ある世界の物語

31

 

夜のしじまに聞こえる雨音は人生の凄惨さを慰めてはくれない
やがて訪れる裏切りと別れに今は凍え震えているだけにしよう
心が引き裂かれるのは裏切る側だから? 裏切られる側だから?
それを見極めるにはなんとも寝苦しく胸に悪い夜だ




ナムに呼ばれ、恐ろしい事実と計画を知らされた5人はその日の午後はどこかぼんやりと過ごした。
ペールは沈痛な面持ちのまま階段を踏み外してかすり傷を作ったし、
ケーリーは前からの仲間との雑談中に何度も上の空となり、最後には病人扱いされた。
カールタはクロやラスの顔を見る度に、顔面神経痛にでもなったような痛みが顔を走ったし、
哀れなプティは完全に目を開けたまま寝ているような状態だった。
カデットもチャコの夕飯を台無しにして、料理長に疲れているのではと心配されてしまった。
間違いなく、誰もがナムの部屋での話し合いに衝撃を受けていた。




夜がきて、やっと落ち着いて考える時間ができたケーリーは、ベッドの上で目を閉じ黙想した。
彼女が考えたのは、今回の話で自分がどう出るかだ。
実のところ、彼女がプシニーツァ軍であるナム隊に対してあまり敵意を示さず、
むしろ好意的に振舞っているのにはわけがある。
ケーリーはパーズドビシャとカローヴァの国境にある集落の出身である。
戦略や武技を重んじるプシニーツァや他国と比べて、パーズドビシャは人間の文明が失った魔術や呪術にも力を入れている。
胡散臭い話だと馬鹿にされるが、クロに対して封印を行った者達の数の多さから見ても、嘘とは言い切れない。
だからこそ、力の強い呪術師を集めるため、ケーリーのように隠された集落から人を集める。
まぁ、強制的に連れて行かれるのだが、一応、軍人に登用するとして本人には賃金が支払われる。
そういう意味での地位は奴隷よりもかなりマシな方だ。
しかし不当な扱いを受ける身の上の為、ケーリーはパーズドビシャに対して愛国心を抱けるはずもない。
自分から動くほどの勇気はないが、可能ならばパーズドビシャを壊し、
自分や自分の家族、仲間達に対する不当な扱いをやめさせたいとは思っている。
ラスは、戦いの均衡を取るためとか、プシニーツァの劣勢を抑えるためとか、建前を唱えていたが、
ようはそれは手段にすぎず、そんなことを心の底からやりたいと思っていないことは見え見えだった。
「これは、チャンスやも。」
最終的な目的があやふやならば、深く関わって自分の理想を入れさせれば良い。
それができなくても、国を取ったときには功労賞か何かで要求しよう。
自分の意思を尊重されない立場を改善するように。
そう思うと、ケーリーの胸は希望に溢れ、怖いほどの思いで満たされた。
どうせ使えるならば、パーズドビシャよりもナム達の方が楽しそうだなと不謹慎な事を考えて一人笑ってしまった。




ペールはランタンを片手に、砦の尖塔にやってきていた。
古臭い扉を開けると、小さなベランダへ出られるとプティから教わったので、一度来てみたかったのだ。
彼の世界に音は無い。
ベランダから見る世界は、深い闇が横たわる中、砦壁にぽつんぽつんと松明が輝いている。
そこに吹く風の音を彼は知らないが、肌寒さも髪を掻き揚げる風の気配もわかる。
音を知らなくても、存在していることはわかる。
むしろ音を知らないだけに、夜はなんと深く寒々としながら、敏感な神経に優しいのかと思えた。
(今日はよく星が観える)
ナムの話は若く野心に溢れる者のソレとは微妙に違う。
愛国心はなく、自愛もなく、信じるものも守るものもない身軽さと軽薄さを感じる。
同時に、そんな曖昧な態度さえ押し切れる力があることも事実だ。
成功すれば歴史に名を残す偉業となるだろうし、完全に成功しなくても長く語り継がれるかもしれない。
もう人生はそう長くはないだろう。
ならば、ここで歴史に名を残す偉業に付き合うのもまた一興だ。
その後で、成功しようが失敗しようが、悪人と罵られようが構わない。
ペール自身もまた、拠り所となる国も家族も無い身だ。
ならば、家族同然のナムに付き合うのは、人生最後の大事業としては良心的な理由になるだろう。
(もう暫くしたら部屋へ戻るとしよう。)
自分の中で結論を出したペールは、ベランダの隅に腰掛ける。
老いればこそ、熟考せずとも決められることもあると思いながら、同室のカールタの若さを思う。
きっと悩み苦しんでいるはずだから、今はまだ戻らないほうが良いだろうと。




