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欲しいものは孤独を埋め合わせてくれる誰か
それ以外はいらないし それ以外はどうなってもいい
この体が壊れてしまう前に急がなければ
終わってしまう前にもっと抱きしめていたい 愛しい人を
夜半を過ぎると、森さえも静まり返り、寝息と虫の音の両方を聞き分けるのみとなる。
ここはパーズドビシャ国の一角にあるプシニーツァ群に占領された砦。
その客室で、青い瞳が天井を見つめる。
窓から入る薄明かり以外は何も光のない室内に、静かな寝息が広がっている。
青い瞳は、天井から隣の寝台に横たわる女性へと視線を移し、深い眠りに入ったことを確認すると、また天井を見上げる。
闇が漂う天井は、梁と壁を見分けることが難しい。
「クロ、何か用?」
青い瞳の主であるディスールもといラスヴェータの言葉に、天井の闇が柱を伝って床へと落ちる。
「思念を伸ばすなんて、今の貴方では苦しいんじゃない?」
ゆっくりと起き上がり、寝台の下へ潜った闇を目で追う。
「それとも、もう思い出したの?」
ラスの手が寝台の下から真っ黒な子猫を引きずり出した。
何もかもが真っ黒な子猫は、腹立たしげに尻尾を立て、ラスの腕の中で暴れる。
「貴方がどうして地上に来たかを。自分が、何者であるのかを。」
ラスが頬を寄せて子猫の耳元で囁くと、子猫は暴れるのをやめる。
ゆっくりと振り返る子猫の瞳は闇色で、全ての光を嫌うように歪んでいる。
『俺をはめるつもりだな。』
腹立たしげな少年の声が響くと、ラスはニコリと笑って子猫を手放す。
猫はラスの隣に座って、銀髪の間から覗く青い瞳を見上げた。
「そうよ。」
子猫が毛を逆立てる。
「あたしはクーリツアと一緒に戦争を盛り上げるつもり。もう時間がないからね。
ところで、貴方はどうするつもりか聞かせて。」
子猫が小首を傾げ、ラスを見つめた。
「そう、貴方はまだ自分の使命とやらに気づいていないわけね?
だったら黙ってあたしに力を貸して。あたしの計画を手助けして。
逆らわなければ、ナム坊やを殺さないでおいてあげる。」
『駄目だ! 俺が地上に来たのは世界を…っ』
子猫が言葉を途中で切る。
「その先を言ったら、貴方はナムとお別れしなきゃいけないわ。
明朝、答えを聞くまでには決着をつけておいてね。」
子猫の輪郭が崩れ、闇となって霧散する。
ラスはこの上なく楽しそうな顔をして空を見上げる。
「今度は貴方が苦しむ番よ。闇の長老竜さん。」
肉体へ戻ったクロは、ゆっくりと体を起こして両手を見た。
人間の少年に化けた己の姿が、酷く滑稽に見える。
寝台から起き上がり、床に素足で立つが冷たさは感じない。
冷たさが何なのかもよくわからない。
感じようと思えば、確かに存在していることはわかるが、
気を抜けば冷たさどころか石の硬い感触もわからなくなる。
(俺は人間ではなかった。今も人間とは異なる物体だ。)
神経を集中すると、足元から闇色の己の影が這い上がり、体中を染める。
影が床へ戻ると、少年の姿は青年へと変わり、背も身幅もまったく変わってしまった。
「小さな人間の姿であるクロも、大きな人間の姿であるジェラーニヤも、俺であって俺ではない。」
肩口で揃えられた髪が揺れる。
「まだ記憶が完全ではない。クロとジェラーニヤが所々で混ざっている。
それも、本当の姿に戻れば大して意味を持たない。」
闇色の瞳を閉ざし、眉間に皴を寄せる。
「本当の俺は…。」
その後を口にはできなかった。
クロである部分が、たとえラスに踊らされてもナムと共にいることを望んでいる。
ジェラーニヤである部分は、本来全うすべき使命を叫んでいる。
二つの意思が頭の中で折り合いのつかない論争を続けている。
