ある世界の物語

エピローグ

 

"約束の地"での戦いから三年が過ぎた。
あの時と同じように秋風が吹いてはいるが、世界は大きく変わってしまった。
三大大国であるセルフヴォラン、パーズドビシャ、プシニーツァが一つの国としてまとまり、
連合国"ヴェステンメーア"となったことは大きいだろう。
一年半にも及ぶ話し合いの末、結果的には巨大な民主主義国家とはなり、
首都は"約束の地"に立てられたものの、王政復活を求める声はまだまだ多い。
しかし、東方諸国と結びつきのある巨大貿易国フロッテとの結びつきにより、
その存在を東方諸国にまで知らしめ、誰もが存在を認めざるを得ないようにしたことで、
民主主義という謎の集団に対する非難の声も徐々に薄れつつある。
また、国政にはあまり興味の無い人民の統治政策としては、宗教と教育が取り入れられた。
それぞれの国民が信じる神とはまた別に、竜の存在を信じ伝えていく為の宗教として竜神教なるものが生み出された。
これは、"昼の月"となった竜達が、世界を監視し悪が蔓延ったと判断した場合には、
世界を滅ぼすというヴィスの話から作られたもので、
信仰というよりも道徳的規範を唱え人の生き方を教える教育的な意味合いが強い。
これの総本山が、"約束の地"であるだけに国政と結びついているおかげで、
その教義とも合致し、ヴェステンメーアの識字率は高くなっている。
ついでに、真実味のある教義のおかげで他国へのおどしにも役立ち、戦争の気配は薄らいだ。
まだまだ王政の多いこの世界だが、民衆という虐げられし側の文化が、
やっと始まろうとしているのを、誰もが感じていた。


