ある世界の物語

リクエスト作品 : リベルテ

 

ジェラーニヤが地上に降り立つ少し前。小さな少女は苦難の旅に出た。
彼女の名はリベルテ・ネゴシアシオン。
世界最大級の塩湖ポワッソン湖に浮かぶフロッテ国は、世界を東と西に分ける位置にあるせいか、
東西の文化が交わり、行き交う巨大な貿易国でもる。
そんなフロッテ国でも指折りの豪商ネゴシアシオン家の末娘がリベルテだ。
彼女は十三歳という若さにしてキャラバンの主を務めるようになった、生粋の商人でもある。


「塩湖がだいぶ干上がってる。これじゃあ大型船は出れないわね。」
頭の高い所で二つ縛りにしたオレンジに近い茶色の髪の少女が、腕を組み深い溜息を吐いた。
彼女の視界に広がる塩湖は、岸辺に白い跡を何層にも残しており、
春よりも水位の下がったことを如実に示している。
世界的に起きた大規模な日照りは、大地から水を奪うだけでは気がすまないようだ。
「風があるだけマシ…かな?」
彼女の浅黒い肌を塩で濡らす風は、自慢げに強く吹く。
「編成を変えなきゃ。今回はプシニーツァまで行くけど、献上品を届けるわけじゃないから余分な積荷は減らそう。」
少女は己の呟きに深く頷き、背後に控えていた青年を振り返る。
「ってことで良い? フォッセ。」
「リベルテ様のご決断通りに。」
リベルテよりもオレンジの強い髪を後ろで一つに縛った青年が微笑む。
フォッセは、リベルテが幼い頃から何かと手を焼いてくれる世話係りだったが、今回は少々趣が違う。
それもそのはずだ。
今回の旅はリベルテが己で決断し商隊を進める術を、身に着けたか判断するためのものである。
他人の力は極力借りてはいけないのだ。例えそれが、兄達よりも長いこと傍にいる者であっても。
「質問して良い?」
リベルテは視線を遠くへ向けたまま、少し緊張した面持ちで斜め後ろに控えるフォッセに問う。
「はい。」
フォッセは少女の背中を静かに見つめて頷く。
「さっきの計画をもっとも円滑に、なおかつ無駄なく行うためには他に何が不必要かしら?
ただし、積荷は今の半分で、人も今の半分にすることを忘れずに。」
フォッセは目を細め心の底から喜び、すぐさま有能な部下としての顔を取り戻して答える。
「今年は北路がだいぶ広がったそうですよ。」
リベルテの親族からの命令で彼女を導くことができない。
だが、彼女の問いに答えていけないわけではない。
そう、フォッセは故意か偶然によって示された可能性を、今までも彼女に示唆していた。
小さなリベルテはそれをよく理解し、導きではなく答えを求めた。
その行動は正しい。
信用できる仲間へと相談を持ちかけることは重要なことであり、
何をやるべきか他人任せにすることとは違うからだ。
「フュジティフは西路に加わった?」
「はい。今朝方連絡が入りました。」
リベルテは舌打ちして、眉をひそめた。
彼らの言う西路とは、フロッテ国よりも西側の国々へ行くための陸路の一つで、
その半分以上を砂漠が横たわっているという難しい道でもある。
ポワッソン湖の特異な地形上、南一帯は海へと流れる岬のような形の大地が続き、
と大陸から急激に遠ざかってしまう。
また西側の岸辺は南へと広がるにつれ、大陸の奥からのびた巨大な山脈で塞がれる。
その北側に位置するプシニーツァへは南海からの接触ができない。
おかげで、西に位置するプシニーツァへは、平原を越える西路を使う方が確実であり、定石なのだ。
しかし、西路の北側に広がる深い森を食らおうと広がり続ける砂漠が悩みの種だ。
その砂漠と深い森の狭間にあって交通の要所だったのがフュジティフである。
また北側の深い森は北路と呼ばれているが、こちらを通ると砂漠越えの二倍の日数が掛かってしまう。
結局は西路を進むしかないのだ。
