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硬い板が打ち鳴らされ驚いた鳥が悲鳴を上げて朝に飛び立つ
重々しい濃緑の木々が重なる森を見下ろしてせせら笑う
鳥は自由な空の中で煩わしい秩序や問題を飛び越える
眼には見えない人間の国境を見下して自由を歌い続ける
何もかもが予定通りに過ぎていった。
トライール隊は昨日の夕暮れ時にあっさりと通れたし、カールタ隊は今朝方に作戦通りの芝居を演じて通る事ができた。(実はカールタ隊の一人が偽造旅券の常習犯として各関所に通達が及んでいたので、こんな作戦を取らざるを得なかった部分もある。)
チャコ隊も特に声を掛けられずに無事通過できた。
残るナム隊と言えば…今まさに関所の前で待たされている。
というのも、前で関所の役人と話している二人組みの旅人が旅券問題で引っかかっているためだ。
ナムはため息混じりに近くの岩へと腰掛け、クロもその隣にちょこんと座った。
「だーかーらっ!!彼の国は東の果てにあるから旅券なんて無いのよ!!何度も言ってる通り、その国は長い間鎖国してたんだから!!」
腹立たしげに地団駄を踏むリベルテ。
「それでよくここまで来れたな。」
その様子を呆れ顔で見つめる国境警備兵。
リベルテは何度か旅をしてきたので関所での旅券審査についてはよく知っていた。
普通ならば、旅券を見せて入国の理由と滞在期間を簡単に説明して、関税を支払えば通れる。
だが、凰火は異界の旅人だ。旅券なんてあるはずもない。
勿論、どこの国にも国籍が無いような場合は、関税とは別に仮旅券の発行をしてくれる。
ジプシーといった卑しい存在とされる人々は国を持たないから、どうしてもこういう仮旅券が必要なのだ。
「簡単な審査と手数料を支払うだけで、どこの関所でもにっこり笑ってとーしてくれたわよ。だいたい仮旅券を出すのを渋るなんて…戦争でも起きるの?」
リベルテが眉を上げていぶかしむような仕草をする。
「いいやそんな事はない。ただ、規則は規則だ。いくら田舎の関所だからってなめんなよ?」
隣に立っていた別の国境警備兵が顔色を僅かに変える。
凰火はその変化を見過ごさなかった。
「ならば、安全に旅が続けられるのではないか?」
凰火の問いに国境警備兵達はお互いの顔を見て困ってしまう。
いくら隠していても感の良い奴にはわかってしまう事を彼等もよく知っていた。
「それは、そうなんだが…。」
国境警備兵が苦い顔をした後、深い溜息を吐いて、すっかり呆れ果てたといわんばかりの顔をして言葉を続ける。
「だいたい、その東の果てにあるって言う国…えっとぉ…ニィクォワン?」
「日本。」
凰火が眉間にしわを寄せて即座に訂正する。
「そうそう、その国。そんな名前聞いたことねーぜ?」
それは当たり前だ。この世界のどこを探したって、そんな名前の国は無い。まず、そんな発音の固有名詞だって存在しない。
「当たり前でしょ。東も東、太陽の生まれる島のすぐ近くなんだから。」
これは、凰火と打ち合わせした知識なのでリベルテに迷いはない。
「そういう怪しげな嘘をつかれてもなぁ。こっちだって規則が大事だからな。」
「頭でっかち!!」
「じゃぁ、あそこにいる誰かがその国を知ってたら、審査して一次旅券を発行してやるよ。」
リベルテの発言に国境警備兵が切れた。こんな短気で良いのかと思わないでほしい。
彼は彼なりに職務を続けていく上で、大抵の暴言には耐えてきたのだ。
それでも、こんな判断に困る嘘を延々と聞かされれば、堪忍袋の緒も切れよう。
「…む。」
さすがに、見知らぬ人と打ち合わせなんてしているはずも無い。
絶体絶命。リベルテは唇を噛んだ。
「おーぃ、あんたらニッコォンって国知ってるか?東の果てにあるっつーやつ。」
すかさず凰火が「日本だ。」と訂正する。
