ある世界の物語

15

 

雨が降る。地上に住む誰もが予想できなかったほど突然に。
三日三晩地上に降り続けた大雨に誰もが不安の声を上げた。
雨が降る前に、禍々しい何かが地上へと落ちたのを目撃した者は絶望さえ歌った。
闇が落ちて太陽が食われ世界に光は戻らないだろう、と。


若い炎の竜が恐怖の洞から起き出せずにいる間、凰火は様々な問いを風の長老竜に投げかけた。
何故この世は竜によって動かされるのか。なぜジェラーニヤは闇の竜であるのに光の竜の事や地上の事を知らなかったのか。地上から旅立った後は竜達はどこへいくのか。それは自分が様々な世界を渡るのと同じ道理なのか。世界が滅びる事をどう思っているのか。ヴィスはどうなるのか。ジェラーニヤの記憶は戻るのか…。
考え付いた端から問うたが、風の竜はまるで吟遊詩人のようにそれとなしに答えるだけで、聡明な旅人にはそれらが答えであるのか御伽噺の一節であるのか、はたまた意味を成さない言葉の羅列に過ぎないのかもわかりはしなかった。
とうとう痺れを切らした凰火は、たった一つ明確にして最大の疑問を発した。
「では、これからどうするべきなんだ!?簡潔に答えろ!!」
今まで、名も知られぬ詩をまどろみの中から答えていた風の竜が、気だるそうな顔を上げて口を開いた。
「まだこの世界に留まるのならば闇の竜を探し記憶を取り戻せ。この世界に苛立ちを覚えるならすぐさま立ち去れ。」
それからまた風の竜はまどろみの中へと顔を向けて、今や誰も知らない言葉で世界が忘れた詩を唄い出した。



