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争いの火蓋が落とされるには早く、戦士の絶望が聞こえるのはもっと先の事だ。
死に震える弱者達が泣きながら命乞いをするのにも早い。
だが、耳を澄まして目を凝らせ。
確かに争いを告げる滅びた強者達の笛の音が、地獄の蓋を打ち破ろうとしているのだから。
フロッテ国ポワッソン街の中心部にある市街地の一角、富と繁栄を手に入れた者達が寄り集まった地区でも異彩を放つネゴシアシオン家の邸宅。
ジェラーニヤと凰火はすっかり戸惑っていた。
ネゴシアシオン家の末子リベルテを二人の旅の仲間に加えるかどうするべきかと悩んでいる為もあったが、
何よりも問題はその後にリベルテが付け足した、
「口には出していないけど、きっとお父様も兄さん達も貴方達の事を離さないつもりよ。」
という言葉のせいである。
彼女が言うには、異国の剣士である凰火の腕前が、この国の誰にも及ばないものだろうというバトーの言葉を上げるまでもなく、
かなりのものであることは家中のものが実感しているから、用心棒として傍に置きたいという気持ちがあることは見え見えらしい。
ジェラーニヤも、人の姿のままならば腕の立つ用心棒として、航海に当たっては海賊船から身を守る盾として、
そして、戦場への物資輸送の手段として使えると、誰もが考えているそうだ。
何故、おくびにも出ていない事を言い当てられるのかと問うと、リベルテは「商人の考えは一番よくわかるもん。」と付け足した。
確かに、商人というのは打算的な物の見方をしなければやっていけないし、戦争での物資補給は大きな富となる。
だが、リベルテが戦争の事も上げたのは、ジェラーニヤのせいでもあった。彼は夕食の席で「恐ろしい戦が起こると星達が予言した」と言っている。
天に住む竜が動くならば、それこそ大戦争なのだろう、と考えない輩はいないだろう。
リベルテがジェラーニヤを見つめる。
「ねぇ、貴方は戦を止めたいんだよね?だったらさぁ、今夜逃げたほうが良いよ。絶対に。」
リベルテは無言のジェラーニヤから視線を逸らし、凰火の方へ向き直る。
「貴方も、どういう理由で旅してるか知らないけど、捕まりたくはないよね?」
「それは確かだが…。逃げるにしてもお前を連れて行くことはできないだろうな。」
凰火の目が宙を漂う。彼は今までを思い出していた。
空から闇の竜が降りてきて、炎の竜が即席かまどの焚き火を媒介して彼をつれてくるようにと頼んできたことを。
闇の竜が飛ぶときの息の詰まるスピードを。そして、オカマの水の竜の事を。
何もかもが常人では耐えられない…いや、長い時を旅してきた凰火だからこそ耐えられた苦行と呼ぶべきだと考えていたのだ。
リベルテがすぐに弱音をあげる姿が思い浮かんだ凰火は、たっぷりとため息を吐く。
「あ、今、あたしが弱音を吐くって思ったっしょ?酷い!」
リベルテが頬をふくらませる。
「何故わかる。」
凰火がからかうように笑うと、いよいよリベルテはしかめっ面をして答えた。
「だって、旅に出る前の商人の男達と同じ顔なんだもん。“あぁ、ガキのお守なんて!”ってね。」
凰火が何か言おうとするのを遮って、リベルテが言葉を続ける。
「でもね?旅に出た後の私を見て、そんな事を言う人達はいなくなるんだよ。何故だかわかる?」
突然話を振られたジェラーニヤが首を横に振る。
「あたしが弱音を吐かないから!」
リベルテは立ち上がり、強い光を込めた瞳で語る。
「あたしの最初の行商は13の夏だった。あの時は日照りで、飢えと乾きに苦しんだよ。次の行商はその冬で、夏とは打って変わって大寒波!生まれて初めて凍傷になったんだから。14の春には大河が氾濫して、仲間の船が沈んじゃった。14の夏は冷夏で、飢えを叫ぶ物乞いが目の前で沢山死んだ。14の秋は遠出して、プシニーツァ国まで行ったけど、帰りは手足の震える冬の道で、二年も全うな餌にありつけなかった猛獣達に沢山の仲間が命を落としちゃった。そしてこの前の砂漠の旅。飢えも乾きも苦しみも半端じゃなかったんだから。それでもあたしは文句を言わなかった。たっぷり泣いたけど、それは仲間の死と自分の無力感に泣いただけだよ。決して己のためには泣かなかったよ!!」