ヴェステンメーアの首都"約束の地"は、未完の都市であり、着工が遅かったこともあいまって、
今だ仮の国府である元パーズドビシャ国王城で仕事を続ける日々が続いている。
初代大統領となったナムはというと、さっさと誰かに引き継がせて傭兵に戻りたいらしい。
そんな彼を諌めるために、生き残ったナム隊の多くが国府で仕事をしている。
カールタは副大統領となり、書類業務を投げ出すナムの代わりを必死で務めている。
大学にも行ったことの無い彼には、わからない事だらけだったが、
それでもどうにかこなしているのは文官達が優秀な為だろう。
文官達が従順なのは、元パーズドビシャ出身の為、ナムの恐怖を思い知っているからという説もある。
逆らったりすれば、いつ殺されるかわかったものじゃないからだ。
そんな文官達の中に官服を着込んだケーリーがいる。
あの日、仲間の半分近くが竜の国へと連れ去られてしまったケーリーだが、
残った仲間の為に、生きやすい国づくりに全力を注いでいる。
ちなみに、教育政策により一般庶民の利用が増えたゴシック誌には、この所、
カールタとケーリーの熱愛が取り上げられているが、本人達の証言は得られていない。
しかし、来春にもカールタが国府の外に家を設けると言う話もあるので、今後の動向が気になるところとのことだ。
カデットもまたカールタと同じくナムのお守りをしているが、
"約束の地"での争いが終った直後にチャコと結婚し、忙しくも幸せな暮らしをしている。
軍に勤めるチャコの代わりに、子育てと家事を一手に引き受け、チャコを尻に敷いているともっぱらの噂だ。
冬には二番目の子供が生まれるらしく、チャコは今度こそ女の子が欲しいと躍起である。
冷たい王城の廊下を、オレンジがかった栗毛の娘が早足で歩いてくる。
その腕には、今にも取り落としそうなほどの書類があり、彼女の仕事ぶりが伺える。
ふと彼女の前に、腹の膨れた女が現れた。
「あらリベルテ、こんにちは。貴方まだ産休を取ってなかったの?」
「はいカデット、こんにちは。だって、明日か来週か来月か、いつ生まれるかわからないんだもの。
仕事は陣痛ギリギリまでやらなきゃ。」
カデットがリベルテの荷物を受け取る。
一部はカールタ宛だったので、仕事場が同じカデットが持って行くことにしたのだ。
「確かに。三年もお腹の中にいるから仕方ないでしょうけど、きっともうすぐ生まれるわよ。」
一児のママであるカデットの勘の良さは折り紙つきだ。
相変わらず頭の隅で謎の知識が渦巻いているおかげかもしれない。
「あたしもそう思うけど、あたしが休んだら財政が滞りそうなんだもの。」
「確かに。」
リベルテが財務省で働くことになり、フロッテ国との話し合いを引き受けてくれなければ、
戦争で疲弊したヴェステンメーアは他国に吸収されていたかもしれない。
それ以外にも、彼女が受け持つ商談や財務問題は、どれもかなりの利益を上げている。
今は産休前ということで、できる限り仕事は減らしているものの、
彼女とでなければ商談をしないという相手もいるだけに、彼女が休むことはかなりの痛手だ。
「カデットも産休はまだなの?」
「えぇ。予定日は二ヵ月後ですもの。」
くすりと笑うカデット。一度産んだことがある人間は余裕が違うなと思う。
「もしも時間が空いてたら、出産の時には立ち会ってもらって良い?」
「もちろんよ! 良いに決まってるじゃない!」
リベルテが当惑気味に聞いてきたので、カデットは魅力的な笑みで答える。
「ありがとう。ママが来れそうにないから、一人で産むのはちょっと不安だったの。」
そう言って寂しそうに笑うリベルテ。
「ヴィスもいないし、子育ての先輩であるカデットに来てもらえるなら心強いわ。」
「えぇ、そうね。」
ヴィスヨールイはもうこの世にはいない。
凰火が旅立って一月後、結局体調が回復しないまま死んでしまったのだ。
「あたしちょっと別の用事があるからここでね。じゃ、またね。」
「手伝ってくれてありがとう。」
角を曲がって消えていくカデットに手を振ると、リベルテはまた歩き出した。
暫く歩くと、静かな廊下の窓辺で物思いに耽るナムを見つけた。
視線の先には空に浮かぶ"昼の月"がある。
仕事があるとはいえ、ここで話しかけるべきか迷っていると、ナムがリベルテに気付いた。
「よぉ。また仕事か? サインだけ?」
「残念でした。書類に目を通してもらわないとダメです。」
ナムがおどけてくれたので、リベルテは気楽に答えることができた。
「ところで、こどもの件はどうだ?」
受け取った書類に目を通しながら尋ねてきた言葉に、リベルテは硬直する。
実は、リベルテやカデット、ケーリーにまで、子供を産んだら一人養子に欲しいと言い続けているのだ。
ナムには妻も子供もいない。今から作る気もない。
だが、子供だけでも欲しいと思っているので、彼氏や夫のいるナム隊全員に声を掛けているのだ。
「嫌に決まってるでしょ。さっさと奥さんもらって子供を作れば?」
ナムに対しては大きく出れないリベルテも、子供の件に関しては怖い。
ナムは短く溜息を吐いて、窓辺を見やる。
そこへ、鳥が急降下していくのが見えた。
「お、伝書鳥。クーリツアのだ。」
読みかけの書類とリベルテを抱えて走り出す。
同じ、竜を亡くした友達クーリツアの文だけが最近の楽しみだ。
今だ様々な問題を追及される身であるクーリツアは、人知れぬ深い森の奥にて暮らしている。
そんな彼女からの手紙は、とても興味深い。
"昼の月"となったはずのラスヴェータが夢に立ち、世界の動向をわずかに教えてくれるのだ。
そして、時には闇の竜の言葉さえも。
「今日は何だと思う?」
そう肩口に尋ねたナムは、リベルテの様子に驚いた。
「ど、どうした?」
走るのをやめ、苦しそうに呻き続けるリベルテを見る。
何がどうしたのかもさっぱりわからないナムは、大声で人を呼んだ。
夕日が近づく廊下に伏したリベルテは、オレンジの光の筋の中に今は亡き青年騎士の顔を見た気がした。


地上が黄昏に染まり陽が落ちる頃、竜達の世界には朝日が昇る。
朝焼けを見つめながら、土くれのような体を震わせる竜がいた。
土の竜ソイルだ。
朝が来る度に、死んでしまった彼女を思って泣いてしまう。
闇色に染まっていた大地が、朝日によって姿を見せるたびに、肥沃な大地を生んだ妻を思い出す。
どれほどの苦痛の中で死んだのだろうと考えれば考えるほど、また泣けてしまう。
悲しみは時が癒すと誰かに言われたが、それは嘘だと思った。
三年も経ったのに、今だに彼女を思って泣けてしまうのだ。
そんな父親には任せて置けないと、彼らの子供である幼い竜の相手は、
もっぱら近くに住むもぐら達の役目で、子供もそれは仕方ないと思っているようだ。
鮮やかな太陽を浴びて置きだしてきた子供は、今日も大地へ潜る仕度をしながら父親に近づく。
「おはようダディ。」
「おはよう。」
小さな竜が、ソイルの背中を抱きしめる。
「今はちっちゃいけど、ぜったいに長老竜になるよ。そしたらパパは悲しくないでしょ?だから、もう泣かないで。」
この言葉を言うために、三年も掛かったけれど。
そう思いながら子供は笑った。


