ある世界の物語

26

 

いまや拠点指揮官の地位まで手に入れたアターカが再度立てた計画は以下の通りだ。
アターカの200弱の部隊を三分割し、各部隊は赤、黒、銀の名称で呼ぶ。
各部隊の隊長は、銀がアターカ、黒が凰火、赤がヴィスで、
指揮能力よりも村の防御を打ち破るための戦力を重視している。
この三部隊の配置は、銀が村の北、黒が北東、赤が北西で、拠点兵から捻出した火矢部隊の準備が整い次第攻撃する。
次に、森の中の伏兵は、拠点と向き合う北側を中心に凰火が大雑把に狩る。
村の陥落が優先なので、待機場所を確保する為にそれと悟られないように殺す事となった。
(この言葉に凰火は不服そうな顔をして、自分一人でも村を玉砕できると呟いた。)
今回の作戦で一番の問題は、敵に行動を悟られないこと。
武器を持つ暇を与えず攻め込めば、味方の被害を最小限に食い止められるが、
もしも武器を持つ暇を与えれば大変な事になる。
いくら訓練された兵士だとしても、集団になると動きが鈍る。
同じ国でも所属が違えば考え方や動きが変わってくるせいだ。
だが、今回アターカが率いる軍団は、所属する場所も違えば、元々所属していた国が違うもの、
それ以前にどこの国から流れてきたのかわからない、得体の知れない異国の剣士までいるのだ。
お互いを良く知り信頼しあっている村人が、一致団結して攻め込んできた時、
集団としての纏まりの無さから崩れる可能性さえある。
だからこそ、アターカは拠点兵の利用を最小限に抑えたわけだが、
数の上で不利になってしまったカンは否めない。
問題はタイミングであり、頼みの綱は火矢が成功し、凰火とヴィスがまともに戦ってくれることだ。




湿った森の中は夜の闇に濡れて暗く、足元をぼんやりと照らすだけの小さな火が頼りだ。
北西から攻め込む一団、赤部隊は到着と同時に体の芯が冷える思いに駆られた。
幼さの残る青年騎士ヴィスに従わなければならないという不安のせいである。
が、それ以上に村へと近づくにつれ、足元に真新しい死体が増えていたせいだ。
これらはつい先ほど、村の北部を凰火が"掃除"した為である。
村は伏兵が消えた事に気付いていないらしく、伝令によれば、他の黒と銀の部隊も気付かれずに待機完了したらしい。
後は、準備の遅れた火矢部隊が到着すれば全てが完了する。
村の近くであるため、全員に沈黙し明かりを消すよう指示すると、ヴィスは傍らの少女に声を掛けた。
「リベルテ、どうしたの?」
リベルテが真っ青な顔を上げる。
アターカが探してきてくれた甲冑はリベルテには大きく、重すぎて着ることができなかったので、
服の下に鎖帷子を着込み軽めの盾を持つだけとなり、かえって彼女の小さくて愛らしい姿を強調する結果となっている。
「本当に、戦うんだ…と思って。」
リベルテは騎士でも戦士でもない。
実家は何代も続く大きな商家だし、リベルテ自身も商人としての腕と知識は大人顔負けだ。
護身術程度には武術も嗜んでいるが、16年間の人生において彼女は戦うよりも守られる。側の方が多かった。
だから、たとえ逃げ隠れするだけとはいえ、こんな本格的な戦いに出るのだ。緊張しないはずがない。
何よりも、今からの急襲を可能にしたのは自分の意思でもあったから。
小雨の中、火矢を使う事ができるよう、特殊な石を渡したのはリベルテ自身であった。
「君は絶対に殺させない。それは安心して。」
「うん。」
ヴィスの一言は力強く、その笑顔は元気をくれた。
「でも、君は自分の役目を忘れちゃいけないよ。決して、戦場から目を逸らさないという役目をね。」
きつくはないが軽くもない、警告にも似たヴィスの語調に、リベルテは立ちくらみを憶えた。
