ある世界の物語

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誰よりも高く飛べると信じていた 誰よりも強いのだと思っていた
愛こそ全てだと思って世界を投げ打った それは過ちだったとは思わない
孤独に苛まれることはないけれど 本当に信頼しあっているのかわからない
色々な思いを込めて俺たちは生きている それも故郷から遠く離れた場所で


「王様なんて言葉はウザったくて仕方ねぇ。羅紗の織物に白獅子のマント…俺にゃ似合わねぇ。
誰かを助けるつもりはねぇ。俺はそんなに偉かぁねぇ。どうあがいても、生まれの悪さはどうにもならねぇし。
 そんな俺に、王様をやらせようっつぅーんだから、覚悟はできてるんだろうな?」
俺の言葉に、確かにあいつは頷いた。あのババァは頷いたんだ。


ここの所のナムの機嫌の良さときたら、ナムとは長い付き合いであるはずのカールタでさえ引くものがある。
半月後に迫った"約束の地"での決闘の為、数日後には遠征をせねばならず、
王宮の生活に慣れ始めたカールタやクーリツアは侘しささえ感じているのに、ナムときたら正反対の陽気さである。
彼にとって血潮に染まる戦場こそ帰るべき場所なのだから仕方ない。
そんなナムでも、許せないことがある。
クロのことだ。
以前のクロと違うことは、誰の目にもはっきり映る。
左目を眼帯で隠したクロは、淡白な表情から一変、にこやかな笑みで始終過ごしているし、
何かにつけて占い師の老婆ラスヴェータと行動を共にしている。
自分のモノだと思っていたクロが離れていく事に、目を瞑っていられるのは、
アレがクロではない何かなのだと、本能的に感じ取っているからで、
もしもクロに戻った時には、決して放したりはしないと思いながら、漫然と時間が過ぎて行った。


その日の昼前に、カニェーツは酷い熱を出して倒れてしまった。
熱なんて持つはずもない体であるのにだ。
これに驚いたのは他の誰でもないカニェーツ自身であった。
一日眠ればどうにかなるだろうと踏んで、原因を探るためにも一人で居たいと進言し、
その日は、月の光さえ入らない部屋で一日を過ごす事にした。
この忙しい時期に倒れるとは、と、カールタは小言を言ったが、ラスヴェータは心配してくれた。
勿論、さっさと原因を究明し、使い物になるよう体調を整えるようにと催促する為だが。
それでもカニェーツは嬉しかったので、全力を持って内なる脅威と向き合うことにした。
「ジェラーニヤ、無理に体の構造を変えようとすれば君も苦しむはずだよ?」
カニェーツの言葉に、内なる怒りが表層へと顔を出す。
『例え苦しむ羽目になっても、貴様から体を取り戻すためなら何でもする!』
荒々しい言葉にカニェーツは声を立てて笑う。
「馬鹿だな。魂の半分しか出来上がっていなかったような弱い君に、体を与えたのは私だとも言えるんだよ?
