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人が手に入れられるものはあまりにも少ない癖に
手に入れた傍から崩れ落ちてしまうほど脆い
人ならぬものは自分の身の程にあったものを欲して
手に入らなかった場合は死んでいくのに 人は死ぬことさえ嫌うのだ
カローヴァ砦の浴場には怪しげな煙が立ち込め、意味さえ不明瞭な言葉が垂れ流され続けている。
おかげで、カローヴァ砦の住人達は夜が来てもっと恐ろしい事がおきるのではと、黄昏の空を不安な顔で見上げるしかなかった。
「眠ったみたい。」
カデットがクロを見下ろす。
10歳前後だろう裸の少年は、浴場のタイルの上で小さな寝息を立てていた。
「とりあえず、今日はこのまま封印を施して浴場からクロを出さないようにしましょ。
一応何かあったときの為に交代で見張りましょう。」
カデットが腰に手を当てて、周囲の人々の顔を見る。
皆、疲労の色が濃く、空腹よりも眠気の方が強いようだが、一斉にこの場を離れるわけにもいかない。
「まず、ルイスさんとケーリーさん。次にマートさんとブルーノさんとシュッティさん。最後にカークホーンさんと私。交代は二時間置きね。」
そう言いながらカデットは香油で湯船に何かの紋章を描き、その中にクロをゆっくりと沈めた。
「ルイスさんとケーリーさん、最初の見張りをよろしく。夕飯は誰かに届けさせるわ。
あたし、ちょっと隊長の様子を見てくるから他の人も指示した通りに動いてて。」
カデットは香油を置いて、浴場を横切ったが、極度の疲労の為に突然足の力がなくなり倒れかける。
「カデットはん!!」
近くに立っていた白い肌の女性が手を出してカデットを支える。
「無理は禁物どすえ。」
女性はカデットの頬に張り付いた送り毛を掻き揚げ、脱衣所まで支えて歩く。
「ありがとう、ケーリーさん。でも、身内の事だしね。」
苦笑いしながらカデットは浴場を後にした。
手には落ちない闇がこびりついている。
プティは心底不安で仕方がなかった。
ペールの部屋へと連れ出したナムは、始終"やめろ"という言葉を繰り返すだけで他に何も反応をしめさなかったからだ。
ペール自身、こんな例を看た事がないのでなんとも言えないと顔を暗くしていた。
なのに、ペールが呪術道具を出した瞬間、プティはその中のどれがナムに効くのかわかってしまった。
見たこともない道具の中からいくつかの道具を取り出して、あっさりと使った。
いつの間にかペールに指示を出し、ペールが驚きと納得を何度も示す羽目になるようなことまでした。
でも、それは自分の記憶では決してありえない行為だ。
幽霊とか呪術といったものにまったく縁のなかったのだから、余計におかしい。
「俺、どうなっちゃったのさ?」
不安を言葉にしてみてもどうにもならない。
今はすっかり眠ってしまい、平静を装うナムを見下ろしながらプティは不安に思う。
このままナムが元に戻らなかったら、クロがナムを連れて行ってしまったら、他の仲間もクロに汚染されたら。
だが、それ以上に、自分が何者になってしまったかの方が怖かった。
ノックの音が響いた。
ペールはその音がわからないと知っていたので、プティは投げやりな返事を返して扉を開けた。
扉の先にはカデットが立っていた。
「プティ、隊長はどう?」
カデットの顔色は良くない。剥き出しの肌には墨が跳ねたように闇が染み付いている。
「見てのとーりだよ、ねえちゃん。今は寝てる。」
「そう。よかったわ。」
カデットとプティは深いため息を吐いて、ナムの傍らに立つ。
長い沈黙が部屋を満たし、耐え切れなくなったペールは空腹を訴え、部屋を出た。
入れ替わりにチャコがやってきた。
「カデット、プティ、隊長とクロの様子はどうなったスか?」
チャコの顔を見て、カデットははたと重大な事を思い出す。
「隊長もクロも寝てるわ。それよりカールタはどうなったの!?」
すっかり忘れていたことを恥じる。
「カールタ副隊長も寝てるっスよ。」
「そう…。」
カデットは深いため息を吐いて、自分の手を見下ろす。
「ねぇ、プティ、頭の調子はどう?」
同じく手を闇に染めた弟に問う。
「最悪だよ。まだ頭の中がグルグルする。ねえちゃんは?」
「同じく。」
すると、チャコが二人の傍に寄ってきて、しきりに眉をひそめてみせる。
「何が? 風邪でも引いたっスか?」
その言葉に姉弟は硬直し、顔を見合わせる。
「クロの吐いた闇のせいで、見たことも聞いたこともない知識が頭の中に入ってきて、
正気を奪うように頭の中を行き来してるの。わかるでしょ?」
カデットがいぶかしげに問うと、チャコは大きく首を横に振る。
「はぁ?」
その言葉にプティが声を上げる。
「知識の塊みたいな闇が実体を持ったモノ、それがクロだ!! わかるよね? チャコ兄!!