ペールの考えは的中した。
カールタは本気で思い悩み、部屋の中を行ったり来たりして挙動不審になっている。
もしもこんな所を誰かに見られようものならば、そのまま窓から身を投げかねない興奮ぶりだ。
「一体何を考えているんだ!?」
少なくとも今までのナムならば、他人に操られるような事はなかった。
操られているようにみせかけて、十分な利益を得られるように立ち回るのが得意だった。
だが、今のナムといったらクロに骨抜きにされているといっても良い。
無謀な事だと思わないのだろうか。
それとも、兵が死のうともクロが死ななければ国は取れるとでも思っているのだろうか。
ありえなくない話だ。
(結局、学の無い男には国の動かし方がわからないんだ。)
そんな思いが頭の端を掠める。
カールタは驚いて頭を振った。
いくらなんでも危険すぎる思想だったし、信頼している相手を蔑む様な事は考えてもいけないと思った。
疑るのは気の置ける連中だけで十分なのだから。
カールタは思い悩んだ挙句、曖昧な答えに行き着く。
「今は様子を見よう。」
ナムが本当にどうしようもない深みへ落ちそうになった時は、全力で助ければ良い。
もしかしたら、本当は昔のナムのままなのかもしれないという淡い期待を持ちながら、考えるのをやめた。




プティは今夜も砦壁の警護があった。
ここの所、襲撃が相次いだおかげで砦壁の警護が強化された一方で、
夜勤に慣れない兵を三回交代の夜勤の最初と最後に回す羽目となり、
元より夜勤を務めていたプティ達は、誰もが眠る深夜の警護に回されたのだ。
何が悲しくて、こんな薄気味の悪い夜の森を注視し続けなけりゃならないんだ?
とぼやきたくなるのはプティだけではないが、これも務めである。
だが、今日のプティはその薄気味悪い森がどんなに素晴らしいのかを一つ一つ確かめたい気分だった。
たとえば、砦壁と同じぐらいの背丈を誇る森の木々は、なんと勇ましく勇壮なんだろうとか、
葉の重みで垂れ下がる枝がまるでお辞儀をしているようで愛嬌があるとか、
深い緑の葉は不吉さよりも優しさのある落ち着き払った感じではないかとかだ。
こういうポジティブな考えに発展したのは、勿論、昼間のナムの話のせいである。
今までだってとんでもない作戦を推し進めたことはあったが、今回は行き過ぎだ。
自分が寝ていた間にも、チャコは怪我をしてナム隊の生き残りも死んだ。
しかも、こんな重大な事実を"死"というリスクと共に負わされたのだ。
あまりにも勝手すぎる。
「頭痛い。」
プティはため息を吐いて空を見た。交代の時間はまだきそうにない。
何もかもが不安で恐ろしくて逃げだしたい気持ちでいっぱいになった。




カデットの気持ちは決まっていた。
遠征に尽力し、ナムを手助けしていくつもりだ。
もう決まったことをとやかく言ったところでどうにもならない。
だったら、失敗しないように話をつめていけば良い。
乗りかかった船なら、乗り込んでしっかり漕いじまえ!
それが彼女の生き方なのだ。
余分な心配は、始まる前だけで十分。物事が起きてからはうまく対処するだけなのだ。
だから、決まったことならばどんな理不尽な命令でも頑張ることにしたのだ。
勿論、ナムがやる気を見せているからという部分も無くはない。
彼はカデットの父のような人物だ。
歳は兄弟ほどにしか離れていないが、無茶なことをしても最後は頼れる部分がある。
子供が親を思うように、カデットも無償の信頼を彼に持ちたかった。
そうしなければ、カデットはナムを殺さなければいけないほど、仲間を失ってしまった。
明日も明後日も、その次も、彼女はナムやクロやラスやクーリツアと問答をし、喧嘩じみた状態に陥るだろう。
だが、それはその次の日を、もっと未来を、生きるための問答なのだ。
怒りながらでも、未来の展望を探るのは、今の不安で押しつぶされそうな自分の気が紛れるというものだ。
自分が何者であるのかという不安を忘れていられるから。