そして、ようやく気付いた。
彼は狙っていたのだ。
自分の決断で人が死ぬことから目を逸らさないで見るという、地獄のような行いを。
リベルテは怒るよりも何よりも、裏切られたような気持ちになりそのまま俯いてしまう。
「リベルテ、もう言い逃れはできないよ。人の死を罪だと非難する事が、自分の首を絞める事なんだから。」
優しく諭すようなヴィスの言葉は、リベルテの心を奈落へと突き放した。




「くそっ!!」
風雨に晒される拠点地の司令室には、今やお飾り同然の指揮官が一人激怒していた。
彼の怒りも仕方がない。
他国の騎士であったアターカが、この国に来てすぐ砦の主となったことも腹が立ったが、
顎でこき使えると思って協力依頼を出して喜んでいた矢先に、国王命令だ。
彼女は実質、指揮官の地位さえ奪ったのである。
拠点地で待機を命じられた指揮官は、昇進を掛けたスュー人の村の鎮圧で、今や窓際へと追いやられ焦りを感じていた。
もしもこれでアターカが生きて帰ってきた場合、彼の無能さは国中の知るところとなるだろう。
(何せ、この拠点地には2000を越す兵士が居て、更にその多くを死傷させたから。)
そして、彼は軍事会議に掛けられ、クビ。よくても階級が落ちるか、潔く辞表を迫られるだろう。
それでもまだマシなほうだ。
彼は頭を抱えた。
もしも、軍事会議でいらぬ事を質問されたら、彼は己の職どころか命さえ失いかねない。
死刑か、暗殺か。
それだけのことを彼はしたし、それだけの力がある人物とも関わりを持っている。
彼は吹きつける雨を浴びながら、妙にひっそりとしたスュー人の村の方を見た。
丁度その時、村の一角が赤く光り空の低いところを夕陽色に染めた。




「突撃!!」
アターカの声が村の北側一帯に響くと、怒声とも歓声ともつかない声が村に押寄せた。
一糸乱れぬという言葉が良く似合うほど、どの部隊も綺麗にしかし迅速に村へと入る。
アターカが女の身であるにもかかわらず若くして将軍の地位を得ていた理由の一つに、
彼女の指揮する部隊が攻撃の合図から最初の交戦までの時間が短い事にある。
つまり"突撃"が、どんな隊よりも素早いのである。
それも、部隊が大きければ大きいほど明らかになるぐらい正確に。
これは相手の意表をつくだけでなく、確実に相手の戦意と戦力を削ぐことができる。
気の弱い相手ならば、彼女の率いる部隊が誰一人後れを取らずに、
塊となって押寄せてくるのを見ただけで逃げ出すほどだ。
それぐらい、一糸乱れぬ陣形というのは相手を圧迫する。
これには、凰火もヴィスもリベルテも驚いた。
ヴィスなぞは、やっぱり部隊の練習はサボっちゃいけないなと、本気で恥たぐらいだ。
「あぁ…」
村の外で援護射撃を続ける火矢部隊の傍らに立つリベルテは、言葉をなくしていた。
肩を濡らす雨の夜に、夕陽色へと燃え上がる村。そして、命の絶える悲鳴。
目の前で修羅が舞い踊っている。あらゆる滅びの類が唄っている。
「私の…」
リベルテは悲惨な情景から目を逸らしたかったが、逸らせるはずもなかった。
目を閉じることさえ忘れてしまう惨劇が、瞬きすることさえ許さない。
傍らにいた火矢部隊の誰かが嬉々とした声をあげる。
「君のおかげで夜襲が成功した。我々に"炎"をありがとう!」
その言葉にリベルテは叫び、誰かの制止をかいくぐって、地上に現れた地獄のような村へと走っていった。




「やぁ、オゥルスカさん!!」
村の中央よりやや北側の広場で、凰火の部隊と合流したヴィスは声を上げる。
内心、リベルテが無茶をしていないかと心配だったが、
