ある世界の物語

49

 

心を持つ者はいつでも思い悩む定めにあっていまだ己を見出せない
心を持つ者はいつでも沢山の思いと理性に苛まれ何も見つけられない
心を持つ者はいつでも良いものを手に入れようとして多くのものを失う
それでも心を持つ者はもっと大切な思いを手に入れる 故に苦しむのだ


"約束の地"での戦いは壮絶を極めた。
各国ともに精鋭ばかりなので、化け物相手でなくとも皆苦戦を強いられた。
それでも、化け物達は"人の姿"をしている。これはあくまで人間の争いなのだ。
誰も不思議に感じなかったその思いが、突如崩れ落ち、戦場はより一層の混乱に沸きかえった。
「あれは何だ!?」
空を行く巨大な生き物を見上げ、戦いを忘れて見入る者、戦意を殺がれ逃げ出す者、
はたまた生き物に目もくれず戦う者と様々だが、皆一応に戸惑っていた。
それは砦から戦場を見守るプシニーツァ国王も変わらなかった。
普通に考えれば、自分の方へまっすぐ飛来してくるその化け物に、恐怖を感じない人間はいないだろう。
しかし、国王は驚きはしても怯えはしていない。
それは、隣に控える占い師ディスールが、アレは一時的にプシニーツァへ助力してくれると言ったからだ。
以前、従兄弟が遠征から帰ってきた時の報告書にも、巨大な生き物を"瑞兆"だと占い師が言っていたとあった。
親族の言葉とはいえ、化け物が出たなど信用できなかったが、今は信じねばならない。
真上にやってきた巨大な化け物が口を開く。
「お久しぶりね、国王様。」
小悪魔のような口ぶりの若い女の声が響いた事よりも、久しぶりだという化け物の言葉に驚く。
どんなに記憶を掘り下げても、こんな化け物と知り合いだった記憶は無い。
「あたしのこと、忘れちゃったの?」
不意に、頭の端で何かが引っかかった。この声は聞いたことがある。
これでも自他共に認める女好きであるプシニーツァ国王。気に留めた女性の声なら絶対に忘れはしない。
少し思い悩んだ後、ハッとして、傍らに立つディスールと頭上の生き物を交互に見た。
「ディスールか?」
ありえないと思いながらも尋ねてみると、化け物は愛らしい笑い声を上げながら、
こめかみから伸びた一対の長く赤い触手を、王の隣に立つ占い師の額につける。
突如、占い師は糸を失った操り人形のように崩れ落ちると、動かなくなった。
ヴェールの下から覗いたうつろな顔は、絶世の美女ディスールのものではない。
「この姿でははじめまして。あたしの名前はラスヴェータよ。」
ディスール改めラスヴェータと名乗る化け物は、柔和な顔つきで微笑んだ。


国王にそれ以上何も告げず、ラスヴェータはすぐさま戦場に引き返した。
「名乗ってしまって良かったのか?」
背中に乗るミェースチことクーリツアは心配そうな声を上げる。
以前立てていた計画を総てぶち壊された今、この先起こる事の総てをラスヴェータに任せてしまい、
これからどう動くべきか、どんな事を言うべきか、という見通しが立たないのだ。
「いいの。あたしがいることを教えるためだから。」
そう言いながら、ラスヴェータは地上擦れ擦れへと降下した。
目の前には黒い髪の男が立ちはだかっている。刀耀 凰火だ。
戦場ではよく目立つ異界の服に身を包み、誰も見たことが無い剣を翳している。
「き、斬られないか!?」
しかしラスヴェータは何も答えず、二本の真っ赤な触手を凰火へと伸ばす。
太い鞭のような触手は、凰火が切り落とそうと刀を振りかざした瞬間、ありえない速さで真下へと落ち、凰火の腹を強打した。
普通の鞭ならば、頭を狙って襲い掛かってきたものが、先端から真下へと潜り込むことはないだろう。
どんなに鞭さばきが得意だったとしても、軌道を変える前には持ち手側からの反動が波のように見えるはずだ。
しかし、この触手はそんな動きを一切しなかった。
凰火が痛みに耐えながらも、吹き飛ばされるのを堪えると、もう一本の触手が凰火を絡めとる。
逃げようにも両腕を塞がれてはどうしようもない。
息苦しさと体中の痛みにうめき声を洩らしながらも、もがき続ける。
「あたしはまだ戦う番じゃないの。」
ラスヴェータは囁くと、絡みとった凰火を絞め殺さないように気をつけながら、
北東から走りくるよく見知った顔の少年の位置を見定める。
(まだかなりの距離があるけど、たぶん大丈夫。)
そう確信した直後、勢いよく凰火を投げ飛ばした。
回転しながら宙を舞い、しかして鳥のごとき速さで吹き飛ぶ凰火。
地面が近づき、強引に体を捩り受身の姿勢をとって大地に落ちる。
頭がふらつくのを感じながら立ち上がると、見知った顔が目の前にあった。
「ジェラーニヤ。…否、今はクロか。」
黒髪に黒い瞳の少年が、焦りで余裕のない顔を向け睨みつけてくる。
「邪魔だっ! どかぬなら君だろうと壊す!!」
クロの怒声に、凰火は刀を握り締め構える。焦燥するクロに話しが通じるとは思えない。
しかし、退くつもりもない。退いた所で、どこか二つの国の王が死ぬまで戦いは続き、また敵として出会う。
それならばここで倒した方が良いことも確かだった。
「やれるものならばやってみろ。我が名は刀耀 凰火!! 竜を断つ剣なり!!」