そこで問題は水と食料の確保である。ここ数年は以前に輪をかけて頭が痛い問題だ。
「また、一から考え直さなきゃ。」
リベルテは爪を齧り、塩辛い水面に背を向けた。


数日後、ネゴシアシオン現当主の弟イジクを訪ねたリベルテは、イジクのきつい抱擁に苦笑した。
「こんにちは、イジク叔父様。できれば床に足を着きたいのだけど、良い?」
「あぁ、すまんね。」
イジクは複雑な笑みを浮かべリベルテを床に降ろす。
良く焼けた肌のイジクは、年は三十代後半で、働き盛りの力強さと印象的な明るい笑みを持つリベルテの叔父だ。
背は高く、髪は甘栗色で、すっと通った鼻は一般的なポワッソン人よりも西方寄りと言えるだろう。
だが、リベルテと比べると、背の高さから顔の作りまで似ているところよりも違うところの方が多い。
「今日は何の用だい?」
イジクはリベルテを客間へ通すとお茶が出るのも待たずに質問した。
子供っぽい性急さのある叔父だが、リベルテはこの叔父が大好きだったので、
そんなところは愛嬌程度にとらえていた。
実際、叔父の本当にすごい所を引き立てるために、この愛嬌が存在していたので、
注意する気はさらさら起きない。
「今度のプシニーツァ行商の事で助言が欲しいんです。砂漠を渡る時に気をつけるべきことは何ですか?」
単刀直入に切り出したリベルテの言葉に、イジクの瞳は値踏みをするかのように細まる。
「砂漠かぁ。」
リベルテは緊張し強張る体に活を入れ、叔父をじっと見返して、
己の決心がどれほど固いのかを伝えようと必死になる。
行商歴は三年と、長くは無いリベルテだが、商売柄愛想の良さと冗談のレパートリーは少なくない。
並の大人相手だったらこれほど緊張もせず、もっと気楽にそれとなく質問していただろう。
だが、相手は豪商ネゴシアシオン家の血を引く商人で、行商歴はリベルテよりも長い。
リベルテの幼さの残る笑いも、大人ぶった冗談も通用しない、腹の底を隠すには分の悪い相手だ。
だからこそ、思い切って単刀直入質問をすることにしたのだ。
リベルテが脂汗を額に浮かべて次の言葉を待っていると、お茶が運ばれてきた。
「そうだね、砂漠は大変だ。叔父さんが始めて砂漠を渡った時には蜃気楼に手痛くやられてね。
 オアシスが目の前に見えるのに、そいつぁ幻なわけだ。
 オアシスを追いかけるうちにオアシスにつくどころか、砂嵐の前に出てしまったりね! あははっ!」
叔父の話は、いつもどこか自虐的だったが、本人が笑い話として大げさに話すせいで、
吟遊詩人の物語よりもよほど楽しかった。
同時に、話の中に様々な教訓も織り交ぜ、砂漠を越える術や砂漠での恐怖を、
言葉の端々から拾い集めることができた。
その日はイジクの話しでかなりの時間を費やし、積荷の入れ替えは翌朝となった。
だが、それだけの利益はあったとリベルテは確信し岐路についた。


イジクの話を聞いてから1週間後、リベルテは湖を越えた。
予定では大型帆船を二隻と小型帆船を五隻だったが、
中型帆船を三隻と小型帆船三隻という小規模商隊となった。
大量の人間を連れ歩くには、水も食料も当てがなかったので仕方ない。
船が北西の対岸に辿り着くと、積荷を降ろし、船着場でいくつかの交渉をした後、
船に積んできた半分の荷物を駱駝と馬に載せて出発する事となった。
残りの半分の荷物は、元より持っていければ持っていくし、
それが不可能ならばこの港で売り払うつもりだったので悔いはない。
キャラバンはリベルテとフォッセ、道案内役の男の三人を先頭に、
約五十人の奴隷と二十の馬と十の駱駝によって編成されている。
馬や駱駝に乗せきれなかった荷を男達が担ぎ、ゆっくりとした歩みでキャラバンは進む。
リベルテの行商はこれが六度目であり、プシニーツァ国の領土を訪ねるのはこれで二度目だ。
小さいながらに頭の回る主が旅に向かないと笑う者は少なくなっていたが、