そんな中で、続きを言えば、クロを見捨てることになる。
そうするにはあまりにもクロの部分が大きいこともわかっていた。
焦燥が怒りへと変わり、体の中で渦巻く狂気が姿を現そうと二つの思考を突き上げる。
青年は左手を口の中へ突っ込み、人間らしからぬ鋭さを持つ歯を一本ずつ丁寧に撫で、
怒りを強引に押し込めようとするが駄目だった。
自分の手を食いちぎってみた。
見れば、傷口からは血がこぼれることは無く、断面には闇が詰まっていた。
「どうすればいいんだ……」
朝焼けが近づき、早起きな料理長殿が寝ぼけ眼の皮むき小僧を小突く。
天気の良い朝になりそうな、気持ちの良い涼しさが頬を撫でると、ラスはゆっくりと目蓋を上げた。
「さぁ、答えを聞きに行きましょ。」
ラスは隣の寝台の上で眠る女性を見つめ優しく微笑むと、慎重に部屋を出る。
老婆の姿で、静かに廊下を進み、クロを一人閉じ込めている部屋をノックした。
「開けて。」
ゆっくりと部屋の戸が開き、隙間からラスが入り込むと、戸は閉まり鍵がかかった。
窓の無い部屋は暗く、物の輪郭線がぼんやり見えるだけだ。
ラスは部屋を見回し、部屋の奥で佇む人影に目を留めて微笑んだ。
「そういう事にしたのね。」
人影が怒りで震える。
その様子を楽しそうに見つめながら、ラスは寝台の上へと座る。
人影も近くにあった椅子に腰掛ける。
「それじゃあ、今後の予定を大まかに説明するから聞いてね。クロ。」
「あぁ。」
少年が頷いた。
「つまり、こういうことか?
あの人間の女と競合して、パーズドビシャ国の中枢機関に侵食し、
三大大国による三つ巴の戦いを生み出す為に、ナムを国主の代わりに仕立てると。」
椅子の背もたれに寄りかかり、木目を数えながら問う。
「ご名答。どうせパーズドビシャがどうなってもいいから、
この際、国政ができようができまいが関係ないのよ。むしろ、戦に強い国主にすげ替えたいの。」
枕にじゃれ付きながら答えるラス。
どちらも真面目に考える気がないように見えるが、相手が相手であるだけにこれ以上の会話の姿勢を望む方が難しい。
「ならば、どうしてパーズドビシャ内に入ってやらない?」
クロが木目を数え終わり、辟易したような顔を上げる。
「同じことをプシニーツァでもやったからよ。二つの国に内通してるなんてバレたら、
姿を変えられるあたしは大丈夫だけど、クーリツアは危ないわ。」
「ふん。」
ラスの答えを鼻で一蹴すると、クロは立ち上がり戸口へ向かって歩き出す。
「逃げるの?」
「そろそろナムを起こさないと、朝飯を食い損ねるからな。」
不機嫌な声ではあったが、顔は緩んでいる。
「あたしもクーリツアを起こさなきゃ。彼女って意外とお寝坊さんなのよ? 可愛いでしょ。」
ラスもベッドから立ち上がり、クロの後を追うように戸口へ足を向ける。
不意にクロが振り返った。
「俺のナムだって、酒を飲んだ後は寝起きが悪くて、俺以外に起こせる奴なんていない。」
その一言にラスとクロは口元に笑みを浮かべ睨み合う。
「あたしのクーリツアはね、誰もが認める美人なのよ。どんなに透明なエメラルドだって、彼女の瞳には負けるわ!」
「俺のナムだって美形だ! カデットも、野性味溢れる美形だと言っていた。肥沃な大地色の髪は豊穣の印だ!」
「ふふ、甘いわね。あたしのクーリツアは頭も良いのよ。算術も書もできるし、兵法や政治にも優れてるわ!」
「俺のナムは力がある。戦いに出れば勇猛果敢に敵を殺すし、仲間の人望厚いし、
実践的な戦術はそこらの机上の空論に引けはとならない!」
二人の言い争いは廊下まで響き渡り、クロの部屋の前にはいつの間にか野次馬が群れをなしていた。
その頃、当のナムとクーリツアは、まだ夢の中だった。