彼女が戦場を見ることがどれだけ有意義か解っていたので、
早く彼女の元へ戻れるよう先頭を走ってきたのである。
刃が二箇所で柄に固定された戦斧は身長の二倍近くあったが、
ヴィスはそれを己の腕のように自由自在に操り、人垣を叩き割って凰火の傍に寄る。
「バルディチェか。一体、いつ武器を出した?」
夜襲の前までは武器を持っていなかったことを思い出し凰火が問う。
問いながら、彼は手近にいた敵の胸を突き、抜きざまにその隣の敵のわき腹を大きく裂く。
「僕は炎から出すんですよ。人間は、手品か何かだと思ってくれたから大丈夫!」
聞かぬことまで答えたヴィスをちらりと見る凰火。
ヴィスの戦い方はジェラーニヤほど力任せではない。
ジェラーニヤは型がなっていたとしても、無駄に力を入れて破壊することに重点を置いていたが、
ヴィスはもっと武器の特質にあった戦い方をしている。力で捻じ伏せようとはしていない。
そして何よりも、"壊す事"と"殺す事"の違いを理解して戦っているのがわかった。
なかなかできるな、と思いながら凰火は敵の額をカチ割る。
「オゥルスカさんはこのまま村の南部を制圧してください。僕はアターカの方へ加勢に行きます。」
「アターカはまだであったか。」
軽く見回し呟く凰火。
少なくとも広場にはアターカも、彼女の銀部隊も誰一人としていない。
それもそのはずだ。
いくら足並みが整っていて早いといっても、それは人間としてである。
凰火やヴィスのように、人間離れした速さで敵を切り裂く事はできず、時間がかかるのは当然のことだ。
「じゃ、南部をお願いします!」
ヴィスは返答を待たずに凰火からサッと離れ、村の北側へと走り出す。
狂気に火照る凰火は、ヴィスも狂気の中で楽しんでいるのだろうかと、走り去る背を盗み見た。




「南部はまだ誰も着てないんだ。」
リベルテは火矢の届かない、村の南の外れに来ていた。
北部の騒ぎに戦える者は借り出され、南部はしんとしている。
叫びながら自分がどうやってここまで来たのか、茫然自失のリベルテにはわからない。
ただ、どこかで盾を落としてしまったらしく、鎖帷子の音がしなければ、どこからどう見ても一般人だった。
薄暗い村の中をもう一度見回すと、急に背後から手を引かれた。
「きゃっ!?」
リベルテが暴れると、誰かの手が彼女の口を覆う。
「静かにしな! どうしてあんたみたいな小さな子が外にいるんだろ?
いいわ、とにかくここで静かにしてな!!」
女の声が背後からして、抱きすくめられるような体勢になる。
リベルテは何がなんだかわからなかったが、次の瞬間にはどこかの倉庫に投げ込まれ、鍵を掛けられた。
「出して!」
勢い良く扉を叩くと、手が木製の扉のささくれだった表面で傷つく。
「ダメ、静かにしてな! あたしらの村が襲われてる最中なんだ。
子供だって殺されるかもしれない。あんたもおとなしく隠れてるんだよ!」
リベルテは戸を叩くのをやめ、その場に座り込む。
戦争は戦うだけではない。抵抗できない幼い者や弱い者は逃げ隠れしなければならない。
リベルテは派手な戦闘の裏側を見て、また叫びたいという衝動に駆られた。
不意に、何かの気配を感じて振り向くと、狭い倉庫の暗闇に怯えた瞳がいくつもあった。
ここには子供だけらしい。
皆十代に達しているかどうかという按配で、一番下は赤子だった。
一番年上らしい少年が前に出てきて、リベルテの傍に座り込む。
彼の浅黒い肌は闇に溶けているが、オレンジ色の髪がやけにはっきりと目に付いた。
「おねえちゃんだいじょうぶ?」
「…!」
リベルテは言葉よりも先に、少年に抱きついた。
同属だ! ドワーフの血を持つ子供だ!
