ある世界の物語

46

 

かけがえのないものであり慈しむべきものというのは なかなか見つけにくい
若くしてそれを見つける者もいれば 死を間近にして知る者もいる 心と心の交わりはなんて尊く気難しいのだろう
愛しくて離れがたいものを裏切らねばならない時 後に残るのは罪悪感
若くしてそれを知る者もいるし そのせいで生きることに絶望する者もいる 心と心の交わりは悲しい結末も持っている


地上が慌しくなったことに竜達も不安を覚え始めていた。
それでなくとも、地上に蔓延する戦のおかげで世界が穢れ、同族達が病や死に苛まれているのだ。
これ以上の被害は避けたかったし、避けられないならば、長老竜達に人間達を殺すことを推挙せねばならない。
誰もが緊張し、長老竜達の出方を伺いながら、いつ己や家族に病と死がやってくるのだろうと嘆いた。


世界の東の果てには、太陽を日々打ち上げる、炎の竜の住まう島がある。
炎の長老竜はその巨体を太陽のトンネルから出し、賢き炎の竜を呼び集めた。
その中には彼女の一人息子もいた。つまりヴィスの父親だ。
「詳しいことは答えられませんが、あたくしの跡を継ぐべき炎の竜を選ぶことにいたします。」
この場にいた炎の竜達はみな驚き、お互いの顔を見る。
見れば、時期長老竜になってもおかしくない、知性と能力を兼ね備えたものばかりだ。
こうなることが解っていたという顔をする者もいれば、何故この時期にという顔をする者もいた。
だが、誰も炎の長老竜自身には聞かず、隣の竜と話し合う。
炎の長老竜が痺れを切らして口を開こうとした瞬間、彼女の息子が口を開く。
「失礼します、炎の長老竜。どうして今の時期にこのような重大な事を決めねばならないのですか?
第一、私達の誰もが貴方のような力は持っていません。到底太陽を持ち上げることは不可能です。」
これには他の竜達も頷く。
この中で一番体の大きい者でさえ、炎の長老竜の肩口にも届かない。
炎の長老竜はざわめきが納まるのを待って口を開く。
「あたくしが炎の長老竜を任された時は、あなた方よりも背が低かったわ。」
この答えに、全員は呻き声を上げる。
「他に質問もないようですし、この中からあたくしの後任を決めるためのテストについて話します。
 でも安心してちょうだい。地上の戦争が終るまではあたくしが長老竜ですから。」
その言葉に炎の竜達は顔をしかめる。
勘の良い竜達は、心が沈み、涙さえ浮かべる者もいた。
テストのやり方を説明すると、昼前だというのにさっさと全員を帰してしまう。
全員が持ち場へと戻ったのを確認した炎の長老竜は、ふとまだ誰かが残っているのに気付いた。
「炎の長老竜…いえ、お母様。お話があります。」
やっぱりかという顔をして、炎の長老竜は住処である太陽のトンネルへと息子を招き入れる。
息子と二人きりになるのは何十年、否、何百年ぶりだろうと思いながら、小さな体を見つめる。
「お母様、私は…」
「あなたの父親との出会いはね。」
息子は言葉を遮られたので、炎の長老竜を見る。
礼儀を守る母が、意味もなくこんな事をするとは思えなかったからだ。
「あなたの父親でありあたくしの夫である彼とは、三千年か四千年前だったわ。
 その時は、まだ五百年も生きていない少年で、今のヴィスヨールイに少し似ていたわ。
 そそっかしくて、失敗ばかりしていたのだけれど、そこが妙に愛おしくなっていた。
 何万年も長老竜として生きてきて、初めて恋をしたの。そして、結婚したの。
 おばあちゃんよりも年の離れたあたくしを、本気で愛してくれると言った彼とね。」
炎の長老竜が自嘲気味に笑った。体の大きさこそ違うが、彼女は息子と同い年と言っても通りそうな程若い。
老婆とはどうしても見えない。
「そしてあなたを生んだ。だけど、太陽の運行の為に、あたくしはあなたを育てることがあまりできなかった。
 本当にごめんなさい。」
「いいえ。お母様がお忙しいのはわかっていましたから。
それに、お母様は仕事の開いた昼間はちゃんと面倒を見てくれたじゃありませんか。」
息子が微笑むと炎の長老竜が瞳に涙をためて微笑む。
「ありがとう。彼の育て方が良かったのね。八百年近く前になるのかしら? 彼が死んだのは。
 老衰で死ぬ時、彼はあたくしを置いていく事を嘆いてくれた。あの時、一緒に死ねなかった自分が悲しい。
 でも、あたくしは死ねなかったの。死んではいけなかったの。
だって、長老竜になる為には光の竜の力が必要だったから。」
息子が驚きに目を見開く。
「光の…竜。」
「光の竜は魂と心を司る竜。長老竜が長い時を生きられるようになる為には、
 世界の秩序を知る闇の竜と、光の竜に、巨大化の術と延命の術を掛けてもらわなければならないの。
 だけど、光の竜はもう、ラスヴェータしかいない。
だから、あたくしが炎の長老竜をやめることはできなかった。」
「そんな理由が…。」
心のどこかでは、愛よりも仕事の方が大事なのだろうと冷めた思いを抱いていただけに、息子は後悔で胸を痛める。
だが、母の死ぬ前に知ることができて良かったとも思えた。これからは母を本当に愛せるから。
「でも、次の長老竜からは、巨大化の術も延命の術もいらなくなるの。理由は…まだ明かせないけど。」
「お母様…よくぞご決断なされました。」
息子は死を覚悟した母を誇りに思えた。今までの胸のつかえが取れるような気がした。
「ヴィスは知っているのですか?」
息子の問いに炎の長老竜は首を横に振る。
「最後まで知らせないつもりです。あの子は地上で生きることを決意した。
その時点で、あたくし達は死んだのと同じですもの。」
そう言った当人が一番悲しかった。
一人息子は夫よりも自分にそっくりで、背が低く小太りだ。
お腹を痛めて産んだ仔だったので愛してはいたが、どうしても夫のように強く愛せなかった。
だが、ヴィスは違う。今は背が低いが、もう何十年か生きれば誰よりも背が高くなるだろう。
それは、彼の祖母であり、炎の長老竜の夫と同じように。
だからこそ、他人に孫を可愛がりすぎると注意されても愛しく感じてしまうのだ。
何万年もの孤独な生を埋めてくれた、今は亡き夫に生き写しの彼を。