誰もが死んだのだろうと放っておいたプレッツリヒは、妙な気配を感じて起き上がった。
見たことも聞いたことも無い、二つの属性を同時に使った不思議な術を受けて倒れたプレッツリヒだったが、
普段の官服姿ではなく、鎧兜をつけていたおかげで、なんとか致命傷は免れたのだ。
見れば、胸当てはすっかり壊れ、露呈した胸に二つの大きな傷ができていた。
竜の身でなければ死んでいたなと思いながら、体中にひしひしと感じる妙な気配を探る。
ふと南の空を見上げて目を見開いた。
「光の竜だと!?」
遥か昔に滅んだとされる光の竜の姿など、年若いプレッツリヒは知る由もないのだが、
伝承されるその容姿と同じ、クリーム色のヴェルヴェットを着込んだような体に、
赤い触手と柔らかな翼を持った獣は、光の竜に間違いないだろうと思った。
とたんに恐怖で体が凍える。
死はいつも隣にあって、しかし遠いもののように感じていた。
知り合いが死んだ時も、絶対に死ぬだろうと思った時も、死の冷たさを感じた。
だが、これはそんな優しいものではない。
逃れられない死を悟った時、むしろ心は穏やかなはずだが、光の竜の前だけは違う。
彼らの前では、死という言葉さえも多くの意味を持ち、恐怖にして脅威そのものとなりえる。
逃げるべきだという思いが心の中を埋め尽くそうとしているが、
頭の中は、世界の為、竜族の為、ここで光の竜を野放しにできないという考えでいっぱいになる。
プレッツリヒは答えの出ない問いを続けながら、襲ってきた人間を突き殺した。


睨み合う凰火とクロの間には、殺気と緊張で強張る空気が満ちている。
お互いに、"今だ"という踏み込みのタイミングを見計らって間合いを詰めていく。
最初に踏み込んだ方が負けるだろう。
そんな考えが両者の頭に浮かぶ。
人の体では、凰火とクロの速さはあまり変わらない。
お互いの懐へ入るには、どちらの獲物も大きく、接近しすぎるわけにもいかない。
ならば、最初の踏み込みを狙って、カウンター攻撃を喰らわせるほうが、確実に相手を仕留められる。
待ちきれなくなったクロは、多少の怪我を覚悟して、とうとう踏み込んだ。
その瞬間、凰火の鋭い剣戟が左肩を裂く。痛みがあったならばここで止まっていただろう。
クロは決して速度を緩めることなく間合いを詰めると、巨大な剣を真横に振るう。
しかし、凰火は一瞬早く宙に逃げてこれを回避すると、クロの頭を狙って刀を突き出す。
両手の塞がっているクロは、体を捻って最悪の事態を避けたが、頬肉を削られた。
闇色の肉が削ぎ落とされたことにさえ痛みを感じずに、クロは落ちてくる凰火を狙って剣を振り上げる。
空中で大きく移動できるはずもなく、刀の背に右手をそえ、襲い来る刃を力の限りはね除け、後ろへと着地する。
やや遠くへ飛ばされた凰火は、刀を握りなおし間合いを詰める。
クロもまた間合いを詰めながら、剣を己の陰へ投げ入れて、両手を空ける。
凰火は驚きながらも、クロの胸目掛けて刀を振るう。ここで躊躇っては命がないからだ。
だが、両手の開いたクロはより素早い動きでこれを避け、刀を持つ凰火の手を叩く。
骨が折れそうな痛みに刀を落とすと、クロの拳が凰火の胸を殴りつけた。
瞬間、何かが壊れる音と聞きなれない悲鳴がして、凰火の意識は暗闇に落ちた。