それでも陰口はいつでも囁かれた。
全員に馬か駱駝が与えられればもう少しはマシだっただろうが、
ここ数年に及ぶ天災が動植物の値を吊り上げていたし、
人よりも商品のほうが高価であり大切であったので、
馬や駱駝に乗れる者は限られ不公平が生じるのは仕方なかった。
湖の縁から三日程北西に進むと、北には深い森、南には平原が広がるというはっきりとした境目が生じ、
更に2日進むとその二つの境界線の間を割るようにして荒涼とした大地が見え始めた。
やがて森は遠ざかり、平原が地平線へと消え去ると、
目の前には荒涼とした大地を飲み込む小麦色の砂漠が姿を表した。
砂漠と荒野の狭間に残る町で水といくばくかの食料を補充し、長い砂漠の旅にもう一度備えて出発した。
森沿いを歩けば、多少は水や食料の不安は減るだろうがプシニーツァまで倍の時間が掛かるし、
平原沿いは程なく砂漠に飲み込まれるか巨大な山脈にぶつかり進めなくなってしまう。
だから、リベルテは最短距離で砂漠を渡る事にしていた。
勿論、オアシスの位置を正確にしる案内役を探し出し、水の心配を減らすことも忘れてはいない。
以前の旅では砂漠はもっと南にその稜線を保っていたし、
森沿いに歩いても西路を渡るのと大きな時間差はなかったことを思い出すと悔しいが、天災はどうにもできない。
砂漠に入って最初の晩は地獄だった。
日の暮れに一度、恐ろしい砂嵐に見舞われ、1人の奴隷が行方不明になった。
だが、探す術もなく、一人のために全員を危険に晒せないリベルテは、苦渋の決断を下した。
砂漠がすっかり闇に包まれた頃、キャラバンは立ち止まりテントを立てて野営をすることにした。
衣服で隠しているとはいえ、僅かに覗く顔や手は日に焼けて、リベルテのやや黒い肌は更に黒くなった。
瞳は砂と光で真っ赤に腫れ、フォッセに目薬と綿棒で砂を出してもらわなければならなかった。
だが、リベルテは幸運な方だ。
服もぞんざいな奴隷に至っては、強い日差しに体中を焼かれ、寝息はうめき声となっている。
また、日射病で倒れる者もあり、砂漠特有の凍える夜でさえ意識が虚ろな重傷者もある。
月が砂の海の向こうへ落ち、夜空が無情な暗さを讃える頃には、
奴隷のテントの一つで毒サソリが出たという報告もあった。
大事には至らなかったが、もしも全員が眠っていたならば確実に誰かが命を落としていたことは間違いない。
苦痛と恐怖の夜が終わり、空が僅かに光り始めた頃、キャラバンはまた進み始めた。
太陽が昇った後はその暑さでろくに進めないことが分かっていたので、
日の出と日の入りの前後に距離を稼がねばならなかった。
そんな夜と朝を2回ずつ繰り返すと、砂に埋もれようとする街に辿り着いた。
街の名前はフュジティフ。
荒野と砂漠と深い森の三者の間に立ち、水の豊かなオアシスを基に作られたこの街は、
リベルテが昨年の秋に訪れた時には活気に溢れる街だった。
多少の天災では崩れることも無く、果敢にも、砂漠の脅威と戦ってきたフュジティフの街は、
今やその半分以上が砂に埋もれて、恵みをもたらしていた森は地平線の向こうに見えるか見えないかだ。
世界を襲った天災が、これほど深刻にして劇的な変化をもたらした事を再度認識したリベルテは、
苦い思いで胸を痛めたが、彼女が街に対してできることは何もなかった。
それからの半月は砂に消えかけるオアシスを渡りながら、ゆっくりと砂漠を進んだ。
砂漠を渡り終えた頃、キャラバンからは五十人の奴隷のうち十四人の顔が無くなっていた。
砂漠を越えてすぐの街で、持ちきれなくなった荷物を売り払い、水と食料を補充したが人足は補充しなかった。
北に広がる森が緩やかに視界へと戻り始めると、いつしか深緑の森が道を飲み込み、
砂漠を出て五日も経つと、先も後もすっかり森に囲まれてしまった。
