吐き、体をブルルと震わせると、足を早める。
暫く歩くと、赤い瓦屋根と真っ白な漆喰がモダンな雰囲気を漂わす店が見えてきた。
表通りに面しているというのに、この寒さのせいか、それとも戦時中の為か、客は疎らだ。
少年は早く温まりたい一心で、ガラス張りの木戸を横へ滑らせて店内に足を踏み入れた。


凛とした鈴の音が店内に響く。木戸を後ろ手で閉めながら、少年は眉を潜めた。
目の前には、座敷形式のちょっと洒落たカフェが広がっているが、いくらなんでも客が一人もいないのはおかしい。その上、店員の気配も無い。
普段煩わしく思う、"いらっしゃいませ"という声さえ聞こえてこないのである。これはおかしすぎる。
定休日だったかと思い振り返ると、そこに先ほど入ってきた引き戸は無く、ただ真っ白な漆喰の壁があるばかりだった。
「なっ!?」
少年が顔を引きつらせ、壁を強く叩くが、これと言って変わりばえも無い。
今まさに入ってきたはずの戸はなく、雨戸を閉められたわけでも、からくり小屋というわけでもないようだ。
「あまり叩くと手を傷めますよ?」
不意に優しい声と共に、壁を叩いていた少年の手に華奢な手がかぶさる。
少年はその手を振り払い、横へ飛び退くと、柄を握り締める。
「何者だ!?」
「そう恐がらないで下さい、アシュラフ・ゾンボルトくん。私はこの"場"の支配人です」
そうにこりと微笑んだのは、花魁が着るような紅色の着物で華奢な風体を飾った人間で、不自然な存在感を漂わせるところが、まるで彼岸花のような人物だ。
アシュラフ・ゾンボルトと呼ばれた少年は、顔を強張らせ、腰に挿した刀を僅かに抜く。
「オレの名を知るとは……貴様は一体……」
一瞬にして膨らんだ殺気は、戦場を生き抜いてきた者だけが放つ威圧的な代物だ。
戦場を知らず、ましてや命を殺めた事のない者ならば、誰もがそのただならぬ気配におそれ慄く事だろう。
だが、目の前に立つ彼岸花のような人物は、微笑みを浮かべて平然と立っている。
「君は腕の良い賞金稼ぎなのですから、名が売れていてもおかしくはないでしょう。
ところで、ご注文は? 体が冷えている事でしょうし、座敷の方へどうぞ」
アシュラフはマジマジと相手を眺める。
男なのか女なのかもわからない、中性的な容姿と人形のような微笑が実にきな臭い。
とても信用できる相手には見えないが、店の主人である事は、理由も無く納得できる。
「……カプチーノを頼む」
睨みつけても、別段変わった様子を見せかったので、警戒を解いて注文をする。
時々いるのだ、こういう鈍感な奴が。命を殺める事を生業とする者の瞳に怯えない愚か者が。
そう思いつつも、心のどこかで恐れられていない事を喜んでしまい、アシュラフは小さく咳払いする。
「かしこまりました。どうぞ、お好きな場所でお待ち下さいな」
彼岸花は高下駄を脱ぎ座敷へ上がると、奥の障子戸へと消えていった。
相手が奥に引っ込んだ事を確認したアシュラフは、草履を脱いで柔らかな畳に上がると、木製の仕切りがあるだけの座敷を見回し、一番壁際にある席に目星を付けて歩き出す。
歩きながら周囲を眺めると、逃げ口になりそうな場所は、先ほど彼岸花が消えていった出入り口ただ一つだけだ。
やはり、アシュラフが入ってきたガラス戸はどこにもなく、そればかりか窓さえもない。
窓が無いと言うのに、明るさと広さを感じるのは、天井が高く、店内全体に無数の照明が散らばっているからだろう。
そんな空間のところどころに飾られた絵画や置物はどれも緻密で美しい反面、現実味を感じさせて薄気味悪い。
アシュラフが腰を下ろした席にも、やはり緻密な細工の施された置物があった。
錆びの浮かんだ鉄製の彫刻は東洋の龍を模しており、いかつい鼻先を持ち上げ、よく砥がれた牙を見せ付けつつ、松の枝のような角の根元に彫られた、全てを見透かしたような瞳をアシュラフへと向けている。
オレに敵意を向けているようだ、とアシュラフは思った。
「だいぶ温まってきたな」
掘りごたつの温かさと、炭火独特の香りを感じながら、ふと手の甲にじんわりと痛みが広がるのに気付く。
先ほど扉を殴った時にでも傷つけたのだろう、見れば僅かに血が滲んでいる。
不意に目の前が翳ったので、反射的に見上げると、先ほどの彼岸花が盆を持って立っていた。
「ご注文のカプチーノです」
彼岸花はさっと座ると、茶?を二つ置き、次いでオートミールやブラウニーがたっぷりと盛られた皿を置く。
「…オレはカプチーノしか頼んでいないが?」
眉根を顰め、不快そうな顔をしてみせる。
「その疑問を答える前に、手を貸してくださいな」
アシュラフが反論する前に、彼岸花が血の滲んだ手を引き、盆の上に置かれた薬箱から赤チンを取り出して傷口を殺菌する。
微かな痛みに身じろぎ、アシュラフは華奢な手を振りほどいた。
「消毒は終りました。もう何もいたしませんよ」
そう言って薬箱を閉めると、彼岸花はアシュラフの正面に座りなおす。
「今日のお客様は貴方お一人ですし、私も暇なんです。一緒にお茶をしても宜しいですか?」
微笑みを浮かべる彼岸花と、茶?と菓子、それから手の傷を交互に見やり、アシュラフは渋々と言った表情で頷く。
「勝手にすれば良い」
投げやりな言葉を吐いて、茶?を引き寄せる。
覗き込めば、どっしりと構えた闇夜のような器の中で、ぷかりと浮かんだホイップクリームが、コーヒーを濁し始めていた。
「ところで、先ほどの質問ですが、より正確にお答えした方が宜しいのでしょうか?」
彼岸花は手にした青い茶?をゆるりと傾ける。まるでその中身が表面に現れたかのように真っ白な釉薬が波打っている。
「先ほどの…質問?」
アシュラフが検討も付かないと言う顔をしたが、彼岸花は気にせず話し始める。