暗闇の中を歩いていくと、遠くに光が見えた。
光の中で沢山の人々が笑っている。
とても暖かそうなその光に近づこうとした瞬間、何者かに足を引っ張られた。
見下ろすと、真っ赤に濡れた手が足首を掴んでいる。
その手を切り落とし、いざ光を目指そうと顔を上げると、光が遠ざかり消えた。
また暫く歩いていくと、今度は別の光が見えた。
これもまた暖かそうで、人の笑みに溢れている。だが、突然悲鳴が起きた。
何か邪悪なモノが、闇に紛れて光を食らおうとしているのがわかった。
輪郭の無い悪意を砕くべく走るが、間に合わなかった。
光を食らった闇は、禍々しい笑みと共に姿を消した。
己の愚かさや無力さを悟って、悲しみにくれていると、小さな光が目の前にやってきた。
蛍の光のように小さく、切ないその光は、どこか懐かしい気持ちにさせる。
優しい色合いの光が目蓋に触れた瞬間、世界は闇から青へと変わった。
どこまでも高い空の青と、深く澄んだ湖の青を、森のあおが讃えている。
いつか見た景色の再現に驚きながらも、あの時のように穏やかな気持ちで水面に歩み寄る。
孤高にして雄大な自然は、光によって各々の色を浮き立たせ、闇によって存在の影を成す。
光だけでは意味を持たず、闇だけでは何者も生きられない。それが世界。
己もそうだ。
善だけでは成り立たず、されど悪だけでも成り立たちはしなかった。
その総てを見据えた先に己があり、そして、仲間や友との出会いがあったのだ。
突如、目の前に小さな光が現れる。
(全てを受け入れた貴方は、正しい道の先に、より深い愛を見出せるはずです)
光が笑ったような気がした。


澄んだ気持ちで目を開けると、目の前に立つモノのあまりの姿に飛び起きる。
「う、うぁっ…ぐぅあっ…うくっ…いぎぃがっ…」
「あぁぁぁぁぁぁぎぃあぁぁぁぁやぁぁぁぁぁ」
奇怪な彫像のように大地から生える闇は、凰火の背よりも高く聳え、捻れた腕や脚を生やしている。
固まりかけたタールのような、あるいは真っ黒な粘土のような、黒い塊から生える小さな手が震えている。
呻き声と悲鳴の二つを上げる塊から、凰火は視線をそらせずに居た。
ふと、胸元に違和感を感じ、襟元からそっと中を覗く。
ない。
ヴィスから渡された、ジェラーニヤの記憶を戻すための闇の玉がない。
襟を直し、闇色の塊を見上げる。
よく見れば、突き出した腕や脚はジェラーニヤやクロのものだし、呻き声も二人のものだ。
もしもこれが、闇の玉を手にした結果だと言うならば、なんと恐ろしいものだろう。
このままでは苦しみ続けるだけの哀れな塊だ。生きていることは苦痛となるだけだろう。
凰火は哀れみから刀を握り締め、恐ろしき塊を切り裂いた。より細かく、より確実な死を。
「さらばだ。」
地面に散りばめられた闇に背を向けた瞬間、空へと夜がやってきた。
昼前の薄青い空が闇色へと変わり、太陽が夜に飲み込まれると、そこに緑がかった例の巨大な月が現れる。
突然の夜の到来に戦場が硬直した。
しかし、それはただの始まりに過ぎなかった。