クーリツアが暖かな日差しを浴びて、ぼんやりと目を開けた頃、部屋の戸を叩く音がした。
「ちょっとあんた! あのバーさんどうにかしなさいよ!」
カデットが部屋の外で怒鳴っている。
クーリツアは寝ぼけ眼を擦りながら起き上がる。
「バーさんって誰だ?」
脳みそが眠っているような頭の重さを覚えつつも、服をさっと着替え、戸を開ける。
「バーさんはバーさんよ! あんたの連れのラスヴェータのバーさん!」
カデットの大声を間近で受けたクーリツアは、頭を押さえる。
耳痛いよ。
耳の奥でエコーがかかっているような振動を感じながら、カデットを見る。
「ラスがどーした?」
一方、ナム隊長の部屋にも朝日とノックの音が降り注いでいた。
「うっせぇんじゃボケ!! 俺の眠りを妨げるやつぁダレだ!!」
ドアを蹴飛ばし、ノック音に怒鳴りつけるナム。
ノックしていたプティは、戸と壁の間に挟まれて惨い有様だ。
「おい、どこいった!!」
ちょっと酒臭いナムは、廊下を見回すが誰もいない。
だが、「うぅ」とか「ぐぅ」とか「ヒドイ」とかいう呻き声はする。
ナムはふと思い出したように戸を手前に引いて、その向こう側を覗く。
可愛そうなプティが顔に木目の痕をつけて半泣きしていた。
「たいちょー…ひどすぎるよぉ。オレ、たいちょーを呼びにきただけなのに。」
すっかり眠気の覚めたナムが首を傾げる。
「俺を呼びに?」
カデットはクーリツアの細い腕を握り締め階段を上り、プティはナムに引きずられて階段を下った。
クロの部屋へ続く廊下の端に出るところで、下から来た女二人と上から来た男二人が激突する。
「痛いっ!」「いっつぅ…。」「いてぇっ!!」「痛たたたた!」
めいめい尻餅をついて、痛みを訴える。
「ったく、どこ見てるのよ!?」
最初に起き上がったカデットが怒鳴りつける。
「そっちこそ、どこを見てんだよ!?」
次に起き上がったナムが怒鳴り返した。
「って、ナム! まだクロの部屋へ行ってなかったの?」
「カデットじゃねーか! いや、今から行くところだが。どうしたんだ?」
説明も聞かずに走ってきたらしい。
「ちょっと騒動になってるのよ。ともかくさっさと行きましょう!!」
カデットも説明をすることなく、クーリツアを強引に立ち上がらせてまた走り出す。
ナムもその後を追ったが、一人取り残されたプティは、壁に背中をつけて不平を呟いた。
クロの部屋の前には十数人からなる野次馬の群れができあがり、中から響く口喧嘩に聞き入っている。
「なんだこりゃ?」
ナムが驚いて顔をしかめる。クーリツアも言葉には出さないが驚き困惑した。
中からは、老婆と少年の声がして、なにやら自慢話を続けている。
「あたしのクーリツアの方が、細くてスタイル抜群よ!」
老婆の言葉にクーリツアは気が遠くなるのを感じて、額に手を当てる。
「俺のナムは立派な筋肉の持ち主で、腕相撲じゃ砦一だ!」
ナムがカデットの後ろで「そんなことは無いぞ」と小さく呟く。どこか所在無さげだ。
「こんな状態だから、ナムとクーリツアを呼んだわけ。了解?」
カデットが忌々しげに二人を振り返る。かなり怖い。
ナムとカールタが寝ている間に砦の責任者を務めたせいか、苦情が全部カデットの方へ行ってしまったのである。
『了解。』
二人は声を揃えて頷くと、人垣を押し分けて戸の前に立つ。
「クロ、いい加減にしろ!」
「ラスヴェータ様、外にお声が漏れております。」
人前を気にして、言葉を選んではいるが、二人の声には複雑な思いが滲んでいる。
自慢されるのは、大切に思われているという事で嬉しいが、それを人に聞かれるのは恥ずかしいし、立場上の問題もあるからだ。
「ナム、起きたのか!?」
「クー、そこにいるの!?」
二人は驚いて、我先に外へ出ようと扉を開けて飛び出す。
「ナムおはよう!」