長い雨が止み、世界に太陽が戻ってきた朝、小さな傭兵部隊の隊長を務める男がテントの中から出てきた。
「久しぶりに太陽を拝んだぜ。」
その顔には疲労と安堵が滲んでいる。
彼の部隊はどこかの街や国に属するようなモノではなく、世界中を旅して仕事を探す"渡り鳥"と呼ばれるタイプの部隊で、戦争の声が上がろうとしている大国へと向かう最中にあった。しかし、この三日間降り続いた雨は行軍の妨げとなり、今や彼の部隊の士気は天気任せとなっていたのだ。
だから、隊長たる彼は、晴れ上がった青空から地面に光の槍先を突き立てる太陽に感謝せずにはいられなかったのだ。
のんびりと太陽の光を浴びていた彼に思わぬ知らせが入った。
昨晩のキャンプ地としたこの森の奥にある岸壁の根元に人が倒れているというものだった。普通はそんなモノに目をくれるものではなかったのだが、豪雨の中で人を知らずに旅を続けた為か部隊は満場一致で、給仕係りだけを残して全員がそこへと向かう事にした。
森をほんの少し進むと、すぐさま岸壁の根元にたどり着いた。見上げれば、森の頭よりも遥かに高い所に縁を持つ岸壁の下に、確かに人が倒れていた。
「隊長、脈はありません。」
先についていた男が倒れている者の首に手を当てて脈を取っていた。
「そうか。岸壁から落ちたのか、雨で流されてきたのか知らないが、残念だな。まだ幼いのに。」
倒れている者に同情の色を送る隊長。
脈がないと報告されたその人物の姿は、いたって奇妙であった。
というのも、漆黒の鎧を纏い同じ色の剣の傍らに倒れているのは、漆黒の髪を持った少年だったからだ。それも、10をやっと越えたか越えないかという按配の幼さである。ついぞ同情を向けながら、あまりに不釣合いな姿をした少年に誰もが釘付けになった。
と、軽率な男が一人歩み出た。
「隊長、死んだもんはどうにもなりませんよ。でも、あの剣や鎧は街で売ればかなりの額になると思うっす。ちょっと俺はいできますね。」
元々ゴロツキやストリートチルドレン出の男ばかりの隊だから、そういう奴が出てくるのも仕方の無い事だった。
隊長が呆れた顔を向けたが、男は気にもとめず少年の傍らで暗く光る剣に手を伸ばした。
隊長はふと少年の顔を見る。そして、見開かれた瞳に敵意が浮かんだのを見て怒鳴る。
「その剣に触れるな!!」
「へ?」
隊長の言葉に間抜けな声を返した直後、男は口を無くしてしまった。
「…俺の剣に触れるな。」
少年が漆黒の瞳を見開き、今や首の無くなった男の腕から剣を取り戻すと、自分を取り囲む者達を見据えて怒鳴った。
「死にたい奴はその愚かさと共に剣を振れ!!」
誰もが一瞬理解に苦しんだが、すぐさまわかった。
この少年が、素手で仲間の頭を破砕したという事実に。
誰かがうめき声とも掛け声ともつかない音を発し、それを合図に傭兵達が少年に切りかかろうとした。
「全員下がれ!!」
ピシャリと解き放たれた言葉に、皆とまり、言葉の主たる彼らの隊長を見た。
「下がれと言ったんだ。聞こえなかったのか!!」
隊長の言葉に、悔しそうに下がっていく。全員が隊長よりも後ろに下がると、剣を握ったままで事態を睨み付けていた少年は口を開く。
「君が次の犠牲者か?」
「いいや。俺は自分の命も仲間の命も惜しいんだ。ここは話し合いといこうじゃないか。」
隊長はそう言って、少年に少しだけ近づきその場に座る。
長雨のせいで濡れた草が冷たかったが、それを我慢して胡坐をかく。
「お前の剣を取ろうとした事は謝る。だが、これ以上の無益な争いに何の意味がある?」
「人間は必要ない。世界の汚物だ。だから殺す事はむしろ有益だ。」
少年は剣を向けながら答える。その言葉には微塵のためらいもなく、切っ先には殺気を乗せながら。
「まぁ、戦争するし盗みもするしろくな奴はいないな。確かに。」
「…。君は他の奴と少し違うな。」
男の意外な言葉に、少年は少しだけ驚いたようだ。
「そんな事はねぇよ。ただ、ちょっとだけ色男なだけさ。」
そう言って顎を擦る隊長。確かに野性味の溢れる良い男だといえなくも無い。少なくとも、街でクダを巻いている自称トレンド君よりかは元が良い。
「君は変な奴だ。」
少年はあまりのくだらなさに肩を上下させ、その場に座る。敵意はまだ残っているが、殺気は薄い。
「はは。俺の名前はノーミル。愛称はナム。しがない傭兵だ。お前は?」
ナムが少年に問いかける。
彼の作戦はつまりこうだ。どうでも良い話から切り出して、脈がないはずなのに動いて人を殺す少年についてそれとなく聞いていこうという魂胆である。
場合によってはそこから何かしら自分達に有益な情報が得られるだろうという思いもあるが。
「俺は………。」
話そうとして、少年はふっと空を見上げ小首を傾げ、しきりに自分の姿を見て首を傾げる。
「どうした?」