星の無い夜空へと、東から太陽がやってきた。違う、太陽よりも巨大で赤い化け物がやって来た。
続いて突風が戦場を駆け巡り、空へと飛び上がると、それもまた巨大な化け物へと変わった。
怯えて逃げ出そうとした兵士達の足元が揺れ動き、立っていられなくなると、突如地面が砕け、裂け目から水が溢れ出す。
潮の匂いを纏いながら、水の中より青い皮膚に覆われた首の長い巨大な化け物が現れた。
誰もが動けなくなってしまった中、大地の揺れが強くなる。
地面が盛り上がり、小高い山が出来たかと思うと、それがそのまま化け物となった。
揺れが収まると、世界に"声"が響き渡った。
「あたくしは炎の竜の長老竜。お前たち人間の愚考によって狩られる定めを強いられた者。」
焔の鬣を掻き乱す赤い化け物。
「私は風の竜の長老竜。人間の際限無き欲望で汚された者。」
風を纏い目を細める風の化け物。
「あた…ワタシは水の竜の長老竜。人が大地を欲するが故に仲間と住処を失った者。」
海草色の鬣から水滴を滴らせる青い化け物。
「わたしは地の竜の長老竜。穢れた大地に臥して死を待つ者。」
岩石に覆われた体を震わせる土の化け物。
「ワシは闇の竜の長老竜。ジェラーニヤ、プレッツリヒ、ヴィスヨールイ、そこにおるな?
 即刻姿を現し、光の竜ラスヴェータの隣に座して、よくその意思を聞かせよ。」
空から降り注いだ声に、地上から咆哮が上がる。
闇色の獣が、風を纏った獣が、炎の鬣を持つ獣が、地上に姿を現し、
中空を渡って光の竜ラスヴェータの隣へと舞い降りる。
プレッツリヒとヴィスヨールイは深刻な顔でお互いを見る。
巨大な力を持つ竜達の前にいるせいか、二竜とも今にも倒れてしまいそうな顔色だ。
「"我々の地"と地上を分かつにあたり、お主達に問う。地上とはどんな場所だった? 人とはどんなものであった?」
小さな人間たちは思った。これは人の世界の話ではない。だが、人の世界の危機でもあると。
彼らの答え次第では、彼ら"脅威の化け物達"は地上を去る。
それは、これからも地上にあり続けるであろう三国の戦力的疲弊を物語る。
「自分は風の竜のプレッツリヒ。風の竜の長老竜に命じられ、人の国プシニーツァで戦かいました。
 しかし、人間はいつでも権力や金に妄執し、他人を蹴落とし蔑むことしか考えない。
 もっと早くに"我々の地"と地上を分けるべきだったのではないかと思いました。」
プレッツリヒの胸から流れるのは、血ではなく風だが、その苦しみは分かる。
だが、身体的な苦痛以上に、地上での出来事は彼の心を傷つけた。地上や人間への哀れみは欠片もない。
「ボクは炎の竜ヴィスヨールイ。プレッツ君に反論します!」
ヴィスの言葉にプレッツリヒが眉間に皺を寄せる。
「ボクはリベルテと旅をして、リベルテが大好きになりました。
 彼女は差別を受ける側の人間と、差別をする側の人間の両方の血を引き、
 決して差別を受ける側を見捨てるようなことがあってはならないと考えています。
 人間にも優しさや思いやりがあるし、勝手に見放すようなことはどうかと思います!
 竜こそ、人間を注意してしかるべきだったはずだと、今では思います!」
くっきりと残る背中の傷から血が滲んでいる。
傷つけられても走れたのは、リベルテへのやさしさを胸に抱いていたからだ。
「何を言っているんだっ! 地上に干渉したところで、自分達竜の力に人間が頼りきってしまうことは目に見えている!」
プレッツリヒが叫ぶと、ヴィスもプレッツリヒを睨みつけて叫び返そうとした。
「黙れ小童ども。ワシ等はお主等の喧嘩を見物する為にここに在るのではない。」
低く威圧的な闇の竜の長老竜の声に、ヴィスもプレッツリヒも押し黙る。
「俺は闇の竜ジェラーニヤ。光の竜を殺し世界や人間を助ける為に地上へ降り立った。
 だが、知れば知るほど、人間達の行いは悪だと思った。この美しい世界を壊すから。
 しかし、俺は記憶を無くし、クロとして生きることになった。
 人は愚かで惨めな生き物かもしれない。だが、愛情を持って他者を守れる生き物だ。
 俺は今、地上を愛している。例え汚れていようとも、壊したくないし、壊されたくない。」
闇の竜の長老竜とラスヴェータ以外の竜達は、驚きに目を見開いて顔を見合わせる。
「まさか、闇の竜の若者からそんな事を聞けるとは、あたくし思いもよりませんでしたわ。」
炎の竜の長老竜の呟きに、他の竜達も頷きいぶかしむ。
当のジェラーニヤは、緑がかった月をしっかりと見つめて、気負いする感じはない。
「あたしは光の竜ラスヴェータよ。あたしは人間なんて許せない。殺した方が世界の為だと思うわ。
 だって、古き時代からの善良な生き物を殺したのは、結局人間なんだもの。
 でも、いいわ。今はもういいの。あたしの小さなお友達である女の子が、
そんな世界でも生きていたいって言うから、あたしは世界を壊さないし、あなた達長老竜に力を貸してあげる。」
長老竜達がほっと息を吐いた所に、三方より馬が駆けてきた。
各国の王と、それを守る者達だ。
「今の言葉、我々を見捨てるということかっ!!」
プシニーツァ王が顔を真っ赤にして怒鳴りつけると、プレッツリヒが疲れた顔で溜息を吐く。
「こ、このまま皆様に旅立たれては、私達は困ってしまいます。」
気弱に物申すセルフヴォラン王の顔色は悪い。
ヴィスは、彼が脅されて言わされているのだと思い当たり、肩を上下してしまった。
「クロっ!! お前まさかこいつらと行っちまったりしねぇだろーなっ!?」
ナムが馬上から叫ぶ。そこには、戦力を失うことよりも、大切な者を失う悲痛さがある。
若き闇の竜は切なげに空を見続け、ナムと顔を合わせないようにした。
「ラス、私を置いていくのか?」
ラスヴェータの背中に乗ったクーリツアも口を開く。
ラスもまた若き闇の竜と同じように空を見上げ、答えることが出来なかった。
「今まで何もしてこなかった癖に、突然力を貸して、突然逃げるとは何事だ! この無責任な化け物どもめ!!」
プシニーツァ王の言葉に、地上に鎮座した四竜は肝を冷やした。
自分達もこの言葉には腹が立ったが、それ以上に言ってはならない相手が五竜ほどこの場にはいる。
長老竜達は、ラスヴェータよりも皆年上で、さすがのラスでも意味もなく戦おうとは思えない者達だ。
長老竜達の鋭い視線が何を物語るのか、この場にいる竜の中で一番若いヴィスヨールイでさえも分かる。
更に何事かを喚き散らすプシニーツァ王が、地の竜の長老竜の豪腕に潰された。
一瞬にして当たりが静まり返る。
そっと手を上げて、動かなくなったプシニーツァ王を見て、地の竜の長老竜が残念そうな声を上げる。
「あらごめんなさい。肩に蝿が止まっていたから、払いのけてさしあげようとおもったの。」
にこりと微笑む地の竜の長老竜に、他の長老竜達も顔をひきつらせる。
「普段怒らない方だけに、怒ると怖いわっ。」
地の長老竜とは顔馴染みであるラスヴェータの呟きに、多くの竜が頷いた。
「ぷ、プシニーツァ王が、が、が、がっ!! あ、あああ、悪魔だっ!!」
怯えて逃げ出したセルフヴォラン王を、水の竜の長老竜が口に咥えて空高く放り投げる。
悲鳴と共に舞い上がったセルフヴォラン王は、それ以上の悲鳴と共に大地へ落ちて潰れた。
「あたし、これでもまだまだ独身乙女なのよっ★ しかも悪魔じゃなくて竜っ!」
ぷんぷん怒り訂正する水の長老竜の姿を見て、プレッツリヒが口を開けて震えている。
どうやら、オカマに出会ったのは初めてらしい。この姿が彼の心に深く刻まれたことは間違いない。
残されたナムに長老竜達の視線が集まる。
「俺の望みは、クロと一緒にいることだけだ。弱っちい人間の子供になってもいい。俺はクロと暮らしたいんだ!!」
馬上で叫ぶナムの瞳は、クロの顔を凝視し続けている。
「私もそうだっ! ラスがどんな者でも良い!! 一緒に笑っていられれば、生きていられる!!」
ナムの言葉に共感したクーリツアは、光の竜ラスヴェータの首を思い切り抱きしめる。
当惑したのは当人達だけではない。
まさか、竜という巨大で異質な姿を見ても、心から大切に思える人間が生きているとは、
さすがの長老竜達も、夢にさえ思わなかったのだ。
気まずい空気が流れる。
「世界を分けるのは並大抵の力でできることではない。命を削るものとなる。
長老竜諸氏も光の竜ラスヴェータも命を落とすか、上手くいっても長くは生きられないだろう。
また、古き時代の穢れなき血は、総て地上と分けられるのだ。どうしても共にはいられない。」
闇の竜の長老竜の言葉に、ナムが馬上に崩れ泣き叫ぶ。クロと別れる悲しみに耐え切れなくなったのだ。
周囲を護衛していたカールタやカデット、チャコ、ケーリーがナムを慰めようと馬を寄せる。
クーリツアも、自分が世界の壁を越えられないと知り涙を浮かべた。
その肩を、光の竜の赤い触手が優しく触れる。
「世界はたくさんの犠牲のうえにあるのです。それをよくおぼえておきなさい。」
地の竜の長老竜が優しく諭したが、それはあまりにも残酷な言葉だった。