クロの抱きつきに、またも鳩尾を深く強打され呻くナム。
「クー、よく起きれたわね!」
老婆の腕が巻きついて首を締め付けるおかげで、クーリツアの顔は苦しそうだ。
「お前が煩いから黙らせる為に俺が起こされたんだぞ!」
酒臭いナムの寝起きがどれほど悪いか知っているカデットは、弟プティに心の中で合掌した。
「一応、ラスヴェータ様は私の後見人ですよ?」
クーリツアが眉根を寄せたが、ラスにはとんと聞いていない。
問題を起こした二人は口を揃えてこう言った。
「だって、俺はナムの事が大好きだから!」
「だって、あたしはクーの事が大好きなんだもの!」
不意打ちをくらったナムとクーリツアは硬直し、立場とか外聞を思い出すまで身動き一つとれなかった。
野次馬に混ざったカデットが心配そうな顔をして、その場を後にした。
その日の朝食は賑やかだった。
このところ緊張に次ぐ緊張で、すっかり暗い噂話ばかりになった食卓へと、面白い話が飛び込んだのだから当たり前だ。
「ねぇ、クロとナムってできてるらしいわよ!」「いやいや、俺の聞いた話ではクロの一方的な片思いらしいぞ?」「違う違う、ナムがクロを飼いならしてるんだってぇ!」
勿論、クロとナムの話ばかりではない。
「あの呪術師の婆さんは、実は爺さんで、クーリツアって綺麗な姉ちゃんを囲ってるんだそうだ。」「マジ!?」「そうじゃなくて、一応師弟関係だけど、婆さんが手を出したんだろ?」
根も葉もない噂ならば聞き流せるのだが、なんと言っても、核心に近い噂もあるだけに一蹴できない。
この噂の嵐に対して、最初に切れたのは以外にもカデットだった。
「いい加減、静かに食え!!」
噂の真偽を確かめようと、本人に聞き難い人々がカデットに質問の雨を降らせたのだ。
それでなくとも、ここ数日、ろくに眠っていないカデットは、一人一人きちんと対応なんてしない。
食い下がってきた相手にはフォークの先っちょを向けて、敵対心剥き出しにしたぐらいだ。
次に切れたのはプティである。
「どーしてオレに聞くの? 本人達に聞きなよ。」
カデットが答えてくれないと判断した人々が、彼女の妹であるプティのところへ流れたのである。
朝っぱらから扉と壁のサンドウィッチにされ、ナムに引きずられ、あろうことか階段に一人取り残され、
いじけていた所を姉に邪険にされた悲しみは、経験した者にしかわからないだろう。
墓場級の寒々とした空気を発しながら言い放つプティに、どうしてこれ以上話を聞こうと思うだろうか。
カデットは触れると噛付かれそうな怖さだが、こっちは呪われそうな怖さである。もう引き下がるしかなかった。
こうして、真偽のほどを確かめられなかった人々は、勝手な憶測で噂を広めた。
飯時を過ぎ、各々の仕事が忙しくなると、カデットへと回ってくる問題は急に減る。
この隙を見て、カデットはある部屋を訪ねた。
「チャコ、起きてる?」
「うん? カデット? 起きてるよ!」
「入るわね。」
「あ、ちょ、ちょっと待って!」
チャコの声が妙に慌てているのでカデットは、笑顔で扉を開ける。
「何か隠し事でもあるの?」
ベッドの上で苦笑いするチャコに対してにこりと笑いかける。
「いやいやいや、なんでもない!」
チャコの手が必死に枕を押さえつけている。
「わかった! 枕の下に何か隠してるわけね?」
カデットがベッドに近づき、弱ったチャコの腕を払いのけて枕の下を探る。
何か硬いものに当たって、何かと思って引き抜く。
「…ダガー。」
カデットの顔から笑みが失せ、短剣を握り締める腕が震える。
「恥ずかしいことにさ、またおんなじような事が起こるかもと思って…、これだけは隠しもってるんだ。
女々しいって笑われるかもしれないけど、ね。」
苦笑いをしてみせるが、その顔は引きつり強張っている。