暫く沈黙が続いた後、家族らしい5人の旅人の一人、一番小さな少年が声を上げた。
「知っている。」
その言葉に家族中が少年を凝視した。
「おぃおぃ、余計な事に口出しするなよ。」
少年の隣に座っている大柄の男が困ったように眉を歪めると、少年は立ち上がる。
「煩い。」
少年はそれだけ言い残すと、リベルテと凰火の隣へと歩き出した。
驚きの表情で、国境警備兵達とリベルテと凰火が少年の言葉を待つ。
「旅をしているクロだ。確かに聞いた事がる。」
少年の背丈はリベルテよりも少し小さい。それは、隣に並ぶと余計にはっきりとわかった。
「ほ、本当なのか?」
国境警備兵の一人が、小さなクロの顔を覗き込むようにして問う。
「俺の母さんがその国の出身だ。だから、父さん…あそこにいる大柄な男と俺は色が違う。」
指差された、"父親"は軽く手を振って、息子の非礼を詫びるような苦い笑いを向けている。
「お前、単に口裏合わせてるんじゃねーだろうな?」
国境警備兵は"父親"からクロへと視線を戻す。
「調べてみれば良い。何か質問するのでも良い。」
クロはどうどうとした態度で言う。どう考えても10歳前後の子供の態度ではないが、それを問い詰める気は誰にも無い。
「んじゃ…この紙に母国語で名前を書いてくれよ。あんたも。あ、それと、同じ字で良いから"月と太陽に誓い 大地へと服する"って書いてくれ。」
強引に破かれたノートの端を受け取る凰火とクロ。
「どうして"月と太陽に誓い 大地へと服する"と言うのだ?」
凰火が小声でリベルテに問う。
「本当に知らないのか?何かの誓いを立てる時に言う言葉だぜ?」
「そうか。」
関心が無いという表情の凰火に、国境警備兵は拳を握り締めて気を落ち着けようと必死になった。
「書けたぞ。」
クロが先に手渡す。凰火もそれに続くように渡す。
「…ぜんぜん字が違うな。」
二枚の紙切れを見比べながら言う。だが、その表情には怒りでも喜びでもなく困惑が滲んでいた。
「母さんは俺を産んで死んだからな。母国語を覚える機会さえなかった。それは俺を育ててくれた父さんの祖父の国の言葉だ。」
クロの言葉に国境警備兵が"ありえない"と音にせずに唇を動かす。
「…にしても、ここになんて書いてあるんだ?」
国境警備兵が凰火とクロを交互に見る。
その眼は不振がるというよりも、何か見知らぬ怪物に会った時に気味悪くジロジロと見る時と同じものだ。
「刀龍 凰火。」
「クロ。」
二人とも自信満々に答える。自分で書いたのだから当たり前だが。
「なぁ、お前コレ読めるか?」
国境警備兵が隣の同僚に紙を渡す。同僚もその文字と二人を交互に見て首を傾げる。
「いやぁ…?こういうのは所長じゃなきゃわからんのじゃ…。」
その時、奥から身なりの良い壮年の男が出てきた。
二人の国境警備兵は助かったといわんばかりの笑顔で上司を迎える。
「あ、所長いいところへ!この字わかります?」
「…。無理。」
"即答かよ!"二人の若者の心の叫びは、はっきりと表情に出ている。
「所長でも駄目か…。」
激しく落胆する国境警備兵。
「で、通してくるの?通してくれないの!?」
リベルテが問い詰める。
「わ、わかったよ。これに必要事項を書いてくれ。くれぐれも"共通語"でな。」
その言葉に書類を受け取ったリベルテは実に満足そうに、必要事項をスラスラと書いていく。
自分の名前を書くようにと、大方書き終わった書類を渡された凰火は、思わず額に手を置いた。
見知らぬ文字だとは思っていたが、ここまでさっぱりわからない謎の記号が続くと、むしろ子供の落書き帳の方がマシだと思えた。
凰火とリベルテが関所を通った後、クロとその家族…もとい、ナム隊も無事に関所を通る事ができた。
ちなみにクロの旅券は、何かあった時の為に用意されていた偽造旅券だったりする。
