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契約は密やかに行われ 決して誰にも明かされない
敵がこの事実を知れば 非道に走る事も厭わずに絶ち
取引は秘密の回廊の先 言葉ならぬ部分で繋がれる
人質は心臓よりも重く 人質にその真実を告げはしない
パーズドビシャ国の一角に、プシニーツァ軍の占領を受ける砦がある。
朝陽が砦の外壁を切りつける頃、砦の厨房は朝食の支度で大変な騒ぎになる。
喧騒の合間を縫うようにして朝食を二人分揃えたカデットは、急遽あつらえた客室へと朝食を運ぶ。
客室の戸を叩くと、若い女の声が答え、戸が開いた。
「おはよう。下は大変だからね、朝食はここで食べてちょうだい。」
カデットの言葉に老婆と女性が頷く。
「ところで、今日は先にナムさんの方を見せてもらえる?」
老婆ディスールの言葉に、カデットは小さく頷く。
「ええ、いいわ。」
緊張がわずかに解けるような、独特の気配が流れてきたので、
ミェースチはカデットに聞こえないように囁くような声で隣の老婆に問う。
「なんでホッとしてるんだ?」
「クロを解き放ちたくないのよ。」
ディスールもか細い声で答える。
「どうして?」
ミェースチの問いと同時に入り口の傍に立っていたカデットが怒鳴る。
「怖いからよ! それがどうかしたの? お二人さん!」
夜に見た時にはわからなかったが、顔は怒りと焦燥でやつれてしまったらしく、
同い年ぐらいの女性だろうに、カデットの顔は妙にひきつっていて、年上に見える。
「あ、き、聞こえてしまいましたか?」
ミェースチは引きつった微笑みをヴェール越しに返す。
「今さら敬語なんかいらないわよ。あたしだって敬語なんか使いたくないしね。使ってもいないけど。」
おざなりに笑う。
意外と愛嬌のある笑顔に、ミェースチはカデットと別の形で友達になりたかったと思った。
「それでは、自由にさせていただくぞ。」
開き直って口を開く。
「う…。その顔でその言葉なわけ? ま、いいけどさ。」
カデットが顔をゆがめ、なんとも面白い顔をしたので、傍らのディスールが偲び笑いをした。
「これでも猫かぶり歴は長いんだがな。」
「さいですか。」
カデットが"もう結構"といわんばかりに手を上げた。
「ところで、先ほど怖いと言ったが…どういうことだ?」
ミェースチが問いなおす。
クロが闇の竜だということを、クロ当人も知らないのだと教えられていただけに、
そんな記憶喪失の状態でどれほど恐ろしいのか知りたいという興味が湧いたのだ。
「…あんたの連れに聞いたら? あたしよりも、あいつの事を理解してるでしょ。」
鼻先でディスールを指す。
「よくわかってるのね? カデットちゃん。」
一瞬、カデットが硬直する。
「その顔で"ちゃん"?」
搾り出すような声には、いかにも信じられないという響きがある。
「ひどぉい! 自由にしても良いってさっき言ったじゃない!」
杖を振り上げ、文句をたれる老婆を見るカデットの顔には困惑が滲んでいる。
確かに、女の子が使うような甘ったるい言い回しを、しわがれた声で発せられた日には、
たいていの人は驚くだろうし、どういう生活環境なのかと疑いたくもなるだろう。
「はいはい。わかりました。ともかく、あたしはあんたよりも知らない事が多いことは、よく理解してるの。」
なんとか立ち直ったカデットが降参とばかりに両手をあげる。
「あんたじゃなくて、あたしはラスヴェート。ラスって呼んで。それで、こっちが…」
「クーリツアだ。」
ディスールの言葉を遮り、とっさに別の名前を出すミェースチ。
「"夜明け"さんと"鶏"さんね。素敵な偽名だこと。」
そういうカデットの瞳が呆れている。
確かに、"夜明け"と"鶏"なんて意味の名前は、とっさに浮かんだ偽名としか思いようがない。
今まさに夜明けであり、少し前には鶏も朝を告げていたのだから…。
カデットの隊長であるナムにも引けを取らないネーミングセンスである。
「ほぉ、古代語が多少はわかるのだな。」
ミェースチ改めクーリツアが感心して笑う。
まさか、こんな田舎娘が、人間に受け継がれなかった古い言葉を知ると思わなかったのだ。
「嬉しくないことに、最近色々とわかるようになっちゃったのよ! おかげで頭が痛いわ。」
カデットが肩をすくめてこめかみを撫でると、クーリツアが大きく笑う。