ナムの言葉に少年は彼を見ながら答える。
「俺は誰だろう?名前がわからない。」
その言葉に周囲からざわめきが起こる。
「どこから来た?」
ナムは"記憶喪失"になったらしい者を何人か見てきたが、それが本当の記憶喪失者かを推し量るのは実に難しい。
特に、言語や知識だけはあるのに、自分が何者かわからないという己を形成するカテゴリーを消失したような者を相手にするときは、頭から"記憶喪失者"として片付けることはできなかった。
そんな隙を見せれば生きていけない所で、彼はもう長い事生きてきたためでもある。
「…遠いところ。もう帰れない。」
少年の目が、憂いを帯びた空を映す。
「それはどこの国だ。」
「わからない。プシニーツァでも、ポワッソンでもない、地上ですらない気がする。もっと尊い場所。」
その言葉にナムは馬鹿げた事を思い浮かべ、頭を振り払う。
―――まさか、天国だの地獄だのってぇあの世から来たわけじゃないだろうさ。―――
「何か他に自分の事を覚えてないのか?」
「…何も思い出せない。思い出そうとすると胸の当たりがザワザワする。」
胸に手を当てて答える少年。実に悲しそうな表情だが、涙は浮かべていない。
ナムは演技かとも思ったが、彼の直感が嘘をついていないと叫んだ。
長い間傭兵をしてきたためというばかりでもないが、彼は人を見る目がある。金払いの良い依頼人、裏切りそうな仲間、何かを隠し通そうとする者…そんな風に人間を見分ける力があるのだ。
彼のお眼がねから見た少年は、人間の事を虫以下と見ているが嘘はつかないタイプだった。
「記憶喪失か。」
ナムは少年が記憶喪失である事を肯定した。
「そうかもしれない。」
少年は小さく頷きため息をつく。
小さな沈黙が流れた。
「…。俺と共に来るか?」
突然、ナムが変な事を言ったので、遠巻きに見ていた仲間達は不満を漏らした。
仲間を殺した奴をどうして仲間にできようか、というのだ。
だが、その声はナムの鋭い視線によって沈黙へと変わる。
「………寝首をかくつもりか。」
少年が問う。
「心配ない。お前に危害は加えないさ。」
少年に笑いかけるナムの傍らに一人の男が歩み出た。
彼は荒くれ部隊の中ではわりと華奢な男で、いかにも頭脳派と言わんばかりの理知的な顔をしていた。
その理知的な人物が進言する。
「でも、隊長。彼は仲間を殺したんですよ?それにいまから…」
「わかってるさ。おい小僧、俺は今から沢山の人間を殺す。お国の為、皆の為、自分の為にだ。お前も剣を振るうならわかるだろう?それがどれほどの残酷さを秘めているか。」
「だが、君はその残酷さに酔っている。目が言っている。」
少年の言葉にナムは顎を擦る。
ナムの瞳は、確かに笑っていた。残酷さを思えばこそ、余計に。
「そうさ。俺とついてくれば血の戦場を駆けずる羽目になる。俺についてこなければ…」
「殺す。」
ナムの言葉を遮り少年が答える。
「物分りがいい奴は好きだ。どうだ、有望株だろ?副隊長殿。」
ナムは傍らに立つ理知的な顔立ちの男に視線を向ける。
「好きにしてください。でも、面倒は自分で見てくださいよ。」
諦めきった顔で副隊長は遠巻きへと戻っていく。
「…俺は君についていこう。そうすれば、人間を駆除する事ができそうだ。」
少年はそう言ってナムを見つめる。
「はは、怖いな。お前は自分を人間だと思っていないのか?」
「当たり前だ。それだけははっきりと言える。体中が叫んでいる。」
その言葉にナムは"呆れた"と音に出さずに口にして立ち上がると、少年に手を差し出す。
「立て。ついてくるなら名前がなくちゃいかん。小僧では困るからな。」
少年はナムの手を払いのけて立ち上がると、少年が扱うにはかなり長い剣を背中の鞘に収める。
「名前か。君がつければ良い。俺には何も浮かばない。」
その言葉にナムは顎をさすりながらウーンと唸る。
実はナム、名前をつけるのが大の苦手なのだ。苦手というか下手なのだ。小さい頃に友達になった犬を飼う事にした日、結局考えすぎて"ワン"という名前をつけてしまった人物である。
しかも、彼は他人の名前を覚えるのも苦手だ。おかげで、部隊員は全員、彼に勝手なニックネームをつけられている。
例えとして上げるなら、副隊長(カールタ)のニックネームはカークだ。
「珍しい黒い髪と瞳…。よし決めた!お前の名前はクロだ!!うん、実に覚えやすい。」
少年を指差して名前を決め付けるナム。
『隊長…。』
遠巻きにしていた仲間達が声を揃えて"あんたまたですか!?"という意味合いのこもった言葉を呟く。
「安易だな。」
少年も呆れた顔でナムを見る。
「だが、悪くはないだろう?覚えやすいし。」
覚えやすければ良いという問題でもないだろうが、何分ナムはそういう男なのだ。
少年はこのとんでもない男を見上げて、フッと笑う。
「まぁまぁだ。」


