ある世界の物語

19

 

大地を揺さぶり震わせ川を汚しつくし空に狼煙を上げろ
突撃ラッパが歌う前に暗殺者達よ闇から砦に忍び込め
空を突き刺し入道雲を隠し勇猛果敢な戦士を讃える旗よ波打て
大将が駒を進める前にパイプ兵よ総てを貫き突撃しろ


「酷い有様だな。」
プシニーツァからの突然の開戦宣言に周辺諸国は震え上がった。
表向きには突然ではあったが、実際には戦の種をいくつも蒔いており、戦争が始まる事は国家間ではよく知れていた。
だが、それにしてもプシニーツァの開戦宣言は恐ろしい速さで世界中に広がった。
突然の襲撃に崩れ落ちた砦が一体いくつあったことだろう。首を無くした領主がどれほど居ただろう。
開戦宣言からまだ2日というのに、今や世界中に戦場は広がりつつあった。
「酷い有様だな。」
相手に聞こえるようにもう一度繰り返す凰火。
ここはプシニーツァの国境沿いにある宿屋の食堂だ。
食堂と言ってもロビーと隣接していて、食事風景がチェックアウトしていく人々に丸見えというお粗末な代物だが。
「なんでこんな事になっちゃうの?」
新聞を握り締めるリベルテ。その瞳は怒りと悔しさで濁っている。
「この戦も、光の竜と関わっているのだろう。」
凰火は、冷めたコーヒーを啜る。
朝食を終えた二人は、食堂の隅に置かれた朝刊を読むことにしている。
というのも、新聞記事の中にジェラーニヤを見つける手がかりがあるかもしれなかった為だ。
凰火はこの世界の言葉がわからないので、リベルテに読み聞かせてもらっていたのだが、今朝の新聞は今までになく酷い戦局を伝えていた。
「でもでも、なんでこんな事するの?戦争には関係ないのに!」
新聞に描かれていた挿絵を凰火に見せる。
凰火は新聞を受け取り、眉をひそめる。
挿絵の中では、だいぶ美化された騎士達が、悪魔のような顔を持つ人々が住まう村に火を放っていた。
「"おぞましいアジャーラ人の村が一つ消えた。讃えよ。我々は正義の名の下に突き進む。"」
リベルテが低い声で呟く。
「そう書いてあるのか?」
凰火はリベルテに新聞を返しながら問う。リベルテは小さく頷いて受け取った新聞を畳んだ。
「アジャーラ人は、確かに醜いわ。だけど、醜いだけなの。とっても良い人達だよ。誰かを傷つけるための武器だって持たないのに…。」
リベルテが唇を噛み締める。
彼女は昔、旅の最中に道を失い食料も付きキャラバンが滅びそうになった時、偶然アジャーラ人の村にたどり着いた事があった。
アジャーラ人リベルテと彼女の率いる商隊を快く受け入れ、傷ついた者を介護し、貴重な食料まで分け与えてくれた。
そんな心優しい彼らの事をどうして忘れられるだろう。
しかも、彼等の顔が醜いのは古い時代のドワーフの血をその身に宿しているからだと聞かされれば、もはや他人の気がしない。
リベルテの一族は背が低いだけで顔は悪くないが、アジャーラ人は頑丈な体と潰れたような顔を持っている。
ドワーフも場所や血族でだいぶ違うようだが、リベルテは自分もドワーフの血を流していると伝え、滞在期間中はまるで家族のように過ごした。
そんなアジャーラ人の村の事を思い出しリベルテは涙を零す。
「戦争を止めなきゃ。ジャラーニヤを見つけて、光の竜の野望を止めてもらわなきゃ。」