仕方ない話だ。
ここ数日間、パーズドビシャの兵が何度か砦の中へ侵入しているし、
そのうちの一人のおかげで、命に関わる怪我を負いベッドに横たわっているのだ。
何度も捕虜のパーズドビシャ兵やそれ以外の者を調べたが、手引した者はいない。
把握は難しいのだが、全ての侵入に関係できた者はいない。
侵入者には、手引した者は誰か、どこから侵入したのかと問い詰めたが、その途中で全ての人間が自害した。
おかげで捜査は難航していたし、事実がはっきりしないだけに不安はつきなかった。
だから、チャコの行動はけして間違いではないし、女々しいわけでもない。むしろ当然の注意だ。
「早く、よくなると良いわね。」
短剣をチャコへ返すと、カデットは暗い気持ちで部屋を後にした。
昼食を終えた後、ナムの部屋にはかなり豪華な顔ぶれが揃った。
部屋の主であるナムと、その隣にクロが座り、その隣にはラスヴェータとクーリツアが座っている。
四人の前には、左から順にカールタ、ペール、プティ、カデット、ケーリーが座った。
二人部屋とはいえ、さすがに9人も入れば窮屈だが仕方ない。
「まずはじめに、仕事中の奴も含めてここに集まってもらった事は他に口外しないでくれ。
無理そうだったら出てってくれ。」
ぞんざいなナムの言葉に戸口側のカデット達5人は驚く。
「それだけ重大な問題を話し合いたいんだ。」
ナムがちらりとラスヴェータを見る。
「皆、口が堅いようだから話し合いを始めるぞ。」
ナムが声を上げると、細い手が挙がる。
「口は堅いおすが、なぜ私を呼びなすったんかお聞かせ願いとぅ思んます。」
相変わらずキツイ方言だが、今日は語調もキツイ。
ナムが口を開く前にラスが答える。
「信用できるし役に立つと判断したからよ。ここに呼んだ人間は全員ソレに当てはまるわ。他に質問は?」
誰も何も言わない。
「じゃあ始めましょう。」
ラスが口を閉じると、ナムがまたしゃべり始める。
「まだ細かい計画は立てていないんだが、近いうちにカローヴァ遠征をすることは知っているだろう?」
これはナムが寝込む前からの計画であり、プシニーツァからの正式な命令だったので、誰もが頷く。
「そのカローヴァ遠征の終着地点が変更になった。」
これには誰もが首を傾げる。
カローヴァの街はパーズドビシャ国内でも大きな街であり、遠征し勝つ為には並々ならぬ努力と準備が必要なのである。
それを突然、行き先を変更しようと言ったのだ。
「兵達には悪いが、長い遠征になる。」
ナムは立ち上がり、天井に張られた古い地図にダーツを投げる。
ダーツが甲高い音を立てて刺さった場所を見て、誰もが声を上げた。
「あそこに行くからな。よろしく。」
古びた地図に浮かぶ文字は、長い歳月のおかげで読みにくくなってはいたが読めないことは無い。
「だってたいちょー!! あんなところ、オレらだけじゃ無理!! 人間業じゃできねーよ!!」
プティが叫ぶ。
ダーツの先には黒い文字でこう書かれている。
"パーズドビシャ国王都ドゥーブル"
道のりを目測しただけでもカローヴァ遠征の2倍はある。
「人間業じゃなきゃいいんだろ?」
ナムが得意気に言うと、クロとラスが立ち上がる。
5人は座ったまま状態を反らす。
「人間が束になっても叶わない力だ。」
ナムの言葉にカールタが声をあげた。
「一寸待て! クロはわかるが、そちらは呪術ができても所詮人間だろう!?」
カールタの目が、ラスを老人扱いしていることを如実に語っている。
「貴方、失礼だわ。それとも、こちらの姿の方がお気に召して?」
そう言って老人がローブを脱ぎ捨てると、中からは老婆ではなく女神が現れた。
「あ、あんた…やっぱり人間じゃなかったわけ?」
カデットが目を白黒している傍で、プティが顔を真っ赤にしている。