あいつは闇そのもので、生き物でさえないんだ!! 全ての秩序を知ってソレをひんまげることができるんだよ!!」
プティの早口にチャコが首を傾げる。
「だから何っ?」
チャコが事の重大さを理解していないことに二人は驚きの声を上げ、すぐさまそれが普通なのだと思い出す。
おかしいのはチャコではなく、闇に触れて変わってしまった自分達の方なのだと恐怖する。
同時に、一つの疑問が浮かぶ。
「どうして、ナムやカールタは狂ったのに、あたし達は大丈夫だったのかしら?」
カデットが目を閉じて、頭の中を飛び回る知識の中から答えを探そうとしたが無理だった。
何かの力によって、核心は見えないヴェールの向こうに押しやられている。
プティも同じことを試したらしく、何も成果が無いことにため息を吐く。
チャコだけが、状況についていけずしきりに首を傾げた。
夕飯の支度ができたと聞いたリベルテは、空腹を訴えるお腹に同調して急ぎ足で食堂へと駆けていった。
その後を追いかけようとヴィスが扉に手をかけた瞬間、右頬に痛みが走り振り返る。
「オゥルスカさん、いくら僕でもその剣は痛いんですけど。」
刀を扉に刺したまま、凰火は一歩踏み出してヴィスの胸倉を掴む。
「何か隠しているだろう?」
さすがのヴィスも顔が引きつる。
凰火の瞳はギラリと光り、優しさの欠片もない。許しを請うてもどうにもならないだろう。
何に対して怒っているのかヴィスには理解できなかったが、危険な状況であることはよく理解した。
凰火の刀は竜の身でも十分死に至る、鋭く強靭な刃だからだ。
「僕が何を隠すの?」
ヴィスは声の調子を落として問い返す。
首が更に絞まるのを感じて、苦痛に顔を歪めるヴィス。
「出会った初めは気づかなかったが、貴様はどこかおかしい。
リベルテを無条件で守り立てながら様子を窺うような素振りをする。
何を企んでいる? それとも、貴様の意思ではなく別の意思が働いているのか?」
凰火の問いは鋭く、決して嘘を許さない気迫がある。
ヴィスは両手を挙げて降参の手振りをするが、胸倉を放してもらえないとわかると諦めて口を開く。
「そうだね、貴方のゆーとおりだよ。僕はリベルテを感情とは別の意味からも見てる。
少し前にある男と約束をしてね、リベルテを見守ることになったからね。
あんまり分が悪かったから、リベルテと僕がまた出会ったら見守ることにしたけど。
別に、それは他人の意思じゃない。今は僕の意志でリベルテの傍にいる。」
ヴィスは凰火の手を振りほどき床に座り込む。喉が苦しくて数回咳き込んだ。
「百歩譲ってリベルテに対する態度は認めよう。
だが、それでも貴様の態度には説明できない違和感がある。信用できぬ者の気配だ。
先に見せた玉でジェラーニヤは記憶を取り戻すのか?」
ヴィスが今まで見せたこともない、卑屈な笑みを見せる。
「だったら、貴方がこの玉をジェラーニヤに渡してよ。
貴方なら、本当は簡単なんじゃないの? リベルテに付き合わなくてもいいんじゃない?」
凰火は扉から刀を抜いて、その切っ先をヴィスに向ける。
ヴィスはたじろぎながらも、懐から玉を取り出して凰火に差し出す。
「受け取る? 受け取らない?」
凰火はその玉を奪い、強く握り締める。
ヴィスはいつもの人好きのする笑顔を取り戻し、剣先を避けゆっくりと立ち上がる。
「人間に僕を理解できるのか知らないし、人間らしからぬ貴方を信用する気もしない。
貴方も僕を信用しなくていいし、理解しなくていいと思うよ。だけどさ、
これ以上の詮索はやめておかない? お互いの為に。そして、リベルテの為に。」