リベルテは一つ一つの旅を思い出して叫んでいた。
この小さな体が、どれほどの苦しみを越えてきたのか、そしてどれほどの強い心を秘めているのか悟った二人は顔を見合わせて頷く。
しかし、凰火の顔にはなんとも複雑な色が浮かんでいたのだが、ジェラーニヤはその意味を汲み取ることはできなかった。
「決意はわかった。君の勝ちだ。俺達は君を仲間として連れて行こう。」
ジェラーニヤの言葉にリベルテの顔が明るくなる。
「本当!?やったぁ!!ジェラーニヤありがとう!!」
ジェラーニヤにぎゅっと抱きつくリベルテ。
その様子を見て凰火が笑っている。理由は簡単だ。ジェラーニヤの顔があまりにも困った顔をしているせいである。
「とりあえず、服と刀を返してもらわん事には俺は旅に出れんがな。」
凰火の言葉に、ジェラーニヤはリベルテを引き剥がして叫んだ。
「忘れていた!!俺の影が洗濯されたんだ!!」
“今更?”リベルテの呟きを二人は聞き流すことにした。
かくして、リベルテを迎えた闇の竜ご一行様は、己の荷物と服を取り返すために行動に出ることになり、
今は大金庫への道をこっそりと走っているところである。
「普通に頼めば返してもらえるんじゃないかい?」
ジェラーニヤの問いにリベルテが反論する。
「わかってないなぁ。あたしが二人と接触した事はとっくにばれてるんだから、ジェラーニヤ達の武器になりそうなものを金庫に隠すぐらい考えつかなきゃ!」
「普通は考え付かんぞ。」
凰火の突っ込み。
「そんなんじゃ商人にはなれないわよ。商人は相手の裏の裏の100手向こうぐらいまで読んでないといけないんだから。」
“誰も商人になりたいとは言っていない。”
二人は心の中で突っ込むに留めた。
突然、
二人は顔を険しくし、凰火はリベルテを抱きかかえるように飛びのき、ジェラーニヤは己の影から剣を取り出しながら飛びのく。
リベルテが反論するよりも素早く、三人が走っていた場所に無数の矢が突き立つ。
「避けちゃったの?なかなかやるじゃん。」
女の声が天井から降ってくる。見上げると、濃紺色の衣装に身を包んだ女と、同じ衣装を着込んだ男達が天井から降りてくる所だった。
「あ、貴方達、兄さん達の刺客ね!?何番目のとかは聞く気もしないけど。」
凰火の傍らから叫ぶリベルテ。
「そーいう事。前の人達があんまりにもオバカさんばっかりだったから、私達が雇われたってわけ。よろしくね、お嬢ちゃん。んで、死んじゃってぇ。」
女は邪悪な笑みを浮かべて剣を抜き放つ。他の男達も同様に剣を抜く。
「かかれ者共!!」
女の良く通る声が響いた瞬間、一斉に男達が向かってきた。
だが、ジェラーニヤの巨大にして奇妙な闇色の刃がほんの一度だけ振られると、それらの体は無残に大破した。
凰火の手がリベルテの瞳を塞ぐ。
「脆い体だな。」
ジェラーニヤの言葉に女が怒鳴る。
「悪魔め!!よくも私の同士達を!!」
女は目の前の恐怖よりも、唯一の家である仲間を失った怒りに駆られ、走り出す。
しかし、彼女の鍛えられた体は、刃に散ることもなく消え去る。
「女はどこへ行った?」
凰火が問うと、ジェラーニヤは振り返って笑った。
「俺の影の中。彼女は永遠にこの世から遠ざかっていく運命に落ちたのさ。」
凰火が眉間にしわを寄せる。
「後ろを振り返るな。」
そう言ってリベルテの瞳から手を離すと、走り始める凰火。
リベルテはまだ続く鈍い悲鳴を背中に受けて凰火を追いかける。
ジェラーニヤは刃についた血を払ってから二人を追いかけた。
それから三度ほどの襲撃の後、三人は大金庫へと通じる扉の前にやってきた。
「昼間も思ったが、人間とは脆いな。」
出てくる敵を片っ端からミンチにし、己の影に食わせたジェラーニヤの言葉に、凰火は振り返らない。