天然銀を引き伸ばしたような長い髪と、南海を思わせる青い瞳、肌は透き通るように白く、
四肢は完全なる美を追求したとしか言いようが無い。まさしく地上に降り立った女神だ。
「こっちの方がお気に入りなんだけど、事情があっておばあちゃんに化けてるの。」
憂鬱なため息も、美人が吐けば愁いを帯びた春の風だ。
超絶美形の女神様に変身してしまったラスヴェータに、5人どころかナムも見入っている。
それに気づいたクロは勿論面白くない。
「それぐらい、俺だってできる!」
両手を重ね、目を瞑ると、クロの体が色と輪郭を失い形無き闇へと変わると、そのまま長く大きく伸びて、また色と輪郭を取り戻す。
漆黒の髪を肩口で揃え、何者をも許さないような無情の闇色の瞳をはめ込んだ肌は少し青白い。
背はナムと肩を並べられるほどの長身で、骨格は大きすぎず理想的な筋肉バランスで、漆黒の甲冑が良く似合っている。
間違いなく美形の部類だし、ナムとは違う端正な造りの美形だ。
「き、綺麗。」
隣に座るケーリーの呟きを聞いてしまったカデットは、こういうタイプが趣味なのかと横を見る。
ナムの視線がラスから離れた事が嬉しくてクロは上機嫌だが、今度はラスの機嫌が悪くなった。
クーリツアの視線がクロへと行ってしまったのだ。それも、並々ならぬ興味の色を浮かべて。
クロとラスの視線がぶつかる。
唯一、自体を捕らえようと客観的に見ていたカデットは、クロとラスが今にも口喧嘩を始めそうだと察した瞬間、両手を打つ。
「変身ごっこはいいから、話を進めてくれない?
それと、誰か入ってくるとまずいから、元のガキとバーさんに戻ってちょうだい。」
棘のある言葉に、クロとラスは不機嫌な顔をしたが、正論だったのでおとなしく少年と老婆へと戻った。
ちょっと残念そうな顔をする者もいたが、それはあえて無視してカデットは言葉を続ける。
「戦力はわかったわ。だけど、これから人を集めることも不可能なんじゃない?
どう考えても兵の数が足りないわ。王都を落とすなんて無理よ。」
カデットの言葉に、カールタが頷く。まだ頬は赤い。
「別に王都を落とさなくても良いの。むしろ、王都はそのままの状態で手に入れたいわね。」
ラスが意味深な語調で答える。
「いまさら、血を見るのが嫌なわけ? それとも無責任なの?」
「違うわ。カデットお嬢ちゃん、あたしは血が嫌なんじゃなくて、損失が増えるのを嫌ってるの。」
「じゃぁ何? もしかして、王城ごと国を奪うとか言わないわよね?」
カデットが鼻で笑うと、ラスが一度だけ頷く。
「それが最終目標じゃないけど、当たってるわね。」
「冗談じゃないわ! なんでそんなことするわけ!?」
カデットが立ち上がる。
「…今回の戦争はプシニーツァに非があることは明らかよね?」
「癪だけど、そうね。」
カデットはそのままの体制で言葉を待つ。無闇に暴れる気はないが、怒りが収まらないのだ。
「もしも、全ての国がプシニーツァを敵として見た場合、国ごとの結束力は高まり、プシニーツァ軍の劣勢が余儀なくされる。」
「でも、それは今も同じでしょ?」
カデットが疑問に思うのも無理はない。
戦時中は前線に全体の情報が届かないのは常だが、敵国領地内の基地には周辺状況さえも届き難い。
だからカデットは、プシニーツァが他国から叩かれても倒れないほどの国力があるのだと信じていた。
「違うわ。今、プシニーツァに全戦力を向けている国はないと言っても過言じゃないわね。」
「どういうことですか!?」
清聴していたカールタが声をあげる。
「どんな国にも、反政府組織だとか、差別集落があるでしょ? 何かと目障りだと思っているはずよ。
そんな烏合の衆が、プシニーツァの会戦宣言と前後して武装蜂起したらどうする?