 それなのに楯突くなんて、君は恩知らずにもほどがある。」
会話をしながらも、意識と意識の壁がぶつかり合い、互いの魂に傷がつく。
『黙れ!』
「黙らないよ。私の魂の半分がなければ、君は生まれることもかなわなかっただろう。
 そればかりか、生まれたとしても、君の同輩達には追いつけない者になっていたはずだ。
 君にだってわかるだろう? 君の知識の多くが私の記憶にもとることを!」
カニェーツの意識の触手が、弱まったジェラーニヤの怒りの壁を貫き、ジェラーニヤが悲鳴を上げる。
「ほら、この程度の言葉で心揺さぶられる。君は半人前以下だ。竜と呼ぶにもおこがましいただの妄執なのさ。」
触手は壁の向こう側へと入り込み、壁に開いた穴を広げるようにのたうつ。
その度に己を侵食され傷つけられる痛みにジェラーニヤは呻きのた打ち回る。
「さぁ、大人しく眠れ。君もクロも。そして私に体と魂を渡しなさい。」
反撃さえできないジェラーニヤの、意識の壁を叩き壊した瞬間、カニェーツはその内側で縮こまるジェラーニヤを見た。
幼く弱弱しい姿のソレは、カニェーツの触手によって体中に穴を開けのた打ち回りながらも、
必死でカニェーツを睨み返し、起き上がろうとしている。
「元通り、一緒になろう? ただし、今度は私が君を封じる番だが。」
ジェラーニヤを飲み込もうと、ゆっくり触手を手繰り寄せ、ジェラーニヤを体内に取り込んでいく。
多少のもがきは苦しむに値せず、危険視する必要もないと思い、カニェーツは食事を楽しむ。
ふと、彼は異変に気付いた。
何かが内側へと積極的に潜り込もうとしているのだ。
ジェラーニヤが諦めたのかとも思ったが違う。
「なんだ?」
カニェーツの言葉にジェラーニヤが笑った。
『クロはどこに行ったと思う?』
瞬間、カニェーツは己の触手を内側へと伸ばし、苦痛に喘ぎながらも、内側へ潜り込んだ何者かを引きずり出そうとした。
だが、その何者かは決して姿を掴ませない。
もとより、クロはカニェーツよりの魂から発生したモノだ。意識すればカニェーツの存在と紛れてしまうこともできる。
「年寄りのたわごとは聞き飽きた!」
クロの声がカニェーツの姿のままに吐かれると、ベッドの上に横たわっていたカニェーツはのたうちはじめる。
「出て行け! 出て行け! 私に触れるな!」
カニェーツは今までからは想像もできないほど、冷静さを欠いた悲鳴を上げる。
しかし、クロはそんなカニェーツの言葉を聞き入れない。
同時にジェラーニヤが全力で暴れだし、カニェーツは二人を相手にどう立ち回るべきかと混乱した。
それでなくとも、肉体同士の争いならば問題はないが、これは魂の問題である。
干渉しやすいように擬態化した精神世界の出来事とはいえ、
己の内側の別々の場所で二つの意識に暴れられてはどうすることもできない。
体は鍛えられても、魂までは鍛えられない。
クロはカニェーツの意識の核を見つけ、分厚い壁を壊しながら進入する。
もはや、カニェーツの触手はここに届かない。
己でも御しきれない意識の深みを見ることができる者など存在しないからだ。
クロは深い深淵たるその核の、あまりの圧力に飲み込まれそうになりながらも、逆に飲み込んだ。
カニェーツやジェラーニヤと違い、魂を持って生まれた意識ではないクロには、
長い間存在してきたソレを飲み込むことは、巨大な樹木を薄っぺらな小さな紙で包み込もうとするようなもので、
無謀極まりなかったが、それでもやらねば自分が吹き飛ばされる。さもなくば粉々に砕ける。
苦痛に根を上げそうになった瞬間、ジェラーニヤの意識の欠片が飛んできた。
(ナムに会うのだろ?)