少年は理由がわからずたじろぎ、彼の背後では子供達が緊張した面持ちで二人を凝視している。
「おねえちゃん、どうしたの?」
少年が心配そうに問うと、リベルテは顔を真っ赤にして少年を解放する。
「ご、ごめん。おんなじドワーフの血を持つ子に会えて嬉しかったの。」
瞬間、倉庫中から「しーっ!」という沈黙を促す声とジェスチャーが上がった。
「ダメだよおねえちゃん! そのコトバをだれかが聞いたらあぶないんだから!!」
「そ、そうなの?」
咎める様な瞳で少年が忠告したので、リベルテは何がなんだかわからなくなる。
「そうだよ。ソレの血をひいてるってバレただけで、たくさんの人が殺されるんだって。ババ様が言ってた。」
「ごめん。」
リベルテは気まずい気持ちになって、口ごもる。
「いいよ。どうせもうすぐ死んじゃうんだもん。」
少年の言葉に驚いてリベルテは少年の瞳を覗く。
「ボクより上の子はみんな戦いにいったのに、ボクらはここにいるんだ。もう、にげることもできないってことだよ。」
諦めきった声に、何人かの子供がすすり泣いた。




「せいっ!」
アターカは細身の剣で、敵を殺し村の南部へと進行しようと躍起になっていた。
薙ぎ払うというよりは、むしろ突き殺すと言ったほうが近いかもしれない。
彼女の鎧は血に汚れ、足元には敵味方関係なく肉塊が転がっている。
感傷的な気分にはなれないし、ならないように訓練してきたから感情はむしろ穏やかだったのだが、
この戦いの背後で武器を供給し武装蜂起を煽った組織があることには憤怒していた。
戦争が彼女の仕事であるから、仕方なく起こるものならば割り切れる。
自分や自分のかけがえのないものを守るためには、剣を取り敵を倒すことだって誇らしい。
だが、裏側で誰かに操られた一方的な戦いは嫌だった。
彼女の正義は、祖国を守り、民を守り、彼女の信じる秩序や道理や信仰を守ることで保たれる。
しかし、悪意によって引き起こされる争いは、正義を守るための剣を滑稽なものに変えるのだ。
だから、今回裏で糸を引いているのが祖国プシニーツァなのではないかと疑う彼女は、現国王に吐き気さえ覚えた。
「死ねぇぇぇぇ!!」
アターカの脇にある家から、甲高い声がした。
条件反射にも近い動きで、走りよってきた声を切り裂くように、喉笛を薙ぐ。
遅れて剣先を見やり、その向こうに倒れた者を見下ろして、アターカは呻いた。
浅黒い肌にオレンジの髪の遺骸は、どう見てもリベルテより幼く小さい少年だ。
プシニーツァだろうが、セルフヴォランだろうが、パーズドビシャだろうが、
三大大国以外の他の国だろうが、こんな幼い子供を兵役に駆り立てる国はない。
初めてアターカに迷いが出た。
この戦いのどこに正義があるのだろう。
その隙を突くように、敵の刃がアターカの心臓めがけて突き出される。
アターカが気付いた時には、もはや致命傷は免れないところまで差し迫った。
彼女が覚悟を決めた瞬間、刃は甲高い音を立てて地に落ち、呻き声と共に刃の主が倒れる。
アターカは何が起きたのかと周囲を見回し、目前の敵を薙ぎ払った者を見つけた。
「ヴィスヨールイ! 何故ここに!?」
白銀の柄に炎色の刃をつけた戦斧を操りながら、青年騎士がアターカの隣にやってくる。
「オゥルスカさんはもう南部に攻めてったから、僕は加勢にきたんだ。」
もう合流したのかと思いながら、アターカは呼吸を整え柄を握りなおす。
「苦戦してるとでも思ったのか?」
「うぅん。ただ、早く終わらせてリベルテの顔を見たいから。」
にこりと笑うヴィスの呼吸は全く乱れていない。
「そうか。リベルテはどうした?」
アターカが剣を振ると、敵の鼻が根こそぎもげる。