クロが暴れるナムを押さえる中、世界を分け隔てる術が始まった。
長老竜達が祈るように首を折ると、闇の長老竜の歌声が響いた。
それは呪文、それは命令、それは決して誰にも意味のわからない言葉。
歌と共に、四つの長老竜とラスヴェータの体が光りだす。
光が強まるにつれ、世界そのものが揺れ動き始めた。
最初は小さな地震だったものが、巨大な地震となり、すべてを打ち壊すように震える。
海が空へと上っていくのと同じように、世界の果ての端々でマグマが空へと落ちていく。
風が吹きすさび、総てを掻っ攫うように空へ逃げ出すと、夜空がどんどん高く遠く退いていく。
やがてそれが巨大な竜の体だと判った時、闇色の体は青い海に投げ出され、肥沃な大地となってその上に緑を茂らせる。
高い山ができて、その先端からマグマがあふれ出し、その煙を風が浚っていく。
頭上に広がる天地創造の瞬間に、世界中が息を呑みこんだ。
地上の地震が収まる直前、大きな揺れが来た。肉体にではなく魂に。
多くの人間たちは何も感じなかったが、ラスヴェータやリベルテ、
カデットやケーリーといった、古い血を持つ人々は悲鳴を上げる。
自分の体が引き裂かれるような、空へ引っ張られるような感覚に抗った。
やがて長老竜達の姿が光となって消え去ると、頭上に広がる大陸は青い空に飲み込まれ見えなくなってしまった。
決して地上は変わらない。否、地震でそこら中に地割れができたし、風によって木々が倒された。
だが、それ以外に何が変わったともわからない。世界はむしろ晴天で気持ちよい秋風が吹いている。
大地に座り込んだクーリツアが涙を流した。