漆黒を纏う少年クロを仲間に引き入れたナムは、実に機嫌が良かった。
不運にも死んだ仲間はその場に埋葬したが、悲しみは無かった。何せ、彼にとって子供から物を盗る奴は仲間でなければ一発殴っている所だったからだ。勿論、以前から何かと目に余る男でもあったし、居なくなって清々したというのがナムの本心だった。
「それにしても、クロは本当に冷たいな。」
傍らを歩く少年の頬に触れながら言うナム。クロの方は腹立たしそうにその手を払いのける。
「だから、人間とは違うと言ってるんだ。」
クロは実にわずらわしそうに言って押し黙る。
「どうした?」
「人間でなければ俺は何者だろう?」
今更な言葉に誰かが笑った。とたんに周囲にも笑いが広がる。
実の所、ナムだけでなく隊全体が死んだ男の事をそれほど好いては居なかったのだ。それなのに、そんな者の為に怒りで心を緊張させ続けられるほど彼らはお人よしでも偽善者でもなかった。
だから、大きく笑ったのだ。
まだ蟠りはあるだろうが、少しはマシな仲間を補充できた事に安堵さえ感じて。


「クロクロ、食べないのか?」
キャンプ地に戻った部隊は、待ちくたびれた給仕係りにこってり怒られながら朝食を食べる事となった。
ナムの傍らに座らされたクロは、短い自己紹介の後、死んだ男の分の食事を分けられたのだが、それに手をつける気配は無い。
「これは食べ物なのか?」
その言葉に空気が涼しくなる。
確かに、長旅用の保存食だったし、豪雨のせいでどれも湿気てはいたが、彼等傭兵にとってはコレはまともな食事であった。
「それは、文句をつけているのですか?」
カールタが皆に代わってクロを睨む。するとクロは反省する様子も無くその場から立ち上がる。
「どこへ行くんだ?」
「紙とペンは無いか?この際どんなモノでも構わない。」
ナムの言葉に答えるクロ。その言葉に全員が首を傾げる。
「カーク、ペンと紙。」
ナムの言葉に首を振りながら立ち上がったカールタは、己のテントからペンと紙を持ってきてクロに手渡す。
「クロ、お礼言え。」
何も言わなかったクロを睨むナム。礼儀には厳しいのだ。
「…ありがとう。」
カールタを見上げながら小さく礼をすると、クロはすぐさま座り、何かの図式を書き始める。
「全く、自分で素材から作らなければいけないなんて面倒だな。」
カリカリカリカリと紙にびっしりと数字や文字や図を描く。それを覗き込んでいたクロの両サイド(つまりナムとカールタ)は眉根をひそめる。
そこには彼等の知らない文字や数字や図が並び、彼等の想像を遥かに超える式が乱立していた。数学もそこそこにできるカールタにも、どの数字が1でどの数字が2かぐらいの対応はわかったが、その他にはさっぱりわからなかった。
「よし、出来上がった。炎を借りて良いか?」
クロが小首を傾げて見せると、ナムは言葉なく頷く。
「ありがとう。」
クロはそう言って、目の前に焚かれたカマドの炎に紙を投げ入れた。
「な、何するんだ!?」
カールタが悲鳴にも似た声を上げると、クロは炎から立ち上った煙を一筋残さず吸い込んだ。
「やっぱりこんなペンと紙じゃあんまり美味しくないや。」
クロは不服そうに言いながら、残った紙とペンをカールタに返し、ナムの方に向き直る。
「俺、もうお腹いっぱい。」
にっこり笑ったクロに、ナムは開いた口が塞がらなかった。


結局、クロが食べなかった食事はじゃんけん争奪戦により仲間に配られ、ひとまず食事は終わった。
だが、クロの災難はその直後から始まる。
「お前、本当に何なんだ?」
ナムにもカールタにも、他の仲間連中にも何度と無く似たような質問をされまくったのだ。
おかげで、クロが抜刀騒ぎを起こしたのは言うまでもない。
「と、とりあえずお前等、クロにはもう近づくな。怪我人が出ても困るから。」
というナムの言葉で事態は収拾したが、それでもまだナムの傍らにぴったりとくっついたクロに質問を浴びせる者は少なくなかった。
暫くして、テントを畳んだ部隊は行軍を始める。時間は待ってくれないからだ。
「どこへ向かう?」
クロが問うと、ナムは笑う。
「戦争が始まりそうなんで、プシニーツァに行くのさ。斥候役に傭兵を集めそうだって情報があるからな。」
その言葉にクロは笑う。
「誰が三国一かの背比べをするんだろう。馬鹿だな。」
「でも、そのおかげで俺等はマンマにありつけるのさ。」
ナムの言葉にクロが頷く。
「確かに。俺も頑張って働かなければ。そしてもっと美味しい紙とペンを買うんだ。」
その言葉にナムが遠い目をして答える。
「まぁ、頑張れ。」