凰火は残りのコーヒーを一気に飲み干す。酷く苦い味だった。


「奇襲成功。初陣にしちゃ被害も少なかったし、思い出すだけで最高としか言えねーな。」
ナムは満面の笑みを浮かべてミルクパンをかじる。
ここは、プシニーツァ国に隣接する世界三大大国が一つパーズドビシャ国の砦の食堂だ。
ナムと10数人の仲間はこの広々とした食堂で朝食を取っている真っ最中である。
「おかげで、こんなスゲェ砦を手に入れちゃうなんて、一生誇りに思うよぉ!!」
プティは感涙しつつ、手羽肉をかじる。
2日前、ナム隊は奇抜な作戦で敵国の陣地たるこの砦をほとんど無傷で手に入れたのだ。
プティだけでなく他の全員が勝利の二文字を思い出し頷いているのも理解できよう。
「にしても、プシニーツァの騎士団を借りられた事は大きかったっすね。」
チャコが4つ切りのトマトを口に放り込んで笑う。
もう20日が過ぎただろう。
虎と呼ばれた女将軍の砦に配属され、最高の治療と強力な騎士団(約1000名)を手に入れてから。
チャコが言ったとおり、国王直々に撃つよう命じられたこの砦を攻めるに当たって騎士団の働きは大きかった。
何せ、屈強の二文字を戴く女将軍直属の騎士団だ。皆、腕っ節も統率力も並みの騎士団では足元にも及ばない。
だからと言って、三千の兵に護られた砦を落とすには数が足りない。
単純計算で考えても砦を落とすには、3倍の力を必要とするからだ。
「クロがいたおかげだわ。そうでなけりゃ、こんな作戦うまくいかなかったわよ!」
カデットが忠告するような口で盛り上がるチャコをたしなめる。
ナムの部隊にはクロという正体不明な少年がいる。
彼の力は大の大人が束になって掛かっても取り押さえる事ができないほどで、人智の外にある巨大なものだ。
そんな彼がいたからこそ奇襲作戦は成功したと言って良い。
作戦のあらましを言うとこうだ。
まず、クロとナムが旅人を装い一晩の宿を求めて砦の門を叩く。
最初は怪しまれたが、武器を持っていない事を照明するとあっさり砦に侵入できた。
それから砦が寝静まったところを起きだし、熟睡中の指揮官連中を永眠させた。
この際問題だったのは脱出経路の確保だったが、二人は部屋に戻り普通に眠る事にして脱出は諦めた。
誰かに気付かれた様子もなかったので、わざわざ逃げ出す必要もなかったのだ。
「あの朝の砦は悲惨でしたね。まだ戦いも始まっていないのに、砦全体に敗戦が色濃く漂っていましたから。」
カールタが品のあるテーブルマナーを披露しつつ笑う。
指揮官達を失った砦は悲惨だ。指揮系統が混乱し、朝食どころではない。
そんな起きかけの混乱を確認し、カールタを先頭に1000の騎士と10数名の傭兵が襲い掛かったのだ。
それだけならば、砦を閉ざし対処できただろうが、襲撃と同時にクロとナムが内側から砦を攻撃した。
武器は倒した兵士から奪ったが、クロの豪腕に一度で使い物にならなった。
おかげでナムは、カールタに預けた己の剣を早く取り戻したいというクロの文句を聞かされ続ける羽目になった。
ともかく、中と外からの同時攻撃と指揮系統の混乱により砦はあっさり陥落した。
「まぁ皆のおかげ簡単に砦を手に入れられたし。降伏した兵士も結構従順だし?