嵐の後の虹が映る水の底には、地上の生き物が辿り着けない水の竜達の住処がある。
水の長老竜は、今が一番かわいい年頃である、姪の孫娘と遊んでいた。
「ヴェルナー大おじちゃま、こんどは何して遊ぶ?」
くるくるとその場で回る娘を見ながら、水の長老竜は顔をひきつらせる。
「お姉さんって呼びなさいって何度も言ってるでしょ☆」
「でも、大おじちゃまは大おじちゃまだよー。」
いまいち理解力が無いのも子供の特権と言わんばかりに"キュッキュッ"と笑う少女。
勿論、目に入れても痛くないほど可愛い娘なので、ヴェルナーは彼女に形無しだ。
「そうだわ、ちょっと海面まで上がらない? 今日はきっと鱗雲が青空に栄えてきっと綺麗よ☆」
「わぁステキ!!」
少女が喜んで泳ぎ回ると、ヴェルナーより小さい影が現れる。
「水の長老竜、いくら仕事をきちんとこなしているとは言っても、
いま地上の海域に顔を出すことがどんなことかぐらいわかりますよね?」
ちょいと怖い顔の女性は、水の長老竜の姪の娘に当たる。
つまり、ヴェルナーと遊んでいる少女の母親だ。
「いやぁーね。わかってるわよ★ でも、ちょっと遊びに行くくらい良いじゃない!」
「良いじゃない☆」
ヴェルナーの口真似をする娘を見ながら、女性は溜息を吐く。
「別にいいですよ、大伯父様が責任を取ってくださるなら。
ですが、娘が怪我をするようなことがあれば、貴方でも容赦しませんから。」
厳しい態度の女性にヴェルナーは顔をひきつらせる。
ヴェルナーの姪っ子はそれはそれは可愛くて、抜けた所のある水の竜だったが、
それが反面教師になったらしく、姪っ子の娘であるこの女性はとにかくきつい。
しかも、それは他人も家族も関係なく、水の竜の長であるヴェルナーに対しても変わらない。
知らない者は怖い女だと思うが、実のところ彼女が口やかましく言うのは、
誰も傷ついてほしくないという彼女なりの気遣いなのだ。
キツイ口調で冷たい顔をされれば誤解されても当然で、誤解されるのは本人の責任もある。
「わかってますよーっだ☆ それじゃあ海面まで競争ね! ハンデとしてあたしはちょっと後から行くわ。」
そう言って水の長老竜は、珊瑚の髪飾りを幼い娘の髪に刺す。
地上の海との境界線を越える事は、幼い娘が自力で行えることではないので、
珊瑚の髪飾りに境界線を越えるための術を施してあるのだ。
「わかったぁ。じゃあ、今日こそ勝つために、がんばりまーす!!」
少女はそう言って尾を振ると、全力で海面へ向かって泳ぎ始めた。
「ところで貴女、水の長老竜にならない?」
ヴェルナーの言葉に女性は驚く。
「馬鹿ですか? それとも気が狂ったんですか? 狂うのは女装癖だけにしてください。」
手痛い言葉に呻きながらも、ヴェルナーは神妙な面持ちで言葉を続ける。
「別に狂ったわけじゃないわ。ただ、貴女にも言ったけど、近々、地上と"あたし達の地"を完全に分けるの。
 それも、闇の竜の坊やに聞いた方法ではなく、もっと完璧な方法で。」
女性は長い尾を手近な岩に巻きつけて、ヴェルナーの言葉を清聴する。
「ただ、その術はとても力が必要で、地上と分かれた後に水の竜達を導くことができないほど消耗してしまうわ。
 あたしも長く生きたし、それを機会に引退しようかと思ってるの。
 余生は…、そうね、あの子や珊瑚達と楽しくのんびりと暮らしたいわね。」
そう言って上を見上げる。まだまだ地上との境界線まで達しない泳ぎは、とても愛らしい。
「命に関わる術なんですね。」
女性の指摘に、ヴェルナーは小さく笑う。
「何故私なんですか? 他にも立派な水の竜はいるでしょう。」
「貴女は小さな事にも目を留めて、全体を見てくれる。まとめ役には適任だと思ったの。」
そう言ってヴェルナーは地上の海へと向かって泳ぎだす。
残された女性は、胸が熱くなるのを感じながら、遠い空を見上げる。
海とは違う空の青は、涙がこぼれる肌色だなと思うと、少しだけ泣けた。