写真ではなく、細密画で書かれているので腕の良い絵師が一人居れば簡単に偽造できてしまう。もちろん、旅券用の特殊な布と紙は絶対に必要だが。
「クロ、なんであんな嘘ついたんだ?」
ナムが叱るような口調で問う。
「煩い。」
クロは痴れとした顔で短く答える。
「煩いは無いだろうが。」
ナムはクロの頬をつまんだが、クロに感覚が無い事を思い出し、体罰が無駄であることを再認識して溜息を吐いた。
関所から少し離れた場所で誰かが手を振っている。早足に近づく5人。
「やっほー、クロ君!!さっきはありがとうね。」
「助かった、礼を言う。」
先ほど助けたリベルテと凰火だった。
「…お前等がさっさと行かないと父さんが困るからな。」
クロがぶっきらぼうに答えると、ナムは慌ててクロの口を塞ぎ苦笑いを二人に向ける。
「あ、すまんすまん。クロは人見知りが激しいんだ。」
「そうなの?」
リベルテは睨み付けてくるクロを見る。誰かに似ていた。
そしてふと、旅の目的を思い出し、視線をナムへと向ける。
「ところで、さっきの今で悪いけど、一寸聞きいて良いかしら?」
「答えられる範囲なら構わねーぜ。」
ナムはにこりと答える。
今は傭兵ではなく、ちょっといかつい家族の大黒柱になりきっているためか、内心はともかく嫌そうな顔一つしない。
「ありがとうおじさん。」
「俺の名前はナム。これでもまだ28だ。」
おじさんの言葉にすかさず注意をするナム。どうやら気にしているらしい。
「ありがとうナムさん。あ、一応自己紹介しておくわ。あたしがリベルテで、この人が…。」
「刀龍 凰火だ。」
リベルテが凰火を示すと、凰火はさっと答える。
「二人旅か。うーん、もしや駆け落ち?」
なんとも奇妙な組み合わせの二人を茶化すナム。
腕の中で"馬鹿か?"とクロが小声で非難したが、聞き流す。
「あたし、付き合うんだったらもっと鼻の筋がくっきり通った彫りの濃い人で身長も高いほうが良いな。ナムさんみたいにね!」
ここは行商歴が長いだけに、愛嬌たっぷりに答えるリベルテ。
確かに、凰火は美形と言っても差し支えはなかったが、顔の堀の深さでこの世界の人間と張り合えるかというと微妙な所だった。
さらに付け加えるならば、身長もナムの方が高い。
「俺も、妻と娘が居る身でそんな事はできん。」
リベルテの少々頭に来るような言葉を聞き流し、自分の威厳を復活させようと落ち着き払った態度で答える凰火。
凰火は、見た目だけならば(人種の問題もあったが)ナムよりも若く見える。
ナムは娘がどれほど幼いだろうと思い、そんな幼い娘を置いて旅に出てしまえる凰火に心の底では侮蔑の言葉を投げかけた。
「そりゃ失礼。で、聞きたい事ってなんだ?」
ナムが肩を上下させる。不思議と皮肉には取れない。
「えっと、実はジェラーニヤって人を探してるの。」
「ジェラーニヤ?」
ナムは首を傾げる。人の名前は覚えない方だが、一度も聞いた事の名前ぐらいはわかる。
「そう。クロみたいな漆黒の髪と瞳の人で、背はナムぐらい。でも、ナムよりも細いかな。年齢は、オゥルクァぐらい。飾りかと思える漆黒色の甲冑と衣服を纏っていて、背丈程の漆黒の剣を持っているの。」
ナムはクロを見た。
クロがナムの服の裾を無意識に握り締める。
初めてクロと出会った時どうだった?クロは年に見合わぬ立派な衣服を着ては居なかっただろうか。
それも、総てが漆黒に染まったものを。
「頭から足の先まで真っ黒な人だから見たら絶対に覚えてると思うのよね。ナムさんは知らない?」
「いや、知らん。」
ナムは無意識にクロを強く抱きしめて答える。
「そっか…。」
リベルテは実に残念そうな声で呟いた。
「何でそいつを探してるんだ?」
ナムはざわつく心を押し殺して問う。
「えっと…その人記憶喪失になっちゃって飛び出して行ったから、早く見つけないと大変な事になるの。」
