ある世界の物語

 

柑橘類を浮かべた特別な浴槽に降り注ぐ淡い光は、不思議な影を作る天窓から降りている。
浴槽は広々として、たっぷりと湯が張られている。
浴室の片隅で、端正な顔立ちの男奴隷達が、己の仕事に忠実であろうと立っている。
極彩色の不思議な鳥が、人間の声真似をして美しく流行りの歌を歌っている。


バトー・ネゴシアシオンの実家、豪商ネゴシアシオンの屋敷の奥にある、
特別な来客と家族の為にある浴場から出てきた凰火とジェラーニヤは、良い匂いを体中からさせていた。
「疲れた。人間って変だな!」
そう文句を吐いたのは勿論、闇の竜ジェラーニヤだ。
実は屋敷に到着した直後、浴室を借りることにした二人なのだが、
その借りた浴室というのが、どこぞの王侯貴族御用達かと疑いたくなるものだったのである。
まず、ジェラーニヤが絶叫を上げたことには、無駄に薫り立つ柑橘類の匂いだった。どうやら、人間よりも鼻が良いらしい。
次の絶叫は、男奴隷達が体中を洗ってくれたことだ。これには流石の凰火も怒鳴り声を上げていた。
まぁ、なんとか美しき男奴隷さん達のお仕事が終わって、やっと一息つこうとした途端、
大音量で極彩色の鳥達が歌い始めたわけで…。
二人にとっては最悪の風呂だったわけである。
「安心しろ。こんな事をする痴れ者はそうそうおらん。」
眉間にしわよせて答える凰火。
「ところで、俺の服がないんだが…。」
ジェラーニヤが脱衣所で困惑する。
と、背後から先ほどの男奴隷の一人が顔を覗かせて答える。
「お二方のお召し物は、洗濯女が洗っておりますので、そちらに用意しましたものをお召し下さい。」
キラキラと輝く微笑に圧倒されることなく、ジェラーニヤがほえる。
「俺の陰を洗濯!?やめろぉ!!どこの誰だ!!誰の差し金だ!!」
そうなのだ、ジェラーニヤの衣服は、ジェラーニヤの陰から生まれたものである。
どういう作用で陰が衣服や剣になるのかはわからないが、ジェラーニヤ曰く
“俺の影は闇と繋がっている。その闇は天の故郷にさえ通じ、あるいは俺の内側に封じられた総ての現象にさえ通じる。”
と、いう事らしい。
まぁ、ぶっちゃけ、“なんでも出てくる不思議な陰”ということらしい。
「落ち着け。怯えている。」
ジェラーニヤの怒声に引き気味の男奴隷を見やりながら、軽くいさめる。
「これが落ち着けるものか!!俺の影が人間に触れられると思うだけで腹が立つ!!」
ジェラーニヤは長い犬歯をギチギチとこする。
「人間に触れられると、何か危険な事でも?」
「いや、それは全くない。あの状態では、もはやただの服と相違ないからな。」
凰火の問いに、きっぱりと答えるジェラーニヤ。
どうやら、感覚の問題らしい。
すっかり呆れ果てた凰火は、その場に用意されていた衣服を着ることにした。
が、着ようと隙を見せた瞬間、どこからか現れた男奴隷の集団に、またも着せられてしまう。
「これぐらいできる!!」
今日何度目かの叫びを無視されながら、凰火は疲れを隠せないでいた。