そんな地の竜の親子の上を、風の竜が飛んでいる。プレッツリヒだ。
「叔父さんからの招待を忘れてたっ!!」
半年前に、叔父であり、育ての親でもあり、前風の長老竜の甥にあたる風の竜から、
会いに来ないかと招待されていたのだ。
しかし、広すぎる大地中を駆ける風達が、吹きすぎたり勝手なことをしないようにと、
世界中の見張りをしているせいで、すっかり忘れていた。
この所は、闇の竜から借りた"世界を見つめる瞳"で、リベルテの体調を伺っていたことも重なって、
すっかり忘れていたのだ。
「まずいな。」
叔父の家はとにかく遠い。全速力で飛んでも、時間には間に合いそうにもない。
がっかりしながら見下ろした大地に、小さな村が見えた。
いつか訪れたクノスペの村だ。
世界中を回っているとはいえ、どこに何があるのか全てを把握しているわけでもないので、
こんな場所にあったのかと驚く。
地上に彼らの村が無くなっていることを知っていたので、来ていることは予想できていた。
相変わらず小さな背丈で、金色の穂を刈り取っている姿が見える。
クノスペがどれかはわからないが、きっと元気に違いない。
「彼らの寿命が尽きる前にでも、一度は尋ねてみようかな。」
更に飛ぶと、昼過ぎに叔父の家へ着いた。
「遅い!」
「す、すみません。」
なんでもはっきりという叔父が、住処にしている小さな島の上空で待っていてくれた。
その島は、昔、彼が仕事をしていた島で、波や風を作る必要の無くなった現在では、すっかり寂れてしまっている。
「まぁいいさ。呼んだのは俺だし。」
「は、はぁ…。」
「それにさ、お前が遅れてる間に子供達と遊べたんで有意義だったぜ!」
そう言って急降下すると、二竜の風圧を受けた海面に水飛沫が上がった。


風の竜が上げた水飛沫を見上げて水の竜の少女が"キュッキュッ"と笑う。
「ママ、風の竜が飛んで行ったわ!」
くるくると珊瑚礁の上で踊ると、母親がくすりと笑って尾びれを鮫に打ち付ける。
「本当ね。でも、私のことは"水の長老竜"と呼びなさい。」
水の長老竜ヴェルナーの後任たる彼女だが、娘にちょっかいを出してくる鮫やシャチに対して冷たい。
「はーい!」
そんな母親の苦労をさっぱり知らない娘は、陽気な声でくるりと回転した。
色とりどりの珊瑚の群れの中に、ヴェルナーの髪飾りだった珊瑚も咲いている。
少女に託された珊瑚の子供達だ。
親珊瑚は、いまだ少女の髪に留まっている。
珊瑚と歌い踊る少女を見ながら、大伯父であるヴェルナーを思い出す。
男としてではなく、女として生きた竜の老後の願いは、この景色の中に加わることだった。
それは残念ながら適わなかったけれど、ヴェルナーの夢は適った。
珊瑚と歌い踊ることができる、優しい海は、確かにここにある。
己の存在を否定されず、許されない悪しき行いで他者の領分を奪うものはいない。
皆、生きるために、己であるために、喰らい喰われ生きている。
小さく母親は笑って水面を見上げた。
「そろそろ夕暮れね。」
夕日の近づく黄色を帯びた空が、水の中から見えた。少女もそれに倣って空を見る。
「ちょっと水面から顔を出してみない?」
「うわーい! いいの!? やった☆」
少女は喜んで泳ぎ回ると、母親の後を少し離れて泳ぎ始める。
いくらヴェルナーよりだいぶ小さいとはいえ、母親も立派な竜だ。
その巨体が動く時の水流ときたら、少女にはまだまだ辛い。
少女は母親の背中を見ながら、髪飾りに目をやる。
「ヴェルナー大おじちゃまも、いっしょに行こう。」
ピンクの珊瑚の一房が鬣に守られて、海面へと顔をのぞかせる。