一つ一つの単語をゆっくりと吐き出すリベルテ。その顔には脂汗が滲んでいたが、ナムにはその理由がわからなかった。
日は少し暑かったが、それにしては様子がおかしかった。
「そいつは……………悪い事を聞いたな。」
"申し訳ない"と心の中で呟くナム。
"もしかしたら…すぐ目の前にソレはあるのかもしれない"という罪悪感に襲われていたからだ。
「いいの。本当に色々とありがとう。太陽と月に誓ってステキな旅を!」
リベルテはナムの腕をとりぎゅっと握り締めて笑った。
「太陽と月に誓って素敵な旅を。」
ナムもリベルテに笑って答えた。
ナム達と別れて歩き出した凰火は、5人が急ぎ足に消えていった街道を見つめながら、隣を歩くリベルテに問う。
「あの、クロという子供…。ジェラーニヤに似ておらんかったか?」
「あたしもそう思う。だけど、あのジェラーニヤが記憶を無くしたからって、あんな小さくなっちゃうのかな?万が一そうなったとしても、ナムってあの男の人に抱きしめられっぱなしなんて…ちょっと怖くない?」
リベルテは茶化すように言ったが、その顔はあまり晴れやかではない。
「確かに。」
凰火はそれとなく相槌を打ってから、先ほどの五人の姿を思い出していた。
長い旅を続け、多くの戦場を渡り歩き、様々な者と戦ってきた凰火は、彼等が普通の旅人ではないことがわかっていた。
護身用に下げているといったナムの剣は、一見みすぼらしいものだったが、よく使い込まれている事を柄の凹みが物語っていた。
クロと名乗った少年や、その他後ろで待っていた3人の背に背負われていた荷物は、剣や槍のようだった。
ぱっと見では板かテントの一種のようにも見えるのだが、そこは歴戦の勇者たる凰火だ。武器の気配はしっかりわかる。
他にもいくつか気になる点もあったが、上げればきりがない。
ともかく、凰火はその武人としての感性から、彼等がただの旅人ではなく戦場を駆ける者達である事を感じていた。
「闇の竜を見つけられる能力があれば良いのにねー。」
凰火が深刻な顔で何かを悩んでいるのを見て取ったリベルテが、空気を和らげようとふざける。
「あまり役に立たない能力だと思うぞ。」
凰火は、リベルテの下手な心遣いを理解して笑って答える。
「どうして?」
リベルテは予想外の答えに顔を上げる。
「いつも空の上を指し示すだけだろうから。」
凰火はそう言って、正午に近づいた空を指差す。
「言えてるわね。」
リベルテが大きく頷いた。
一方、昼には仲間と合流すべく急ぎ足の5人の表情は一見普通だが、注意深い人間ならば深刻さをはらんでいる事ぐらいお見通しだろう。
「クロ、ちょっとペールさんとプティの会話手伝ってきて頂戴。」
「…。」
一家の姉役であるカデットがナムの隣へやってきて言った言葉に、クロは無言で睨み付ける。
「お願いね?」
カデットが肝の据わったお袋さんのように、はっきりとした口調でもう一度問う。
「俺からも頼むよ。」
ナムがクロの頭をポンポンと叩いて苦笑すると、クロは不満そうな顔で頷く。
「…わかった。」
それから、少し遠くを歩いている一家の祖父ペールと一家の長男プティの下へと早足で近づいた。
クロが離れた事を目じりで確認したカデットは小さく頷いてからナムを見る。
「さっきの人達が言ってた探し人って…もしかしてクロなんじゃないの?」
スパッと痛い所を付かれたナムは苦笑いして遠くを見る。
「俺もそう思った。だが…。」
「クロを手放したくない?」
言葉を濁すナムにきつく問い返す。
するとナムは顎を擦ってから、ふっきれたように笑う。感情が高ぶった時に見せる狂気じみた笑いだ。
「そうさカデット。俺は強欲な男だから。人間の及ばない知識と力を秘めた、俺に従順な力がソコにあるのに、馬鹿丁寧に見ず知らずの人間に渡すかよっ!ははっ!」
ナムは鼻歌交じりにそう答える。