歩き始めて半日もしないところで部隊は足止めをくう事となった。というのも、三日三晩降り続いた雨により対岸へと渡る船は流され、橋も崩壊して通れる状況ではなかったためだ。
「おいおい、どうすりゃいいんだよ。」
ナムは頭をかきながらがなった。
「仕方ない、遠回りになるが上流に行けば生き残っている橋もあるだろう。」
カールタも悔しそうに言う。
ナムの部隊が森を歩いていたのは、プシニーツァ国の領土に近いこの橋を渡る為だった。でなければ、体力の消耗が高い場所を歩くなんて無駄な事はしないのが道理だ。
二人がため息を吐いて地図を開こうとした時、川岸で川を眺めていたクロが言葉を発した。
「ナム、わざわざ遠くの橋にいかなくても地下道を通ればいいじゃないか。」
その言葉にナムとカールタは驚いてクロを見つめる。
川から視線を移し、回れ右をしたクロはナムをまっすぐと見つめて言葉を続ける。
「ここから歩いて数分の所に風穴がいくつもあいているだろう?その一つが対岸へと続く洞窟なんだ。」
確かにこの辺には古い火山の噴火によってできた風穴がいくつもあったが、どれも途中で行き止まりだったり、毒ガスが渦巻いていたりして到底信じられる話ではなかった。
「何故知ってる?」
「何故知らない?」
ナムの言葉にクロは小首を傾げる。
「記憶が無いんじゃないのか?」
「コレは記憶じゃなくて知識だから覚えている。」
クロが首を横に振って川に視線を戻そうとしたが、ナムの問いによって阻まれる。
「場所はわかるのか?」
「行けばわかる。特別な洞窟だから。」
その言葉を信じて、一度部隊に昼食の準備をさせると、その間にクロとナムとカールタは問題の洞窟を探しに行く事にした。
獣道さえないような場所を少し歩くと、確かに風穴がいくつもあるような場所に出た。
クロが先頭に立ち、風穴を一つ一つしらべ、5つ目か6つ目の風穴で止まる。
「あった。ここだ。まだ洞窟も生きている。毒ガスの心配も窒息の心配もないぞ。」
「何でわかるんだよ。」
「人間にはわからないから説明するだけ無駄。」
クロは風穴にもぐりこむ。
「あ、おい!!勝手に入るな!!」
ナムが怒った瞬間、風穴の闇がぼんやりと光りだした。
「何が起こった!?おいクロ!!」
ナムが覗き込むと、クロが手を振っている。風穴内ではぼんやりとした青白い光が壁から染み出している。
「ドワーフの術さ。この光は洞窟を掘る間に死んだドワーフの魂だとも言うけど、本当にそうかはわからない。それはドワーフの一番の秘密だから。」
壁から漏れる青白い光を浴びながら、漆黒の少年が悲しそうに言う。
だが、ナムもカールタもそんなクロの心中に気付けるほど余裕は無かった。彼らはもっと俗物だったのだ。
「お前は本当にすごいよ!!さっさと飯を済ませて向こう岸まで行こうぜぇ!!」
洞窟内にナムの声が響き渡り、ほんの少しだけ青白い光が赤く光ったようにも見えた。


すぐさま部隊と合流した三人は、食事をしっかり取り出発する。
隊の誰もがドワーフなんて神話の時代に活躍した生き物の話をいぶかしんだが、実際に風穴を目にしてもそれをいぶかしんではいられなかった。
今や風穴の中は青い光で満たされ、それが人外の特別な術によってこさえられている事をいやおうなく信じずにはおれなかった。
隊は速やかにその洞窟の中に潜り込むと、対岸までの道を歩き出す。
「ナム、俺は役に立つだろう?」
ナムの隣を歩くクロが問う。
「そうだな。まさか、こんな御伽噺のようなトンネルを見つけちまうなんて。」
左右上下どこを見ても青い光がすべてに輪郭を与えている。
「もっと誉めて良いぞ。」
「調子がいいな!ったく。」
鼻高々なクロの頭をぐしゃぐしゃと撫でるナム。
「あ、忘れてた。」
クロがしまったという顔をしたので、ナムは怪訝そうにその顔を覗き込む。
「何を忘れたんだ?」
「ドワーフは人間が入って来た時の足止めに金銀財宝を置いているはずだ。」
「へぇ。そりゃさぞ値打ちものだろうな。」
ナムは昔話のドワーフの財宝を思い浮かべ、ついついにんまりしてしまう。
「それに触れると死ぬ。」
「…え?」
クロの言葉にナムのニヤニヤ顔が引きつる。
「人間は欲望の塊だから、金銀財宝に触れたくなるのはよく知っていたから、触れたら死ぬように色んな罠を張っていたはずだ。」
と、そこへ後方から悲鳴が聞こえた。
「誰かがはまったみたいだな。」
あっさりと答えるクロ。
「ってか、そういう事は先に言えよ!!」
ナムに胸倉をつかまれ揺さぶられるクロは、けろりとした顔で言い返す。
「忘れる事だってある。」
結局、洞窟を抜け切るまでに出た犠牲者は一人だったが、目の前にぶら下がる金銀財宝を手にする事もできずに通り過ぎなければいけない人間達は、ストレスから悪態ばかりが募った。