こんな最高の初陣ってめったにねーよ。
テメェら、この調子で任務をさくさくと片付けよーぜ!!」
『おぉ!!』
ナムがフォークを握った腕を大きく掲げると、食堂に集まっていたナムの部隊全員が手を上げる。
今回の功労賞たるクロと言えば、盛り上がるナムの隣で、どのページを食べようかと数学書を捲っている最中だった。


凰火はただならぬ気配を感じ、いつでも切り裂けるよう愛剣に手を伸ばした。
ここは、宿を抱えた村の外、プシニーツァ国の町へと繋がる街道で、騒々しい朝の時間を過ぎているために凰火とリベルテ以外には誰もいない。
朝食を終えた二人は、森に両脇を挟まれた街道を歩いているのは理由があった。
以前、ジェラーニヤの友だと名乗った闇の竜が言った言葉がある。
―――ジェラーニヤがプシニーツァの戦場を渡り歩く―――
その不吉な言葉が本当なのかはわからない。
だが、それが唯一の手がかりである事は、地上に戻ってからの25日間の間によく理解した。
クロという少年に出会って以来、漆黒の髪と瞳を持つ人物にさえ会えないからだ。
だから今は戦場を目指し、より多くの情報を得ようと町へ向かっているのだ。
「そろそろ出てきたらどうだ?」
痺れを切らした凰火は立ち止まり、声を上げる。その隣でリベルテが心配そうな顔をした。
「ばれていたか。」
街道を挟む森の中から騎士然とした姿の女が姿を現す。
ゴツイ甲冑のおかげで目元しかわからないが、そこそこの美人だ。武人にしておくのは惜しい。
「なんのつもりで俺達を付回す?」
凰火は愛剣の柄を握り、女に問う。
「…いつから気付いていたんだ?」
「三日ほど前からだ。」
女の顔に驚きと、小さな喜びが生まれる。
「やはり、できるな。」
女がにやりと笑う。
「用が無いならばそこをどけ。」
凰火はリベルテに後ろへ下がるよう顎で促す。不安そうなリベルテだが、小さく頷いて凰火の後ろへと回る。
「いいや。用はある。」
女が指を鳴らすと、騎士や弩弓兵が左右の森の中から現れた。
彼等を一瞥した凰火は小さく舌を鳴らす。彼の洗練された眼から見ても、突然の襲撃者達がかなりの手馴れである事がわかった。
「仲間にならないか?」
女が一歩近づく。
「断る。」
きっぱりと言い放つ凰火。
「そうか。だが、貴殿は避けられるかもしれないが、そこの娘はどうだろう?」
弩弓兵達が一斉に構える。狙いは勿論リベルテだ。
凰火の頭の中にある言葉が浮かぶ。
―――龍を呼べば―――
だが、それは同時にリベルテの恐怖を煽るものだろうと理性が叫ぶ。
「…何故ここまでする?」
凰火は話し合いの道を選ぶ。
彼の沈黙を"お手上げ"だと取った女騎士は堂々とした態度で語り始める。
「私は1ヶ月ほど前までプシニーツァ国王に仕える将軍だった。だが、王の勝手な振る舞いに堪忍袋の緒が切れてね。今は反旗を翻し、プシニーツァ国王軍に立ち向かう優秀な兵を集めている最中だ。」
「ならば、プシニーツァを離れて同士を集めたほうが良いだろう?」
リベルテからプシニーツァ王の傍若無人な態度を聞いていた凰火は、この女騎士をあやめる必要はないと判断する。
同士の集め方が多少強引であっても、彼女は正義を貫こうとしている。
「残念ながら、プシニーツァの外に出ても貴殿ほどの腕前の男はそうそういない。3日前に見た盗賊退治の姿は女じゃなくても惚れるほど、華麗で気高かった。」
「見ていたのか?」
凰火が顔を歪め僅かに頬を染める。そりゃ、そんな歯の浮く台詞で誉められれば、恥ずかしくなるだろう。