「知ってるわよ、それぐらい。だってあたし達の隊長なんだから。」
カデットが隣で肩を上下させる。
この男の剣が殺人剣である事を彼女はよく理解していたし、血と悲鳴に狂喜する彼を嫌いきれるほど割り切れない部分がナムには沢山あった。
「また会うことがあったら、どっちがクロを手に入れるのかな。」
ナムが心底楽しそうに呟く。
「クロの意思はお構いなしなわけね。」
カデットはたしなめるように言う。
「考えてみろよ。あいつは俺に懐いてるんだ。あいつの意思なんて知ったことか。アレは俺のだ。」
子供のように答えるナムにカデットは恐ろしさを感じ、同時に笑いがこみ上げてきた。
自分も狂気の中にあるのだと感じながら笑った。
「もうちょっと大事にしてあげたら?ナムお父さん?」
「大事にしてるだろうが。」
二人が笑っていると、突然クロが声を上げた。
「ナム父さん!」
「なんだ?クロ?ペールが喉に唾でもつまらしたかー?」
「父さん、それ酷ぇよ。」
プティが突っ込む。ペールもそこまで歳ではない。
「そんなんじゃない。渡り鳥の群れだ!」
プティがペールに同情しているのを無視して、ナムはクロが指差した空を見上げる。
「おぉ、今年は多いな。」
渡り鳥がプシニーツァを超えて海に向かう。夏も間近だ。
ナム達は誰もいない街道を小走りで歩きながら、妙な胸騒ぎを感じていた。
「ねぇ、嫌な予感がするわ。」
カデットが不安気に呟くと、ナムも頷く。
それは、形となって姿を現した。
最初は、道の真ん中に何かが転がっているように見えたが、近づくとそれが人間である事がわかった。
ナムは眼を見開いてその人物に近寄り、小さく絶句した。
背中から矢を生やし、体中に剣戟の後を残している男は、チャコ隊として先に進んでいるはずの仲間だった。
「た、隊長…っ…すまねぇ…。」
男が荒い呼吸で話す。
「何があったんだ!?」
ナムは矢を抜き、カデットと共に応急処置を施しながら問う。
「き、急に…襲われ、た。チャコさんと…カールタ…副隊長が、俺等を、逃が、してくれた…けど、あいつら、しつこくて…。」
"襲われた"という言葉を聞いたクロ、プティ、ペールは、即座に荷を解き己の武器を持つ。
「誰だ?」
ナムの顔には復讐者としての恐ろしい本能が滲んでいる。
「虎…。」
男が苦しそうに答えると、ナムの内側からどす黒い怒りがにじみ出てきた。
「寝返ったと聞いてたが…。なんで俺の隊を!?どうしてだ!!」
「トライールの、野郎、が…裏切っ…たん、だ。だから、居場所…バレて…。」
男は荒い呼吸で知っている事を話す。
「…すまんかった。」
ナムは男の両手を強く握り締めてから立ち上がり、視界の隅に現れた敵を睨み付けた。
「おめぇーら、俺の部下に手を上げた事…後悔させてやるぜぇ!?」
剣を抜き構えると、ナムは瞬時に敵の戦力を読み取って走り出す。
「ナム!!」
クロが悲鳴にも似た声を上げてナムの後を追う。
「クロ、俺の事よりカールタやチャコ、他の奴等を助けてやってくれ。頼む。」
追いついたクロにナムが指示をする。
遠くなった場所では、負傷した男と手当てをするカデットを護るようにペールとプティが構えている。
「くっ…。君が死んだら俺は怒るからな!!」
クロは悔しさを滲ませて、向かい来る敵を切り、今やはっきりと聞こえる剣戟と悲鳴の方へと走っていった。
「加勢に来た!」
クロはそう叫んでカールタの背後に立った。
「クロ!?危険だ!!隊長と他の隊員だけでも逃がしてくれ!!」
カールタは相手の恐ろしさをよく知っており、視界に入りうる限りでどれほどの被害が出ているのかも知っていた。
「余所見をしている場合じゃないぞ?」
敵の一人がカールタに向かって突っ込んでくる。
「うぐっ!?」
一瞬の隙を付かれたカールタは、避けきれずにわき腹に浅い傷を負う。
「そいつらを殺す。どけ。」
