ある世界の物語

48

 

誰が死ぬのか老婆は答えず 夜風のような溜息を吐く
誰が勝つのか女神は微笑まない 無情な瞳が閉じられる
誰が笑うのか未来は語らない 口を真一文字に閉じ
揺り篭に揺られて過去が泣き喚くと 今日が叩き起こされた


そこは"約束の地"と呼ばれ、三大大国であるプシニーツァ、パーズドビシャ、
セルフヴォランの三国の境界線が重なる場所の丁度真ん中に位置している。
この三国だけでなく大陸の北西部を埋め尽くす巨大な森に、ぽっかりと開いた穴のような場所で、三国共有の土地でもある。
南部プシニーツァ領付近は平坦な土地が続き、森も消え敵味方共に隠れる場所がないだけに、
プシニーツァが長きに渡ってこつこつと作ってきた岩の砦が、平原に忽然と現れたようで薄気味悪い。
その砦の壁の上に出てきたプレッツリヒは、小さく溜息を吐いた。
夕闇が迫る"約束の地"の端々で、人の起こす光が揺らめいているのだが、
よく目を凝らせば、敵味方関係なく小競り合いを始めているのがわかった。
長く危険な遠征の為か、仲間同士での喧嘩も起きやすくなっているとはいえ、
そんな張り詰めた空気と夜陰に乗じて、敵国の兵士を殺そうと画策し暗躍する者もいる。
運命の戦いは明日だというのにだ。
何故こんな愚かな生き物にヴィスヨールイは惹かれたのだろう。
何故こんな愚かな生き物のせいで、竜や古き善き友達は苦しまなければならないのだろう。
だが、人間を総て否定することもできない。彼らの中にも仕事に忠実な者がいる。
己の意思に反して、命じられれば人を殺し、己の命さえ絶つものが。
それは自分も変わらないではないか。
大伯父である風の長老竜は、昔から好きになれない相手であるにもかかわらず、
自分たち風の竜の長なのだと思うと、その命令には嫌々でも従ってしまう。
大役であればあるほど嬉しいが、こんな汚い仕事でも、漠然と己の為に生きるよりは良いように感じてしまうのだ。
結局、"仕事"という他人任せな生き方に慣れてしまったのは、自分も人間も変わらない。
腹立たしいことに。
プレッツリヒはうんざりした顔で空を見上げた。まだ白い月が目に入る。
「こんな地上を見続けるなんて、自分にはできない。」
尊敬と呆れの両方を抱きながら砦の中へ戻った。


北東部セルフヴォラン領付近は小高い丘と滑らかな傾斜が続き、"約束の地"全体を見渡すことが出来る。
とうとう三国国取り合戦を明朝に控え、軍全体が興奮高まる中、
アターカはこの合戦で先陣を走るということで、明日を考えて少し緊張していた。
本人も、先陣を切ってプシニーツァ国王の首を取れれば良いと思っていたので、先陣であることに不服はない。
結局、自分には祖国と呼べるもの、母国と呼べるものはあっても、
どちらも誇るに値しないと知った今、こんな争いはさっさと辞めにしたかったからでもある。
割り切ったとは思っても、不安は残る。
今回の戦は、表向きにはパーズドビシャに対して二国で共闘するというものだ。
そんな中でまともにプシニーツァ王の命を狙っては、のちのち国同士で角が立つ。
今更な事だが、これも権力争いの面倒な所で、アターカにはどうしようもない。
不意に目の前が翳った。夕刻だからというわけではない、もっと暗い影だ。
見上げると、夕日を背に凰火が立っていた。アターカは驚いて立ち上がる。
「な、何か用かっ!?」
つい声が裏返ってしまい、自分でもしくじったと思いながら咳払いをする。
以前リベルテに茶化された時は、凰火の事はほんの少し気になる程度の相手だったが、
今はだいぶ気になる相手になってしまった。相手は妻子持ちだというのにである。
これも、時折見せる優しい笑顔が悪いんだ、いつも邪悪な顔で突っ立っていれば良いのに!