ナムの部屋に、クロがいる。部屋着に替わっている所を覗けば、髪形一つ変わらない。
ラスの許可が下りたため、クロは今日からナムと一緒に寝ることができるようになったのだ。
カデットは反対したが、クロを閉じ込めておくことが物理的に困難であることは認めざるを得なかった。
クロはベッドの端に座り、部屋の明かりを消していくナムを見た。
数日見なかっただけなのに、頬がこけ、やつれて見える。
そうなった理由が自分にあることを思い出すと、あまり良い気分にはなれなかった。
「どうしたクロ? そんな困ったような顔をして。」
枕元の燭台以外の明かりを消し終えたナムが笑い、ベッドに腰掛ける。
向かい合っても、クロの仏頂面から気持ちを悟るのはまず難しい。
ナムでなければ些細な変化には気づかなかっただろう。
クロは俯いてから、決心したように顔を上げて話す。
「本当に、隣にいてもいいのか?」
「突然何を言い出すんだ? もう、俺の隣のベッドはお前さんのもんだぜ? なぁ、クロ。」
ナムが頬を掻く。
「違う。俺を傍に置いて、また何かあったらどうするつもりなのかと…」
深い溜息を残すだけで、続きを言う気分じゃない。
(気分じゃない! あぁ、そうさ! 俺はそういう気分じゃないんだ!)
呆れるほど怒っているもう一人の自分を心の底に押し込める。
「いいんだよ。俺は、お前が傍にいてくれるほうが便利だし、楽しいから。」
ナムがニヤリと笑う。
むさい笑いも嫌いじゃない。むしろ大好きだ。
(笑うことでどんな利益があるというんだ? 好きなんて愚かな言葉だ!)
煩いな。俺はナムが好きだし、ナムが笑うと嬉しいんだから良いんだ。
クロは頭を横へ豪快に振る。
「俺は絶対にナムを裏切りたくない。ナムと一緒にいたい!
 死に行く古き種族には別れを告げて、哀れみのいっぺんをかけるだけで良い。
世界が汚れようが、俺の故郷が壊れようがかまうものか! 俺はナムの力になる!」
冷酷無比な合理主義者の癖に怒りっぽいジェラーニヤが悲鳴を上げて消えた。
クロは彼が消えたことを感じ、心に深い喪失感を抱いたが、同情も罪悪感も感じなかった。
「故郷…。思い出したのか?」
ナムの問いにクロは笑う。もう怖いものなんてない気がした。
「思い出したんじゃない。俺は捨てたんだ。あいつを。」
勝ち誇った瞳が熱く語る。
「あいつ?」
ナムの頭の中に、以前会った異国の剣士と少女の姿が浮かぶ。
珍しい漆黒の髪の剣士は、誰を探していたっけか?
底知れぬ不安が襲う。ここでクロを失うわけにはいかないのだから。
「もしや…ジェラーニヤか?」
クロがベッドから飛び降り、ナムの傍に立って笑う。
「違うのか?」
あまりにも心が弾んで、困惑顔のナムに抱きついた。
「そう、ジェラーニヤを心の深淵に捨ててやったんだ。」