凰火がきつい瞳で何かいいたげな顔をしたが、ヴィスはもう話すことはないという態度で扉を開ける。
夕暮れに照らされた闇とオレンジの回廊に、漆黒の髪を讃える赤い瞳の少年は颯爽と踏み出した。
「リベルテ、あの二人はどうしたんだ?また見えないようだが。」
無駄のない引き締まった顔つきの女性アターカが、隣に座った少女に声をかける。
「さぁ? わからないわ。たぶん、あたしが走って来ちゃったから歩いてる最中なんじゃないかな?」
リベルテが首を傾げる度に二つ縛りの髪が揺れる。
「どうも、あの異国の剣士殿は食事の時間を守ってくれなくて困るな。」
アターカが小さなため息を吐く。
「何か問題があるの?」
「大有りだ。リベルテや彼らはここに来て日が浅い。それなのに、それぞれの得意分野で人並み以上の力を示してるんだ。
新人というのはどこの組織でも疎まれたりかんぐられたりするものだから、食事の時間や休憩時間に打ち解ける方が良い。
そうでなければ後々、作戦の最中や戦場で信用されずに孤立する可能性もある。」
言われてみればその通りだと、口にフォークを咥えながらリベルテは頷く。
「お前達にとっての戦いは個人戦や少数の仲間での機動力を重視したものだったかもしれない。
何せ、人の何倍もの力を一人ずつ持ち合わせれば、多少の無茶をしても問題はないだろうからな。
だが、今から赴く戦場は違う。どんなに力があっても、最後は兵の数が勝負の決め手になる。
その中で、仲間の支援を受けられない事がどれほど危険かわかるか?」
リベルテはまだ見ぬ戦場の様子を描いてみたが、想像力が追いつかなかった。
ただ、何十万という敵兵の中で孤立した凰火やヴィス、ジェラーニヤを考えると、どうしても負ける気がしない。
自分は死ぬかもしれないし、アターカ達も死ぬかもしれないが、彼らは勝利を手にするだろう。
さもなくば、敵に多大な被害を与えて、次の機会を待つよう逃げ延びることになるだろう。
それだけの力があることを痛いほどわかっていたので、アターカには悪いが小さく笑ってしまう。
「何を笑っている? 大事なことなのに!」
アターカは心外だといわんばかりに口をへの字に曲げる。
「だって、何十万って敵兵が押し寄せても、相手が人間だったら彼らが殺される気がしないんだもの!」
とうとうおかしくなって笑い出すリベルテ。
アターカはため息を吐いて、頭に手を置く。それからぎこちなく笑う。
「確かに、そうかもしれないな。人知を超える力を持っているのだから。」
「そうね。」
リベルテがパンを一口ほうばり頷く。
「彼らはどうしてあんな力を持っている? 本当に人間なのか?」
アターカが気楽な声で尋ねてきたので、リベルテはついつい答えそうになった。
だが、そんな気配を悟られないようににっこりと笑ってみせる。
「あたし、彼らと出会ってまだ三月も経ってないから、あんまし過去とかはわからないわ。」
アターカは「ひっかからなかったか」と口の中で呟いて、にっこり笑いを返す。
それとなく無駄口をしながら食事を取っていると、問題の二人が顔を出した。
ヴィスがわざとらしくクシャミをしたところを見ると、もしかしたら聞いていたのかもしれない。
凰火が短く咳払いをしてリベルテの隣に座る。
アターカは心の底から思った。
共に戦うならば、非常に関わり難い者達だ。と。
カデットはプティとチャコを誘って夕食を食べることにした。
僅かに残ったナム隊の仲間の一人と自称呪術師の男という相性の悪そうな二人が、
ナムの部屋を見張ってくれているのでゆっくり休憩できたのだ。