リベルテは初夏だというのにやたら寒い空気を打開する術を知らなかったので、大金庫へと通じる大きな扉を開くことにした。
扉を開けると、中には四男オールが手を振って出迎える。
「やぁ、リベルテ。ここへと来たのはさすがだね。密偵に一部始終聞いたけど、兄ちゃん達も父さんも、よくそこまでこっちの手がわかるものだって関心したよ。」
「ありがとう。だけど、あたしが欲しいのは自由だから関係ないよ。」
リベルテが静かに答える。
「あぁそう。僕としてはねぇ、これは最高の誉め言葉で、本当は僕が貰うべきものだと思うんだよね。だってそうだろう?倉庫番は僕の役目なんだから。」
四男は指を鳴らす。
「まだ関係ない人達を巻き込むつもり?」
「それは兄ちゃん達さ。僕は血が嫌なんだ。だから、僕はここで見ているだけ。」
そう言って気持ち悪そうにジェラーニヤの剣を見る。血どころか肉片がたっぷりついている。
「って事は、この扉は簡単には開かないって事なんだね。」
「そーいう事。頑張って何重にも鍵をしたんだけど、その鍵は部屋中に隠しちゃったんだ。僕にもどの鍵がどこにあるのかさっぱりさ。何せ、隠したのは父さんだから。」
そう言って笑う四男。
三人は部屋を見回す。
客室よりも広々とした部屋には、今しがた入ってきた扉の正面に扉があり、その二つの扉の間に四男が立っている。
それ以外にも様々な家具が置かれ、所々に鍵が置いてある。
「さぁ、時間は待ってはくれないよ。朝日が差したら少なくともリベルテはこの家の時期当主だからね。」
四男の言葉にリベルテは我関せずという顔で歩き始める。
その後ろを歩く凰火とジェラーニヤが鍵を拾おうとするのを、振り返りもせずに止める。
「そんな偽物は拾っちゃ駄目だよ。本物は最初から一つしかないんだから。」
リベルテの余裕の言葉に四男が顔をしかめる。
更に部屋の右奥へと進んだリベルテは、小さな机の上にある小さな写真立てを手にする。
それから四男の前を通り過ぎて、今度は左奥にある洋服ダンスを開けて、中の洋服を全部出すと、奥に隠された窪みに写真立てをはめ込む。
カチャリと小さな音がして、洋服ダンスの奥の壁が開き、地下へとつながる通路が見えた。
「そんなっ!?」
声を上げたのは四男だった。どうやら、四男は大きな扉が人の目を誤魔化す為に作られた張りぼてである事を知らなかったようだ。
リベルテは洋服ダンスの中敷にのっかて後ろを見る。
「偽物を見抜けないからいつまでも倉庫番なんだよ、オール兄さんは。」
それから、蝋燭が転々と点る地下へと消える。凰火とジェラーニヤもその後に続く。
一人、四男だけががっくりと膝をついて部屋に取り残された。
「それにしても、先ほどの扉の事をよく知っていたな。」
目の前を歩くリベルテを凰火は純粋に誉める。
「うーん、っていうか、お父様が仕掛けたって時点で直ぐにわかっちゃった。鍵は絶対にお母様関連だろうって。ハゲでデブだけど、お父様ったらあぁ見えてロマンチストだからね。で、あの部屋でお母様関連って言ったら、衣装ダンスと写真立てしかなかったし。一か八かやってみたら当たってて、ちょっとラッキーだったんだよね。」
「…それは、行き当たりばったりという奴ではないのか?」
凰火が額に手をやる。
「そうとも言う。だけど、オール兄さんよりは頭良かったでしょ?」
リベルテはケタケタと笑った。
暫く階段を下りて行くと、突然道幅が広がり階段が終わった。
「リベルテ、案外早くついたな。」
そう言ったのは三男で、周囲には彼以外の人気もない。
「マガザン兄さん、そこを通して。」
「駄目だ。私の問いに答えなければ通すことはできない。」
「じゃぁ、さっさと問題出しなさいよ。」
リベルテの態度は悪い。当たり前だ。家督争いの為に今晩何人の人間が命を落としたかしれないのだ。
そんなリベルテの気持ちなぞ露知らずといった顔でマガザンは口を開く。
「これから5つの問題を出す。1問につき解答時間は10秒。場合によっては後ろの二人が答えても構わない。」