「わからないからこっちに来たんだよ。やることやって、僕はリベルテ探しに行きたいんだから。」
ヴィスの笑いが引きつる。
余裕があるように装っているだけか。
アターカがヴィスの眉間のしわを見ながら、その後ろに襲い掛かった敵の頭を突く。
「私達と中央まで行ったら、リベルテを探しに離脱しても良いぞ。」
「ほんとっ!? じゃぁ、がんばっちゃう!!」
ヴィスは嬉々として振り返り、体勢を立て直して襲い掛かってきた三人の胴を、横一直線に切り裂いた。




凰火が声を立てて笑っている。心底楽しかった。
凰火にとって、人間の相手をするのは、虫けらを殺すのと変わらない簡単な作業だったが、
虫と違って人間は様々な反応を返してくる。
敵意を向けて戦ってくる者、恐怖に顔を引きつらせ逃げ出す者、
何かの為にと叫んで恐れを振り払うように武器を振るう者、そして、隅に隠れた非戦闘員。
死ぬときには誰もが赤い花を咲かせ、魂を引き裂くような叫びをあげる。
憎しみも悲しみも、命乞いも、今の彼には甘美な音色のように聞こえた。
長いときを封じられてきた悪意は、ようやく体を取り戻したのだ。
「歯ごたえのない輩ばかりだな。」
それだけが残念だと言わんばかりの言葉を口にすると、凰火はまた笑った。
不意に、誰かが目の前に転がり出てきた。
オレンジの髪だが、スュー人よりも肌は白く背が高い。何よりも、角ばった顔は醜さの権化のようである。
敵だと判断した凰火は、すぐさま刀を構える。
男は不適な笑みを浮かべて、声を張り上げて言った。
「そんだけ殺しゃあ、血がべっとりとついて切れねぇだろ? それどころか刃こぼれだってしてんじぇねえか?
 てめぇはここで終わりだ! もう、その変な剣は使いもんにならにゃーよ!」
言われてみれば確かにそうである。
どんな武器であっても、人を切れば血糊がつき、数人も切れば使い物にならなくなる。
そうでなくても、骨肉を切り鍔迫り合いをすれば刃は欠けるし、下手をすれば折れる。
強度も切れ味も、鍛えぬかれ高められた日本刀でさえそれは変わらないため、
戦場での刃というのは"切る"ことよりも"貫く"ことや"砕く"ことが重視されたのである。
だからこそ、この男の読みは間違ってはいない。
しかし、相手は男の常識の範疇に入るほどの人物ではない。残念なことに。
男の笑いは、更に大きな凰火の笑いによって掻き消える。
「なれば、とくと味わえ!」
凰火が刀をふるった瞬間、男には何が起きたのか分からなかった。
次に、妙な喪失感を憶えて、武器を握ったままの左腕が地面に落ちているのを直視する。
思考が追いつけず、綺麗な断面をマジマジと見る。
骨の断面や脂肪の粒、筋肉の静かな痙攣がしだいにはっきりと認識できるようになると、
断面にじんわりと血が滲み出し、突然左腕が痛み出した。
強烈な痛みに悲鳴を上げた瞬間、足払いをされたような感覚と共にバランスを崩して地面に倒れる。
見上げた空は赤黒く、火の粉が舞っている。
激痛が体中を巡っているのが分かったが、男には悲鳴を上げることしかできない。
凰火の顔が真上にやってきたときようやく理解した。
己の体が切り取られている事に。腕も足も、胴も。
ショック死でもすればよかったのだが、生憎と凰火の腕が良すぎて、今だ想像を絶する苦痛に悲鳴を上げている。
「悪魔め!!」
男が涙声で訴えた言葉に凰火がニタリと笑う。
「死ね。」
凰火の言葉だけがやけに静かに聞こえて、男は額に大穴を明けて悶絶した。
凰火は意気揚々として新しい敵を探し、また走り始めた。
心が躍り、喜びで思考が捩じれそうになりながら、彼は思った。
感謝しなければならない。邪悪なる己を解き放ったこの世界に。
そして、戦場を与えてくれた他人任せの竜達に!