などと内心勝手な文句を言いながら、気持ちを落ち着けて凰火と向き合う。
「あぁ。一応、明日はどちら側を打とうか悩んだのでな。」
ここまで来てしまえば、もう戦わずにはいられない。正義を翳すにしろ、悪に従属するにしろだ。
ともすれば戦いは命がけだったとしても、楽しめる相手の方が良い。そこで悩むのが相手だ。
リベルテやヴィスから聞いた話では、プシニーツァにいるプレッツリヒはかなりの腕前らしい。
また、ジェラーニヤの化身であるパーズドビシャのクロも、技の練度はともかく凄腕の持ち主である。
正義感のある漢としてはプシニーツァは殲滅すべき国だと思っていたし、
戦いを楽しむだけならば、セルフヴォラン軍人として、パーズドビシャは摘むべき危険な思想国だ。
そこで、どちらを重点的に叩くか悩んでしまい、とりあえず所属している国の考えを聞きたくてやってきたのだ。
「それに関しては、特に書簡も来ていないんだ。たぶん、事務処理が追いつかないだけだろうが。」
そう言ってセルフヴォラン内の混乱振りを皮肉った直後、黒い外套を着た男が現れた。
凰火が構えたので、アターカは大丈夫だと制止し、男の肩布を確認しながら書簡を受け取る。
アターカに書簡を渡すと、男はどこかへ行ってしまった。
「何者だ?」
「王佐付きの騎士だ。」
書簡を紐解きながらアターカが答えると、凰火は男の去っていった方を見ながら鼻を鳴らす。
口にはしないが、実践よりも隠密行動の方が得意な騎士なぞ胡散臭いものだと思った。
「…答えが出たよ、異国の騎士殿。」
短い沈黙の後、アターカが口を開く。その顔には侮蔑の色しか見えない。
「我々先陣はパーズドビシャを攻める。これはプシニーツァと同時だから仕方がない。
 しかし貴殿は先陣に居るかのように見せかけて、プシニーツァ側に攻め入る。」
凰火は僅かに間を置いて笑う。
つまり、二国の全戦力をパーズドビシャに向ける振りをしながらも、
最初の攻撃で手薄になったプシニーツァを凰火に攻めさせて、大きな損害を与えようと言うのだ。
勿論、相手もそう来る可能性があるから、保険の為かもしれない。しかしそんなものは建前だろう。
「全く、我が国ながら情けない卑怯ぶりだっ。」
アターカが書簡を握り締めると、気品のある文字で書かれた書簡は皺だらけになる。
「いちいち拠り所を求めずに、ただ血の匂い酔えれば楽になれるぞ。」
冗談めかして凰火が言うと、アターカは眉間に皺を寄せて書簡の皺を伸ばす。
「ヴィスにも連絡してくる。」


「ゆーやみゆーやみかえるうみー♪ ゆーやみゆーやみかえるそらー♪」
ヴィスが陽気に歌いながら棒切れで地面に絵を描いているのを見つけ、
リベルテはなんとなく隣にしゃがんでその姿を見ることにした。
夕飯までは暇だったし、今はあまり何も考えたくなかったからだ。
「あしたはそーらにあめあられー♪ あしたはうーみになみあらしー♪」
意外にも絵の才能があるらしく、抽象的ながらも踏んで消してしまうには惜しい感じだ。
だが、リベルテにはそれが何の絵かは予想も着かない。
「さよならしーてうちかえろー♪ おやすみしーてうちかえろー♪」
最後にゆっくりと瞳を閉じて、絵を台無しにするかのように線を入れていく。
「あぁーあぁーあかなしいおそうしきっ♪」
歌い終えたヴィスは目を開けて、描き終えた絵を見ると、深い溜息を吐いた。
「なんの歌? それに、なんの絵?」
リベルテの言葉にヴィスは苦笑いを浮かべて、筆代わりにしていた棒切れをそこらへんに投げ飛ばす。
「こどものおまじないだよ。昔よくプレッツ君と歌ったんだ。」
ちなみに、プレッツリヒが教えたものにもかかわらず、当人はあまり歌わなかった。