クロが苛立たしげに言ったので、カールタはクロの顔を見た。
「クロ?」
出会った時だって、こんな表情は見せなかった。
ただの怒りじゃない。恐怖でもない。こんな恐ろしい顔の少年をカールタは見た事が無かった。
「伏せろ!!」
クロの言葉にナムの配下たる全員が伏せた。
「何を伏せ…」
敵の笑みが一瞬にして消え去った。
いや、笑みどころではない。
敵の半分以上の、腕が、足が、胴が、首が、強力な一振りで吹き飛んだ。
「な、何だ!?」
少し離れた場所に立っていた、リーダーらしい立派な甲冑の女が叫んだ。
「半分…。まぁまぁか。」
クロは剣に付いた血肉を払い、手近の敵を切り殺していく。いや、切り殺すというよりは叩き潰すと言ったほうが近い。
「貴様!!何をした!!」
リーダーらしい女が激怒しながら走ってくる。
「お前が大将か?」
クロが構える。
「だったらどうした!!」
女は細身の剣を構え、疾風のような速さで近づく。
「ナムの邪魔になるから、死ね。」
クロの漆黒の瞳に女が映る。
「タイチョー、結構苦戦してんじゃねーの?」
のんきに笑っているのは、街で見かけるナンパ野郎とは趣の違う鼻につく男だ。
「トライール!!てめぇ、絶対に殺してやるからな!!」
ナムが怒鳴りつける。
「無理無理。こっちには虎がついてるんだ。いっくらあーただって勝てねーよ。」
トライールはケラケラと笑って傍らの弩弓隊に号令をかける。
「ぐぁっ!!」
降りかかる矢がナムの体を掠める。
「しかも、弩弓隊も来てっからねー。ははは。」
そう言ってトライールは第二陣に号令をかける。
「ちっきしょう…。うぐぁぁぁっ!?」
避けきれなかった矢が、ナムの左肩に突き刺さる。
「やめー。やめー。」
トライールは間の抜けた声で弩弓隊に休めの姿勢を取らせると、その場に肩膝をついて苦しむナムの傍まで歩み寄る。
「タイチョー、なんで俺があーたの事嫌いか知ってる?」
トライールは相変わらず笑っている。
「さぁな?」
ナムが右手で剣を構える。片腕だけでは構えるのがやっとだ。一撃で決しなければ無理だろう。
「あんたが自分勝手すぎるからだよ。」
トライールの笑みが憎しみに変わる。
彼は20代前半という若さも野心も盛りの頃だ。自分の所属する部隊で重きを置かれたいと思うし、それだけの実力が自分にあるとも思っている。
だが、ナムはトライールを重要視していない。戦力としては確かに大きい男だが、他人を見下す部分がある男を信用するほどナムは浅はかじゃない。
「それはそっくりテメェに返してやるよ。トライール!」
トライールが目の前に立った瞬間、右腕に力を込めて渾身の一撃を放つも、トライールはそれを交わす。
「死ね。」
トライールの剣が、ナムの腹に深く突き刺さり、ゆっくりと抜かれる。
「ぐはぁっ…!!」
ナムの意識が遠のいていく。誰かが笑っている。
「ナム!!」
クロが戻ってきた丁度その時、トライールの剣がナムの腹から抜けた。
驚いたのはトライールの方だ。
「な、なんでもう!?」
彼だってクロの実力ぐらい知っている。
だからこそ、クロとは直接当たらずなおかつナムを嬲り殺せるこちら側へと回ってきたのだ。
「ナムを傷つけた奴は前へ出ろ。絶望よりも深い闇へと落としてやる!!」
クロの眼が完全にトライールを捉えている。
「や、やめろっ!!」
トライールは慌てて逃げ出す。
弩弓隊も尋常ではない少年の姿に怯え逃げ出す。
だが、簡単に逃げられるのは人間の戦場においてだけ。相手が人間だった場合のみだ。
「逃がさない。」
クロの囁きにも似た声が響いた瞬間、トライールの世界は終わった。
プシュッグチャ
「一瞬で死ねた事を感謝しろ。」
跡形もなくつぶれた肉塊を踏みつけて、クロは弩弓隊の駆除に掛かった。
しかし、追跡の途中で声が掛かる。
「クロ、もうやめろ!!キミに怪我でもあったらどうする気だ!?」