「それは、お気の毒ね。」
何か含んだような声で、ディスール改めラスヴェータが呟き、クーリツアが笑うのをやめる。
「本当に、愚かだわ。…彼も。」
消え入りそうな声は涙声のようにも聞こえ切なく響く。
顔を覗こうとしたが目深に被ったヴェールに隠れて何も見えなかった。
朝食を終えたラスヴェータは、カデットにつれられてナムの眠る部屋にやってきた。
ディスールはクロのいる浴槽へと、カデットとは別の者―――チャコという男―――に案内されて行った。
当人が望んだわけではなく、ラスの願いである。
部屋の戸を開けると、室内には三人の男がいた。
一人は昏睡状態のナムことノーミル隊長殿で、がっちりした体をベッドの上に投げ出している。
その傍らには、心配顔の少年がおり、カデットによく似ている。
少年とは反対側のベッド脇で老人が椅子に座っており、カデットが部屋に入ってきたのを見て小さく頷いた。
「プティ、ペール。部屋を出ましょう。」
「ダメだ。そいつがナムたいちょーを殺すかもしれないじゃないか!」
プティが立ち上がりラスを指差したので、ペールは慌ててプティを抑えようと手を伸ばす。
「そんなことはしない。彼には生きながらえなければいけない運命があるから。」
ゆっくりと近づくラスにプティはガンを飛ばす。
「どういうことだよ?」
ラスが溜息を吐き、その場で止まる。
「プティ坊や。あなたにはわからないことも、あたしにはわかるの。
ナム君はまだ生かされる運命にあることをあたしはよく理解してる。」
「運命なんて信じない。神様が決めたとか言うなら、オレは神様も信じないから知らない。」
「違う。運命は、時代が求めるものよ。」
老婆ラスヴェータの瞳が、一瞬苦しそうな色を見せたが、見間違いだったかもしれない。
「さ、プティ、出ましょう。」
カデットが慌てて二人の間を遮り、プティの手首を引っ張る。
「絶対、たいちょーを治してよ!? でなきゃ、お前を殺すからな!!」
カデットに引きずられながらプティが騒ぎ立てる。
「お好きなように。おちびちゃん。」
ラスはペール老が部屋を出たのを確認すると、眠り続けるナムの傍らへとやってきて呟いた。
「クロ、あたしのクーリツアを傷つけたら許さないからね。」
「ここがクロの封じられてる浴槽だよ。」
プティの言葉に、クーリツアはマジマジと脱衣所を覗き見る。
「争いでもあったのですか?」
ふき取られていても、床にしみこんでしまった血の跡が目に付いた。
「カデットねぇちゃんにきーてよ。オレは、下手なこと喋ると怒られるから。」
プティが肩を上下させ溜息を吐いたので、クーリツアもそれ以上は聞かないことにした。
「ところで、お仕事の方に戻られなくてよろしいのですか?」
クーリツアの言葉にプティがドキリとして空笑いをしたので、ふと自分が美女の類だった事を思い出す。
疲労の色が濃い少年でさえ、美女を前にすれば空元気になってもしかたないのだが、
美女も美女、国王をかどわかしてしまうような妖艶ささえ持つ特級の美女を見ていられるのならば、
仕事の一つや二つ蹴りたくなっても仕方がない。
「いやぁ、ほら、えっと………。」
プティがしどろもどろしているのを見て、クーリツアは小さく笑う。
「一人でも大丈夫ですわ。どうか、お仕事の方へ。」
声は優しかったが、ていよくあしらわれ、プティはすごすごと元来た道を戻っていった。
プティが見えなくなったのを確認し、脱衣所から浴場へと入る。
中には、線の細い女が一人いて、クーリツアに軽く挨拶した。
「はじめまして。私はラスヴェータ様のお供のクーリツアと申します。」
「はじめまして。クロの番を任されておりやすケーリーでおはす。」
ケーリーがクーリツアの傍へと寄ろうとした瞬間、頭の中に響くような声がした。
『ソレは俺の客だ。お前は出て行け。』
少年の声だが、なんとも暗く重々しい感じを受ける。
ケーリーの顔が青くなったところを見ると、これがクロの声なのかもしれない。
クーリツアはケーリーの顔を見て「大丈夫」と囁き頷くと、彼女を浴場から押し出した。
「お気をつけて。」
ケーリーの言葉に微笑みかけて、彼女が脱衣所を出るのを見送ってから、浴場の奥を見る。
『俺は浴槽の中にいる。近くへ来い。』
ふてぶてしい態度の声に、クーリツアは鼻で笑いながら浴槽へと近づく。
「どうこう言ったところで、お前はその中からは出られんのだろう?