プシニーツァも危険だけど、自分の懐で暴れている彼らに戦力を割くでしょう?」
これに顔色を変えたのはケーリーである。
「まさか、プシニーツァが影で叛乱を担っていたと言わ張るんおすか?」
「えぇ。半分近くはプシニーツァよ。だけど、足が付かないようにしてるみたい。
だけど、嫌な国もあるのよね。プシニーツァがやったように見せかけて、集落を潰しにかかる国が!」
「そんなわけで、プシニーツァが全面的に叩かれるような状況に傾いてきちゃったわけ。ここまでは良いかしら?」
ラスが一人一人の顔を見ると、誰もが驚きと困惑を浮かべながら頷いた。
「プシニーツァ嫌いだけど戦争もちょっと…なパーズドビシャ国王様が、
もしもセルフヴォランと手を組んだら速攻で戦争終結。しかも、戦後処理もあっという間。
いつも通りの小競り合いだけの世界が戻ってきちゃうわけ。それはあんまり宜しくないわ。」
ラスが溜息を吐く。
「だって、プシニーツァ軍に加勢したナム隊始めこの砦の人達は、死刑か投獄か売り飛ばされるか…。
まぁ、考えられる全ての悪い未来へ向かう事になるでしょ?
もしもプシニーツァが奇跡的に勝っても、戦争が終わればナム隊は無職になっちゃうわ。
ううん、悪ければ、適当な理由をつけて死刑ね。うん、決まり。」
ラスのさっぱりした口調は、悲劇性を伝えてくれないが、冷静な判断力を全員に与える。
「というわけで、パーズドビシャ国を奪って、三大大国三つ巴の戦いにひっぱった方が楽しいでしょ。
ここでプシニーツァを裏切っても、後々、敵の内側から攻め落とすつもりだったって言えば、
多少は見逃してもらえるような感じもいいでしょ。ね?」
将来を考えると、危険な賭けではあるが、今よりはマシかもしれない。
もしも国を手に入れたならば、それこそ今の給料なんて目じゃないほど金を稼げるかもしれない。
貴重な資料を手に入れたり、高度な勉強を受けることも可能かもしれない。
一生、兵士や呪術師として暮らすよりかは、実入りが好いことは間違いない。
「でも、どうしてそんな裏事情を知ってるのさ? 旅人だったのに。」
いまさらではあるが、当然の質問をするプティに部屋中の視線が集まる。
当人は居心地悪そうにモジモジした。
「確かにそうだ。旅人に知られるほど、プシニーツァの策は甘かったのか?」
カールタの問いに、ラスが笑う。
「旅人だってね、特別な力で知ることができるのよ。あたしは人間じゃないしね。」
そこへカデットが横槍を入れる。
「もしかして、クーリツアも人間じゃないわけ?」
突然、話題へ引き込まれたクーリツアは顔色が悪くなる。
昨日も、同じような討論が始まって大変なことになったばかりである。
「さあね。どっちでも良いんじゃない? だって、クーリツアにはあたしみたいな力はほんの少しもないからね。
でも、貴方より元から頭が良いわ。兵法も政治も良く知ってる。それじゃ駄目かしら?」
ラスが覗き込むようにして見てきたので、カデットは顔を背ける。
あの瞳は恐ろしいと、本能が叫んでいる。
「別に。」
カデットは鼻息を荒げて座った。
「じゃあ、説明はここまで。」
ラスが言い終えると、クロがナムを小突く。会話から外れていたせいで注意力散漫になっていたようだ。
「ええっと、なんだっけかな。そうそう、今日はとりあえずここまでだ。
賛成できようができまいが関係なく、今聞いたことは全て他言無用だ。
それを守れない奴は俺が殺す。作戦会議はまた後日だ。以上解散。」
あっさりと終わるにはあまりにも大きな話し合いだったというのに、妙に肝の据わったナムの言葉が滑稽に響いた。
やっと事の重大さに気づいたプティが椅子の上で震えた。
最終更新日 2005/07/30
感 想 カデット、どんどん強くなってくるなあ。カールタより強そう。 ジェラーニヤが微妙に復活した回。 でもクロのまんま。
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