「あぁ。倒そうと思った矢先に貴殿が全部切り裂いたので、我々は出る機会を無くしたがね。」
女は苦笑して肩を上下させる。
「ねぇオゥルカ…。」
リベルテが小声で凰火に話しかける。凰火は視線を女に向けたまま、僅かに身をよじってリベルテの方に耳を向ける。
「あの人の仲間になったら戦場に行けるんじゃないかな?」
凰火の視線がリベルテを見下ろす。
リベルテの意思は強そうだ。凰火を睨み付けるように見返している。
凰火は体を正面に向け、女騎士に視線を戻す。
「何の為に戦う?」
―――もう、戻れないな。―――
心の中で呟き笑う。だが、凰火の表情は厳しく鋭い。
女は腰に携えた剣を抜き放ち胸の前で柄を握り締め、大地を踏みしめると高々と答えた。
「我が名アターカ・ティーグル・プリダトヴラシャーチに誓い、
正義の為に、プシニーツァ国王軍の全てと戦う!!」


凰火とリベルテは、アターカという女騎士と行動を共にする事にした。
戦場へ行くといっても闇雲に行けば命を落とす事になるだろうし、
非道なるプシニーツァ軍に手を貸すような事は正義を翳す彼には耐えられなかったので、彼の中では最善の選択だった。
現在、アターカとその部隊は隠していた馬車で街道を走っている。
一見すると屋根が付いている旅芸人の馬車だが、中には物騒な人間達が詰まっている。
「ジェラーニヤ、プシニーツァに付いちゃってないよね?」
凰火の傍らでリベルテが不安そうに問う。
「わからん。」
凰火が瞳を閉じたまま答える。
「ジェラーニヤとは誰だ?」
「うひゃっ!?」
リベルテは突然顔を向けられて驚く。口を挟んだのはアターカだった。
「驚かしてすまない。それで、ジェラーニヤとは何者だ?」
リベルテが胸に手を当て呼吸を整えている間に凰火が答える。
「俺と同じ漆黒の髪と瞳を持つ男だ。俺達はジェラーニヤを探して旅をしている。」
「強いのか?」
アターカの瞳が鋭くなる。
「少なくとも、力で勝る人間がいるかは甚だ疑問だな。」
そう言って凰火は小さく笑った。
―――人間どころか、この世界では最強の部類なのだろうか?あの馬鹿弟子は。―――
「それは頼もしい!是非我が軍に欲しい!」
凰火の"人間で勝てる奴はいない"発言にアターカの瞳は輝く。
だが、すぐに凰火は首を振る。
「それは無理だろう。」
「何故だ?」
「今は記憶を無くしてどこにいるのかさっぱりわからない。
それに、あいつは人間嫌いだからな。見つけても手を貸すかどうか。」
小さく溜息を吐く。
「それで、先ほどプシニーツァ側についていないかと言っていたのか。」
「うむ。」
リベルテが隣でしょんぼりしている。
「にしても、漆黒の髪と瞳を持つ者は皆、強いものなのか?」
「うん?」
突拍子もない事を聞かれ、凰火は瞳を開く。
「実は、20日ほど前に私の隊を壊滅状態に陥れた部隊があった。
その部隊は今、私の後釜としてプシニーツァ軍に帰属しているのだが、隊員の一人に漆黒の髪と瞳を持つ恐ろしい少年がいた。」
凰火とリベルテがアターカを凝視する。
クロ以来、漆黒の髪と瞳を持つ者の話がなかっただけになおさら驚く。
「クロという名前だったかな?化け物としか言い様がない力で私の部下を殺してくれた。
未だに、アレが人間の所業かは解らない。否、アレは人間ではないと確信している。」
リベルテがアターカに掴みかかる。
「その子、黒い刃をした身の丈ほどもある大きな剣を持ってなかった?