私に命令などきかんと思え。私はお前なんぞ怖くない。」
『だまれ人間!! お前などあいつがナムを起こすまでの人質だ!! それ以上の価値もない!!』
「…人質だと?」
クーリツアは驚いて聞き返す。
『聞かなかったのか? あいつに。お前を人質によこせと俺が言った事を。』
瞬間、クーリツアは激怒して大股で浴槽へと駆け寄ると、その中を覗き込んだ。
あまりにも酷いことを言われたものだから、一発殴ってやろうと思ったのだ。
しかし、振り上げた拳を下ろすことはできなかった。
浴槽の中で沈む少年の、なんと寂しそうなことだろう。
不安と孤独と猜疑心が心を蝕み、頬を痩せこけさせたように見える。
漆黒の髪から覗く、闇色の瞳が涙を浮かべているような憂いを見せている。
「寂しいのか?」
言ってから、きつく抱きしめてやりたいという思いが湧き上がってきて胸が痛んだ。
同時に、何を哀れむのかと己の感情に首を傾げる。
『寂しくなんかない。』
ぶっきらぼうな答えが、クーリツアの胸の哀しみを貫いた。
彼女はハッとして、クロの瞳が映す哀しみの色に思い当たった。
―――これは、自分だ。幼い頃の、孤独な自分だ。そして、ラスの哀しい瞳だ。
瞬間、手が伸びた。
黒髪の少年が驚いたように金きり声を上げたが、水面から手を出すこともできずにもがいた。
不思議な模様の浮く水面に手を入れ、そっと少年の背を下から支える。
ゆっくりと引き上げると、奇妙な水面の模様は消えうせ、クロが目を白黒させている。
「寂しいよね…。」
強く抱きしめられたクロは、多少暴れたが、何かに気付いたような顔をして大人しくなった。
ナムの部屋では、ラスヴェータが額に汗を滲ませて、必死にナムを起こそうと術を掛けていた。
人間の術ならばともかく、竜の術はとても強力だ。
その上、クロがナムに対して行った術が何かわからなかったため、術の一筋一筋に触れてそっと解いていかなければならなかった。
例えるならば、難しく絡んだ糸を解くようなものである。
「こんなややこしい術をかけるなんて、若い癖にやるじゃない!」
ついつい怒鳴ってしまうが、作業のほうは慎重だ。
時々、クロが相方に危害を加えないかを見張り、
加えそうならば警告するといった難しいことも同時にこなしているのだから、
さすがは年季の入った光の竜といえるだろう。
長い時間が経ち、お昼も近づいた頃、ラスヴェータは鼻息も荒く叫んだ。
「やったわ! とうとう術をとき終わったわ!!」
一人感動し両手を挙げて小躍りする。
「さぁ、さっさと目を開けなさい!」
ラスヴェータがナムの顔を覗きこみ、今か今かと目覚めを待つ。
すると、突然ナムの意識の奥が見えた。
暗い闇の中で誰かを探しながら子供が一人歩いている。
両手は血に汚れ、歩くたびに赤い足跡がついていく。
涙声で誰かの名前を叫び、こちらの視線に気付いて走ってきた。
「クロ!」
ナムは起き上がり、とっさに身を引いたラスヴェータの手首を掴んだ。
「…あ、あんたは誰だ?」
大粒の涙を流しながら、困惑した顔のナムを見て、ラスは哀れみに沈んだ顔をした。
「おはよう。愚かなおチビさん。もう暫く寝ていることね。」
そうとだけ言って、ラスは沈黙し、近づいてい来る駆け足の音に耳を傾けた。
扉を勢いよく開けたのはクロだった。
「ナム!!」
言葉が早いか、ナムに飛びつくクロ。
名前を呼ばれたナムの方は、クロのフライングボディプレス系抱擁で胸を強打し呻いている。
「どうやってクロを出したの?」
後から入ってきたクーリツアに問うと、彼女の腕がラスヴェータを抱きしめる。
「わからない。」