世界の西の果てより少し北には、波を生み出す風を吹かせるための島がある。
こういった風の島は世界にいくつかあるのだが、その中でも特に大きいのがこの島だ。
島がある一帯で生まれた強い風の竜は、島で風を生み出す重労働をするのが決まりだ。
これは現風の長老竜が決めたことではなく、もっとずっと前の長老竜が決めたことだった。
風の長老竜は久方ぶりにこの島で働く甥の元を訪ねた。
「やぁ、ご機嫌いかが?」
ヴィントが男に声を掛けると、男は忌々しそうにヴィントを睨みつける。
「なんかようかい? 伯父さん。」
「用が無ければ会いに来ちゃいけないのかい?」
そう言ってヴィントの翼が小さく波を作る。
「暫く甥っ子を借りる代わりに、今日は私が波を作ろう。君達は休んでくれ。」
そう言ってヴィントがそよそよと波を作り始めると、他の風の竜達は喜んで島を飛び出していった。
ヴィントが来た時はいつもそうだったので、新入りの竜達以外は皆すぐさま飛び立った。
若い竜達も気後れしていたが、気の聞いた先輩に引っ張られて島を出て行く。
ヴィントとその甥っ子以外の風の竜がいなくなった島は、少し大きく感じられた。
「で、用事って何っすか? 俺はあんたの顔を見るのも嫌なんで、早く家族の所に行きたいんだよ。」
ぞんざいな言葉にヴィントは本当に嫌われているなと内心笑った。
「プレッツリヒの事だ。今は君が後見人だろう。」
突然男の顔色が変わる。
「プレッツリヒに何かあったのか!? それともあんたまさか、プレッツリヒを喰ったのか!?」
風の竜の食事は、風や空気である。
竜の中では唯一同族を喰うので、イレギュラーな存在だと言われているが、
それでも竜同士で喰いあう事は滅多にないので安心していただきたい。
だが、時として決闘や喧嘩で喰いあいになることはある。その姿は同族でも怯えるほど残酷だ。
噂では、職場でもプレッツリヒはヴィントと仲が悪いと聞いていただけに不安になる。
「大丈夫、食べてないよ。いくらなんでも亡き甥っ子、君のお兄さんの息子を食べたりはしないよ。食中りしそうな奴だし。」
「あんたにとっちゃ、最後の言葉が一番大きいんだろうな。」
減らず口を叩くと、ヴィントは少しだけ大きな波を作ったが、男を攻撃することはなかった。
風の長老竜より若い者で、彼に減らず口を叩いても攻撃されないのはこの甥っ子ぐらいである。
それは、彼やプレッツリヒの父親の母親に当たる、ヴィントの妹が関係している。
「それで、プレッツリヒはどうしたんだ? この島にいると情報がぜんぜん入ってこなくて困る。」
妹に似た気配で悪態をつかれると、さすがのヴィントでも逆らえない。
「今は私の命で地上にいる。立派なものさ。まぁ、それはどうでもいいんだよ。」
男はこの伯父が大嫌いだ。
自分勝手だし、母が死んだのも兄が死んだのも、突き詰めればこの男のせいだと思っているからだ。
「プレッツリヒには前から言われていたように、時期風の長老竜になってもらう。
 もう少し後の話だが、そう遠い未来でもない。」
「また自分勝手になに言いやがんだっ!!」
プレッツリヒが風の長老竜になる事を一番反対しているのは、
幼いプレッツリヒが両親を亡くし困っているところを保護した彼である。
風の長老竜なんて、悪い印象しか抱けないだけに、より一層反対するのだ。
「自分勝手だろうが何だろうが、私の次に力のある竜と言えば彼だけだ。
 後はどんぐりの背くらべ。君だって彼に比べればとても弱い風だ。」
ヴィントの言葉に男は口ごもる。
ヴィントの親族の中で一番彼の力を継いでいるのは、間違いなくプレッツリヒだ。
そして、ヴィントを抜かせば風の竜の中で一番強い風もまたプレッツリヒである。
「役職に付くのは、その竜が職を全うできる力の持ち主だからであって、
誰かの思惑ではないことぐらい君も良く知っているだろう?」
「…あぁ、知ってるよ。だから俺はこの島で波や風を作ってるんだ。それをプレッツリヒは気にしてるけどな。」
感情を出すのが下手で、間違われるような事ばかり言う甥っ子だが、本当は優しい奴だと知っている。
男は寂しく思いながらも小さく頷く。
「あいつがやると言うなら、俺は何も言わないよ。あんたの好きにすればいい。」
「あぁ、そのつもりだ。では、君も若い奥さんと幼い二人の息子に会って来い。」
男が何か答える前に、風の長老竜は男を島から吹き飛ばした。
長老竜が何を考えているのか相変わらずわからないが、
今は妻と息子達に会いたい気持ちでいっぱいだったので、長老竜に挨拶もしないで陸地へと飛んでいった。