「ちょっと、なんで二人を巻き込むのよ!」
「頼れるだけの力の持ち主かどうか、調べるだけさ。」
三男は肩を上下させる。
「問題ない。」
と短く答える凰火。
「いくら若いと言っても、人間にそうそう負けはしない。」
と、鼻高々に答えたのは勿論ジェラーニヤである。
「二人とも、ありがとう。」
リベルテは二人を一度だけ振り返って強く頷くと、三男の方に向き直る。
「OK兄さん。さっさと問題を出してよ。」
その言葉に三男は襟元を直し、肩幅に足を開き、右手を後ろに回し。左手で懐中時計を見ながら声を張り上げる。
「第一問、 7×6は!!」
「42!!」
即答したリベルテだが、その顔が真っ赤に染まっている。
まぁ、なんというか…、あまりにも幼稚な問いだったのだから仕方ない。
「第二問、 238+15−153は!!」
「100!!」
「第三問、 (12−6)×3+5−9は!!」
「14!!」
「第四問、 408÷12は!!」
「34!!」
感心する凰火。当たり前だ。
こんな場所で、緊張状態の中、これだけの暗算を即答してしまうのだから、並の計算力ではない。
ふっと、三男が深呼吸する。リベルテもつられて深呼吸する。
数秒の間が、やたら長く感じて、ジェラーニヤがあくびをする。
「それでは第五問にいくぞ。これで最後だ。
ねがいましてぇーは、1リドーなぁーり、2リドーなぁーり、8リドーなぁーり、6リドーなぁーり、引いては、1リドーなぁーり、19リドーなぁーり、加えて、15リドーなぁーり、38リドーなぁーり、156リドーなぁーり、35161リドーなぁーり、2万とんで344リドーなぁーり、9833256リドーなぁーり、51508497リドーなぁーり、61397363リドーでは?」
さすがのリベルテも声にならなかった。というか、35161リドーと聞いて小さく呻いてうな垂れてしまったいたからだ。
勝利あったと三男が笑った瞬間、よく通る声が答えた。
「答えは122794928リドーだ。」
ジェラーニヤがにこりと笑う。
三男は慌てて懐から羊皮紙を取り出して、もう一度答えるように言う。
「答えは一億二千二百七十九万四千九百二十八リドーだ。」
その言葉に三男が声にならない悲鳴を上げる。
「合ってたのか?」
「当然だ。やる気のしない日は数遊びをしていたから、こんな簡単な問題なぞ苦でもない。」
凰火の問いに鼻高々に言う闇の竜ジェラーニヤ。
確かに、闇の竜はその食事からして数だの計算だのに強そうではあるのだが、これ以上の事を趣味でやっているとは…。さすがとしか言いようがない。
ジェラーニヤの姿に凰火は額に手を当てて首を横に振り、リベルテはなんだかよくわからないライバル心をむき出しにしている。
ちなみに、さきほどの第五問は算盤の授業を受けている人ならば一度は経験するであろう読み上げ算というものである。
この世界の共通貨幣は“円”ではなく“リドー”なので、三男は数字の後にリドーと言っているわけだが。
数式に変えると以下の通りだ。
(1+2+8+6−1−19+15+38+156+35161+20344+9833256+5150847+61397393)
まぁ、とにもかくにも、ジェラーニヤは答えられたわけで、三男の負けに違いはなかった。
うな垂れる三男の傍らを過ぎ去る三人。
すれ違う瞬間にリベルテは言った。
「自分でも覚えてられないような答えになっちゃうような問題出すなよ。」
暫く進むと、光が溢れる部屋へと出た。
そこにはいかにも戦闘肯定しておりますといった格好の方々が、等間隔で壁際に並んでいる。
部屋の真ん中では次男バトーが満面の笑みを浮かべて立っており、リベルテが入ってきたのを確認すると、両手を開いて走ってきた。
「リベルテー。お兄ちゃん嬉しいよ。やっと会えたね!」
リベルテは走ってきた兄の懐に飛び込んで、身を屈める。
すると、次男の腕に突然現れたナイフが宙を凪ぎ、次男はリベルテと離れてしまった。
「折角一発で仕留めるつもりだったのに、逃げる事はないじゃないか。」