そう残してクロに入り込んだ意識は、クロの力となった。
(ありがとう…ジェラーニヤ。)
クロは薄れ始めたナムの顔を思い出して、より一層強い意志でカニェーツの核を飲み込む。
誰よりも深い闇が、生まれたての小さな闇に飲み込まれた瞬間、空間が広がるような奇妙な感覚を覚えて全てが落下した。


ベッドから落ちたのはカニェーツではなく、クロだった。
「眩しい…。」
目を開けると、薄暗い部屋の天井が見えた。先ほどまで意識していた場所とはまるで違う。
闇以外の色を持ち、それらの色を世界に立ち上がらせる光がある。
美しくも、全てを映し出す汚らしい世界だ。
クロはベッドの上に戻ると、静かに横たわり目を閉じて意識世界へ戻る。
「ジェラーニヤ、さっきはありがとう。」
クロの言葉にジェラーニヤは首を横に振る。
「君がカニェーツを喰らってくれなければ、俺が喰われていた。助けられたのはお互い様だ。」
二人は苦笑いをしてお互いに向き合う。
「計画通りにいって良かったけど、これからどうする? また、喰い合う?」
以前よりも幾分明るいクロの言葉にジェラーニヤは頷かない。
「喰い合ってどちらかが勝つまで、この世界は待ってはくれない。
 俺はどうしてもこの戦いを最後までさせたくない。この戦いが終った時、きっと世界は滅ぶだろうから。」
ジェラーニヤは悲しそうに記憶の断片を見る。
あんなに美しく笑っていた森の精霊達も、今はきっと苦しんでいるだろうと思った。
自分の存在ばかり気にしていて、ただ必死になって誰かに認めてもらいたいと思っていた少し前の自分は、
世界を救う事で自分が自分であるという確信を得られると思って旅に出た。
たぶん、その頃からカニェーツの意識がある事をなんとなく感じていたのだと思う。
そうして旅をするうちに、自分ばかりか闇の竜全体を否定するようなことを何度となく言われた。
闇の竜こそ誇り高い竜の長だと思っていただけに、信じたくなくて堅くなに生きようとした。
一度は炎の長老竜に心を焼いてもらい、自分の迷いも苦しみも忘れようとさえした。
それでも、結局は風の長老竜の言葉に負けて、全てから逃げ出し、記憶を亡くして地上に落ちた。
今だからこそわかる。
自分のことにばかり固執して、世界に触れたあの瞬間の感動を忘れていたことを。
そして、世界はいつでも美しく輝き、どんなに弱くて卑怯な自分にも微笑みかけてくれた事を。
だから滅んでほしくはない。
人間にも。最初、彼らに非はなかったのだと、今はよくわかるから。
「俺はこの世界を愛してるんだ。」
そう言った瞬間、涙が零れた。
涙を流そうと思ったわけではないのに、溢れ出し零れ落ちる感情にジェラーニヤは困惑する。
「大丈夫。"涙"に怯えなくても良い。それは心を持った者の証なんだから。」
クロが笑うと、ジェラーニヤも困惑した顔で笑い返した。
「そして、カニェーツには無いものだ。」
クロの言葉にジェラーニヤは聞き返す。
「なんだって?」
「あいつの核を喰って解った。やっぱりあいつは闇の竜だよ。愛の意味を履き違えてる。
 本当に心を持っていたなら、きっとあいつは魂が半分でも竜になって、ラスヴェータを助けられたんだ。」
カニェーツの心の断片を見ながら答えるクロ。
カニェーツは昔、ラスヴェータと愛し合っていた頃には心があったのかもしれないと思った。
だが、その時でさえ本当に涙することはなかった。
全ての事象が当然起こるべくして起きたと思い、運命よりも必然を好み、愛さえも定理に嵌めようとした。
結局、彼がもっとも大切にしたのは、光の竜を愛していると言った自分自身、誰とも違う自分自身であったのだ。
だから、最後には強い思いに負けた。
愛は世界を救うなんて、人間は言うけれど、少なくとも愛することができなければ心は強くなれないのだろうと思う。
それも、ただ受け入れるだけの愛でも、受け入れさせるだけの愛でもない。
一方通行ではダメで、しかし、一方通行になりそうなほど熱心に思わなければならない。
相手を否定しても、それでもやはり大切なのだと、抱きしめたいと思えるほど強く思わなければいけない。