凰火の笑い声が、禍々しく夜に響いた。





アターカの形相は男でも逃げるのではないかというほど、怒りで歪んでいた。
この手で何人の幼い子供達を切ったのか、この手で何人の老いぼれを切ったのか?
問いただす間を与えず新しい敵意が襲ってくる。
誰の剣を手に持って、誰の命を奪っているのかを考えると、笑うことしかできそうにない。
とっくの昔に己の剣は折れ、倒れた敵や仲間の武器で戦っているのである。
祖国から逃げ出してきたとはいえ、いまだに彼女の母国はプシニーツァであった。
だから、領土拡大や同盟国との仲違いぐらいならまだ許せるし、いつかは国王が改心してくれるのではないかと願っていた。
しかし、もうその可能性はないだろう。
今、握っているのはどこの武器だ?
アターカが偲び笑う。紛れも無く、プシニーツァの刻印だ。
泣き出して、こんなことは嘘だと叫びたかったが、それ以上に彼女の中の正義が叫んでいる。
こんな無駄な争いを引き起こすならば、もはやプシニーツァは悪魔の国なのだ。打ち砕かなければ!
柄を握りなおし、敵を切り裂きながら、ふと思い出したように傍らを走るヴィスに問う。
「ところでヴィス、お前は何者なんだ?」
ヴィスが、いつもの笑顔で振り返る。
「ボクはボクだよ、アターカ。リベルテ以外どうなっても良いと思ってる男さ。」
「そうじゃなくて、元いた国はどこなんだ? 家族はおらんのか?」
ヴィスの微笑みが凍る。
国を裏切ったアターカも人の事は言えないが、それでもここまで動揺はしない。
「えっと、そーだね…。東の果てにある国だよ。」
ヴィスが寂しく笑う。
「異国の旅人と同じ国か?」
「違うね。オゥルスカさんの国はもっと遠い場所だよ。
でも、そうだね…どちらもとても遠くて、貴方達が訪れることは叶わないよ。」
敵を切り裂くヴィスの瞳が、遠い空を見るように細まる。
「家族は?」
「んー、ボクは一人っ子だったからね。父母と父方のお祖母様は健在だよ。
他の祖父母は僕が生まれる前に亡くなったから、よくは知らないんだ。
小父小母もいるし、いとこ達もいるけど、彼らともそれほど親しくはないなぁ。
 あとは…そうだ! 隣の家の女の子はボクをお兄ちゃんって呼んで、色んなところについてきてたね。
 その上の男の子は、ボクの事を"アニキ"って呼んでて、やっぱりよくついてきたね。」
隣の家とかはどうでもいいよ。
呆れ果てたアターカはちらりとヴィスを見る。
聞いている分では、どこかの王侯貴族というわけでもなさそうだが、唯一"父方のお祖母様"だけは気になった。
他は"祖父母"とか"父母"ぐらいで尊敬語を使っていない。
「父方のお祖母様とはどんな人物なんだ?」
父方のお祖母様が、何か力のある人物なのではないかと睨んだアターカは、そこを追求することにした。
ヴィスの顔がひきつる。
秘密をかんぐられる時のものではなく、むしろ、何か酷い失敗をしたのを知られたくない時の顔だ。
「あーあー…。えっと、えっとねぇ…。」
だんだん困ったような、泣きそうな顔になってくるので、さすがのアターカも困惑する。
「…ものすごく怖い方だよ。ううん、皆の事を考えてくれる立派な方だけど、うん…怖いよ。」
歯切れの悪い声から、どんな老婆なのかと想像し、鬼婆の姿が浮かんでしまったアターカは首を振る。