夕暮れの前に対岸にある洞窟の出口へとつい部隊は、キャンプの設営を始める。
「クロは俺と一緒のテントだ。」
テントはそれほど軽いものではないので、5〜6人で一つのテントを共有するのだが、隊長も副隊長も一人身だった時代からの使い古しのテントで寝ている。核が上だからではなく、場合によっては部隊を二分して行動する事もあったためだ。
「俺は外で良い。」
クロはそう言って寝やすそうな木を指差す。確かに、小さなクロならばその木の上で寝る事も困難ではないだろう。
「駄目だ。リーダーの命令は絶対だ。」
ナムはクロにテント張りを手伝わせながら言う。最後の"だ"なぞは特に強調して。
「むぅ。」
「拗ねても駄目だからな。」
眉をひそめるクロに対し、頬を膨らませて駄目だと強調するナム。
「聞き分けがないのはどっちだか。」
クロの小さなつっこみに、丁度やってきた副隊長が笑った。
「あはは。ノーミル、クロよりも子供じみてるじゃないか。」
「カーク、何かあったのか?」
「別に問題は無いが、クロにナムを借りて良いか聞きに来たんだ。」
そう言ってクロに軽く手を振るカールタ。だが、クロはそっぽを向く。
それを見たナムがクロの頭をカールタの方に向けて強引に挨拶させる。
「なんで俺の所有者がクロなんだよ。」
クロの頭を押さえつけながらナムが問う。
「だって、ナムがどこにいってもクロはついてくるじゃないか。これじゃちょっとした相談もできない。」
カールタの言い分は正しかった。
何せクロときたらナム以外には愛想笑いの一つもしないし、挨拶だってナムに言われてやっとするという程度だ。しかも、ナムの傍から離れるのは彼がトイレに立つ時と、クロが何かに興味を惹かれた時ぐらい。ほとんどずっと傍にいるような状態だ。
「そっか。じゃぁ仕方ねぇな。クロ、テントの設置しながら待っててくれないか?」
ナムの言葉にクロは眉間にしわを寄せて、一度だけ頷く。
「テントの立て方がわからなかったら回りの奴に聞け。んじゃ、ちょっくら行って来るな。」
クロはナムとカールタを見送りもせずにテントの残りの設営にかかった。


「全く、本当にクロときたらナムにしか懐かないな。」
クロが見えなくなった事を確認してから唱えるカールタ。
「仕方ないさ。アレは怯えてるんだから。」
野暮ったく頭を掻きながら答えるナム。
「怯えてる?」
カールタがいぶかしげに問い返す。
丸一日近くに居たが、クロの態度といえば怯えているどころか自分勝手でえばりくさっている。当人に自覚があるにしろないにしろ。
だからカールタは隊長たるこの男をじろりと見た。
「本人にもわからない所で怯えてるのさ。でなけりゃあんなに周りを警戒しない。」
ナムがため息を吐く。まるで何を試しても幼い子供が指をしゃぶるのを止めない事に肩を落とす父親のように。
「気付かなかったか?お前が近づいた時、あいつの立ち位置がわずかに変わったのを。」
「いや?避けただけかと。」
カールタは先ほどの様子を思い出す。相変わらず不機嫌そうにこちらを見ながら、ナムの手で強引に挨拶させられたクロは、確かにカールタの前から一歩下がったようにも見えた。
だが、それはナムの傍に寄った為、クロが(珍しく)気を利かせて避けたか、さもなくばカールタを嫌って避けたのだと思っていた。
しかし、隊長から意外な答えが返ってくる。
「すぐにお前を殺せる位置に動いただけさ。ご丁寧にテントに血がつかないよう考えて。」
「そこまで一瞬で考えたと言うのか?買いかぶりすぎだと思うよ。」
ナムの言葉に眉根を潜めるカールタ。
人間ではないが何なのかよく知れないとはいえ、幼い姿をしたクロにそこまでの行動力は無いと判断していた。確かに人間には得てして解らないような知識を持っているとわかっていても、どうしても10を越したか越さないかという外見に重きを置いてしまう。
そこがカールタの限界であり、普通の人間の陥りがちな過ちだった。
「今度クロの動きを見てみろ。落ち着いているように見えるが、いつも周囲に気を配っているし、俺の態度からどの仲間がどういう奴なのかも見ているみたいだ。勿論、いつでも殺せるよう構えの一歩手前の緊張を隠してな。」
クロが周囲に注意を払うのと同様にナムもまたクロを含め部隊の仲間達を観察する癖がある。隊長という立場だからだけでなく、仲間として気の置ける奴がいないかどうかを判断しているのだ。
小さいと言えども約20人程で構成されている部隊には、当然の如く気の置ける輩という者はいる。特に新顔の中で2、3人は重要な役目を任せられないと認知している。だから、そういう奴と話す時は相手が感づかない程度に内心を探りながら喋っているのだ。
「俺が気の置ける奴と話す時、ちと探りを入れるだろ?まだお前以外にはばれていないが。」
「あぁ、うん。」
「で、その様子を見た後にクロがこう言ったんだ。"アレが裏切るかどうかは、次の街で隊全体に自由行動をさせればあっさりわかるだろう?"ってな。」
鼻歌交じりに答えたナムに、カールタはとびきり驚いた顔を向けて口を覆う。
「底知れない存在だよ。悪魔か天使か、さもなくば神話時代の生き物か…。俺のちっぽけな頭じゃわからんが、良い拾いモノには変わりないさ。」
ナムは上機嫌で意味の無い歌を歌い始める。彼の悪い癖と言えば、あまりにも感情が興奮すると歌いだしてしまう所にあった。不幸中の幸いにも、彼の歌は(内容はともかく)聞いていて苦にならない、そこらの歌手並みの歌唱力によって歌われている。
「まぁいい。そろそろ話を本題に移そう。」
胸を撫でながらカールタが言う。
「あ?あぁ。」
もっとも熱いサビの部分に差し掛かっていたナムは少々不満げである。が、すぐににやけ顔を元に戻して、"仕事"の顔をとる。
カールタが"仕事"の顔をしていたからだ。
「やはり"虎"は来ないそうだ。"海"を見るまでもなく今回は"ハイキング"には不参加するようだ。」
"虎"や"海"というのは、ナムとカールタの束ねる部隊内での秘密の暗号だった。軍人がそうであるように、特別な会話をする時はいつだって重要な言葉は特別な言葉へと変えて言わなければいけない。それが血を流す者達の生き延びる手立ての一つだから。
「そうか。残念だな。」
予想はついていたという感じの顔をしながら答えるナム。
「それからもう一つ、"波"がざわついている。"ヒトデ"はまだだが"ウミウシ"は"海岸にやってきた"ようだ。」
「ふむふむ。他には?」
ナムは頷きながら、いま一つ乗り気になれないという顔をする。
「今の所はこれで全部だ。まだ"海"が遠いから"潮風"もろくに届かない。」
「そうか。」
ナムは大きく深呼吸をして空を見上げた。
夕日が空を赤く染め、東から薄紫の靄が走ってきている。
ナムは呟くように言った。
「明日もまた晴れそうだな。」