それができなかったのがカニェーツだ。そうして、カニェーツは裏切り者となって死んだ。
だから今も昔も、彼は結局、死ぬまで闇の竜のままだった。
「君はどうするんだ? クロ。」
ジェラーニヤの怒りの壁の中に取り込まれた時、クロは消滅を覚悟した。
だが、ジェラーニヤは一緒にカニェーツを倒そうと持ちかけた。
そう言ってカニェーツに喰われそうになっただけに、最初は信用ならなかったが、
このままではどちらに喰われるにしろ、喰われて消滅する以外の道がないことはわかっていた。
だから、ジェラーニヤが裏切らずに、ここまで自分を残してくれた事に感謝し、クロは心開いていた。
「ナムに会いたい。そしてうんと抱きしめたい。ナムはとっても寂しがりやだから。」
クロが笑うとジェラーニヤは小さく頷く。
「人間の命は短い。それまでは待ってても良い。」
クロは驚いてジェラーニヤを見る。
相手は、今まで見たこともないような穏やかな笑顔でこちらを見ている。
「世界を救う為とうわべでは言ってきた。でも、今は本気でこの世界全てが愛しい。滅ぼしたくない。
 その為に戦えるなら、俺は君に体を任せても良いと思う。
まぁ、時々は説教もするし、戦いの時には顔を出してしまうかもしれないが、普段は静かにしているつもりだ。」
「それでジェラーニヤはいいのか?」
「今はそう思える。少し眠りたいというのもあるがな。」
ジェラーニヤが眠たそうにあくびをする。
「それなら、ありがたく借り受けるよ。おやすみ、ジェラーニヤ。」
「おやすみ、クロ。」
ジェラーニヤの意識が遠ざかり、堅い壁の中へ消え去った。
接触は無理だが、もはや怒りで燃え盛ることはなく、静かで穏やかな表面を見せている壁に手を振って、クロは目を覚ました。
目覚めると、夕暮れらしく、肌寒い空気が部屋に入ってきていた。
相変わらず意識しないとそう感じられないが、今まで生きてきた中で一番気持ちがおだやかだった。
クロは起き上がると、扉を開けて、ナムの元へと駆け出した。


駆け込んだ先には、不満そうな顔で書類にサインを続けるナムがいた。
どう見ても、ナムに王様の格好は似合っていないし、座ってペンを持つ姿も様にならない。
無精ひげも剃り落とされていて、なんだか少し若返ったように見える。
だいたい、傍にいるのが見知らぬ顔の大臣達というのも許せない。そこにいるべきなのは自分だ。
クロを見定めたナムは、全ての人間を部屋から追い出す。
この城で、彼がどんな命令を下しても、逆らう人間はいない。殺されたくないからであって、それは恐怖政治だ。
だけど、そんなナムらしくない癖に、あいかわらず我侭なナムの前に立っている。
クロである自分として立っている。
「ただいま。」
「おかえり。」
長い間沈黙した後、クロはナムに抱きついた。
どんなに酷い奴でも、やっぱりナムが好きだと思える。
大きな腕が髪や背中を愛しそうに撫でてくれるのが好きだ。
そして名前をつけてくれたこの人物が、どうしようもなく大好きだ。
「クロ、会いたかったんだぜ? 俺の命令なしにどっか行くんじぇねーよ!!」
「ごめんナム。でも、俺はナムのことを愛してるから戻ってこれたんだ。」
誰かに否定されても、この気持ちは変わらない。


夕食になり、ナムと分かれ、城にある一番高い塔の屋根に上ったクロは、夕暮れ空に上る半月を見上げた。
「世界がこんなに綺麗だって始めて知った気がする。」
そう呟きながら、月を凝視した。
「光の竜を殺せば、やはり世界は壊れるのだったら、ラスヴェータは殺さない。
 俺は、否、俺達は、こんなに美しい世界を壊したくないし、壊させやしない。
 絶対に!」
それだけ言い、さっさと城の中へ戻ろうとした。
夜へと色を変える空から返事が返ってきたので、驚き足を止める。
「ラスヴェータが死んでも世界は壊れない。」
見上げた空には半月と星がいくつか輝くばかりだが、そこにいる事はクロもジェラーニヤもわかっている。
「どうしてだ? 闇の長老竜。」
「それはお前自身が見つけない限り、ワシも答えられない問題だ。