鼻を啜り涙に濡れるクーリツアの声は、あまりにも切なく響いた。
ラスは、クロの心とどこかしら共感するものがあったのだろうと適当に結論付けて、クロとナムの方に視線を戻した。
「クロ、苦しい!」
「だって、だって、やっとナムに会えたから!!」
子供っぽく泣きじゃくる少年の姿からは、浴場で見せたふてぶてしさなど想像できない。
「俺だって同じさ。」
ナムの大きな手がクロの髪を優しく撫でる。
二人がお互いの存在を確かめ合うように抱き合っていると、部屋の扉が勢いよく開いた。
「クロが脱走したわ!! こっちに来てない!?」
カデットとケーリーを先頭に、プティとペールが後ろから顔を覗かせる。
「二人とも元気よ。」
ラスがカデットに笑いかけると、カデットは顔をしかめる。
「何がおきたわけ?」
取り残された外野4人は、抱き合う二組を交互に見つめて首を傾げた。
「で、結局どうなったの?」
カデットが腹立たしげに床を蹴りつけると、クーリツアが驚いて顔を上げた。
「お願いだから、誰か説明してくれないか・し・ら?」
カデットがもう三回、語尾にあわせて床を踏むと、ラスもクロもナムもカデットを見た。
何か言いたげな顔のクロはあえて無視して、ラスを睨みつける。
「それで、説明してもらえるわよね?」
カデットの笑いが、怒りを孕んだ危険なものだと察したラスは、慌てて首を縦に振る。
「早速説明してちょうだいな。」
(カデット怖い。)
背後のプティとケーリーが声をそろえて囁いたので、ちらり振り返りガンを飛ばして黙らせた。
カデットがラスへと向き直り、他の三人が口出ししないように詰め寄る。
「さ、どうかあたしにもわかるように教えてちょうだい。」
ラスの言うにはこうだ。
ナムにはクロによって深い眠りの術が掛かっていたので、自分はそれを解いただけである。
クロの方は助手であるクーリツアが安全と判断し術を解いたという。
その後、術を解き終えたクロがナムの元へ走ってきたので、クーリツアも後を追うように部屋へ入ってきた。
抱き合っている事に関しては、クーリツアが大きな術に成功して感動してしまったからで、
クロとナムの方は長い間離れていた親子の気分だろうと答えた。
「…そんな話を信用しろって?」
カデット自身、つい数日前には魔法らしき術を使ったし、クロを封じる為に謎の呪術も施してきた。
だからといって、ラスの言葉を鵜呑みにするには、クロはあまりにも危険な存在なのだ。
「信用しなくてもいいけど、他にも寝てる人がいるんでしょ? カールタさんだっけ?」
「ちっ。わかったわ。カールタの方も診てくれる?」
「えぇ、勿論。」
納得しない顔のカデットに皺だらけの笑みを返すと、ラスはプティ達を押しのけて部屋を出た。
その後を追う様に、カデットとクーリツアが慌てて部屋を出て行く。
不安そうな顔で見送ったケーリーは、浴場の片付けをするために持ち場へ戻った。
事態についていけなかったプティ、ペールは、とりあえずナムの傍によって目覚めたことを喜んだ。
カールタの部屋へ向かう廊下には、訓練の時間の為か人気が全くない。
ナムの部屋から出てすれ違った者は誰一人もおらず、閑散としている印象さえある。
「ラス! ちょっとまて!!」
クーリツアが慌てて肩を掴むと、ラスは物凄い形相で睨み返す。
「クーの馬鹿!! どうしてクロを開放しちゃったの!? 本当に心配したんだから!!」
怒鳴り散らすラスの言葉に、ふとクロが危険な存在であることを思い出す。
同時に、そんな相手に対して"人質"に差し出した事を咎める気持ちが湧き上がった。
「ならば、どうして私を"人質"にしたんだ!?」