「お二人ともすっかり汚れも落ちたみたいですね。どうでしたか?我が家の風呂は。」
にっこりと笑うバトー。どうやらこちらも風呂に入ったらしく、湿った髪からほんのりと柑橘系の香りがする。
『最悪だ!』
二人が声をハモらせる。
「それはまぁ、お察ししますが…。ようは慣れが肝心です。諦めてください。」
爽やかに答えるバトー。二人はもう突っ込む気もしなかった。
「ところで、昼食を摂りませんか?私もまだだったんですよ。」
「いや、街で食べる。少々欲しいものがあるからな。」
凰火が答える。海賊との戦闘もあってか、すっかり使い物にならなくなった旅の荷を買い揃えなければいけなかったのだ。
「必要なものがあるならば私共の方で用意しますよ?我がネゴシアシオン家で揃えられない物などこの世にはほとんどありませんから。」
意味深な口調で二人を見つめるバトー。
「だが、旅の荷は他人に揃えられると使い勝手が悪いのでな。折角の申し入れだが断らせてもらう。」
「そうですか、残念ですね。でも、お金なら受け取っていただけますよね?」
バトーがにこりと笑って懐から手形を取り出し、サラサラと何かを書く。
「これを、番頭にお渡し下さい。手形に書かれた額だけ共通貨幣を出します。」
凰火の手を握り、その手に手形をねじ込むように渡す。
「おい、そこの奴隷、お二人を番頭の部屋にお連れしろ。」
バトーが打って変わって強い態度で叫ぶと、近くを歩いていた奴隷が、慌てて二人の前にやってきた。
「では、私は用事がありますので、これにて。」
丁寧に礼をすると、バトーは長い廊下の先に消えていった。
それから二人は仕方なく、別の仕事を抱えながらも道案内を言いつけられてしまった不幸な奴隷について番頭の部屋まで行く。
そこは、丁度手形の整理をしている場所らしく、パチパチと五球算盤を操る音と紙をいじるガサガサという音が聞こえてくる。
二人は奴隷と別れて部屋の中に入り、番頭らしい人物に手形を換金してもらうと、急ぎ足に部屋を出た。
部屋の中は決算期らしく、壮絶な顔をした男女が算盤と手形の束とを交互に目視しながら、
口では“あの商談の手形はどこだ!”“お得意さんの売掛金帳簿はどこですか!”
“この車両運搬具って…。誰か備品表持ってない!?ありえない額を見つけちゃったわ!!”
“ヤッテ(約束手形)くださーい!”などなど、業界用語をたっぷりと怒鳴っている。
修羅場という言葉がとても似合う状況に陥っているわけだ。
二人が逃げ出したくなる気持ちもわからないでもないだろう。


日が暮れかけた街からネゴシアシオンの屋敷へと戻ってきた二人は、客室へと案内された。
客室についた凰火とジェラーニヤは、買ってきた荷物を部屋の隅に置くと、そのままベッドの上に座った。
どちらも多少疲れた顔だが、そこにはなんとも形容しがたい興奮がある。
というのも、ポワッソンの街は島国という閉鎖的な環境であるにも関わらず活気に満ちていて、
各店では世界中の名産物を積み上げて、声高々にどれほどの一品かを歌っていた。
広場では奴隷の子供たちが、まだ見ぬ異国に胸を膨らませながら言葉や礼儀を教わっていたし、
港には様々な国籍の船が並び、街には様々な文化圏の服装をした人々が行きかっていた。
静かさも統一感もなかったが、それがかえってジェラーニヤには特別な事だったので、田舎者といわんばかりの態度で歩いていた。
凰火自身も、荷物の買出しが終わってからは、童心に返るような気持ちで街を歩いた。
誰もが初めて来る街に大きな期待を持って目を輝かせるように、彼等もまた旅人としての楽しみを全うしたわけである。
「お食事の用意ができました。」
どこか機械的な声が扉を叩く。
二人は顔を見合わせる。また、仰々しいものになるのではないのか…と。だが、そんな心配もしていられない事が起きた。
「ねぇ、真っ黒な竜がいる部屋ってここ?」
少女の声がした。
「は、はぁ、そうですが…。」
先ほどの声が答えると、少女の声が扉を蹴って入ってきた。
「あたしこの家の末っ子でリベルテて言うの!貴方が真っ黒な竜さん?」
と言って、ベッドに腰掛けていた凰火の前に立つリベルテ。扉の向こうでは、先ほどの機械的な声の持ち主らしい奴隷の女が、顔を真っ青にしている。
「否、俺は刀龍 凰火。闇の竜はそこに座っているジェラーニヤの方だ。」
「そうなの?本当にごめんなさい!」
リベルテは顔を真っ赤にして謝ると、すぐにジェラーニヤの目の前にやってきた。
「はじめまして闇の竜さん。あたしリベルテ・ネゴシアシオン。単刀直入に聞くけど、貴方ってこの湖から外まで飛べる?」
リベルテは愛嬌のある顔を表情豊かに歪めて聞く。
「あぁ、飛べるがそれがどうかしたか?幼い人間の娘よ。」
ジェラーニヤの方は、このせわしない少女の瞳が、何か酷く訴えてくるものを持っていることに気付いて、興味津々といった按配だ。
「ううん。ちょっと聞きたかっただけだよ。ねぇ、色んな話がしたいんだけど、食事の後に遊びに来て良いかな?」
その言葉にジェラーニヤが凰火を見る。
凰火は、肩を軽く上下させただけで、やめておけとはおくびにも出さなかった。
リベルテの方に向き直ると、ジェラーニヤは一度だけ頷く。
「構わない。」
すると、リベルテはすっかり喜んでジェラーニヤに抱きついて頬に可愛いキスをした。それからジェラーニヤを離れて凰火の頬にもキスをして、
「絶対に約束ね!」
と大声で言って廊下に消え去った。
「お嬢様の行い、どうぞおゆるし下さい!」
真っ青な顔の女が、その場で土下座した。