もう誰も訪れない太陽の打ち上げ台に、若い炎の竜が二竜いた。
「見ろよ、日が沈む。」
がっちりした体格の竜が、真っ白な台の上から夕日を指し示す。
三年前には、もっと多くの仲間と共に見た夕日だ。
「でも、明日も明後日も、太陽は打ち上げないんだよね。」
ひょろりと背の高い竜が頷く。
彼らがここを訪れたのは、ここで死んだ仕事仲間に対する供養の為だ。
「こんな日が来るなんてな。」
「本当だね。」
頷きながら、ひょろりと背の高い竜は悲しげに首を持たれる。
もしも、太陽を打ち上げないで住む世界にもっと早くからなっていたら、友人達は死ななくてよかったのだろうか。
そう思うと、なかなか踏み切れなかった長老竜達が憎く思えた。
それでも、最後に命の代わりに広々とした世界を作ってくれた長老竜達に感謝しなければならない。
こちらに来て、病に臥した竜の多くが一命をとりとめ、今日も生きているのだから。
「綺麗な夕日だ。」
「うん。」
不意に、がっちりした体格の竜が呟く。
昔は、また明日も死ぬ気で打ち上げ台に上るんだと思い、嫌な気分にさせられた夕日だ。
仕事仲間が死んでからは綺麗なんて思うこともなかった。
「もう誰も太陽のせいで死なない。」
「うん。」
そう思えば、世界との別れも悲しくはない。
今までの生活の決別も、辛く思い出すことはない。
「見ろ、昼の月が黄昏色に染まって消えていく。」
太陽から視線を逸らし、紫がかった空に浮かぶ昼の月を見る。
「太陽と一緒に地上へ行くんだね。向こうはもうすぐ朝焼けだよ。」
「あぁ、そうだな。」
小さく頷いて、がっちりした体格の竜は翼を広げる。
「夜が来るよ。」
ひょろりと背の高い竜も翼を広げ、黄昏に染まる住処へと戻っていった。


夜が来るのと同時に、闇の竜も世界に顔を出す。
昼に弱く活動できる領域の狭くなった闇の竜達は、世界の果ての洞窟の中で過ごすようになった。
そこは今や亡き長老竜の頭蓋骨でできている。
小さな小さな闇の竜が洞窟から顔をだし、深い藍色の空に翼を広げる。
音無く空へ舞い上がると、空の高みを目指して飛ぶ。
"昼の月"の側まで来ると、緑がかった黄色い瞳が笑う。
「もうすぐ、炎の竜とドワーフの子供が地上に生まれるよ。
 僕は知ってるんだ。同じ世界だったら、きっと彼とは良い友達になれたことを。」
闇の竜の子供が目を細める。
「生き残った闇の竜は、みんなジェラーニヤを怒ってる。
 それ以上に、闇の竜がいつかは死に絶えることを悟って泣いてる。
 でも、僕はそれで良かったと思うよ。きっと長老竜もそれを望んでた。」
それだけ言うと、闇の竜の子供は口を閉ざしてにこりと笑う。
目の前で"昼の月"が消えた。
闇の竜も空を去った。
ただ夕日の残り火が空の端を赤く染めるのを残すのみ。


地上に朝日がやってくるのと同時に、リベルテは子供を取り出された。
どうしても産道を出てくる様子がなかったので、急遽複式帝王切開をすることとなったのだ。
長い夜の間、麻酔によって感覚がないとはいえ、不安な気持ちで手術が終るのを待った。
片手を握り締めて、ずっとカデットが見守ってくれていたから、少しは安心した。
リベルテは取り出された卵を見て驚いたが、それ以上に安心して眠りに落ちた。
それから三日後の朝、卵から小さな男の子が生まれた。
黒い髪に赤い瞳で、浅黒い肌の少年は、背中に鳥のような翼を持っている。
彼は小さいながらにすっくと立つと、母親に向かって微笑んだ。
「はじめまして坊や。君の名前はウートラよ。」
ふと空から歌が聞こえた。


祝福の朝日の中、悲しみに濡れた運命が歌う。
朝の子供、脅威の息子は強く立ち上がる。
この世界に、色鮮やかに。
滅びに進むか新たなる未来に進むのか。
答えを見据えるため私たちは空を駆る。
頭上を越えて全てを見つめる。
滅びを歌う黄昏がくるのを。
その時まで見守り続けるために。
その時が来たら全てを壊すために。
ただ今は泡沫の夢に身をゆだねて歌おう。
ただ今は夢幻の刻に身をゆだねて眠ろう。
目覚めはまだ少し先なのだから。



最終更新日 2007/01/13
感    想 本編はここでおしまい。2004/11/17
        勢いだけで、よくここまで書けたと思います。
        設定も書きながら考えてました。
        最初の予定では3話で終る英雄譚だったんです。
        予定は未定。まさしくその通りなお話でした。