夕食を終えた三人は思い沈黙を引きずり歩いている。
「ねえちゃん、たいちょーは元に戻るかな?」
プティが不安そうな声を上げるとカデットの顔が暗くなる。
「にわか仕立ての知識じゃなんとも言えないわ。でも、きっとよくなるわよ。治してみせる。」
カデットの言葉にプティがぎこちなく笑う。
「にしても、こんな状況で何か起きたら危ないな。」
チャコの呟きに二人はチャコを凝視する。
「そうっしょ? 今まで暴動が起きなかったのはナム隊長とクロの傍若無人コンビの圧倒的な力と、
頭の切れる男カールタ副隊長の手腕があったからっしょ? でも今は三人とも眠ってる。
もしも、暴動が起きたら? 今朝の連中の仲間が襲ってきたら? それ以外の諸々の問題が起きたら?」
チャコの視線が周囲を窺う。廊下には誰もいないが、用心は必要だと暗に教えている。
「これから何をすればいいんスかね。」
チャコがため息を吐く。
ふと、悲鳴を聞いた気がしてカデットはあたりを見回す。だが、何もない。
しかし、胸騒ぎがして駆け出していた。
「クロの所に行くわっ!! あんた達は隊長の所を見張ってて!! あの二人じゃ心もとないから!!」
二人ともその言葉に逆らわなかった。彼らの胸にも何か底知れないざわめきが生まれていたからだ。
浴場に近づくと、悲鳴がはっきりと聞こえた。
何故か外に立っているはずの見張りがいない。カデットはこっそり隠していたナイフを取り出して構えると、
勢いよく脱衣所の扉を開けて中に飛び込む。
「どうしたの!?」
目の前には見張り役をしていた名前も知らない二人が血にまみれて倒れている。
喉を深く抉られ瞳孔も開ききっていたので、二人には構わずまだ悲鳴の聞こえる浴場へと足を踏み入れる。
ルイスがナイフを構え、ケーリーがクロの沈む浴槽の前で身構えている。
二人の視線はカデットの目の前に立ちふさがる男に注がれていた。
「あんた、誰?」
ナムも背が高いのだが、この男も同じぐらい背が高い。首の疲れるタイプだ。
「名乗る必要はない。」
「はぁっ!?」
その態度にカデットが怒鳴ろうとした瞬間、男の握り締めた短剣がカデットの首を狙ってきた。
カデットはナイフで軌道を逸らし、一歩下がる。
分の悪い勝負だとカデットは内心毒づいた。
相手の得物と自分の獲物の能力の違いが目に見えている上に、相手は戦いなれていることがすぐにわかった。
それも、暗殺者としての戦いに。
男の顔は知らない。だが、その服装からしてパーズドビシャの、つまりこの砦の所属していた国の兵士に違いない。
どうやって入ったのかを考える前に、次の一撃が襲ってくる。
これもなんとか避けて後ろに下がると、死体を踏みつけてしまった。
予想外の障害物に足を取られた瞬間をついて男の剣が襲い掛かる。
カデットはケーリーの悲鳴を聞きながら、ふっと頭に浮かんだ言葉を口にして男の胸に張り手を食らわす。
突然、男の胸は光だし、はじけた。
男の絶叫が響き渡る。
カデットは立ち上がり、男の手首と足の腱を切り身動きの取れないようにした。
「他に敵は!?」
顔を上げて発したカデットの言葉にルイスとケーリーがビクリッと震える。
「どうしたの?」
カデットが不思議そうに小首を傾げると、ルイスが口を開いた。
「だ、だだだだだだって、い、い今、あんたがががが、ま、魔法!!」
聞き取り難い言葉から、一つの疑問を聞き取り、そしてカデット自身も酷く当惑する。
カデットが魔法を使った。
いや、魔法が衰退して長い時が過ぎているので、本当に魔法なのかはわからない。
だが、魔法と言う以外になんと言えるだろうか?