「しかたなかったのよ!! そうでもしなければ彼はナム坊やに近づくだけで攻撃しただろうから!!」
ラスの言葉に意外なところから声が上がる。
「ちょっとまって!! クロはあの状態じゃあ攻撃なんかできなかったんじゃないの!?」
カデットである。
「…ムダ話をしちゃったみたいね。ごめんなさい。早くカールタ坊やを起こしに行きましょ。」
咳払いを一つ、ラスは落ち着き払った声で話題を変える。
だが、クーリツアもカデットも納得はしてない。ラスの両脇を固めるように歩調をあわせると、同時に質問を浴びせ掛ける。
「クロはどうやって攻撃しようとしたの?」
「何故私を人質にするハメになったんだ?」
「あんたはクロとどうやって会話してたの?」
「簡単に術を解く方法をあったんじゃないか?」
「どうしてクロに似た異質な気配なの?」
「ナムという男とクロは同じ轍を踏まないのか?」
息つく暇も無く浴びせられる質問に、ラスが足を止め怒鳴った。
「あなた達は知らなくていいのよ!! あなた達は"生物"なんだから!!」
肩を震わせ、鼻息荒く歩き出すラスに、二人はこれ以上何も聞けないことを悟った。
同時に、彼女が自分達とは全く違う存在であることを再認識した。
カールタの部屋で彼を目覚めさせたラスは、疲れたと言って部屋へと戻ってしまった。
取り残されたクーリツアはカールタとカデットの二人の様子をなんとなしに見ていた。
「あれからもう何日も経ったのよ? わかる?」
「いや、驚くほど記憶が抜けてるよ。一番新しい記憶は、ナムの部屋へと入ろうと扉を壊した所だからね。」
苦笑するカールタの顔色はあまり良くない。
「それより、そこの美女は一体誰なんだい?」
カールタがクーリツアに興味を示す。
「クーリツア。貴方を目覚めさせてくれた旅の術師ラスさんの助手よ。」
簡単な紹介をカデットにしてもらい、軽く会釈する。
ごっつい巨漢のナムと違い、戦士らしいがっしりとした体ではあるが、
骨格と中性的な顔のせいで優男のように見えるカールタは、女好きのだらしなさはない。
だが、そんな堅物だって興味を惹かれるのがクーリツアの魅力であろう。
「カールタです。貴女みたいな美女に会えるなんて、私はついてる。」
社交辞令的な口調で笑うと、カールタの目がすぼまり鋭くなる。
「それで、貴女は何者ですか? 旅の術師の助手にしたって、旅をしているには手が綺麗すぎる。」
言われてパッと手を隠そうとしたが、なんの事はない。
クーリツアは手袋をはめており、ローブをしているので、元より手など見えてはいない。
"やられた!"と心の中で叫んだ頃には後の祭りで、カールタどころかカデットも不振な目つきをしている。
「ここはパーズドビシャ国内にありながら、プシニーツァの占領している砦だ。
そんな場所に、旅人がやってくるはずもない。貴女はどこのスパイですか?」
カデットの方は、彼女がスパイだとは思わなかったが、何か画策している事はわかっていた。
良い機会だからここで話を聞いてしまおう。それが彼女の考えだ。
「私は…。」
クーリツアが言葉を濁らせる。
「それとも、あんたもクロやラスと同類? 人間じゃないタイプ?」
「違う。私の父は人間だった。」
クーリツアの目が宙を漂っている。
「母親は?」
「…小さい頃に引き離されて、記憶にない。でも、人間以外の生き物なんて考えられるか?」
カデットの言葉に鼻で笑う仕草をするが、思っていることは違うだろうと容易に想像できるほど余裕がない。
先ほどから指はローブの片隅をつねったり離したりと落ち着きないし、唇を執拗に噛み続けている。