王侯貴族が持ってそうな装飾品のように豪奢な剣!!」
「持っていたが、それがどうかしたか?」
アターカはリベルテから逃れるように僅かに状態を逸らし答える。
すると、リベルテはその場に固まり、まるで親が死んだと聞かされたような絶望に満ちた表情を浮かべる。
アターカは尋常ではないリベルテに声を掛けようとしたが、その前にリベルテが呟く。
「オゥルカ………どうしよう…?」
ガタガタ震えながら凰火の傍に戻るリベルテ。
「仕方あるまい。」
凰火は苦々しげに唇を噛む。
最悪の事態が起きた。
やはりクロという少年はジェラーニヤだったのだ。そして、彼は今、プシニーツァ軍にいる。
どうしてかはわからないが、敵になってしまった事だけは確かだった。
クロの出てくる戦場はどれもプシニーツァを相手にする者達にとって苦しい戦いになるだろう。
否、彼の出る戦場でプシニーツァに敵う"人間"の軍隊は無いだろう。
だが一番の問題は、ジェラーニヤに接触する機会を無くしてしまったという事だった。
「どうしたんだ?一体。」
何がどうしたのか解らないアターカは、二人を交互に見ながら首を傾げる。
「今はまだ話せん。難しい問題だ。」
凰火は震えるリベルテを抱きしめて背中を擦る。
「そうか。」
アターカは、眉間にしわを寄せただけで、それ以上問い詰める事はしなかった。
彼女の良心が好奇心を踏みとどまらせた。


「次の戦場はー…あぁ?」
伝令騎士が運んできた羊皮紙を読んでいたナムの顔が歪む。
「どうしたナム?」
一気に態度が荒れたナムを心配そうに見るカールタ。
長い付き合いなだけに、ナムがこういう顔の後どうなるかはよく知っていた。
「俺の地理が間違ってなきゃ、カローヴァ街ってパーズドビシャの内陸じゃなかったかぁ?あぁ?」
「隊長、そこで一人で切れないでください。マジで怖いっすから。」
プティが顔を青くして忠告する。
フレンドリーが売りのナムだって、怖い顔をする事は沢山ある。だが、それにしても怖い。
遠征という奴は、彼の"嫌いな事ベスト10"の中でここ10年近くしっかりと定着している。
とかく遠征という奴は迷惑な代物だ。
まず、食費だけでも馬鹿にならないのに、遠征ともなれば安定した食糧確保が困難になる。
加えて、戦争へ向かうという緊張から普通の長旅の比ではない程、心身共に疲労が溜まり士気が落ちる。
そんな面倒事は、少数精鋭による機動力を重視するナムの部隊には全く似合わない。
だが、プシニーツァから借りた騎士と捕虜となったパーズドビシャ軍は戦力、忠誠心、共にばらつきがあるような、大きな兵力を抱えている。
こんな状態で遠征をすれば間違いなく死ぬ。
仲間に首を取られるか、裏切られるか、襲撃にあうか、それとも一般のレジスタンスに叩かれるか…。
「俺の顔が怖かろうがなんだろーが、裏切ったら殺すからな!!」
ナムが傍らの椅子を思いきり蹴り飛ばす。椅子は哀れにも壁に当たって背もたれが"さようなら"をした。
荒れるナムに周囲が騒然となる。
そんな中、クロがいつもどおりの表情の浮かぶ顔を上げて一言。
「君だろうが君の部隊だろうが、俺を殺せる奴はいない。」
『そういう問題じゃない!!』
クロの言葉にナム以下その場にいた全員が突っ込む。
「だったら、どういう問題なんだ。向かってくるやつは全部潰せば良いんだろう?」
クロが痴れっと言う。
確かに、そういう問題だが、実行するには最低でももう1万は兵士が欲しい。
クロの言葉に全員が何か突っ込もうとして、ハッと口を塞ぐ。
そうなのだ、何度も言うがクロは人ではない。
少年の姿をしているが、その力は並み居る精鋭部隊を一瞬でミンチにしてしまうほどの豪腕だ。
疲れも痛みも知らない、人間には到底不可能な事でも成し遂げられる力そのものなのだ。
「二千だろうが、三千だろうが、ナムが殺せというならば殺すぞ。」
クロはにこりと笑った。


「ここが、今日から貴殿等が所属する砦だ。」
馬車が止まったのは、プシニーツァの国境を越えた所にある砦だった。
「ここって…セルフヴォランの砦じゃん!」
リベルテが驚きの声をあげて、砦の上ではためく国旗を指差す。
「驚くほどの国なのか?」
この世界の情勢を把握していない凰火が問う。
「あったりまえだよ!!セルフヴォランって言ったら、プシニーツァと張り合う三大大国の一つなんだから!!」
耳をつんざく様な甲高い声で答えたものだから、その場にいた者達は苦い顔をして耳を押さえる素振りをした。