空の果てに消え去った肥沃な大陸には、もはや長老竜達はいない。
ただ一竜生き残った風の竜の長老竜も、その姿をプレッツリヒ達に見咎められた直後姿を消した。
「もぅ、地上には戻れない。何を思って生きれば良いのっ!?」
世界と世界を隔てる青い風の壁である空の高みで、悲しみにくれる光の竜ラスヴェータに、
若い闇の竜はゆっくりと近づいていく。
どちらも、世界が分かたれる時、強引に連れてこられただけに、お別れも言えなかった悔しさを抱いていた。
「姿を変え、地上の空へ戻れるかもしれない。」
唐突な若い闇の竜の言葉にラスヴェータが顔を上げる。
「闇の竜の長老竜が死ぬ前に、俺に不思議な魔法を与えてくれた。」
黒い玉を右手に握り締める。
「俺の寿命と君の力を合わせ、姿形を変えることで、地上の空で世界の終わりまで生き続けることができるらしい。」
ラスヴェータが若い闇の竜の顔を覗き込む。
「ただし、その姿は"月"だ。決して地上に干渉することはできない。また、空にいられるのは昼の間のみ。
 朝は地上とこちらで交互にやってくるから、地上の空とこちらの空を交互に進むことになる。」
ラスヴェータは頭上に広がる空を見上げ、真下に広がる巨大な大陸を見下ろした。
もはや、この世にいない闇の長老竜の事を考える。何を企んでいたのだろうか。
「何か裏があるのでしょう?」
その言葉に若い闇の竜が苦笑する。
「俺と君で、地上とこちら側の両方をこれから見続けろと言った。
もしも、この世は滅ぼすべきだと思った時は、魔法を解いて世界を壊すようにとも。
 実際、それがこの魔法の条件だったおかげで、闇の長老竜はあまり世界に干渉できなかったらしい。」
やっとわかったというように、ラスヴェータは頷く。
つまりかの竜は、遥か昔、この世界の創生の時から生き続けてきたのだろう。
世界を滅ぼすべきかどうかを見定めるために、終わりのない"生"に縛られてさぞ苦労したことだろう。
そしてやっと今、死ねた。
闇の竜の長老竜が死ぬ直前、その緑がかった黄色の瞳を優しく歪めて閉じたのを見た。
彼は孤独だったのかもしれない。みんなが先に死んでいったのだから仕方ないことだが。
「孤独な話ね。」
「でも、俺がいる。そして、俺も君も、ナムやクーリツアと共に生きられるんだ。」
その言葉にラスヴェータは目を丸くする。
そっと彼の意識に触れようと試してみると、優しい気持ちに溢れて、自分の意識を受け入れてくれた。
覗き込んだ若い闇の竜の心は、広く優しく、そしてナムのことやラスのことを心配してくれているのが分かった。
もはや目の前にいるのはジェラーニヤでもクロでもない。
「一つになったんだね。」
ラスの言葉に若い闇の竜が静かに頷く。
「俺は竜の世界よりも、地上を愛してしまったから。」
若くて、頑固者で、自分勝手な竜だと思っていたが、成長したな。
そう思ってラスヴェータは優しく笑う。
「いいわ。一緒に世界の終わりを見ましょう。」