ナイフを構えなおし、距離をとる次男。
「死ぬから嫌に決まってるじゃん!!」
立ち上がったリベルテの顔に余裕の色はない。
凰火とジェラーニヤがリベルテの傍らへと走ろうとした瞬間、壁際に立っていた者達が行く手を塞ぐ。
「お二人はそこで見ていてくださいな。これは兄と妹の真剣勝負なんですから。」
リベルテもその言葉に同意するように、目で凰火とジェラーニヤに答えると、背負っていた荷物を二人に投げる。
「持っててね。」
決意が固い事を知って、二人は用意された椅子へと座り、観戦する事となった。
リベルテの荷物は手前にいたジェラーニヤが抱えている。
「嫌な予感はしてたのよ。だって、バトー兄さんが一番争いごとは得意なんだもん!!」
「そうそう。だから可能性は最高にして最悪に用意したんじゃないか。リベルテの為に。」
バトーが駆け出す。
プロとは言えないが、決して素人の走り方ではない。まず隙がない。その上、心はとっくに決まっているらしく迷いもない。
リベルテの方も気丈にも構えているが、心には迷いがある事は明白だった。
自分を殺そうとしても、兄達の中で唯一可愛がってくれたのはバトーだけだったのだから。
「せいっ!!」
一刃目のナイフは逃れたが、反対側に握られていたもう一本のナイフがリベルテの頬をかする。
リベルテは大きく後退して頬を拭う。
血が左のこぶしにべっとりとついたが、それを気にする余裕はない。
次男がすぐさま踏み込み、両脇にナイフを隠すようにして走ってくる。これではどのタイミングでどのようにナイフが出てくるのかわからない。
リベルテは深呼吸して身構える。逃げる術がなければ戦うしかないのだ。
ナイフの刃がちらりと見えた瞬間、リベルテは次男の右手首を叩き、同時に彼の左ひじを押し込んで、そのまま脇を抜ける。
ナイフを押し込まれた次男に一瞬の隙ができた。
瞬間、リベルテの鋭い蹴りが、次男の膝を後ろから叩く。
次男は無様に顔面から倒れた。そこへリベルテは馬乗りになると、右腕を首に回し、左腕を次男の左脇から己の右腕の上へと通し力を入れる。
次男が苦しそうにしめ技を解こうとするが、完全に決まった技の前では苦しみが悪化するだけだった。
次男の意識が跡絶える。
「ごめん。」
リベルテは小さく呟いて広い背から降りると、凰火とジェラーニヤを手招きしながら歩き出す。
誰も止めない。いや、一人だけ声を上げた。
「ここで彼を殺さないのはどうしてだ?」
次男は気絶しているだけだった。
部屋の終わりにある小さな扉の前でリベルテは振り返った。
「だって、バトー兄さんはあたしに優しかったもの。」
それから三人は小さな扉の中へと消えていった。
「全く、これじゃ顔に傷が残っちゃうよ。」
小さな扉から十分に進んだところで、ジェラーニヤから荷物を返してもらったリベルテは、その中にある応急セットで頬の手当てをした。
その手つきが慣れていることにジェラーニヤは関心する。
「怪我の手当てを己で出来るのか。」
まぁ、所詮、闇の竜の長い首だの尾っぽだの翼だのは、怪我をして自分でどうにかなるものではないから、関心するのもお門違いな感じではあるのだが。
「だって、この前の冬の旅じゃ、お医者さんが途中で食べられちゃったもん。」
苦笑するリベルテ。
凰火がその頭をなでると、リベルテは硬くなった表情を緩める。
すっかり手当てが終わると、三人はまた歩き始めた。
暫く歩くと、とうとう大きな扉にぶちあたる。その前には長男サリュが立っている。
「リベルテ、ここまで来るとは思っていなかった。」
サリュの言葉にリベルテは首を横に振って笑う。のびやかに。
「だってあたしには二人の心強い仲間がいたもの。」
その言葉に長男が頷く。
「確かに、それだけの強さと知恵があれば、私だった世界を狙ってしまうだろう。お前だからこそ"仲間"なんて言葉で言えるのかもしれないな。」
その言葉はどこか自嘲気味だ。
「サリュ兄さん、最後の問題を出して。あたし、もう負ける気がしないよ。」