それよりももう少し南西に行ったところに、地の竜が住まう世界の果ての島がある。
昔はもう少し多くの地の竜が住んでいたのだが、人間たちが戦争を起こす度に数を減らし、
今ではとうとう三竜しかいなくなってしまった。
地の長老竜とその若き夫ソイル、そして彼らの幼い子供である。
今日は子供の方も地下でモグラ達と遊んでいるので島にはいない。
「なんで、なんで君が死ななきゃいけないんだっ!?」
人の姿に化け寝椅子に横たわり、やわらかな陽光を浴びている地の長老竜は、相変わらず顔色が悪い。
元の姿でいるよりも、この頃は人の姿でいることを好むのは、動くことも疲れてしまったからである。
その傍らで女性の冷たい手を擦り温めようとする男は、涙を流して問い続ける。
「今まで君は僕や子供の為に、毒を一身に受けて、こんなにも体を害してしまったっていうのに!
 どうして今度は君が命を落とさなければならないんだ!? 別れるなんて嫌だよっ!!」
「いますぐにというわけではないのよ。」
ゆっくりと伸びた女性の手が、男の頬を撫でる。ひやりとして生きている心地がしない。
男は泣きながらその手を握り締め頬ずりする。
「わたしはね、あなたよりずっと長く生きてきたっていったでしょ? ソイル。
 みんなより長く生きて、あなたに会えたことがとっても嬉しかったの。
 だから、ソイルやわたし達のこどもがこれからも生きてゆけるなら、ちっともかなしくないのよ。」
そう言って笑う地の長老竜。だが、ソイルは本能的に知っている。
彼女はいつだって自分の心を押し込めて、悲しい顔で笑うのだと。
だから、自分が代わりに泣いて、抱きしめてあげなければいけない。
「僕ばっかり泣くなんて寂しいよ! たまには君の心を教えてよ!」
ソイルが強く抱きしめると、地の長老竜はソイルの背に腕を回してそっと囁く。
「…本当は怖いわ。貴方達を残して死ぬなんて、とても怖い。もっとずっと一緒に居たいっ。」
小さく涙する彼女に口付けしながら、彼女のこけた頬に手を添える。
こんなに愛しいのに、こんなに傍にいたいのに、どうして死が二人を別つのだろう。
二人は涙を零しながら、身を重ねた。