いつ会えるのか知りたいと思う相手であった父は、もう死んでいたからだ。
「どんなおまじないなの?」
最後の"お葬式"というフレーズからしてあまり良いものではない気がしたが、
それ以上に、どんなおまじないで、どんな結果が出たのか知りたかった。
「明日起こることを占うんだけど…」
「おーい!」
ヴィスの言葉を遮ってアターカがやって来た。
「アターカ。何かあったの?」
リベルテは立ち上がったが、ヴィスは足元の絵とアターカを交互に見て、口をきつく結んだ。
「明日の我々の目標が決まったんだ。パーズドビシャを叩く。
だが、プシニーツァからの攻撃を懸念して、異国の剣士殿にはプシニーツァ側に回ってもらう。」
「他には?」
「もうすぐ夕飯だ。支度をするから、そろそろキャンプに戻ってくるように。」
そう言って背を向けたアターカにリベルテが問いかける。
「もしもこの争いが終ったら、革命に参加してくれる?」
気軽な言い方だったが、内容はあまりにも重い。
アターカは僅かに振り返ると、力なく笑う。
「そうできたらいいな。」
すぐに正面へ向き直って歩き去った。
アターカが見えなくなると、ヴィスが口を開く。
「それじゃあ、オゥルスカさんはプレッツ君と戦うのか…。」
「でも、ヴィスはジェラーニヤに会えるから、あの闇色の玉を渡せるね。
 そうしたら、きっともっと早くこの争いは終るでしょ?」
リベルテが無邪気に笑ったので、ヴィスは曖昧な返事を返して立ち上がると、地面に描いた絵を足で消し去る。
「どんな結果だったの? …なにか悪いことが?」
リベルテが少し不安そうに見上げてきたので、ヴィスは首を横に振って笑うと、リベルテの頬に口付ける。
「純朴なる女神の瞳が悲しみで濁るようなことはないよ。そう、不安がらないで。
しょせん、おまじないなんて、こどものお遊びなんだからさ。」
リベルテのパンチが来ると思ったので、ヴィスはさっさと森へ続く茂みの中へ消えてしまった。
頬を押さえて顔を赤らめた少女が、キャンプへ戻るのを見ながら、ヴィスヨールイは溜息を吐く。
リベルテに嘘を吐いてしまった。とても沢山。
玉は凰火が持ってる上に、アレでは戦闘中に渡すのは困難な事だろう。
それに、占いの結果を一つでも漏らせば、リベルテは泣いてしまうかもしれない。
「誰かが死ぬなんて言えないよ。」
ふと変な気配を感じて立ち止まると、急に体が震え始める。
「何か大きな力が来ようとしてる…。」
見上げた空の端に夕日が落ちていくだけで、空は何も答えてくれないが、確かに感じる。
ヴィスは震える体を支えながら、夕食を集めに森へと向かった。


北西部パーズドビシャ領付近は沼地となっており足場が悪いが、樹木が群生していて身を隠すには良い。
クロは斑に残る森の一角に設置したテントの前でぼんやりとしていた。
ナム達人間は、少し離れた場所で夕食の支度をしていおり、夕食の支度を手伝えないクロは暇なのだ。
というのも、以前、夕食の手伝い中に塩を一袋鍋の中に入れて、激辛汁を作ったからだ。
戦場を染めていく夕闇の中、テントの隣で焚き火を眺めていたクロは、急な悪寒に襲われた。
見回すと、いつの間にか人間の姿が消えている。
確かに皆が夕食の手伝いをしているので、もとよりまわりに人はいなかったのだが、
それでも人の声まで消えてなくなるはずはない。
すぐにこれが炎の竜と風の竜による幻影だと気づき、これほど大掛かりな代物ができる相手を想像して立ち上がる。
突然、目の前の焚き火から鮮血色のドレスを纏った女が現れる。
続いて、右手にある小さな沼から、秋の夜にしてはいささか寒そうな格好の男…が現れる。