リベルテは泣きながら戦場を彷徨っていた。
突然に王を奪われ、世界が分かれたことに呆然として、そこら中で兵士達が座り込んでいる。
だが、そこにはヴィスヨールイも、ジェラーニヤもプレッツリヒもいない。
そして、自分の魂の半分も。
世界が二つに分かれる瞬間、己をひっぱる巨大な力に負け、
体の半分を持っていかれたような苦しみと共に、大きな喪失感を味わった。
漠然と、自分の魂だか精神だかが持っていかれたのだとわかったが、どうしようもなかった。
空は人の体では飛べないし、小さなリベルテの目にはあまりにも高く感じた。
何が悲しいのかもわからなくなりそうな心を抱えて、一人凰火を探して歩き回る。
暫く歩くと、凰火を見つけて走り出す。
「ひっく…オゥルカっ!!」
静かに佇む彼に抱きつくと、凰火が背中を撫でてくれた。
出会ったばかりの頃の優しさで、そっと抱きしめてくれた。
「ヴィスが…みんながっ……あの空に…ひくっ…つれてかれちゃったよぉ!!」
埃まみれの凰火を強く抱きしめると、少しだけ安心した。
安心したらまた涙が沢山出てきた。どうしようもないことだと分かっていても、悲しい。
失って、もう会えないのだと知って、やっとヴィスを好きだったのだと思えた。
どんなに血に濡れても、どんなに苦しい選択をしても、それでも愛してると言ってくれた、
優しい竜の事が大好きだったと、今更に思い知った。総ては手遅れだったのに。
「ヴィスを連れ戻そう。」
凰火の言葉にリベルテは顔を上げる。
「でき…っ…るの?」
「あぁ。少し待っていろ。」
リベルテから離れ、彼がいつも時空を渡る時に使う術を発動する。
とたんに凰火の体は光に包まれて消え去った。
少し離れた丘の上で、アターカは凰火が消え去るのを見ていた。
「やはり、人間ではなかったのか?」
だが、彼女はそれを確かめるよりも先にやるべきことを感じて、馬を走らせた。
最後まで付いてきてくれた四人の部下は、もう彼女の背に付いてはきてくれなかったから。