体中から血を流し、重い足を引きずりながらカールタが叫んだ。
「だってナムを傷つけたんだ!!」
クロが新たに一人を殺す。
「だったら、今すぐナムの傍へ行きなさい。無益な戦いによって君が傷つく方がナムには辛いんだから。」
森の中へと踏み込もうとするクロを止めようと必死だ。
「君の言葉は信じない。」
クロが森の傍で足を止めて答える。
「でも、ナムの傍にいてあげてほしい。彼の手を握るだけでも、きっと力になれる。」
ナムを含め、傷ついた者達は街道の傍らに急遽作ったテントで応急処置を受けはじめている。
この仮設病院のようなテントは、クロの活躍で敵が退却したためにできた事である。
惜しむらくは、敵の大将である女が姑息な手段を使って逃げてしまった事だろう。
「…。」
「頼むよ、クロ。」
カールタは小さな闇に呟く。
小さな沈黙の後、闇は剣をしまい振り返る。
「君もさっさと休め。」
「ありがとう。」
カールタはにっこり笑って、ゆっくりとテントの方へと歩き出した。
珍しい事に、クロが走ってきて肩を貸してくれた。
突然の襲撃に部隊の1/3が死んでから5日が過ぎた。ナム達は近くの村で宿を取り、体調を整える事に専念していた。
「ノーミル殿の部隊が泊まっている宿とはここか?」
騒々しく入ってきたのはプシニーツァの伝令騎士だ。
「そうだ。」
やっとベッドから出る事ができるようになったナムが、宿屋一階の食堂で茶を啜りながら答える。
「プシニーツァ王から言伝を預かってきた。ノーミル殿はどこだ?」
「ここだ。」
ナムが手を上げると、騎士は傷ついた内臓によく響くほど力強く近づいてきた。
「伝言を伝える。」
「ちと怪我をしていて座った状態で悪いが、気にせずどうぞ。」
見下ろすように立つ騎士に、それとなく包帯の巻かれた肩を見せながら答えるナム。
騎士は忌々しそうな顔をしてから、立派な羊皮紙を取り出して読み上げる。
「"謀反を起こした将軍の部隊に壊滅的な打撃を与えた貴君の功績を讃え、それに見うる報酬として軍門に下り速やかに将軍の地位を与えるものとする。"」
その言葉に、食堂にいた仲間達が驚きざわつく。
「それは…断りたい。俺は、国に忠誠を誓える奴じゃないからな。」
ナムは驚きよりも小さな怒りを瞳にこめて答える。
彼にとって軍隊なんて商売敵と言っても良いものだったし、トラの後釜につくような事はしたくなかった。
そんな事をしたら死んだ奴等が浮かばれないし、自分のプライドを傷つける。
「そう言われた時の言伝も預かっている。
"然らば、汝の部隊を正式に雇い入れたい。"―――以上だ。」
「OK。それならば納得できる。ただ、必要経費は全部そっち持ちだよな?」
ナムが見上げると騎士は困ったように羊皮紙を見て、暫く悩んでから答えた。
「私は言伝のみ。詳しくは、将軍の砦にて報告されるだろう。」
「わかった。伝令ご苦労さん。」
ナムはそう言って騎士から羊皮紙を受け取ると、威厳たっぷりにわざとらしく歩く男を見送った。
騎士の馬の骨に響く蹄の音が遠ざかると、食堂は一気に盛り上がり、怪我人であるナムを仲間達が小突き回した。
仲間達からの小突きから逃げるようにナムはカールタと共に部屋へと戻る。
「いいのかい?妙にタイミングが良かった所を見ても、裏があることは見え見えだろう?」
カールタは心配そうに羊皮紙に眼を通す。
「でも、雇ってくれるのは確かさ。」
「何故そう言い切れる?もしや罠かもしれん。砦で襲撃にあうかもしれんだろう。」
先の襲撃の後遺症か、カールタはこの所、何かにつけて襲撃があるのではと恐怖している。
「罠だったにしても、襲撃はないな。そんな事に軍備を避けない。」
「だが…。」
「行ってみればわかるさ。」
カールタの不安なんてよそにナムは大きな欠伸をした。