その男は沼の中から、顔色の悪い作業着の女を引き上げるとクロの右側にやって来た。
ふっと髪が揺れ旋風がクロの左手に立ち上がると、リベルテの長兄そっくりな男に変じた。
クロの中で、ジェラーニヤが叫ぶ。こいつらは長老竜だ! と。
言われなくても、体中が硬直し震えるほどの威圧感を発することができるのは、長老竜だけだと思った。
驚いたクロは、取り囲むように立ちはだかる四人から逃げようと一歩引く。
なんとか回れ右をしようとした瞬間、えもいわれぬ感覚が体中を這い回る。
同時にクロの陰から黒い眼鏡を掛けた老人が現れ、クロの両肩を掴んだ。
クロは逃げるのをやめ硬直する。否、全身から力が抜けるような感覚に襲われ、足が震えて動けなくなったのだ。
「お久しぶりね、若き闇の竜。」と、炎の長老竜。顔が笑っていない。
「逃げられると思ったの?」と、水の長老竜。哀れむような瞳で首を傾げる。
「私より早い翼を持つというなら話は別だけどね。」と、風の長老竜。あいかわらずの薄笑いだ。
「はじめまして、若き闇の竜。わたしは地の長老竜です。お会いするのがおくれてざんねんです。」
と、地の長老竜。呼吸が荒く、だいぶ無理をしているのがわかった。
「おれになにかようか?」
クロはできる限り平静を装ったが、闇の長老竜と接している為か、意識が混濁しはじめる。
「まずはじめに教えてください。ジェラーニヤの記憶とクロの記憶とそれ以外の記憶があるとは、本当のことですか?」
ジェラーニヤが分厚い静寂の壁の中へ逃げようとしたところを、闇の長老竜という外部意識が捕まえ引きずり出す。
「か、カニェーツは…いない…お、俺と…クロだけ…。」
口の端に泡を浮かべ、焦点の合わない目で答えると、闇の長老竜以外の四竜が顔を見合わせる。
「あたくし、カニェーツと聞いたけど、聞き間違いかしら!?」
「いいえ!! あたしも聞いたわ!! あの光の竜と岩牢に入った彼の名前を!!」
「まさか本当にカニェーツだったとは!!」
三竜の言葉を遮るように、地の長老竜が口を開く。
「いないということは、闇の竜カニェーツの魂はどうなったのですか?」
少なくとも、他の三竜よりかはカニェーツの魂について詳しく知っている。
何せ、岩牢にラスヴェータとカニェーツを閉じ込めたのは彼女自身だからだ。
ラスヴェータの事は気にしていたので、カニェーツの魂が二つに分かれたことを知っても、それを誰にも明かさなかった。
知らせるには、風の長老竜も闇の長老竜も信用ならなかったからだが、闇の長老竜はとっくの昔に知っていたかもしれない。
「クロ…が…くった。」
地の長老竜は悲しそうな瞳で俯いたあと、ゆっくり顔を上げて、闇の長老竜を底冷えする瞳で睨み付ける。
闇の長老竜は目を逸らし、小さなクロの耳元に顔を持ってくると、静かに言葉を紡ぎ始める。
「準備が整った。後は光の竜ラスヴェータの出方次第だ。彼女が死んでは元も子もないのでな。
 明日にでも"我々の地"と地上を分けるつもりで、今日はお主の元へ来た。
 光の竜ラスヴェータを殺すな。例え、他の総ての人間を殺したとしてもだ。」
これにはジェラーニヤもクロも驚き、闇の長老竜の意識の手を押しのけてクロが顔を出す。
「ナムを殺そうとしたら、俺はラスヴェータも殺す!! ぜったいにぜったいに!!」
「クロ。」
闇の長老竜がクロの肩をきつく掴む。痛みを感じぬ体のはずが、酷い苦痛に襲われてうめき声を上げる。
「お主に選択する余地はない。総ては"我々の地"を守る為、世界の安定の為じゃ。」
「だからどうしたっ!! いまさら世界や光の竜のことをおもうなら、戦争なんかけしかけさせなければよかったんだ!!