「そうさ。これくらい強くないと、あの王を止めるだけの兵力は無い。」
兜を取り自慢げに砦を指し示すアターカ。
彼女だけはリベルテの声に苦しんでいる様子もなかった。
「でも、セルフヴォランだってスュー人を差別してるじゃない。奴隷制度に至ってはプシニーツァの方がマシだわ。正義の為に戦う人が忠誠を誓うべき国かなぁ?」
リベルテが皮肉をたっぷりと込めてアターカを見上げる。
彼女にとって人種差別の王道を行くようなセルフヴォランの体制は許せないものだった。
「スュー人も奴隷も生まれながらの悪だ。生かされているだけ幸せだと思うべきだね。」
「酷いっ!!」
リベルテが鼻で笑うアターカを睨み付ける。
「何が酷いんだ。私はまだマシな方だぞ。むやみやたらと"狩り"はしないからな。」
アターカが剃り込んだ赤茶の髪を撫でる。
「黙れ。」
「危ないな…。何のつもりだ?」
二人のやり取りを見ていた凰火が愛剣を抜き放ちアターカに切っ先を向ける。
アターカは僅かに身じろぎ、鋭い視線を凰火に返す。
「これ以上愚かな考えを持つならば、その首を跳ね飛ばすと思え。」
「恐いな?そんなに怒る事ではなかろうに。」
殺気の混じる凰火に、アターカは軽い笑いを返しつつ、腰に携えた剣の柄に手を伸ばす。
正義を翳す凰火ではあるが、彼が正義の刃となるまでには多くの正義を切り、人を切ってきた。
戯言のように翳された正義を、善を信じて逃げ惑う人間達を狩っていた。
―――古き忌まわしい記憶が蘇る。俺は知っている…あの蔑みの瞳を―――
己の力が他を寄せ付けない程強いと確信しているアターカの蔑みの瞳は、
罪悪の中を平然と生きてきた己を凰火に思い出させた。
だから、彼はアターカにこれ以上言葉をつむぐ事を許せなかった。
「オゥルカ、止めて。ジェラーニヤを見つけるまで…。」
「…っち。」
リベルテの言葉に凰火は剣を仕舞い腕を組む。アターカも柄から手を離し腰に手を当てた。
「アターカさん。あたし達は他人を差別する事が嫌いなの。それだけは覚えていてほしい。」
「そんな偽善は他の奴には通らんぞ?」
アターカの瞳がリベルテの瞳を覗き込む。その内側にある矛盾を探るように。
「そういう意識を変えていく事が、悲しい戦争を無くす方法の一つじゃない?」
「ふんっ、馬鹿馬鹿しい。」
アターカはリベルテから視線を逸らし、部下達に小さく合図を送る。
部下達は頷き、砦の門を開けるようにと伝えに行った。
誰もがこんな修羅場に立ち会いたくはなかったのだ。
「貴女にとってはバカみたいな話でしょうけど、覚えていてね。」
リベルテが念を押すように、強い口調で言う。小さな体のどこにそんな意思があるのかはわからないが、アターカに負けていない。
「覚えておこう?貴様も口先だけではない事を証明してほしいものだ。」
アターカが背を向けてひらひらと手を振る。
彼女はそのまま砦の門から中に入った。彼女の部下が一人走ってくる。
「部屋に案内します。付いてきてください。」
若い騎士が敬礼をしたので、凰火はそれを真似て敬礼した。
騎士が背を向けて歩き出したので、凰火も歩き出そうとしたが、隣に立ち尽くす少女をどうにかすべきだと思い顔の向きを変える。
「リベルテ。」
凰火が呟くように声を掛ける。
「わかってるよ、また怒って、泣いちゃってごめん。でも、許せないの。」
リベルテは怒りに満ちた顔いっぱいに涙を流していた。
アターカの言った事は正しい。
彼女の意思は強かったし、心がけも立派だったが、彼女には力が無い。
旅をするだけならばまだしも、信念を通すための剣も刀もない。護られてばかりで、本当に口先だけだ。
その為に、差別をするなと大声で言えない。言ったところで無駄死にするのが落ちだ。
今ほど自分の無力さを呪った事は彼女の人生でもそうそう無い。
「俺もだ。」
凰火はリベルテの背中を軽く叩いて、歩くよう促す。
リベルテは服の袖で涙を拭いて空を見上げ、怒鳴った。
「ジェラーニヤのバカァ!!」


「ふふふふ〜ん♪」
「ご機嫌だな。何かあったのか?」
今日も天蓋ベッドの上を転がるディスールを、ベッドの端から見つめるミェースチ。
「人間ってかわいいなーって。」
"可愛いのはお前だ。"なんて台詞を言いたくなる程愛らしい表情で答えるディスール。
「可愛い?」
「そ。馬鹿で間抜で、悪いほうに転がってくの。」
そう言ってディスールがベッドの端から端まで転がる。
「それは誉め言葉じゃないぞ。」
「そうかしら?だってそうやって悪いほうに転がれば世界はどんどん汚れて崩れてくのよ?