「旅に出ることを反対したのか?」
「そりゃ、皆に反対されたけど、それでも説得したからそれは大丈夫。
 お祖母様だって、最後は了承してくださって、色々な贈り物をしてくださったもの。」
恥ずかしそうに頬を染めて言うヴィス。
「ちょっとまて、お前さっき怖がってただろうが!」
アターカは思いっきり突っ込む。
「いや、それは、お祖母様とかお祖母様と同じ地位の方々に怒られるような失敗をしちゃったからだよ。」
ヴィスの顔色がまた悪くなる。
何をどう失敗すれば、そんなに暗い顔になれるのだろうと思いながらヴィスを見る。
「でも、それ以外は良い旅立ちだったよ。一生、戻れないって思い出すと、ちょっと切ないけど。」
にっこり笑うヴィスにアターカは今度こそ大声で聞き返した。
「一生戻れない!?」
変な力が入って、敵の肩を切るつもりが頭をカチ割ってしまった。
「そうだよ。リベルテやジェラーニヤと同じ。ボクも故郷には戻れないんだ。」
アターカは呆然として、敵の足を刈るヴィスを凝視する。
訳ありの両親を持ち、家族という概念をあまり理解できないアターカだが、
それにしたってもう戻れないとわかっていながら一人息子を送り出す家族というのに驚いた。
更には、凰火を含めて奇妙奇天烈な四人組のうち三人は故郷へと帰ることの叶わない身だ知って、余計に驚いてしまう。
自分だって故郷に帰れないという共感と、自分の方がより悲劇な理由で帰れないのだという意地を抱く。
「何をして追い出されたんだか。」
意地悪な言い方になってしまった事を承知で、アターカは敵の胸を突く。
「んー、リベルテの方は知らないけど、ジェラーニヤもボクも、自分から故郷を離れたんだ。
 一度出れば、もう戻れないっていう約束を知りながら。」
にっこり笑うヴィスに腹を立てた。
自分は、裏切りたくて母国を裏切ったわけではない。出たくて出たわけではない。こんなお気軽な連中と一緒ではない。
妙な意地を張っている事に気付くはずも無く、アターカが吼える。
「さぞ、自由だろうな! 身勝手な暮らしぶりは!」
その言葉に、ヴィスの瞳が鋭くなる。
アターカは始めてみる鋭さに体の芯が凍えるのを感じた。
「ボクはね、アターカ。優しい部類だし、人間に寛容な方だから殺したりはしない。
 だけど、ジェラーニヤにそんな事を言ってみなよ。永遠の闇の中で暮らす羽目になるよ。」
不機嫌な顔でヴィスはまた走り出し、敵を薙ぎ倒す。
アターカが呆然としながら、"永遠の闇"とはどこの国の牢獄なのだろうと、人間らしいことを考えている。
答えは見つからなかったが、彼の怒りには思い当たった。
自分の意志で選び取った道を愚弄されれば腹が立ってもしかたがない。
自分だって同じ事を言われれば腹が立つし、手が出ているだろう。
ヴィスが何者であろうと彼を怒らせてしまったことが、
自分自身の愚かさを教えるとは思わなかったと言わんばかりの絶望を抱えて、
アターカは死んだ敵からプシニーツァの刻印がされた剣を奪った。



最終更新日 2005/07/30
感    想 三部作なので冒頭の詩は消しましたとさ。
        ちなみに「バルディチェ」はロシアの戦斧です。
        ヴィスのは規格外のでかさですけどね。