「そうよ、隊長の言う通り!少なくとも砦まで行けば、隊長も怪我した他のメンツももっとマシな治療ができるわ!!」
「カデット。」
狭い廊下の向こうからカデットが声を張り上げたので、カールタは周囲を見回した。他の客の事が心配だったのだ。
「ここで誰か死んでみなさいよ。先に逝った皆に申し訳立たないわ!!」
「そうだな。」
ナムは他の客の事まで心配はしない。むしろ笑いながらカデットの言葉に頷く。
「ところで、クロはどうした?確かカデットが連れてったよな?」
ナムが首を傾げる。
実は、彼が食堂に行くと聞いたカデットは、"食事をしないならちょっと来てちょうだい!"と、強引にクロを引きずっていったのだ。
「あぁ、クロならまだペールさんと話してるわ。」
「そっか、そう言えばあいつも手話できたんだっけな。」
その言葉にカールタが眼を見開く。
「ど、どこで話してるんだ!?」
「え?ペールさんの部屋だけど?」
カデットの言葉にカールタは物凄い勢いでペールのいる部屋へと入った。
「なに、あれ?」
カデットがナムの傍にやってきて問う。
「いや、あいつさ、実はこっそり色んな勉強してるんだよ。いつか金が貯まったら、どっかの戸籍を買って大学に行きたいらしい。」
ナムが口元に人差し指を添えながら答える。
「勉強熱心だとは思ってたけど…、そこまで勉強好きとは知らなかったわ。」
カデットは呆れ顔でペールの部屋を振り返った。
部屋からは笑い声の変わりに手を叩く音がよく聞こえた。
「ディスール、何を企んでいるんだ?」
後宮の奥まった所にあるミェースチの部屋には、日に日に贈り物が増えてきている。
文句を言いながらディスールの傍まで行くのに、ミェースチは贈り物の山をいくつか崩してしまった。
「うーん?」
お気に入りの天蓋つきベッドの上に寝転がりながら、荷物を蹴り飛ばして困り顔のルームメイトに視線を向けるディスール。
「あんな傭兵部隊を王直々に雇わせて。一体何をする気なんだ?」
この所、ディスールが勝手な進言ばかりを繰り返し、軍が騒々しくなっている事に不安をつのらせているのは、家臣ばかりではない。
岩牢から光の竜たるディスールを解き放ったミェースチも不安だった。
何もかもが失敗に終わるのではという気持ちがしてきたからだ。
「だって、あんな拾い物滅多にできないわよ。」
ディスールが枕に抱きついて転がりながら答える。
「そりゃぁ、将軍の精鋭部隊を撤退に追い込んだのはすごかったが…。」
「彼等の力はあんなものじゃないわ。だって、あれは昼だったもの。」
ディスールは起き上がると、やっとベッドの淵まで来たミェースチに微笑みかける。
「何か知っているんだな?」
ミェースチの表情が変わる。
ディスールがこういう思わせぶりな事を言うと、大抵何かしら驚くべき事が秘められているのだ。
しかし、ディスールは答える気が無いといわんばかりにベッドの上を転がりまわる。
「ねぇ、ミュー。各国に忍ばせた叛乱の種の準備はできてるの?」
「既に終わった。プシニーツァが開戦の声を上げれば火は上がる。」
「じゃぁ、いいじゃない。それでいいのよ。」
クスクスと笑うディスール。ミェースチは立ち上がり怒鳴った。
「本当に何なんだ!?何を隠しているんだ!!」
計画が崩れていく不安と、ディスールの考えが見えない苛立ちが溜まっていた。
「だから、言ったでしょ?人間の心の声が聞こえるって。戦だからって皆はしゃいで声が高いの。」
「どういう意味だ。」
ディスールは怒りで強張ったミェースチを見ながら笑った。
極彩色の鳥が、その笑いを真似て鳴いている。
最終更新日 2005/06/29
感 想 凰火さんの出身、日本じゃなかったっぽいです。 勉強不足甚だしくてごめんなさい。
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