キャンプ地に戻ってきたナムは、テントの設営を終えてテントの入り口で体育座りをしているクロを見つけた。
「何してるんだ?そんな所に座って。」
ナムが声を掛けるとクロは立ち上がり勢いよく駆けてきて、目の前で止まった。
「待っていろって君が言った。」
見上げてきたクロは、なんとも不満そうである。だが、ナムはむしろ嬉しかった。
まるで小さい子供が親に待てと言われて泣きそうになりながら待っているような姿をクロの表情に見て取ったからだ。
それは自分を信頼している証拠でもあり、懐いてくいるというはっきりとした証拠だから。
ナムは子供に愛されている事を知った子煩悩な父親のように満面の笑みを浮かべてクロを抱きしめる。
「うわ、抱きつくなっ!!」
クロの方は勿論暴れ、手痛い頭突きをお見舞いし、ゴツイ腕から逃れた。
「イテテっ!!おいこら、アザになるじゃねーか!!」
クロの頭突きは手加減されており死には至らなかったが、ナムは胸板をさすって痛がった。
クロはふんっとそっぽを向いた。


夕食を終え、片付け終わった部隊の上には見事な星空が広がっていた。
「やっぱり大雨の後の空は澄み渡ってて綺麗っすね、隊長。」
少々ロマンチストが入っているが、気の良い仲間でありナムがもっとも信頼している部下の一人である"マダラのチャコ"が言う。
何故"マダラ"なのかと言うと、まだ20ぐらいの彼の髪の毛が既に白髪がだいぶ混じった茶色だからだ。別に彼の血に白髪の多い血が混じっているわけではない。彼には彼なりの特別の事情があった。だが、それを聞かれる度に涙眼で"昔恐ろしいことがあったんだ。"とだけ答えるので、今では誰もその理由を聞こうとはしなかった。
「確かに綺麗だな、チャッピー。」
またしてもかなり間違っていると思われるニックネームを呼びながら答える。
「どうだ、クロもこういう空は好きか?」
突然話しを振られたクロは、空から視線を移して頷く。珍しく素直に。
「夜空を見上げていると胸が熱くて悲しくなる。」
呟いたクロはまたも空を見上げる。その横顔があまりにも切なそうだったので、チャコもナムもすっかり気を悪くしてしまった。
だが、クロは故郷を思うような眼で空を見つめ、そして歌いはじめた。