リベルテは隊列を変え、周囲の森に注意を配るよう休憩の度に口を酸っぱくして言った。
盗賊が隠れるにはこの街道は絶好の場所だからだ。
リベルテの危惧は現実のものとなった。
プシニーツァ国の領土まで残り二日という場所で盗賊に襲われたのだ。
盗賊から逃げ切りプシニーツァ国へ辿り着いたキャラバンは、出発時とは裏腹に無残な姿となっていた。
奴隷はとうとう二十六人となり、馬は十四頭、駱駝は八頭にまで減っていた。
勿論、品物もその多くが失われていた。
それでもリベルテは戻るわけにもいかず、数日後プシニーツァ国のある街を訪れた。
その街で持ってきた商品を売ると、軽くなった荷の代わりに、
高価なプシニーツァの織物や特産物を買い、休息も疎らにすぐさま帰りの旅を始めた。
しかし、同じ道ではなくプシニーツァの北東に広がるパーズドビシャ国を通る、北よりの道を通る事にした。
わざわざ盗賊のいる道を通りたくなかった為だが、初めての道ですぐさま迷子となった。
心無い誰かによって、道しるべが嘘の道を指し示していたらしい。
リベルテのキャラバンは深い森の中で立ち往生する羽目になった。
誰もが絶望した。
こんな場所で迷えば、盗賊に襲われるか、熊や狼といった肉食獣に襲われるか、
さもなくば食料が尽きて餓死するかのどれかしかなかったからだ。
森と言っても、プシニーツァとセルフヴォランの間に横たわる森は、
街の生活に慣れた人が暮らすには過酷な場所なのである。


リベルテは途方に暮れ、深いため息を吐き、地面を這う太い木の根に腰掛ける。
もう、万策尽きたと無言で語るその顔が、キャラバンに色濃い絶望の影を落とす。
日暮れが近づいた頃、茂みから背の高い男が顔を出した。
「キャッ!?」
「ギャッ!?」
リベルテと男は驚き、二人同時に後ずさる。
「何者だっ!!」
リベルテの側仕えであるフォッセがリベルテと男の間に割って入ると、
細身の剣を抜き放ち男を牽制する。
強烈な殺気に男は涙を浮かべてその場に平伏した。
「ど、どうか命だけはお助けを!!」
男の態度にフォッセは眉を潜める。はたとある事に気づき、リベルテに小声で進言した。
「たぶん彼はアジャーラ人です。私達はプシニーツァ人かパーズドビシャ人と間違われたのでしょう。
 どちらの国もアジャーラ人を差別し、時には人狩りをすると聞きますから。」
リベルテ唇をかみ締めて、人を人とも思わぬ行いに腹を立てながらも、
ゆっくりと立ち上がり、フォッセの剣先を押さえるようにして、男の前に膝をついた。
「あたし達はプシニーツァ人でもパーズドビシャ人でもありません。砂漠の東から来た者です。
 決してあなたやあなたの仲間を殺しに来たわけではありません。」
リベルテは冷静な声と暖かい笑みを浮かべ、震える男の肩に手を置いた。
「だけども、プシニーツァの紋章が…。」
男の視線の先には、馬に詰まれたプシニーツァ製の宝箱がある。
確かに、これでは疑うのも仕方ないと、リベルテは苦笑する。
「あたし達は旅の途中の商人なので、こういう荷も扱うんです。」
男は困惑しながらも、背後を気にするような顔で頷く。
「もしもそうだとしても、なんでこんな危ない場所にいるんだい?」
「道に迷ってしまって、立ち往生してるんです。」
リベルテは、男が始終気にして視線を向ける茂みの向こうを確かめるようにと、
フォッセへと目配せし、男へ立つようにと促す。
男はやけに後方を気にしながら立ち上がると、いつでも逃げれるような体制でリベルテの隣に立った。
フォッセは、近くにいた仲間を数人引き連れ、男の出てきた背の高い茂みを越えようとする。
「やめろっ!! まだ熊がいるかもしれんね!!」
男が真っ青な顔で叫んだ瞬間、熊が現れた。
若いのだろう、人間の男よりも少し大きいといった背丈の熊がフォッセに手を上げる。