 世界をこわそうとしたのはおまえたちじゃないかっ!! 世界はいまでもきれいだったのにっ!!」
これには他の長老竜も腹を立てる。
「いいかげんに口を塞ぎなさいっ! あなたのような子供に何がわかるというのかしら!?」
炎の長老竜が怒りで顔を赤くし一歩前に出る。
「あたしだって、好きで地上と別れるわけじゃないわ。」
水の長老竜が睨みつける。その髪には大切な珊瑚の髪飾りはない。
「世界を壊しかけたのは、むしろ闇の竜達ではないかっ。」
吐き捨てるように言った風の長老竜を、地の長老竜が睨みつける。
「あなたは責められる立場なの? いいえ、いまは追及しません。
それよりもジェラーニヤ、クロ。たとえあなた達には綺麗に見えたとしても、
この世界は竜の体にとって毒であることにかわりありませんよ。」
寂しげな顔で諭す地の長老竜。その体は一人で立つこともままならず、水の長老竜に支えられている。
そんな話を聞いても、彼は受け入れない。
闇の長老竜の干渉によって、ジェラーニヤなのかクロなのか、
どちらの意識ともつかなくなった若い闇の竜は叫びたかった。
だが、それは不可能だった。
「頭を冷やせ。」
闇の長老竜が手に力を入れると、突然若い闇の竜の意識は遠のき、膝から地面に倒れた。
暫くして目覚めた時には長老竜達の気配もなく、目の前にはカデットが立っており、
何を寝ているのかと笑われてしまった。


翌朝、全員が同じ色の布を渡され、各々その布を腰に巻いたり頭に縛った。
プシニーツァ軍は鮮やかな黄色、パーズドビシャ軍は緑色、セルフヴォランは薄い赤色だ。
この時点で、どこの軍の兵士も3000人よりやや欠けていたが、それは仕方なかった。
お互いに同じ距離の場所に整列すると、中央の空き地に馬が駆け出してくる。
誰もが走る一歩前の緊張に包まれる。
馬上の男は、"約束の地"の中央に火薬の詰まった箱を置いて自軍へと戻る。
ほどなくして導火線は火薬へと近づき、澄み渡った秋空へと花火が駆け上がった。
瞬間、先陣である騎馬兵達が各々の敵へと駆け出す。
「やっぱりな!!」
誰かが叫んだ。
三軍とも、他二軍に対して同時に攻撃を仕掛けた。
結局、二軍同時にパーズドビシャを落とすという、口約束にも似た話は騎馬に蹴られ霧散したのだ。
アターカとヴィスは、ナムの首を奪う為、クロの守るパーズドビシャ軍との境界線へと馬を走らせる。
「合図したら、思い切り馬を走らせて!!」
隣を駆けるヴィスが叫ぶと、アターカは怒声とも返答ともわからない声を上げる。
パーズドビシャ軍の騎馬兵とセルフヴォラン軍の騎馬兵が一直線に並ぶ直前、
ヴィスは馬上から飛び降りると、柄の長さが普段の10倍はありそうな戦斧を生み出し、真横に薙ぐ。
「いまだっ!!」
パーズドビシャ軍の馬達は、あるところでは転び、あるところでは首を折って死に、
あるところでは落ちた騎手を蹴り殺した。
陣形が崩れたところを、セルフヴォラン軍の騎馬兵達が抜けていく。
直接当たるよりも多くの馬が、先陣を抜けたのを目の端に追いやると、ヴィスは戦斧の柄の長さを短くする。
身の丈の二倍ほどの斧を翳し、人間相手に悪いなと思いながらも振り回す。
自軍の兵士も混ざっているだけに戦い難いが、ここで踏みとどまらなければならない。