「いやはや、先ほどは娘が酷い粗相をしたとかで、本当に申し訳ない。」
ネゴシアシオン当主がそう言って笑う。
ジェラーニヤと凰火はネゴシアシオン家の夕食に招かれていた。
「改めて紹介させて頂きます。ワタクシ、ネゴシアシオン家の家長をつとめるアフェールと申します。」
ジェラーニヤと凰火は、よろしく、とだけ答えて軽く礼をする。
「私の右から、長男のサリュ。主に大口との契約で一番に顔を出してます。」
「はじめまして。我が家にようこそ。」
父から紹介された青年は、にこりと笑って丁寧に礼をする。実に優雅だ。
「サリュの右隣が次男のバトー。主に海岸線の各町とを往復する商船を任せています。」
「今日は命を助けていただいてありがとうございます。」
こちらも、長男に負けないほど丁寧に礼をする。
「バトーの右隣が三男のマガザン。我が家の番頭頭を務めています。」
「確か、昼間会いましたよね。あの時は見苦しい場所を見せてしまってすみません。」
長男次男は青年と大人の間といった感じだったが、この三男は青年という言葉がぴったり来る、若々しさがある。
「マガザンの右隣が四男のオール。主に港の荷下ろしと、その荷の点検の総責任者です。」
「こんばんは。何か足りないものがあるなら言ってください。俺にかかれば半日もかからずに集められますよ。」
一寸自信過剰気味に言う。まだ幼さの抜けない青年に、他の兄弟がたしなむような目をした。
「そしてマガザンの右隣、お二方のすぐ傍に座っているのが末娘のリベルテです。先月、半年振りに家に帰ってきたばかりです。」
「さっきはごめんなさい。まだ砂漠の熱気が取れないみたいなんだよね。」
と、にこやかに笑う少女。ジェラーニヤと凰火は頬を引きつらせる。
「ご紹介ありがとうございます。俺は闇の竜ジェラーニヤ。恐ろしい戦が起こると星達が予言したので、こうして地上を旅しています。」
その言葉に、当主の顔が一瞬だけ変わった。ジェラーニヤも凰火もそれにはさっぱり気付かなかったが、確かに当主の顔が一瞬変わったのだ。
商人の顔へと。
「俺は、刀龍 凰火。故あってジェラーニヤと共に旅をしているが、長い旅の途中にある者だ。」
「どうして闇の竜さんと一緒に旅をしてるの?」
凰火の言葉に、リベルテが問う。
「一度腹を括ったことをそう簡単には破らないという事だ。」
答えになってるのかちょっと怪しいが、一応答える凰火。
「そ、そうなんだ。ふーん。」
リベルテの方は、どうにもとっつきにくい凰火に引き気味である。
「さぁ、夕食をとらないと。折角の料理が冷めてしまう。」
当主が人の良い顔で笑っている。