「その様だな。では、私から最後の質問をしよう。」
深く目を閉ざし、一呼吸してからまぶたを上げて三人を見る。
「闇の竜に問う。貴方は何故戦を知って降りてきた?」
「光の竜の夢の終わりに、どうして黙っていられるだろう?俺はこれこそ運命をかけるべき使命だと信じて、もはや天に帰る事すらおぼつかない地上にやってきたのだ。」
「ふむ。まぁまぁ、かな。」
長男は凰火に視線を向ける。
「旅する異国の民に問う。貴方は何故闇の竜と共に歩む?」
「俺は自分の信念に恥じないように生きている。旅の途中で出会った出来事であり、己の身に関わりなくとも、俺は悪を断つ為に立ち上がるのだ。」
「勇ましいな。」
そして最後に長男の視線はリベルテに注がれる。
「小さな私達の妹に問う。今の二人の言葉を聞いてもなお彼等と共に行くか?」
リベルテは沈黙した。
わかっていた。ジェラーニヤも凰火も、自分の信念に忠実で、あるべき正義の為に進んでいく事を。自分のように逃げるためではないと。
だが、それでもリベルテは答えなければいけなかった。
自分と、地の底から響く採掘の音にかけて。
「もう迷えない。私は自由を手に入れるの。お母様や仲間がつけてくれた、"自由"というこの名に誓って!!進む先に絶望が待っていても、私は決して地下に縛られない!!」
長い沈黙が続いた後、長男は傍らに置いてあった袋を投げてよこす。
「その中に服と剣が入っている。」
信じられんという顔をする凰火に、長男は笑う。
「商人は肝心な所で裏切ったりはしないものさ。ケチな奴は豪商になれない。」
それから長男は、左側の穴を指差した。
「ここから外に出られる。空気口だから少々狭いかもしれないが、朝日が昇る前には地上に出られる。」
三人は指差された方の窪みへと駆け寄り、確かに上へと続く穴に潜り込む。
後方で長男が叫んだ。
「朝日が昇ったら、闇の竜と二人の人間は殺すようにと手配してあるから、せいぜい頑張ってくれ。」
穴の終わりは、住宅地の一角にある公園の中で、見上げた先にはもうすっかり紫色に染まった空があった。
日の出まで時間がない。
ジェラーニヤが闇の竜へと姿を変えると、凰火とリベルテはその背中に乗り込む。
「速度に気をつけろ。」
凰火はリベルテの後ろに座って、ジェラーニヤに向かって叫んだ。
「わかった。一応、リベルテが飛ばないように捕まえておいてくれ。」
「承知。」
ジェラーニヤの言葉にリベルテはちょっと不満そうな顔をしたが、ジェラーニヤが翼を広げ空に上がった頃にはその言葉の意味を知った。
何もかもが押しつぶされそうな強い空気のぶつかりは、呼吸さえ奪いそうだ。
しかも、日の出前の空気は冷たく、頬の傷によく染みる。
高度をそれほど上げずに街の上をこするように飛ぶ。
と、どこからか大砲が飛んできた。
「避けろっ!ジェラーニヤ!!」
凰火の言葉を聞くまでもなくさっと避ける。
「街とは実に奇妙な場所だ。」
ジェラーニヤが声を上げる。
「昨日までは活気に満ち溢れ、俺を夢見心地に誘ってくれたのに、今や鉄の塊を吐き出して俺を蹴散らそうとするんだからな。」
轟々と文句を垂れながら、ジェラーニヤは大砲を避けて飛び、街から逃れる。
最後までしつこく大砲を放っていた船団も、今やずっと後ろに遠ざかった。
広い水面が薄紫に染まる。
「よく、我慢した。」
速度を緩めるジェラーニヤの背の上で、凰火がリベルテを優しく抱きしめる。
涙でぐしゃぐしゃになった顔でリベルテは答えた。
「あたし、絶対に自由になるんだ。」
どんな場所でも、それは故郷。
薄い紫に煌く島は、彼女の大切な仲間の墓標を秘めて浮かんでいる。
たぶん、明日も明後日も。
最終更新日 2005/05/28
感 想 リベルテは街に残る予定だったのに、結局付いてきました。 思い立ったが吉日状態で書いていたせいです。 彼女の出現は、今後色々な問題を提起していきます。 ちっ……。
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