リベルテが瞳を閉じて甲高い悲鳴を上げた瞬間、風を切る音と鈍い音が重なる。
そっと目を開けると、熊の首に何本もの剣が刺さり、それらとは別に太い剣が熊の腕を切り落とした。
「リベルテ様、このくらいの熊ならば私達でも倒せますよ。」
にこりと笑ったフォッセが、細い剣を熊の首から引き抜き鞘に収める。
他の者も傷一つなく、熊に止めを刺してから剣を鞘に収めた。
「良かった…。みんな無事で本当に良かった!」
リベルテが大粒の涙をボロボロと流し、フォッセをはじめとして、
熊と戦った勇敢な男達の手を握って回り、一人一人に感謝の言葉を掛けた。
男達は気恥ずかしそうに笑って、少女の小さな手を強く握り返した。


男を問い詰めると、森の中で熊と出会ってしまい追われていたらしい。
警告が遅れたのは、熊が追いかけるのを諦めたと思ったからだという。
ともかく、結果的に男を助けたリベルテ達は、近くにあるという男の村に案内された。
キャラバンの食料は底をつきかけていたので、男の誘いは本当にありがたかった。
「ワシの息子の命を救ってくんなさったそうじゃね。まっことありがたいことじゃ。」
村長と名乗る老人が、リベルテの腕を強く握り何度も振り回したので、
リベルテは腕が抜けるのではないかと思ったが、悪い気はしなかった。
「狭い村じゃが、今夜はくつろいでくだはいな。」
村長の言葉に甘えることにして、リベルテ達はせめてものお礼にと、
村の中央で珍しい踊りや歌を披露し、変わった物語を披露した。
外との行き来のない村では、リベルテの故国では誰もが知っているような英雄譚でさえ大人気だった。
いつのまにかお祭り騒ぎとなった村の中央では、キャラバンの若者達が、
自慢の喉や踊りをこれでもかというほど披露したり、村の若者達と力比べをしてみたりと、
まるで古くから付き合ってきた友人同士のように打ち解けあっている。
その片隅で、疲労と緊張から開放されたリベルテがうつらうつらしていると、
村の老婆が声をかけてきた。
「誰ですか? あたしに何か用ですか?」
「この村の呪術師じゃ。」
呪術師なんて胡散臭い旧時代の職業が残っているのに驚きながらも、リベルテは老婆の次の言葉を待つ。
頭はまだ半分眠っており、起きられるかは老婆の話次第だ。
「さっき話してたお嬢ちゃんの言葉がひっかかってね。ちょっと喋らんかい?」
老婆の言葉にリベルテは頷く。
何か裏があるにしろ、お世話になっている立場で強いことは言えないからだ。
「地の底を掘る、風変わりな種族のことをどこで聞いた?」
リベルテは一気に眠気が覚めるのを感じたが、まだ眠たそうな振りをして小さく唸る。
リベルテの血には、地上から滅んだドワーフ族の血が流れている。
否、リベルテだけではなく、フォッセを含めキャラバンのほとんどの人間はドワーフの血を引いている。
浅黒い肌と、オレンジがかった太い髪、ずんぐりとした低い背と頑丈な体。
過去、ポワッソン国周辺に住んでいたドワーフ族と酷似する姿は、
ドワーフについて知る者がもしも生きていたならばすぐに関係があると気付くだろう。
「地を掘る秘術は、ワシらドワーフ族以外に知るはずがないじゃろうからな。」
老婆の言葉にリベルテは目を見開いて顔を上げる。
アジャーラ人特有の、角ばった顔にだんごっぱな、縮れた赤茶の髪と分厚い唇。
背はだいぶ高いが、がっしりとした骨格はプシニーツァ人やパーズドビシャ人とは異なる。
醜いと呼ばれる顔も、よく見れば土の良く似合う、岩のような素朴な優しさがある。
「もしかして、あなた達もドワーフ族の血を引いてるの?」
「やはり、お嬢ちゃん達もかいね。」
リベルテは老婆の皺くちゃな腕を握り締め、声高に問い返す。
「もうドワーフはいないの!? あたし達を助けてくれる人はいないの!?