「ジェラーニヤ、約束通り遊びに来たよ。部屋に入れてくんないかな?」
扉を開けると、旅支度をしたリベルテが立っていた。
「約束だから仕方ないが…。なんの真似だい?」
ジェラーニヤは、今にもまた行商に飛び出て行こうといわんばかりの姿をしたリベルテに問いながら、扉をそっと閉める。
「単刀直入に言うわ。お願い。あたしを貴方達の旅に連れてって!今すぐ!!」
ジェラーニヤのベッドに座ったリベルテの言葉に、二人が顔を見合す。
「何の冗談だ?」
凰火が冷たく問う。
「冗談じゃないわ。本気だもん。」
「本気なのは良いが…、どうして俺達の旅に連れてってなんて言うんだい?」
ジェラーニヤがリベルテの視線と交わるように、その目の前に片膝をつく。
「だってこのままここに居たら死んじゃうから。この一ヶ月、何度死に掛けたかわからないし、国から出ようとしても船に乗ることもできないんだから!」
真剣な表情のリベルテに押されるように、ジェラーニヤは困惑する。
「理由を説明しろ。」
言葉に詰まったジェラーニヤに、凰火が助け舟を出す。
「この家には特別なしきたりがあるの。」
リベルテの言うにはこうだ。ネゴシアシオンの家では、末の子供が16の誕生日を迎える日、家長が子供たちの中から家督を継ぐ者を選ぶのである。
選ばれた者は家長として一族全員の頂点に立つが、選ばれなかった兄弟は結婚は許されても子供を作る事を許されない。
また、家長の意に背く行いをしてもいけない。家長の手足として働かなければいけないのだ。
となれば、父親(時には母親)に気に入られる事は必須だが、何より大切な事は競争率を減らす為に兄弟を暗殺する事だ。
が、普通は共倒れを恐れて、決してそんな事はしない。しかし、今回は違った。
「お父様が遺言なんて書くから悪いんだ。」
心臓に病を持っている現当主が、リベルテの16歳の誕生日を待たずに跡継ぎを決めてしまったのだ。
まぁ、決めただけならば良かったが、思わぬ出来事から父とその弁護士以外に知られてしまう事になったわけだ。
遺言の家督相続者名がリベルテである事を。
実はリベルテ、兄達とは母親が違う。その為、兄達とはそれほど仲が良くなかったのだが、今回の家督騒ぎで、とうとう兄達から命を狙われてしまったのだ。
「最悪だな。」
同情というよりも、そこまで腐った内情に対して凰火が言葉を吐く。
「だが、事実ならば危険だ。父親に進言してはどうだ?それが駄目ならば他に頼りになるものに。」
ジェラーニヤの言葉にリベルテが首を振る。
「お父様は、兄さん達を束ねる事ができないならば死んでも仕方ないだろうって覚悟を決めてるんだ。お母様は泣いてくれたけど、糞の約にも立たないんだから。
 他の親戚はもっと頼れないよ。兄さん達が親戚や港や役所、色んな所に手を回して、あたしが逃げないようにしているんだもん。
もうお手上げ!しかも、あたしの誕生日は明日なのよ!!一生逃げられなくなっちゃう!!」
手を上げてため息を吐く。16歳間近にしては背の低いリベルテは、ジェラーニヤの顔を覗き込んだ。
「ねぇ、闇の竜さん。あたしを今すぐ連れ去ってくれないかな?旅ぐらいどうにかうまくやれるよ。何度も長い行商をしてきたんだもん。」
リベルテは強い意志を込めた瞳で二人を見つめた。






遠く離れたプシニーツァ国の王宮では、大論争が巻き起こっていた。
王との謁見が済んだ後、その後の予定を総て曲げて、国王陛下とその賢明なる臣下達は会議を開いている。
というのも、ディスールが"戦をすべきだ"と暗に唱えた事に端を発している。
前にも書いたが、プシニーツァ国は世界でも3つの指に入る程の大国である。総合的評価を見ると、実際ほんの少しだが三国一の力を持っている。
となれば、機会があれば隣国を攻めて世界一になりたいという夢を抱きもするわけだ。
が、国政とは非凡な人々にはわからない所で、いつも小難しく働いている。
たった一度の戦をするにあたっても、軍隊を動かすことから国民を納得させて戦時特別税を徴収したりとやる事は様々だし、
勝っても負けても周囲の国々や同盟国との関係はぎくしゃくしてしまうから、それについても色々と考慮すべき点があるのだ。
だからこそ、“占い師”のお告げによって決心をつけた国王陛下は、それら小難しい問題を臣下達と話し合う必要があったわけである。