だが、地上にある者の中ではお前が一番核心に近い答えでもある。」
しわがれた声が咳払いする。
「本題を話そう。ジェラーニヤが地上と"我々の地"を分ける方法を三長老に教えたが、
 我々長老竜は、それとは別の方法で、完全に地上と決別する術をとることにした。
 地上も"我々の地"も全く別の形で存在することになる。場合によってはお前もこちらに戻れるぞ。」
「そんな方法が!?」
ジェラーニヤとカニェーツの記憶をさらっても、そんな方法は浮かばない。
「問題は、それを行う為に光の竜の力も必要だということだ。」
「…つまり、ラスヴェータを殺さないよう、釘を指すために?」
「そう言う事だ。」
ふとある男の顔を思い出し、周囲を見回す。
「この会話は安全なのか?」
風の長老竜は世界を吹く。それも世界の端から端まで、一日と掛からずにだ。
会話を聞かれればまずいことになるだろう。下手をすれば、ラスヴェータが危険な立場になるかもしれない。
そう思って、会話が漏れていないのか不安になったのだ。
「安心しろ。空から聞こえているかもしれんが、ワシがお前という闇の要素そのものを媒介に語っている。他の者には決して聞こえない。」
言われて意識してみると、確かに今まで口を動かしながらも外に音が漏れていなかった事に気付く。
さすがは闇の竜の長老竜だと感心しながらも、クロはドキリとした。
ジェラーニヤはまだ眠っており、闇の長老竜がそれを指摘した場合どうすれば良いのかわからない。
「安心しろと言っている。ワシはお前達を責められるような立場にない。
 我が息子カニェーツとて、一度は死んだ者だ。第一、闇の竜の親とは魂の器を提供するに過ぎない。
 生まれてくる時にはもう、ジェラーニヤもカニェーツも立派な竜だった。
 だから、多少寂しくは思うが、生き物の親が思うような悲しみも憎しみも抱いていない。」
その言葉にクロは安心して胸を撫で下ろす。
「だが、風の長老竜には気をつけろ。あの若造は今度こそ世界を壊し大きな穴を開ける為に、
 お前たちやラスヴェータ、ヴィスヨールイやプレッツリヒと言った力ある者を利用するだろうからな。」
「わかった。」
クロは頷きながらも、風の長老竜の企みに恐怖した。
世界が壊れれば穴が開く。それは別の世界と繋がる道となる。
風の長老竜の望みはなんだ?
「ワシにも仕事がある。達者でな。お前達にギアミェートリヤのご加護を。」
「ギアミェートリヤのご加護を。」
闇の長老竜の気配が消え、クロは大きく息を吐いた。
カニェーツでさえ想像付かなかった風の長老竜の企てを、闇の長老竜は知っている。
そして、あの口ぶりでは長老竜達との話し合いも済んだ事だろう。
たぶん、残るはラスヴェータの同意のみ。
竜達はそれで良いかもしれないが、地上はどうなる? やはり戦続きなのだろうか。
それに、もしも自分が"竜の土地"に戻ってしまったら、ナムはどうなるのか。
離れたくないし、何よりも、地上に残しておくには地上は不安な場所だ。
考えれば考えるほど恐ろしくなり、クロは城の中へ戻った。


城の中へ戻ると、ラスヴェータに出会った。
「カニェーツはもういないのね。」
ラスヴェータの言葉に頷く。少し、彼女には罪悪感を感じた。
思えば哀れな女性である。一族を失い、命も残り僅かで、世界を壊す事だけが救いだと思っているのだ。
「あたしは彼がいなくなってせいせいしてるし、あなたが罪悪感を覚える必要はないわ。」
意外な言葉に驚くと、ラスヴェータは笑った。
「昔はね、前が見えないほど愛してたから気付かなかった。
 だけど、彼はいつだって自分に酔いしれて生きてきたの。
結局、あたしを愛してるなんて言いながら、本当のところは別のことを思ってたのよ。
 冷静になった今だからわかるんだけどね。」
苦笑いするラスヴェータを、起きてきたジェラーニヤが「かわいい」と言った。
クロはカニェーツの二の舞になるからやめておけと忠告し、ラスに視線を向ける。
「世界を壊すのではなく、世界を二分する。そうすれば、お前は死ななくて済むんだろう?