仲間がどんどん死んでいくの!! あたしにはどうしようもないの!!」
リベルテの住まうポワッソン島の地下では、ドワーフの血を引く者達が、
昼夜を問わず、今も金や銀を掘り出し続けている。
穴を掘る不思議な力を持たない者は、地上に連れてこられ奴隷としてこき使われる。
死ぬまで、決して自由は手に入らない。
彼女の母親も、現ネゴシアシオン当主であるリベルテの父親と恋に落ちるまでは、
薄暗い地下で宝石の選別をしていた。
だからこそ、己の娘に"自由"を意味する古い名前をつけたと語っていた。
「ワシらもソレを待っているが…。」
泣きじゃくるリベルテの背中をさすりながら、老婆がため息を吐く。
人の輪から戻ってきたフォッセが、老婆とリベルテを見つけて、足音を気遣う。
老婆の腕の中には、泣き疲れ眠ってしまったリベルテがいた。
「女神は、まだ目覚めないのかい?」
老婆が意味深な言葉を投げかけると、フォッセが悲しそうに首を立てに振り、
彼女からリベルテを受け取ると、用意した寝所へ寝かしつけた。


翌朝、リベルテと仲間達は村を発った。
貴重な食料を分けてもらったリベルテ達は村長に何度も感謝して村を後にした。
キャラバンの奴隷は二十五人となり、馬は十四頭、駱駝は八頭と、砂漠を渡るには少々心細い数になった。
奴隷の一人が、村の女性と本気で恋に落ちてしまい、
ここに残れないならば死ぬとまで言い出したので奴隷が一人減ったのだ。
勿論、退職金は支払われなかったが、文句は言わなかった。
これがリベルテのキャラバンでなければ、首が飛んでいる事態だったからだ。
しかし、リベルテから結婚祝いにと、小さな指輪が贈られた。
彼女の持ち物の中ではみすぼらしくても、この村では一番高い指輪であることは確かだ。
「いいんですか? 旦那様に知られたら大目玉ですよ!」
「大丈夫。だってあたしの私物だもん。」
リベルテはにっこり笑って、若い二人を祝福した。
他にも残るという者が出たら困ると、フォッセに注意されたが、聞き流した。
正しい道まで村人に案内され、街道に出て村人と別れると、
またリベルテのキャラバンは東を目指して進み始めた。
次の日には、森を抜ける最後の難関にやってきた。
森は荒野に向けて道をすぼめ、背の高い木々がより一層光を奪っていく。
木漏れ日さえも届かない場所がいくつもあり、足元は分厚い苔が薄気味悪く花を咲かせていて歩き難い。
「リベルテ様、狼の足跡があります。まだ新しい。近くにいるかもしれません。」
フォッセの言葉に、リベルテは周囲に目を配るよう命じて、自分も視界に映る影に注意を払う。
ただでさえ細い道だ。襲われたら、混乱したキャラバンは渋滞し、逃げるのもままならなくなるだろう。
しかも、狼という奴は群れで行動する。
一匹ならば仕留めるのも楽だが、沢山の狼に襲われたらどこまで身を守れるかわからない。
リベルテは硬く両手を握り、狼に出くわさないようにと願った。
左手にもりあがる緩やかな斜面の上で、何かが動いたのを見た瞬間、
リベルテは馬に鞭打って駆け出した。
「走って!! 武器のある者はすぐに構えて!!」
リベルテの言葉と同時に、斜面の上から狼達が顔を出し下ってきた。
その数はざっと見ただけでも三十は下らないだろう。
この飢饉で違うグループが結託したのか、ものすごい力のあるボスがいるのかは知らないが、大きな群れだ。
逃げ切るのも倒すのも難しい数だ。間違いなく命の危機である。
素早く駆け下りた狼達は細い道の前後を塞ぎ、身動きの取れなくなったリベルテ達にじわじわと迫ってくる。