「人間っておかしなものね。ちょっと自分の思ってることに賛同する者が現れると、すぐにその言葉を信じちゃうんだから。」
ここはプシニーツァ国の後宮にあるミェースチの部屋である。
お気に入りの天幕つきベッドでくつろぐディスールの言葉に、ミェースチが笑う。
「だからこそ危険なのさ。誰かが賛同すれば、他の者も賛同していく…。やがては誰も止められない事態になる。」
「それがミューの人間嫌いな理由?」
ベッドの上から問う。
「心を覗いたか?」
ミェースチの笑みが静かに消えていく。
「いいえ。これは純粋な質問。心を覗くのは力を使うし、普通は護られる事のない名前を冠した者にしかできないわ。貴方は名前を沢山隠してるから無理。」
「あはは。」
冷たい瞳で笑うミェースチ。彼女も、底知れない秘密を隠しているらしく、どこまでも掴めない所がある。
「でも、できないわけじゃないから。」
そう言ってディスールが長い枕に抱きついてじゃれる。
長い沈黙と、布がこすれる音が部屋を満たす。
突然、ディスールが口を開いた。
「ねぇ、エルフはどうやって死んだの?」
ディスールの言葉にミェースチが頬を引きつらせ、体を強張らせる。
「心を読んだのか!?」
ミェースチが怒鳴ると、ディスールはベッドの上に座りなおす。
「あのね、私はエルフも沢山食べたし殺したの。だから心を読まなくてもわかるの。そこにある血の匂いぐらいね。」
ディスールの言葉にミェースチが笑った。狂ったように笑った。
「なんだ、そんな理由か。はははっ!!」
「どうして滅んだの?」
丸耳のミェースチが答える。
「千年前か、それぐらいに人間達は竜の居なくなった事に気付いて、今度は自分達が世界を支配してやろうと思った。そこで邪魔だった知性ある種族を皆殺しにしていったというわけさ。」
ミェースチが手を広げ、大げさに話す。
「でも、力も魔力も知力も寿命だって、エルフやノームの方が遥かに人間を上回っていたわ。」
疑問をぶつけるディスール。
「だが、残念な事に人間達は“狡賢さ”を持っていたのさ。どうやって滅んだかは私の口から言わせないでくれ。あまりにもくだらないし、下種な話だから。」
ミェースチの瞳は暗く笑っている。呆れさえも映して。
「それで、どうしてエルフが人と交わったの?」
まだわからないのか?と、軽蔑した目で答えるミェースチ。
「エルフはとても美しかったから…というのでは理由にならないか?」
沈黙が襲う。だが、それは表面上の問題で、二人の心ははっきりと空気の色を変えている。
ミェースチは怒りと絶望に身を燃やし、ディスールは悲しみと落胆に背筋を凍らす。
「…いいえ。」
ディスールが搾り出すような声で答える。
すると、ミェースチがディスールの前へとやってきて、その手でディスールの手を強く強く握りしめる。
「なぁ、誰のせいでこの世界がこんなになってしまったか教えてくれ。世界を営む竜達のせいか?それとも愚かな人間達のせいなのか?あるいはこれらの愚行を許したエルフやドワーフなど他の種族のせいなのか?」
ディスールの手にミェースチの爪が食い込む。
「こんなに醜く捩れてしまった世界に繋ぎ止められたこの体は、もはや穢れと怒りに染まるだけなのか?」
ディスールが顔を真っ青にして、視線を逸らせないでいるのをいい事にミェースチは続けた。
「何故、この悲しみは癒えないのだ?神と呼ばれる偶像達にも願いは届かないのだ!!それは何故だ?誰も救ってくれない身ならば、もはやいらないと思わないか?過ちを生む心なんて!!」
ミェースチが息を荒立てて涙を流している。
ふっと手から力が抜けて、ディスールは血の滲んだ己の手を見た。
「生きているのだ。」
ディスールは己の手を見つめながらただ呟く。
泣き止まぬミェースチを置き去りに、古き神話の時代の戦を思い出していた。
何もかもが生きているからこそ手に入る、痛み、恐怖、悲しみ、そして…空腹。
ミェースチを救う気なぞ、今の彼女には浮かばない。
彼女の心を占めていたのは、絶え間ない空腹なのだから。



最終更新日 2005/05/28
感    想 エグさが前面に出てきました。
        私の物語特有のエグさが顕著に出てきた頃のお話。
        なんでこんなにエグいものを書いてるのか気が滅入ります。