何が何でもセルフヴォラン側へと戦線が食い込んではならないと言われたからだ。
勿論、それだけではない。
セルフヴォラン本陣近くにはリベルテがいる。もしも戦線が食い込んだ場合、彼女の危険は一気に増す。
「リーベールーテーのぉーたーめぇーにぃっ!!」
一人違う掛け声を叫びながら、力任せに敵国の兵士を真っ二つにした。


プレッツリヒは馬と同じ速さで走り、セルフヴォランの先陣と激突した。
彼の槍捌きは並の武人のものではない上に、力も早さも人のそれではない。
だが、味方さえも切り裂く勢いのせいか、彼の攻撃が届く範囲に自軍の兵はない。
それさえも、人相手ならば問題ないので、プレッツリヒは単純作業をこなすように敵を倒していた。
不意に、人ならぬ殺気を感じセルフヴォラン側を振り返る。
「来たかっ!」
忌々しげに見つめる先には、セルフヴォラン軍二陣の騎馬兵達がいる。
その先頭を切って走るのは、黒髪に黒い瞳を持つ異界の剣士、刀耀 凰火だ。
勢いよく目前まで迫った凰火の乗る騎馬の喉を、プレッツリヒは思い切り貫く。
だが、凰火はすんでのところで馬上から飛び降り難を免れた。
二人が接触したと見るやいなや、誰もが二人の周りから遠ざかる。
近寄れば巻き添えを喰うと、彼らをよく知らぬ者も本能で察していたからだ。
「ここから先はプシニーツァ軍以外は通せない。例え異界の旅人でも。」
プレッツリヒが馬から槍を抜くと、馬はどさりと真横に倒れる。
「つまり、俺に立ち向かうと言うのだな? 面白い。」
にやりと笑い、凰火はプレッツリヒを睨みつける。
「我が名は刀耀 凰火!! 命を断つ剣なり!!」
抜刀し構えると、凰火から放たれる恐ろしい殺気で空気が震える。
しかしプレッツリヒは涼しげな顔を向け、槍を構えて名乗りを上げる。
「自分はプレッツリヒ! プシニーツァを守護する者です! よく覚えておきなさい!」
突風が吹き、凰火の視界が霞んだ瞬間、プレッツリヒが凰火に向かって踏み込む。
凰火の太刀もかなりの長さを誇るが、槍の守備範囲に比べれば、どちらが広いかは言わずともわかるだろう。
一瞬遅れて反応した凰火の左肩を槍先が掠め、すぐさま第二戟として舞い戻る。
これも交わしながら凰火は内心毒を吐く。
(ジェラーニヤやヴィスとはえらい違いだっ。力こそ二人に劣るが、一撃一撃に無駄が無い。
それに先程の風、もしやこやつが放ったのか? そうだとしたら、また不意を突かれるかもしれん。)
しかし、警戒して間合いを広げれば広げただけ、獲物が刀である凰火は不利だ。
己の攻撃が届かないにも関わらず、プレッツリヒの攻撃を受けてしまう。
懐に潜り込まなければとわかっていても、近づけばプレッツリヒの鋭く早い突きが襲ってくる。
今もまた、襲ってきた槍を真上へと弾き、懐へと飛び込もうとした瞬間、
素早く方向を変えた槍が、真横から足を払おうと狙ってきたので、仕方なく後ろへと飛びのいた。
「負けたことが無いと聞きましたが、その程度のスピードでは犬にも追いつけませんよ。」
プレッツリヒはそう言いながらも凰火の右肩を狙って槍を振るう。
今はまだ優勢とはいえ、このまま凰火と戦い続けていれば体力が持たない。
槍を弾かれる度に、手の痺れが強くなる。早く決着をつけねばならない。
凰火は間一髪で槍先を避けたが、刃は右肩を掠め、風圧でより深く肉を抉った。