腕のたつ者が果敢に切り殺していくが、連日の旅による疲労と安定しない足場のおかげで数をこなせない。
その脇を縫って、狼達は馬や駱駝を殺していく。相手もなかなか頭が良い。
荷を背負い、周囲を人間で囲まれた馬や駱駝はそれだけで身動きとれない上に、
倒せば周囲の人間の足場を奪う道具にもなるし、例え人間に逃げられても一人より一頭の方が食いでがある。
リベルテ達は荷物を守ろうと必死になるが、興奮した家畜を御すこともできない。
狼達との長い戦いが始まった。


リベルテ達が狼に襲われている頃、空の上を炎の竜の若者が飛んでいた。
地上の空でありながら、人間には決して見ることのできない不思議な術をまとっているおかげで、
人里近いパーズドビシャ沿いの森の上も自由に飛び回ることができる。
「いやぁ、今日も砂漠が広がってるね。今年も気候は崩れる一方なのかなー?」
残念そうな声を上げながらも、顔が笑っている炎の竜の若者は、森と砂漠の境界線を西へと飛ぶ。
森が砂漠を塞き止める辺りに、なんの気なしに降下しはじめた。
すると、砂漠へ続く荒野へと出る森の端で悲鳴が聞こえた。
「また盗賊か何かかな?」
彼は人間も地上も好きだったし、生きるために同属殺しをするのも、
きっと自然の摂理に外れはしないのだろうと思っていたので、一族の掟通り干渉はしないつもりで、
ちょっとした好奇心から、高い木のてっぺんに降り立ち、深い森の底を見下した。
そこでは、小さな旅団が狼達に襲われていた。
どちらも命を賭けた真剣勝負だったので、手出しをしてはいけないと思ったが、
人には風の音としか聞こえない彼の羽ばたきを敏感に感じ取り、狼達は逃げ出してしまう。
なんとも後味の悪い事をしてしまったと思った若い竜は、狼達に申し訳ないという視線を送る。
だが、狼達にとって彼の瞳は、鼠から見た、鷲の瞳とさほど変わらない。
余計に怯え、尻尾を隠しながら巣へと帰っていく狼達を見て、若い竜は苦笑し、人間達を見下ろす。
鼻をひくつかせると、ドワーフの血の匂いが僅かにした。
若い竜は驚き、生い茂る葉に首を突っ込んで人間達を凝視する。
人間達は、何があったのかわからないという顔をしながらも歩き始めた。
先頭にいた少女が、倒れた男にすがりつくように泣いていると、
別の男が少女をひっぺがし、そのまま馬に乗せてさらって行った。
「フォッセ!!」
少女が何度も男の名前を叫ぶ。
人間達が荒野へと消え去った後、若い竜はそっと地上に降り、フォッセと呼ばれた男の顔を覗き込む。
「誰かいるのですか?」
男はもはや助かりそうにない、酷い傷を腹に負っていたが、意識ははっきりしているらしかった。
若い竜は面白くなって術を解き、男に己の姿を見せる。
「ボクは炎の竜ヴィスヨールイ。みんなはヴィスって呼ぶよ。
ドワーフの血の匂いがしたから降りてきたんだ。」
その言葉にフォッセの目蓋がゆっくりと押し上げられ、カラス頭の竜を見据える。
「…もう、私には時間がありません。ぶしつけなお願いですがリベルテ様をお守りください。」
その言葉にヴィスは首を傾げる。
「ボクはたった一人の人間を守るなんてできないよ。仕事もあるし。」
「リベルテ様は、違うのです。あの方は、次のドワーフの女神。まだ目覚めておられませんが…きっと…。」
ヴィスの目が丸くなり、今や森の向こうへと消え去った一団に視線を向ける。
「ドワーフの女神か、それはすごい! でも、人間の血が混じった彼女に何ができるの?」