太陽が夜を蹴散らす日に
ボク達は出会ってしまった
風を裂く大地の底に
ボク達は縛られているけれど
いつかボクが約束した通り
キミとボクは終わりの鐘を鳴らすのさ
刻の果てで


クロの歌声にいつの間にか手の開いた者達が集まってきていた。
クロはそんな事なんて気にしないで空を見つめながら歌い続けた。同じフレーズを同じ調子で。
されどその歌声はあまりにも切なく、郷愁を誘う面持ちで、意味を成さないような詩に誰もが自分の心を映した。
ある者は死んだ彼女の事を思い、ある者は生き別れの家族を思い、ある者は旧知の友人を思って、帰りたいという切なる気持ちで胸を満たして空を見上げた。
そしてふとクロは歌うのをやめて、今更のように言葉を発した。
「なんでこんなにいるんだ?」
その言葉に皆はすっかり興ざめして戻って行く。
「皆それぞれ帰りたい場所やもう一度会いたい人がいるから、なんとなくそれを思い出したんだとおもうよ。君の歌で。」
チャコがクロに笑う。
クロは小首をかしげて空を見上げて呟いた。
「俺も帰りたいよ…。」


夜も更け、見張りを数名残して部隊は各々のテントに潜り込んで眠ることにした。
クロもナムにひっぱられるようにテントの中に入る。テントの中は狭苦しく、二人がギリギリ眠れるといった感じだったが、もとより一人用なので仕方なかった。
「寝袋はクロが使え。」
「いらない。寒さも熱さも感じないから。」
クロがきっぱりと答える。
ナムはこのままクロに寝袋をかぶせようかと思ったが、そんな事をして暴れられても他の仲間に迷惑だと思い、今度は違う作戦を考えた。
ナムの使っている寝袋は左側が首から足の辺りまで大きく開閉できるタイプだったので、このチャック部分を全開にして、隣に寝転んだクロを引き寄せる。
「これなら少しはあったかいだろ?」
その言葉にクロは文句を言おうとしたが、テントの外の気配を探る。
他のテントから僅かに寝息が聞こえてくるのがわかった。ナムが声のトーンを落としている理由を悟ったクロは小さく答える。
「俺は冷たいだろう?」
「まぁな。でも、いいじゃん。この寝袋案外大きいしお前一人ぐらいなら入れる入れる。」
「そういう問題じゃない。」
クロはため息を吐く。
それからふとナムの腕が優しく抱きしめてきた事に気付いた。
「ガキはガキらしく、怖いなら大人に抱きついていいんだぜ。」
ナムはクロを力強く抱きしめながら囁く。
彼の人生をここで語るのは難しいが、一つ言うならば彼は悲しい少年時代を送ったということだろう。まだ幼かった彼の手から、両親の命がその血と共に零れ落ちた事を知る者は少ないが、その後彼がどれほどの苦しみの中ここまで来たのかは想像を絶するもので、仲間うちではよく知られている事だった。
だから、ナムにとって子供は護られるべき者であり、同情を向ける唯一の対象であった。
「お前にこの悲しみがわかるのか?頭から離れない悲しみがわかるか?何もかもが壊れていく恐怖がわかるか?エルフやドワーフやノームや…何もかもが死んでしまった。その原因を思う度に、意味さえ知らない酷い罪悪感に囚われる恐怖が。そして、それら総てを癒してくれるだろう故郷があるのに、もう帰れないこの絶望が…。」
クロがはじめて涙を溢した。帰りたくて、逃げたくて、どうしようもない気持ちにおしつぶされそうになった胸から涙があがってくる。
ナムはクロの言葉の意味を理解できなかったが、帰れない気持ちは痛いほど分かった。帰りたいという気持ちはいつだって誰の胸にも秘められていたから。
だから、クロの頭を自分の胸に押し付けて、その漆黒の髪を優しく撫でる。
「たっぷり泣け。胸の中の涙が全部零れるまで。」
もらい泣きをしながらナムが優しく言った。
遠く遠く遥か遠く、頭上に輝く星々が歌っている。
故郷を想う総ての旅人の為に、孤独を越える為の歌を。やがてくる朝日が希望に変わるようにと。優しく歌う。



最終更新日 2005/06/26
感    想 「まだこの世界に留まるのならば(以下略)」の問い、
        実際に剣龍さんにお伺いしました。
        その節は不躾な質問に答えていただき、ありがとうございました。