少なくとも、普通の人間が一朝一夕で出せる力ではない。
男は胸を赤く染めて呻いている。
間違いなく、カデットやルイス、ケーリーが知るどんな武器とも違う傷跡だ。
「そんなことよりも、他に敵はいないの!?」
カデットが怒鳴ると、ケーリーが一歩前に出る。
「話しの雰囲気からして、もう一人おるようでした。」
カデットは慌てて周囲を見回すが、誰もいない。
「正確には、この砦のどこかに。」
不意に、ナムの顔が頭を過ぎる。たぶん、もう一人はナムを仕留めにいったに違いない。
遠くから足音がした。
身構えると、それはナム隊の仲間達で、信用できる部類の人間達だった。
「何が起きたんだぃ!?」
カデットはおおまかに事の説明をする。
襲撃の事実は恐ろしかったが、それ以上に内通者の存在があるに違いないと思ったカデットは、
信頼できる仲間二人に、ナム隊とプシニーツァから借り受けた騎士団、朝捉えた男、
現在捕虜となっているパーズドビシャ兵の全てを点呼し存在の有無を確認するよう頼んだ。
残った三人のうち、一番腕の立つ者を一人ナム隊長の様子を見てくるようにと走らせる。
残りの二人は浴場の見張りだ。
たぶん、ろくなことにはならないだろうと思いながら、クロの沈む浴槽に近づく。
ルイスが隅っこに逃げ、ケーリーも硬直している。
どうしたのかと浴槽を除くと、すぐに理由がわかった。
クロが睨んでいる。
細い腕が水面を叩くが、カデットの垂らした香油の封印で水面を波打たせることもできない。
(出せ)
クロの口がそう言っているが、音は聞こえない。
(ナムが殺される!)
クロの瞳には昼間の狂気はなく、ナムが危機に立った時に見せる鋭さが光っている。
カデットはプティとチャコの身を案じながらも、首を横に振った。
「あんたが隊長を苦しめないって確証をあたしは知らない。」
プティは人生最大の強敵と戦う羽目になっていた。
身の丈はナムより少し低いが、チャコやプティと比べれば十分に背の高い男と対峙していた。
腰に常備した短剣でなんとか致命傷は避けているが、避けきれなかった剣戟で切り傷があちこちに出来ている。
血にまみれたチャコが廊下に転がっているのを、男の脇から見る。
何故こんなことになったのかよく覚えていなかったが、見張りの二人が足元に転がっているのを見ると、
とりあえず自分では太刀打ちできない相手だというのがよくわかった。
(不意打ちとはいえ、チャコ兄が一瞬で倒されるわけだよ。)
なんて冷静な部分で考えながらも、次第にかわせない剣戟が増えてきた。
(誰か来て!!)
プティが悲鳴にも似た思いを叫んだ瞬間、誰かが走ってきた。
男が新たな敵の出現に驚き、一瞬隙が出来たのを見てプティはナイフを突き出す。
腕を深く切られたが、男の胸にはしっかりとナイフが刺さっている。
足音の主は勢いよく部屋に飛び込んできて、男の首をはねた。
「大丈夫か!?」
プティは小さく頷いてから、それほど大丈夫じゃないけどね、と冗談を飛ばした。
「助けてくれてありがと。俺より、チャコ兄を頼むよ。」
男は頷いて、廊下に倒れているチャコを背負いすぐに医務室へと走っていった。
プティは近くのベッドからシーツをひっぺがし、深くきられた腕にきつく巻く。
「左でよかった。利き腕だったら悲惨だし。」
そういいながら、ナムの方に近寄る。
自分に出来ることは少ないし、このまま傷を放っておけば出血多量で死ぬだろう。
だがしかし、そんなことは二の次で、今は眠っているナムを守ることが大切だと思った。
そうしなければいけない気がした。
ナムに拾われる前だったら、姉以外の人間がどうなろうと知ったことではなかったが、
今ではナムもチャコもカールタもペールだって、彼にとっては大切な仲間であり家族だ。
意識がある分、自分がどうにかしなければいけないと判断したことに、少し照れくさい思いを抱きながらも、ナムの顔を覗く。
顔色は良くないが、夕飯の前に見たときよりもよくなっている。
「たいちょー、こんな大変な時こそ親父らしく守ってくれよ。」
涙をこぼしながら横たわるナムの胸に顔を押し付ける。
呼吸は聞こえるが、いつものように冗談めかした声は聞こえなかった。
プシニーツァ国後宮の一番奥にある部屋には、二人の美女が住んでおり、どちらも女としての才以上に戦争や謀が得意だ。
「ディスール、本当に行く気か!?」
ミェースチが怒鳴ると、ディスールが首を縦に振る。
部屋の主人であるミェースチは、人間離れしていると言っても過言ではないほど整った顔を怒りで歪めている。
「当前よ。せっかくセルフヴォランを攻め落とすために使える駒がいるのに、大人しく封じとくなんて馬鹿だもの。」
ミェースチの美しささえ、雑草とよばせられるほどの美女ディスールの言葉は、熱に浮かされているような風である。
美女というより美の女神、されど、その飄々とした様は人間の信じる神のような優しさはない。
「だったら、増援部隊を送れば良いだろうが!! お前が行く必要がどこにある!?」
「王大使として肩書きを貰い、部隊を操るほうが楽だと思わない?