「やーめーとーけっ!!」
プレッツリヒが柄にもない声を出して、ヴィスヨールイの前に立ちはだかる。
「やだっ!! ボクはリベルテに会うんだっ!!」
連日の戦いでボロボロになった体は、ただ空を飛ぶだけでも辛いはずなのに、
世界と世界の間に出来た膜を打ち破ろうと、何度も体当たり繰り返して更に傷ついている。
「死ぬぞっ!?」
最初は愚かな行為だと傍観していたプレッツリヒも、
風の壁に阻まれて何度となく落ちても、なおぶつかり続けるヴィスヨールイの姿に、とうとう耐えられなくなったのだ。
「死ぬもんかっ! ボクはリベルテのとこに行くんだ!!」
プレッツリヒを跳ね除けようとしたが、クロに切られた背中が痛んだ。
突如翼から力が抜け、真っ逆さまに落下し始める。
これに驚いたプレッツリヒは、慌ててヴィスヨールイの下に潜り込み受け止める。
「自分が風の竜で、それも強い翼を持ってなかったら、君は大地にぶつかって死んでたぞっ!?」
プレッツリヒは怒鳴りながらも、虚ろな瞳で空を見上げる親友の姿に胸が痛くなった。
ヴィスに肩を貸しながらゆっくりと新しい大地へと降下する。
「見てみろ。ドワーフの血がそんなによければこちらにも沢山来ているぞ。」
プレッツリヒが顎で指した辺りには、浅黒い肌の人々とその集落が丸ごとあった。
当人達もだいぶ困惑しているようだが、子供達は早速目新しい森へと探検に出ている。
住み慣れるのも時間の問題だろう。
「ダメだよ、プレッツ君。ボクはリベルテが好きなんだ。ドワーフだからじゃないんだ。
どんな女の子よりも金勘定に煩いし、差別問題では泣き喚くし、弱っちぃけど。」
(どこが好きなんだ?)
恋愛どころか普通の対人対竜関係もままならないプレッツリヒが疑問に思う。
「だけど、笑顔がとってもかわいくて、やろうって思ったらとにかく一生懸命なんだ。
どんなに傷ついても、最後には立ち上がってやってのける。そんなリベルテが大好きなんだよ。」
ヴィスが大粒の涙を零して答えると、プレッツリヒは頭を抱えた。
大地に足をつけると、柔らかな土に沈み込む感覚が気持ちよく、二竜ともその場に座り込む。
疲れた体には、柔らかなベッドよりも気持ち良いし、何より穢れがなく安全だ。
ヴィスは大地に腹ばいになって地上の大地を思う。
地上の土は、こんなに柔らかくはなかったし、第一、触れているだけで害になりそうだった。
それでも、彼女の隣にいるときは、全く気にならなかったのだ。本当に。
「そんなに思っても駄目だ。長老竜達が命と引き換えに作った世界だからな。到底、越えられるはずがない。」
プレッツリヒの言葉にヴィスは苦い顔をして俯く。
世界を分ける術で、生き残ったのは光の竜ラスヴェータと、風の長老竜のみ。
風の長老竜は、忽然と姿を消してしまったので、力を借りることもできない。
いや、あの竜が助力してくれるとは全く思えないので、この過程は間違っているのだが。
せめて炎の長老竜が生きていれば…。
だが、彼女は死んだ。
大好きだった祖母は死んだ。
祖母の死の悲しみ以上に、これからリベルテに会えない悲しみの方が大きい、そんな自分を思うと、少し笑えた。
竜も、こんなに誰かを愛せるのだと思うと、まだ頑張れる気になった。
暖かな大地と柔らかな日差しで体も温まり、ヴィスは少し元気になって立ち上がる。
またヴィスが無茶をすると悟ったプレッツリヒが、心配そうな顔で立ち上がり、突然顔を歪める。
「何か来るっ。」
プレッツリヒが顔をしかめて、何もない目の前の空間を睨む。
ヴィスは何が来るのだろうと、その視線の先を見つめた。
何せ、プレッツリヒはどんな術にも敏感で、自分はどんな術にも鈍感だから、信用しないわけにはいかない。
二竜の視線の先に、突如光が現れた。



最終更新日 2007/01/13
感    想 ヴェルナーさんが死んじゃった。うえーん。