それってあたし達にとっては良い事でしょ?」
ミェースチの傍らに転がってくるディスール。
「確かにそうだが…。」
腰の辺りにぶつかってきたディスールを、不満げに見下ろすミェースチ。
「ミェースチ、あんまり不満そうな顔をしないで。
大丈夫、絶対に貴女が幸せな笑顔を浮かべられるように、完璧に世界を砕いてあげるから。」
「それは頼もしいな。」
ミェースチが肩を上下させて、ディスールの豊かな銀髪を撫でる。
「だから、あんまり怖い顔ばっかりしないでよ。」
ディスールは仰向けのまま呟く。
「どうしてだ?」
「だって…ねぇ?」
「ねぇ?とか言われてもわからんし。」
ミェースチはディスールから部屋へと視線を移す。
気分屋の光の竜の言葉にいつだって迷うが、今日はいつもと違うらしい。
日に日に豪華な調度品や花が増えていく部屋は、そんな気分屋のルームメイトのおかげだが、そんなものが欲しいわけではない。
確かに、あれば嬉しいが、それで充足するほどミェースチの心は即物的ではない。
だが、ここの所、何かが変わった。
開戦の頃はあんなにもディスールの笑いが怖かったのに、今や彼女の微笑みは自分に向けられている。
王宮での様々な事柄を二人三脚でやってきた。
今や後宮ではなく軍部に属したほうが良いのではないかと、王にさえ言われるほどの有望ぶりを見せるミェースチとディスール。
―――こういうのって、なんと言うのかな?…友情?―――
ミェースチは小さく笑って傍らに寝そべる女神を見下ろす。
「って、おーい、ディスール?」
女神は瞳を閉ざして、可愛らしい寝息を立てている。
「寝てる。」
―――をぃ、なんだよ。ちょっと感動してたのに!―――
突然腹の立ってきたミェースチは、髪飾りの羽根を一本引き抜くと、ディスールの鼻をくすぐる。
すると、ディスールは飛び起きて怒鳴った。
「うにゃー!!ミューの馬鹿っ!!鼻がくすぐったいじゃん!!」
「あははは、やっぱり狸寝入りか!!」
ミェースチは"ざまーミロ"と言わんばかりの顔で笑った。
「うわっ、ひっどーい!!」
ディスールがミェースチの腕をポカポカと叩く。
「私はしーらないっ!」
ミェースチはディスールの手を払いのけてぷいっと横を向く。
小さな沈黙の後、二人の肩が震えた。
『ぷっ、あは、あははははっ!!』
広い部屋に二人の笑い声が響く。
子供っぽい、女の子が親友同士で笑うような軽快な笑い声が、開いた窓から空に消える。



最終更新日 2005/06/30
感    想 アターカがなんかオバサンくさいなと思う。
        でもあいつの設定年齢は二十代だったはず。
        せこくて、復讐心に燃えるとこがオバサンくさいんだろうな。