それに、あたしが行かなきゃ彼が起きられないわ。彼を理解できるのはあたしだけだもん。」
ディスールの言葉にミェースチが食いかかる。
「だが、すぐに増援部隊も肩書きも揃わないぞ!!」
揃ったとしても、動かす為には更なる時間が必要だ。
「それは大丈夫。ミューには黙ってたけど、もうずっと前に国王に申請して揃えておいたわ。
ついでに、いつでも軍を動かせるように兵站の確保もしておいたし。」
その言葉にミェースチが絶句する。
ほとんどの時間を傍らで過ごしてきたはずなのに、いつそんな事ができたのだろうと思う一方で、
人間社会について無知だったはずの光の竜にこれほど素早い立ち回りができるのかと不振に思った。
体中が冷たくなるのを感じた。
「だが、お前一人を行かすわけには…」
「ミューの分もあるから、安心して。」
ディスールがにこりと笑う。
「って、おい。いつの間に!?」
ミェースチは、他人の事までどうこうしてしまったディスールの行動力にただ呆然とするしかなかった。
「そろそろ後宮なんて堅苦しい場所にいるのは飽きたでしょ? 準備も揃ったし、戦況もプシニーツァ軍の有利だし、
ここで妾から将軍に抜擢されるのも良いんじゃないかしら?」
「何を考えてるんだ? 私に黙って!!」
そう言うしかできなかった。
それこそがディスールの行動に対する極限の疑問だったせいもあるが、
何よりも自分の意思とは関係ない所で自分の行動を決められたのが腹立たしかった。
しかし、ディスールはそんなミェースチの内心を知ってか知らずか、お腹を押さえて小首を傾げてみせる。
「お腹が減ってるの。戦場だったら沢山食べられる。それぐらいしか考えてないわ。」
「嘘だ。」
まだ他に何か隠していると思ったが、追求するよりも自分から言って欲しいと思った。
ディスールの勝手な行動は腹立たしいが、ここ3ヶ月近くずっと後宮で戦ってきた仲間であり友人だと思えたからこそ、
彼女の真意を知りたい反面、信じていたいという気持ちがあったのだ。
「じゃぁ、嘘だと思っていて。どっちみち、明後日には遠征を始めるから。」
あっさりと引き下がり弁解もしないディスール。
「ミュー!!」
その態度にまたしても腸が煮えくり返る思いにさせられたミェースチは、ディスールの肩を掴む。
だが、ディスールはその手を払いのけ、お気に入りの天蓋付ベッドに歩みを向ける。
「もう夜よ。あたしは寝るわ。おやすみなさい。」
取り残されたミェースチの怒りは、大理石の床に涙として零れ落ちた。
無力だ。
昔の己が吐いた言葉を思い出して、よけいに泣けた。
最終更新日 2005/07/30
感 想 凰火さんとミェースチは苦労性だなとつくづく思う。 ファンタジーっぽく魔法が登場。 今更な上に、カデット(脇役)が取得してる。
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