 そうすれば、例え残り僅かでもクーリツアと一緒にいられるはずだ。」
ラスの顔から笑みが消える。
「あたしは嫌よ。世界を二分するための術がどんなものかしらないけど、きっと命を削るもの。
潔く滅べばいいのよ。こんな世界。」
クロはダメなのかと思い溜息を吐く。ふと、廊下からペールが出てきた。
「どうした?」と、手話で話しかけてきたので、「なんでもない。ちょっと話してただけ。」と答えるラス。
「それなら良いが、ここではめったなことは言わんほうが良い。」と二人に伝えて、ペールは歩き去る。
「お前も手話が出来たんだな。」
クロの言葉にラスはちょっと自慢げに胸を張る。
「女の魅力はどんな男にも使わなきゃ損だって、クーリツアが言ったから覚えたの。」
ちなみに、今の彼女の姿は老婆のソレである。女の魅力と言っても、射程範囲は狭い。
「そ、そうか。ふーん。」
クロは笑いたいのを堪えて、平静を装おうと必死だ。
「ところで、何故ペールも仲間に入れたんだ? 確かに、呪術師としても医師としてもそれなりの腕前だ。
 戦闘でも、あいつの弓や槍捌きはそこらの若い人間よりか優れている。
だが、他のナム隊の連中に比べて重要かというとそうでもないだろう。」
この反応にラスも悩むような仕草をする。
「実は、あたしもどーして彼を入れたのかよくわからないの。」
「は?」
「あの時は、こじつけみたいな理由が頭にうかんで、絶対に彼も入れなきゃ! って思ったの。
 だけど、冷静に考えてみると、戦闘でもほとんど後方支援にまわる彼をいれた理由が霞んできちゃったわけ。
 期待通りにいかないだけだと思ったけど、でも、あたしの見立てがここまで狂うとは思わなかったわ。
 ケーリーちゃんはパーズドビシャ人に対する人望集めだし、
カールタくんとカデットちゃんはナムくんの補佐と止め役なわけだし、ほっとんど予想通りなのよ?」
「プティは。」
「あの子もほぼ予想通り。強い依存心と不安を持ってたし、どっちに転んでもいいようにしておいたわ。」
血も涙もない話だと思いながら、クロはペールの事を考えてみる。
思えば不思議な老人だ。
死んだ子供とカデットやペールを重ねて見ているような発言をしながら、一歩離れたような付き合いをしている。
また、基本的には傍観を決め込んで、自分で動くのは目立たない活動の時ばかりだ。
まるで、自分がそこに居ることを悟られないようにするかのように。
その癖、みんなで集まる時には必ず顔を出し、戦況や作戦をもっともよく聞いている。
普通ならば自分がアレコレをやったと多少は自慢してもいいはずなのに、
大きな功績を上げても控えめに笑って、全て言葉がわからないせいにする。
そもそも、口唇術を心得、実際にかなりの言葉を発せられるにも関わらず、言葉がわからないと逃げるのはおかしい。
時には健常者と見まごう程、正確に言葉を読み取るというのにだ。
「なんだか怖いわね。」
「思い当たる節はないのか?」
「ないわ。もしも彼が光の竜なら、私に術を掛けて…っていうのも考えられるけど、
 彼はどう見ても人間よ。野菜も肉も食べられるし、お手洗いにもいくもの。」
クロは頷いて、起きて様子を伺っていたジェラーニヤに問いかける。
しかし、ジェラーニヤもよくわからないと返してきた。
ペールは名前をいくつも持っているらしく、本当の名前からどんなものか探ろうと試みてもできなかったというのだ。
たぶん、それはラスヴェータも同じだろう。
特に、魂に関わる問題は、闇の竜よりも光の竜の方が長けているのだから。