「負けたことぐらいある。」
忌々しげに唇の端を噛む。
今のままでは遅かれ早かれプレッツリヒに負けてしまう。
スピードも力も違う上に、間合いの違いは更に手痛い。
だが、それさえもどうにかできるだけの力を、凰火は持っている。
今でもなお彼に干渉し、彼を狂わせるものであり、また同時に彼の正義を示すために使われる力。
使うべきだ、という考えが頭を過ぎる。
「気がそぞろですよっ!!」
凰火の迷いが踏み込みを遅らせた瞬間、その隙を突いてプレッツリヒの槍の柄が凰火を宙へと投げる。
体を捻ることも、ましてや逃げるための動作へ移行するのも間に合わなかった。
凰火が空中で体制を整える暇を与えず、プレッツリヒは跳び上がり、凰火を地面へと叩きつける。
背中を強かに打ちつけた凰火は、すばやく立ち上がろうとした瞬間、顔の前に刃を向けられ硬直する。
刃から鞘へと視線を移してゆくと、プレッツリヒの冷めた視線とぶつかった。
「…このままこの世界から出て行けば、自分は貴方を殺しません。」
敵である凰火を殺すことに躊躇いはないが、異界からの旅人を殺した場合、
どんな罰則が生じるのかわからないことを思い出し、殺さずに戦意をそぐことにした。
もしも凰火の仲間が、凰火と同じような力を持ち、凰火を殺した事に激怒して、
報復の為にこの世界へと軍勢を送った場合、人どころか竜にも甚大な被害が及ぶだろう。
今もプレッツリヒの手は痺れ、凰火との戦いで呼吸はやや不規則になっている。
(時期風の長老竜と歌われ、武術に優れた自分が苦戦するのだ。多くの竜は命を落としかねない。)
「生憎、約束を守らないほど甲斐性なしではない。」
凰火の答えにプレッツリヒは眉根をひそめる。
お互いに一歩も引けない緊張感の中で、凰火の頭にリベルテとヴィスの会話が思い出された。

「プレッツリヒに、仕事を首になったんだね、上司と喧嘩するなんて、職場で嫌われてたんじゃない、
とかなんとか言うと、ものすごく落ち込んで、周りがぜんぜん見えなくなっちゃうの。」
リベルテの言葉にヴィスが笑顔で頷く。
「そうなんだよ。だからプレッツ君と喧嘩するときは、危なくなったら彼の気にしてることを言うんだ。
すると隙だらけになるから、ボクはその間に慌てて逃げるんだ! とっても簡単にね!」
ヴィスの言葉にリベルテが笑った。
「それで兵士としてやってけるの?」

凰火はプレッツリヒを見つめ、皮肉じみた笑みを浮かべる。
「上司と喧嘩したとは本当か?」
瞬間、先程まで一変の揺るぎもなかった殺気に乱れが生じる。
「そ、それが、どうしたんですか?」
「しかも、喧嘩して仕事を無くしたらしいな。」
動揺しはじめたプレッツリヒを見ながら、凰火は刀の柄を強く握る。
「い、い、いまは、あ、新しい職場に…」
プレッツリヒの言葉を遮り、開いていた右手で砂を投げつけると、プレッツリヒが短い悲鳴を上げてよろめく。
すぐさま立ち上がった凰火は、刀を握りなおし、呼気を改め構える。
「刀耀一刀流・鳳炎凰水斬!!!」
プレッツリヒは慌てて防御しようとしたが、間に合わなかった。
焔よりもなお気高き鳥と、澪よりもなお貴き鳥が、凰火の剣戟より生まれプレッツリヒを襲う。
二つの異なる属性の術を同時に放つなどありえない!