もう一押しだと思ったカデットは、頭の隅で渦巻く、混沌とした知識の霧に自分から接触してみた。
鋭い痛みが頭を横切り、涙が出そうになったが、それを我慢して必要な情報だけを掠め取る。
「だってあんたは度外れた美人じゃない。」
「え?」
痛がっている相手の姿を見て油断していただけに、何を言われているのかわからなかった。
「母親がエルフなんじゃないの?」
『!!』
カデットの言葉にクーリツアとカールタが驚きに目を見開く。
「気でも狂ったかカデット!?」
目覚めたばかりのカールタは、クロの発した闇によって、
カデットとプティが謎の知識を得た事は知らされていないので、驚いてもおかしくはない。
「いいえ。あたしの頭の中にはクロと接触したおかげで変な知識が渦巻いてるの。
そいつが言うわけよ。あんたはエルフの血を引いてるって!!」
頭を抑えながらクーリツアを指差す。そこには敵意しかない。
「血を引いていても、純粋なエルフなんてとっくの昔に滅んだぞ!?
私だって見かけどおりの年齢だしな!! エルフとのハーフなはずがない!!」
叫びながらも、クーリツアの心は自分の言葉に傷ついた。
もしもそれだけ血が濃かったら、見捨てられなかっただろうに!
幼い頃の叫び声が、閉ざしていた心の奥底から叫んでいるのを聞きながら、カデットを睨み返す。
「血が混ざってるだけで、完全なハーフとは言ってないわ。
先祖の誰かがエルフだったんでしょうね。呪術の素質は覚醒遺伝ってやつよ。
でも、そこまで否定するって事は、むしろ肯定してるともとれない?」
「ガキか!」
クーリツアは絶叫する。
かんぐり方は間違いなく子供のソレであるが、指摘された部分はあながち間違っておらず、
これ以上隠し通す事はできないのだろうかと苦い顔を隠すために叫ぶしかなかった。
本音は、隠したくない。
できれば、誰かに自分がエルフの血を引いているのだと言いたい。そして認めてもらいたい。
自分はエルフだというプライドを持って生きたかった。
だが、彼女にはそれができない。
彼女が生きるのは人間の世界で、エルフの血を色濃く引く母は彼女を人間の世界に捨てたのだから。
「ガキだろうがなんだろうが関係ないわ!! これ以上、ナム隊の脅威は増やしたくないの!!」
脅威。
「脅威…。」
母も、私を脅威と言って捨てた。エルフの血を引く者も、私を"脅威"と呼んで手を払いのけた。
小さくて冷たい手を振り解いたのは私ではない。彼らだ。拒絶したのは彼らだ。
「いいかげんにしろ! もういいじゃないかカデット!」
カールタが叫び、二人の女が彼を見た。
「わけありなのはお互い様だ。意味もなく口論して、恩を仇で返してどうする。」
「でも、最初に言ったのはカールタじゃない!!」
「どこの姫君かと思っただけだ。種族だとかなんだとかはどうでも良いんだよ!!」
まだ食い下がるカデットの頬に、ベッドから起き上がったカールタの鋭いビンタが飛ぶ。
「いい加減、落ち着け。子供じゃないんだから。」
カールタの言葉にカデットは答えず、顔を伏せたまま部屋を出て行った。
「すまない。詮索好きな私のせいだ。だから、カデットを責めないでくれ。」
カールタが深々と頭を下げたので、クーリツアは顔をしかめる。
「カデットが好きなのか?」
クーリツアの言葉にカールタが顔をパッと上げる。
「…答えなければいけないかな?」
「別に。問い詰めるのは趣味じゃないんだ。」
いつのまにか地で喋っている事に気付いたカデットは、頭をかきながら退室した。
後には、肩を落とし沈痛な面持ちで立ち尽くすカールタが残された。
「いるんでしょ? そこに。」