「何故、私が君の事を知っていたのかという質問ですよ。アシュラフくん。それと、出入り口の事もね」
横目で入り口のあった場所を見やる。やはり、白い壁があるだけだ。
「ここは存在すべくして存在するモノ達の歪みから生まれた場所の為、本質に順ずる行動以外の事が起こるようになっています。おかげで、ここの出入り口は散歩ばかり。まぁ、暫くすれば戻ってくるので問題はありません。同時にここは、存在すべくして存在するモノが入り込まない限り動かぬ場所。入り込んだ"ソレ"を基準に動く場所です。今回でしたらアシュラフくん、貴方が"ソレ"に値します」
アシュラフは本当に意味がわかずに顔を思い切りしかめて文句を言おうとしたが、言葉を遮られる。
「簡単に言いましょう。ここは貴方の住むアンセスター大陸ではありません。それどころか世界が違う。異世界という奴です」
聞きなれない単語に、一瞬思考が止まり、ゆっくりと脳内で吟味する。
異世界。一般的に言えば現実に存在するかどうかは不確かな場所。あるいは英雄達がやってくる、どこか。
「戯言を!!」
アシュラフが腹の底から怒鳴ると、空気が震える。
だが、彼岸花はくっと小さく笑って、口の端をいやらしく上げただけだった。
「愛される事を知らないと、他人を信じなくていけません。その癖、愛を求めるのだから性質が悪い」
彼岸花の目前に、殺意に満ちた切っ先が向けられる。
アシュラフの瞳は大きく開き、今にも握り締めた刀で彼岸花を切り殺しかねない。
人は、否、子どもは親や周囲から無償の愛を受ける事で、他人を信用する心を養う。
だが、幼いアシュラフに愛を与えてくれるものは誰も居なかった。
そのせいか、17歳になった今でさえ、愛される事を望みながら、愛される事に怯えて背を向けている。
最近ではその事を理解し自嘲するまでになったが、それでも他人に指摘されるのは腹立たしい。
しかも、出会ったばかりの怪しげな、遊女のような風体の奴に言われれば、なお腹が立つ。
「求めた答えから遠ざかるのは貴方の意思です。その狭間で迷おうと私には関係のない事ですから」
全てを見知ったような瞳で彼岸花は微笑むと、切っ先を向けられているというのにシフォンケーキに手を伸ばす。
アシュラフの手が震えた。
今までは、自分から愛を求め、向けられた愛に背を向けてきたが、目の前の存在はどうだろう。
先ほどまで自分を心配するような素振りを見せていたというのに、まるで自分をないがしろにするような事を言うではないか。
裏切られた時のような、淡い痛みが少年の胸に広がる。
こいつは何がしたいんだ!?
「美味しいですよ。どうぞ剣を収めて食べてください。私からのサービスです」
満面の笑みで菓子を指し示しつつ、取り皿にブラウニーを乗せる彼岸花。
気を削ぐような言葉に戸惑っているアシュラフを横目に、彼岸花はブラウニーを食べ終え、
シュークリーム、レーズンケーキ、マドレーヌ、サンドウィッチと、次々にとっては食べて行く。
その速さに、アシュラフは唖然として口を開いた。
「お前の胃は底なしか?」
マロンケーキを飲み込んだ彼岸花はただただ微笑んで、次のイチゴショートへと手を伸ばす。
「久々に"動けた"ものですからね、ついつい食が進んでしまいます」
さすがのアシュラフもこれには呆れ果てて、刀を仕舞い座りなおし、茶菓子に手を伸ばす。
大量に盛られていたはずの菓子が、今や半分以下になっている事はあえて突っ込まない事にした。
暫くお互い何も喋らず黙々とお茶を続けていると、突然アシュラフは涙を零した。
自分でもわけが分からずに涙がこぼれてくる。
胸が痛かった。
理由を探して、アシュラフは一つの答えに行き当たる。
なんの事はない、目の前の彼岸花がやっていた事は自分が普段他人にしている事だ。
やり方はだいぶ異なるが、いたわったり、突き放したり、またいたわったりと、手のひらを変えるような行動は、愛して欲しくて協力して、愛されるのに怯えて離れて行く自分となんら変わらない。
傍から見たら、こんなに滑稽な事なのか。理解できない、と、注意を受けるわけだ。
袖口で涙を拭く。
「もう、大丈夫ですね?」
彼岸花が微笑んだ。
少年は静かに頷く。きっと、彼岸花はこの気持ちを教えようとしたのだ。いい奴じゃないか。
突然、ガタリと鈍い音が響く。
音のした方を見れば、ガラス戸が漆喰に埋もれている。
「戸が戻ってきましたね。さぁ、そろそろお別れです」
彼岸花がスッと立ち上がったのにつられて、アシュラフも立ち上がったが、どこかに引っ掛かったらしくを倒す。
倒れた茶?は台を転げ、畳を転げ、速さを増して土間へと落ちた。
よく通る破砕音が響く。
「す、すまん! 代金はいくらだ?」
侍の取り乱した姿を笑って、彼岸花が首を横へ振る。
「今日はとても楽しかったですから、御代は結構ですよ」
「しかしっ」
「どうかお気にせず、戸が逃げぬうちにお早く……」
追い出されるように、戸へと追いやられながら、アシュラフは礼を言って外へと出た。
背中に凛と透き通った鈴の音を聞き、戸が閉められると、冷たい外気が体を包む。
先ほど茶菓子を食べたばかりだというのに、小腹が減る。
狐につままれた様な思いで、もう一度、店の戸を引けば、そこは先ほどまでとは質の異なる店内と、わずかばかりの客をもてなす店員の、いらっしゃいませ、という声があった。
「異世界というのは真だったか……」
店員にカウンターを勧められながら、アシュラフはぼんやりと呟いた。
「お客さん、どうしたの? まるで何かに化かされたみたい!」
見下ろすと、店員なのだろう年若い少女が微笑んでいる。
取り立てて美人というわけではないが、元気さと優しさを持った、魅力的な少女である。
少年は頬を染める。
「いや、なんでもない」
甲に残る消毒の後を片手で包みながら、席へ就いた。