宵闇が深まり、人々が夢の中を行き交う時間、小さな家の中で二人の老人が暖炉を見つめて座っていた。
一人は、黒い色眼鏡を掛けた黒髪の老人で、紫の煙を上げるパイプを燻らせている。
もう一人は、白髪というよりも銀髪に近い髪の老人で、光の溢れるカップを啜っている。
おもむろに黒髪の老人が口を開いた。
「光の、お主はどう思う? やはりワシの設計は悪かったのだろうか。」
「闇の、ワシにもわからんよ。あの時はワシらもこれで良いと思ったじゃないか。」
暖炉の中で炎がはぜる。
「うむ。だが、この戦いを生んだのも元はといえばワシのせいだったのだろう。
やはり間違っていたのじゃろうな。お主もワシに腹を立てたじゃろう?」
黒髪の老人が寂しげに目を細めると、老人たちの間に置かれた小テーブルの上の丸い鉢で魚が跳ねた。
「お前さん、そんな事を言っては、何も知らず戦って死んだひよっ子どもが哀れじゃぞい。
 少し前には確かに腹も立てていたが、こうしてお互いの腹のうちを話すようになってからは、もう気にしとらんよ。」
銀髪の老人が小さく笑うと、真っ暗な外で風が暴れているらしく、窓ガラスが震える。
「お主にそう言ってもらえると助かるよ。本当に、気が落ち着く。
戦いに多くの者を駆り立てたワシじゃが、死を目の前にしたからこそ思うのじゃろう。
今までの行いの全てが間違いであったと。」
「あぁ、少し待ってくれ。風が強くなってきたのでな。外にある鉢をしまいにいく。」
そう言って銀髪の老人が立ち上がると、黒髪の老人も立ち上がり、二人で戸の外に出る。
一寸先も見えない闇が広がる外を見ながら、軒先に出していた三つの鉢を戸の内側へ入れる。
座りなおした二人の老人は、また静かに暖炉を見つめる。
「闇の、それでもワシらがやらねば、ここに住処はなかったのじゃ。
作らなければ、今こうして思い悩むこともなかったし、子供たちの顔も見れなかった。」
銀髪の老人が、ティーポットからカップへと光を注ぐと、それをまた口にする。
「光の、それでも後悔はするものじゃ。やはりワシらは故郷を追い出された時、
素直に死ねばよかったのではないかと不安に思うのじゃ。」
黒髪の老人が紫の煙を燻らせながら問うと、銀髪の老人が笑った。
「いいじゃないか、闇の。ワシらは神でも創造主でもない。
ただ生きたいと願った愚かな生き物だったと思えば。」
「そう思うには、あまりにも長いこと生きた。
あの時、一緒に追い出された者達ももう生きていない。あとはワシとお主だけじゃ。」
「まぁ、そうなるのぉ。」
感傷的な顔の黒髪の老人とは打って変わって、銀髪の老人は楽しそうだ。
「それでもワシは生きていて良かったと思うぞ。この歳で、人間たちの国の変わり目にも参加できた。
 あんな風にワシらも上手くいっていたらと思うと、少し寂しい気もしたがのぉ。」
老人たちは長いこと沈黙した後、ふと時計を見た。
人の使う時計とは違う、奇妙な文字盤の時計を見ながら老人達は笑った。
「動いてないとわかってたのに、つい見てしまった。」
そう言って、黒髪の老人は胸ポケットから懐中時計を出し時間を確かめる。
「どうも、大きい方の時計を見てしまうものじゃな。」
銀髪の老人も、腰ベルトに取り付けていた時計を見やる。
「もうこんな時間じゃ。ワシはそろそろ行くよ。また近々会おう。
 ワシらもこの世界に決着を着けねばならんからな。特に、風の小童の事は気をつけねば。」
「うむそうじゃの。あのひよっ子の事はワシも気を配るよ。それじゃ、帰り道に気をつけてくれ。」
黒髪の老人が、淡い光の入ったランタンを持って家を出て行くの、銀髪の老人は静かに見送った。
「さぁ、寝るかのぉ。」
家に戻った老人は、部屋にあった引き出しから闇色の玉を取り出すと、それを握り締めて目を閉じる。
次の瞬間には部屋は消え去り、景色は揺らいで闇を失い、結末を知らない夢へと変わった。
銀髪の老人の姿も揺らぎ、誰とも知らない誰かとなって、夢の中へ溶け消えた。



最終更新日 2007/01/13
感    想 長老達にだって大切なものがあるんです。