「そろそろ出てきたらどう?」
ラスが不快を露にすると、クーリツアは変な顔をして部屋を見回す。
「誰かいるのか?」
二人以外に誰もいないように見えるが、ラスはますます眉を歪めて壁に近寄る。
「いるわ。嘘と噂の双子がね!」
言葉が早いか、ラスの蹴りが壁を砕くのかと思うほど勢いよく突き進む。
「あいたたた、乱暴者だね夜明けの占い師さん!」
突然、緑のピエロ服を着た小男が壁から転がりだす。
「いたいったらありゃしない! どうにかしてよ復讐の鶏さん!」
その後を追うように、赤いピエロ服の小男も転がりだした。
「何者だ!? こいつら!!」
壁から生み出されるように現れた二人を見て、クーリツアが絶叫する。
壁から出てきたように見えた事よりも、彼女達の偽名を知っていることの方が驚きだった。
"夜明けの占い師"はラスヴェータでありディスールだし、
"復讐の鶏"はミェースチでありクーリツアを指していることは明白だからだ。
「失敬な! 僕等はナム隊の隊員だ。いわばお仲間同士なんだよ!」
赤い方が胸を張ると、緑の方が嫌な笑い声を立てる。
「だったら、どうしてここにいるわけ? 仲間を調べるのがナム隊なわけ?」
ラスの顔から慈悲が欠如したのを感じ取り、双子が顔を引きつらせる。
クーリツアはふと、この小男達の顔をプシニーツァ国内で見たような気になった。
もしかしたら違うかもしれないが、よく見れば、確かに見たような気がする。
どこだったろうか?
「それとも、あたし達がここにいることをプシニーツァ国王に売る?」
ラスの言葉に後宮ではなく、王宮の廊下を思い出す。
妙に不謹慎な笑いを浮かべていたので覚えていた。どこかの国から来たという二人の書記だ。
しかし、服が違うのはおかしくないが、どう見ても顔が違う。
あの書記達はもっと小悪魔のような意地悪さではなく、狸親父のように悪意を腹のうちに隠していた。
こんなガキのような顔ではなかった。
そう思ってもう一度双子の顔をマジマジと見つめる。何かがおかしい。
子供のような大人のような、じっくり見ようとするとよけいつかみどころの無い顔をしている。
「滅相もございません。ラスヴェータ様。私共のような地方文官にはそのような大儀は無理というもの。心臓が持ちません。」
緑の方が、都式の独特の例をする。
クーリツアは「アッ!」と声を漏らし、目を丸くした。
つかみどころの無い顔が、確かにプシニーツァで見た文官の狸顔になったのである。
「二重スパイどころか、三重、四重? どの組織に本腰を入れてるのか知らないけど、貴方達は危険だわ。」
双子がラスの平坦な口調から何かを察したらしく、一歩下がる。
「僕等は純情なナム隊の一員です。」と、赤い嘘。
「僕等はナム隊の為になるよう、色々な所をスパイしてるだけです。」と、緑の噂。
二人は静かに窓辺へと後退していく。
ここは三階だというのに、逃げる気なのかと驚いているのはクーリツアだけだ。
「どんな言葉も、あなた達の口から出た時点で嘘と噂に過ぎなくなるのよ。悪意の小人め。」
平坦なラスの声にゾクリとする寒さがあった。
クーリツアは体を包む静かな敵意に身が竦んで動けなくなった。
双子が鳥のような悲鳴をあげて、窓から逃げ出そうと窓枠に足をかけた瞬間、空気が凍えた。
部屋へ入ってきた夜気のせいではない。
部屋中の明かりが消え、闇で輪郭が奪われるのを感じた瞬間、何かが窓の外に落ちた。
次の瞬間にはまた部屋に明かりが灯り、もう赤と緑のピエロは姿を消していた。
「…い、一体、何をした?」
クーリツアは自分の声が震えているのに気づく。
背中を向けていたラスが、ゆっくりと振り返る。
クーリツアは思わず一歩引いて、バランスを崩し床に座り込んだ。
死神だ。
銀の髪と青い瞳は相変わらずさめざめと澄んでいるだけなのに、そう思えてならない。
何がどう替わったのか、クーリツアには説明ができなかったが、一つだけわかった。
「夜食はもっとおいしい方が嬉しいわ。」
双子はもうあの鼻に付く笑い声を立てることはできまいだろう事が。
窓の外で、誰かが叫んでいるのが妙によく聞こえる。




翌朝、双子の死体は共同墓地の隅に埋められた。
場所が場所なだけに、ラスとクーリツアが疑われた。何せ、ラスとクーリツアの部屋の窓の下だったからだ。
しかし、ナムはせいせいとしたような笑みを浮かべ、二人を追及しようとはしなかった。
もう、ナム隊で残っているのは、ナム、カールタ、クロ、チャコ、カデット、プティ、ペールだけだったというせいもある。
クーリツアは双子の事を不快には思ったが、ここまで厭われる死人というのも哀れだと思った。
昼過ぎには双子は事故死と発表され、ラスとクーリツアへの興味の視線も薄れた。
他にもやるべき事が発表されたせいでもある。
ナム隊の裏切りは、プシニーツァ軍にとっては不幸に、パーズドビシャ軍にとっては幸運をもたらした。
翌朝には、多くの死体を置き去りに、ナム隊はパーズドビシャに反旗を翻したパーズドビシャ軍と旅立った。
進路はもちろん、カローヴァ経由パーズドビシャ国王都ドゥーブルだ。
入れ替わるようにして、偽ディスールを連れたテタール軍が砦に入った。
すぐにプシニーツァ本国にナム隊の裏切りを報告するため使いを出し、砦の死体を片付ける羽目になった。




「さぁ、運命の始まりよ。」
ラスが笑った。



最終更新日 2005/08/02
感    想 双子が死にました。
        双子のイメージとしては“小さな大人”。
        “子ども”が発見される前の絵画などを中心に、
        大人を小さくしたような得体の知れないものでした。