クーリツアのいない静かな部屋で、ラスが窓をそっと開ける。
窓辺のカーテンが内側に揺れ、風が小テーブルの上に置かれた花瓶の花をからかう。
それから一度部屋を回って、ラスの隣のベッドの毛布を巻き上げる。
毛布がラスの視界を遮り、ゆっくりと床に落ちると、そこには見事な衣装を着た青年が佇んでいた。
「こんにちは。最後の光の竜。」
腰まで伸びた長い漆黒の髪を三つ編みにし、闇より深い瞳で微笑む風の長老竜。
「こんにちは。風の長老竜。」
透き通った銀の髪と空よりも尊い瞳の女神としか形容できない光の竜も微笑む。
二人は向かい合って座りなおすと、より意味深な笑みを浮かべた。
「つまり、そういうことなのね?」
「そういうことだよ。」
傍目からは美しいことこの上ない二人であり、微笑みあう姿も様になる。
しかし、ここに風の長老竜がいるということは、
彼が他の竜達との約束を破っていることでもあり、決して和やかなものではない。
「そっかぁ…やっぱりあたしの仲間はもういないのね。」
光の竜は皮肉な笑みを浮かべてベッドに倒れこむ。
「世界中あらゆるところを気の長くなるほど吹いてきたし、
今度の一件で闇の竜の住処も含めて長老竜の住処にも行くこともできた。
だけど、光の竜の骨の一片さえこの世には残っていなかったよ。君が最後だ。」
風の長老竜がからかうように笑う。
「調べてくれてありがとう。それにしても、こんなことして良いの?」
光の竜が起き上がると、風の長老竜は難しい顔をして笑った。
「いいのさ。私達長老竜は、否、私達全ての竜には、光の竜の力が必要なんだからね。
闇の長老竜でさえとうとうそれを認めた。だから、君に力を貸しても誰も怒らない。
まぁ、元より誰も怒らないさ。闇の竜達以外は、光の竜が正しかったと知っているし。」
光の竜が深い溜息を吐く。
「今さら?」
「はは、痛いね。ここから先は言い訳として聞いておくれよ。
当時、私達が束になっても闇の竜を止めることができなかったんだ。今でさえそれは変わらない。
私達にとって光の竜も闇の竜も別の存在で、圧倒的な力の差があるんだから。
それをふまえて、私達の懺悔を聞き届けてくれないかな?」
膝を折り、床を見下ろす長老竜の顔が笑っている事は光の竜でなくてもわかる。
何がそんなに楽しいのかはわからないが、誠意がないように見えることは間違いない。
「そう思うなら、早く部屋を出てって。貴方がその顔を使うのがイヤなの。」
光の竜が不機嫌な声を上げると、風の長老竜は立ち上がり、頭にかぶせた飾り羽つきの帽子を取る。
「それは失礼。」
軽く会釈してから風の長老竜はシーツを直し、入ってきた時と同様、夜風となってそっと窓から出て行った。
「とんだ竜だわ。彼の顔を真似るなんて、最悪。」
鈍く重く深い殺意を空へ向けながら、光の竜は一つの星を見つける。
「そういえば、彼もあの赤い星とその周りの100の星の軌道を任されてたんだっけ。
懐かしいなぁ…。彼と一緒に岩牢へ入る夜に教えてくれたんだっけ。
手を伸ばして、指差して、優しく教えてくれた…。あの時も笑ってた…。」
光の竜の頬を涙が伝う。
全ての苦しみを思い知らせるために、傷に塗りこむ塩のように、夜風に凍える涙は胸を締め付けた。
孤独に輝く赤い星のように、涙が静かに煌く。
最終更新日 2005/07/30
感 想 プティとチャコが二人ずつ居た回。 ラスを怒鳴るプティと、クーリツアに鼻の下を伸ばすプティ。 怪我してベッドで眠てるチャコと、みんなと歩いてるチャコ。
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