凛と透き通った鈴の音が響き扉が開かれる。
「宅配便っスー。ここへ置いとくっスよぉ〜」
拍子抜けするほど底抜けに明るい声と共に、引き戸の隙間から小包が置かれると、戸はカラカラと音を立てて閉められた。
「遅かったね」
"彼岸花"は小包を抱え上げると、土間から座敷へ上がり、壁際の席に置かれた龍の前へ腰を下ろす。
白木の箱を開け、中に収められた茶?を取り出して微笑む。
「アシュラフ君の作品だけど、これは楽しいね。まぁ、彼は若かったから」
物言わぬ龍は、つまらぬ物を見るように小さな煙を吐く。
「君が気に入らないのは、私の言葉? それともこの作品?」
"彼岸花"が首を傾げてみせると、龍は瞳を閉じて夢の中へ逃げてしまった。
その様子を苦笑しながら、紅いモノは器を大事そうに箱へ戻す。
「愛した者を守りきれなかった、仲間に裏切られた、そうして今度こそ本当に愛する事を辞めるのかな? そうだったら楽しいだろうね」
紅い袖を振りながら、"何か"が歩み去るのに合わせて、畳がねじれ曲がり時間を止めて行く。
「次のお客様は一体いつやってくるのかな」
忍び笑いが消え去ると、そこにはもはや時間も空間もなくなった。


海の底よりもなお深い闇が、歪な波にも似た凹凸を持つ茶?の表面を濡らし、
紅い釉薬が血のように、白い釉薬が涙のように伝っている。
深い茶?の底を覗き、耳を寄せれば、怨嗟と後悔が重なり合って波音のように響いている。
まるで、傷つき空洞になった心臓を取り出したような、酷く歪な茶?が白木の箱に治められている。



名   前:アシュラフ・ゾンボルト
読み仮名:アシュラフ・ゾンボルト
年   齢:17歳
外見年齢:17歳、少年。
性   別:男
種   族:人間
世   界:インペリアル、アンセスター大陸。
職   業:侍
飲 食 店:カフェでいつもカプチーノ、カフェ・オレを飲む。
性   格:誰も信用していなく常に敵意を向けている一匹狼。
不幸要素:幼い頃から誰にも愛されていないく、孤独でいる。
備   考:愛されたくて吠えて、愛される事に怯えている。
店   主:貴様。
第一印象:多少錆びている鉄の東洋風の龍の彫刻。オレに敵意を向けているようだ。

キャラクター提供元 : 鳳鳥 剣龍



最終更新日 2005/05/06
感    想 まだ「……」が「…」だったのだと呆れつつ、懐かしみつつ。
        アシュラフ君の話の前後編みたいなものを、
        剣龍さんがお書きになっていたわけですが……
        ここまで解釈を間違うか自分という絶望感たっぷりでした。(笑)