そう叫ぶま間なく、鳥の幻惑がプレッツリヒを捕らえ、その胸を深く抉り真後ろへ吹き飛ばす。
混戦する戦場に放り出されたプレッツリヒがどうなったのか、凰火の位置からでは見えない。
「…。」
どうでもいいことだったので聞き流していたが、時には仕えるんだな。という思いと、
こんなくだらないことで隙を見せた相手を打ったところで、何が得られるんだ。という思いが襲い、
凰火はプレッツリヒの吹き飛んだ方に背を向け、プシニーツァ王の首を求め走り出した。


クロは小さく舌打ちした。
プシニーツァ側をラスヴェータに任せておいたにも関わらず、
彼女とクーリツアが突然行方をくらましてしまったのだ。
おかげで、セルフヴォランとの戦線よりも、プシニーツァとの戦線の方が本陣に近づいてきている。
問題は、人ならぬ力を持った者達が、まだ誰一人として倒れていないこと。
そして、ラスヴェータが裏切ったかもしれないことだ。
いくらナムが元気だろうと、彼らが一人でも本陣に近づいたならば、パーズドビシャは負ける。
それを痛いほど分かっていたので、クロはプシニーツァとの戦線側に移動しなければならなくなった。
だが、セルフヴォランとの戦線から引けば、ヴィスヨールイが本陣へと踏み込んでくる。
これでは元も子もない。
クロは急ぎ足でヴィスヨールイを探した。少なくとも、彼だけでも仕留めておけば、セルフヴォランの猛威は減る。
ラスヴェータが、凰火はプシニーツァ側の攻撃に当てられる、と言っていた事が事実ならば、だが。
小さな体で走り続けると、人ならぬ気配を感じてそちらを見やる。
「いた。」
ヴィスの方は気付いていないらしく、人間相手に戦斧を振り回している。
クロはできる限り気配を消し、小さな体を利用して、兵士と兵士の影を縫いながらヴィスヨールイの背後へと回る。
すぐさま巨大な剣でヴィスの背中を狙ったが、周りに人間が多すぎて偶然にも避けられた。
クロは悔しがって、ぶつかってきた敵兵を殺す。
敵兵はクロの存在と己の死に悲鳴を上げたので、これを聞いたヴィスが振り返る。
クロとヴィスの視線が交わり、周囲から音が消えたような妙な沈黙が広がった。
「ジェラーニヤ…。」
ヴィスの顔から血の気が引く。突然音が戻ってきた。
クロは相変わらず冷めた顔で剣を構えると、ヴィスを殺すために走り出した。
死の危険を感じたヴィスは、相手に背中を向けて逃げ出した。
いくら記憶が無いとはいえ、相手は闇の竜で、年上で、とても強い。その癖、冗談が通じない。
死の予感を背中に受けながら、とにかく逃げて逃げて逃げまくるヴィスヨールイ。
あまりにも急いで走った為、隣を走っていた敵の騎馬兵を追い抜かしてしまい、敵兵が驚いて落馬した。
それでもクロは追いかけてくるし、間合いはどんどん詰められており、追いつかれるのは時間の問題だ。
「オゥルスカさん助けてぇー!!」
情けないが、ついつい凰火の名前を叫んでしまう。
しかし、これでもヴィスは必死だ。何せ背中に受ける殺気が、より一層大きくなっているからである。
凰火のいるであろう南へと走りながら、これからどうしようと考えていると、
ヴィスは背中を斬られたのを感じ、痛みで顔を歪めた。
振り返らなくてもわかる。クロの振り回す巨大な剣が、背中を斜めに斬ったのだ。
これが自分ではなく人間だったら、確実に死んでいたなと思いつつも、逃げるのをやめない。
立ち向かえば確実に死ぬし、立ち止まっても死ぬからだ。
それに、死ぬとしても、セルフヴォランの本陣から出来る限り遠い場所へと、クロを連れて行かねばならない。
そうしなければ、リベルテが殺されると容易に想像できたからだ。
プシニーツァ軍の黄色い布を巻いた兵士が見えはじめた瞬間、ヴィスは魂が凍えるような恐怖に襲われた。
体が硬直し、一歩も動けなくなる。
風を切る轟音に空を見上げると、巨大な化け物が空を横切る。
「ラスヴェータ!?」
クロは驚いて走り出した。もはやヴィスのような若い竜なんぞにかまっていられない。
竜の姿を見せたということは、つまり本気で世界を壊す気だということである。
突っ立っていたヴィスを突き飛ばすと、銀の鬣を風になびかせる巨体を追って、プシニーツァの領地へと走った。
ヴィスは体を起こし、痛む背中をかばいながら竜を見る。
はじめてみた光の竜は、炎の長老竜よりも小柄だが、太陽よりも巨大で、
自分のような若くて小さな竜では、到底太刀打ちできないことを思い知る。
足が震えて立てなくなってしまったヴィスは、その場で武器を握り締めると、
この世の終わりが来ないことをただ祈った。



最終更新日 2007/01/13
感    想 化け物三つ巴合戦開始。