ヴィスは明るく問い返すが、内心ではドキドキしていた。
ドワーフの女神。
ドワーフ族が危機になると、どこかの部族の姫から生まれ、
危機に瀕したドワーフ族に知恵と力を授けてくれるという言い伝えがある。
人間に滅ぼされる直前に生まれたドワーフの女神は、
ドワーフと人間の間に子供をもうけ血を残す道を指し示したという。
その他にも様々な言い伝えがあるが、いつ、どこで、どの血筋から生まれるかは、
ドワーフ族でさえわからず、産んだ者でさえわからない場合もあると言う。
生まれた後も、女神としての才覚が発揮されず、周囲のドワーフ族達も知らぬまま、
自分が女神だと自覚もせずに死んでいく者も少なくないという話だ。
そのドワーフの女神がリベルテだという。
確かに、ドワーフの女神は決まってリベルテと名乗るのだが、考えすぎだとヴィスは思った。
「リベルテ様は知恵の働く方です。そして、誰かが虐げられる事を疎む方。
 きっと女神として、我々ドワーフの血を引く者全てに自由への道を指し示してくださるはずです。」
「ふーん。でもボクは、リベルテ…だっけ? その子がどれぐらいすごいのか知らないから、
仕事をハカリにかけることはできないなー。第一、ボクの得にもならないし。」
ヴィスがくすっと笑うと、フォッセが睨み付ける。
「ならば、リベルテ様を見守ってください!! そうすれば彼女の良さがわかります!!」
その言葉にヴィスが首を傾げ、翼を広げる。
「はめられちゃったてことかなー? でも、ボクに任せたら大変だよ? 裏切るかもしれないじゃん。」
ヴィスの瞳がフォッセの顔を覗き込む。
「しかし、女神を守る者が必要です。」
フォッセはヴィスを睨みつけ、強い口調で言ったが、命の消え行く弱さが滲み出ている。
突然フォッセは咳き込み、大量の血を吐いた。もう、終わりが近いようだ。
ヴィスは血にまみれたフォッセを見下ろし、何かを考えた後、おもむろに口を開いた。
「じゃぁ、こうしよう。今回は家まで見守ってあげる。死なないよう、少しは助けてあげよう。
だけど、その後はボクと彼女が再び出会わない限り干渉しない。それで良い?」
ヴィスの言葉に腹は立ったが、今まさに欲しい助力であることも間違いなかった。
フォッセは小さく首を動かし、"ありがとう"と口を動かして息絶えた。
ヴィスは翼を広げ空へ飛び立つと、リベルテのキャラバンの上へとぴったりついた。
もはや、ヴィスの姿は人間に見えない。
それから長い砂漠を渡り、湖の上に浮かぶ家へと辿り着くまで、
彼は彼ができる小さな支援を繰り返し続けた。
盗賊を見かければ先に降り立って彼らを殺し、場合によっては彼らの食料をまとめておいた。
また、翼をはためかせて森を往復し小動物を捕まえ、道の上に置いたりしてみせた。
誰かが神の存在を讃えたので、ヴィスは少し気分を悪くしたが、
約束は約束として僅かな力添えをするのは止めなかった。


湖の西の岸辺へついた頃、リベルテは今までの旅を振り返るように、
後ろに続く道を振り返ると、目を瞑り短い祈りを捧げて涙した。
若い竜は泣きじゃくる少女を見下ろして小さく笑うと、東へと飛び去る。
「ボクと君はどこかで出会うのかな? リベルテ。」



最終更新日 2005/07/30
感    想 カウンターで123番を取られたごんべ様へと贈った作品。
        旧HPでやってたリクエスト企画の一環。
        本編とちょっと絡んでくる。
        ヴィスはとても嫌な奴で、リベルテは泣き虫。