「まぁいい。役立たずでもないし、それほど気にしなくてもいいだろう。」
「そうね。」
お互いに腑に落ちないという顔をしながらも頷き、別れた。これ以上話し合っても不毛だからだ。


「ねぇ、ペール! ちょっと呪術道具とペールを貸して!」
だいぶ混乱したカデットが部屋へと入って来た。
ペールは手話ではなく筆談で答える。
混乱した初心者相手に手話を理解しろというのは酷だからだ。
【何かあったのかね?】
カデットは呼吸を整えて、紙に汚い文字を書く。
残念ながら、彼女は文字が読めても書くことが極めて少ないので、字が下手だ。時として読めない。
【パーズドビシャの呪術師の子供が、間違って自分に術を掛けて昏睡中です。
それも酷く厄介な奴。だから呪術道具を借りにきました。】
【わかった。見に行こう。】
程なく呪術道具を黒鞄に入れてペールとカデットは問題の子供の所へと行き術を解いた。
カデットの知識も、ペールの腕前も素晴らしいと、呪術師達は賞賛したが、カデットは嬉しくなかった。
ペールを部屋へ送ると、カデットは筆談していた紙に別の言葉をつけたした。
【さっきはありがとう。ところで、鞄の中の黒い玉は何?】
ペールの手伝いとして鞄の中の道具を出していた時に見つけたもので、
何やら妙な気配を持つ道具の中でも、とりわけ深く遠い気配を感じたので気になったのだ。
ペールは鞄をしまってから、その答えを書き足す。
【月の届かぬ場所でも、ワシの幼馴染と話をする為の道具じゃ。古い呪術道具じゃから触らん方が良い。】
【よくわからない。】
【それでよい。お前さんは変な知識に悩まされたりせん方が良いのじゃ。】
ペールがにこりと笑ったので、カデットもニコリと笑って部屋を出た。
部屋を出てから、何か腑に落ちない気もしたが、突然どうでも良くなってしまった。
「きっと、死んだ友達と話をする、交霊術か何かね。」
勝手に答えを見出して頷くと、カデットは持ち場へと戻った。


「明日にはこの城ともお別れだな。」
早朝、自室で着替えをしていたナムが、なんとなく会話を持ちかけてきた。
「そうだな。」
クロは頷きながら、ナムの着替える姿を嬉しそうに見つめる。
久しく見てなかった寝起きのナムは、やっぱり機嫌が悪いし、眠たそうだ。
「なぁ、クロ。戦いが終ったらどうする?」
振り返らずに着替えを続けるナムを見て、クロは首を傾げる。
「どうして?」
「ほら、俺は勝ったら王様だろ? 負けたら死刑か、さもなくば逃げ切っても放浪の身になるんだ。
 負けたら、普通はその瞬間に死んでるのかもしれねーけど。」
クロは首を横に振って立ち上がる。
「死ぬとか言うな!!」
着替え終えたナムが振り返り、申し訳なさそうな笑みを浮かべてクロの頭を軽く叩く。
「すまんすまん。でもさ、本当にそうなった後が心配なんだよ。」
クロはナムに抱きつき、ナムが苦しくなるまで強く力を入れる。
「安心しろ。俺は絶対にナムを殺させたりしない。俺はナムを裏切らない。」
でも、一緒に居られるかはわからない。
地上の戦争で命を落とすとは思えなかったが、何せ今は強い竜達が地上に降りてきている。
また、長老竜達も世界の運行とは別になにかしら企てているようだ。
生きていられないのはナムではなく、自分かもしれない。
だから、確約のできない言葉を口にはできなかった。
それでも、一緒に居られる間は、絶対に裏切らない。もう放したりはしない。
心の底でジェラーニヤが呟いた。
「何故、闇の竜の長老竜は今になって…。」



最終更新日 2007/01/13
感    想 カニェーツとはここでお別れです。