ある世界の物語

 

夜のしじまを越え、薄紫のヴェールを越え、朝日がやってくる。
太陽の打ち上げ音は誰にも聞こえないはずなのに、
他愛も無い小鳥達が光の剣を携えた焔を謳う。
いつか永遠に闇を切り裂いてくれる事を願うように、己の影に怯えて。


日差しが地と空の合間をぼんやりと昇る前に、凰火は起こされる羽目になった。
「どかんかっ!!」
実は寝ている間にジェラーニヤの尻尾の下に敷かれてしまったのだ。
これはいけない。
何せジェラーニヤは四階建ての中規模ビルに尻尾と翼が生えたような大きさの竜である。
そんな巨体の尻尾に乗っかられては、寝袋のおかげで蓑虫状態の凰火に逃げる術はない。
しかし、ジェラーニヤは起きない。
何せ、昨日は結局貫徹だったのである。
彼は昨日というか一昨日の晩というかまでは、空で夜の星の運行をしていた。
夜勤明け、旅に出て、全速力で空を突っ走る…そんな無茶をすれば、いくら闇の竜だって起きられるものではない。
「起きろ!!いい加減にしろぉ!!」
その時だ、凰火の叫びを聞いたかのように大河が盛り上がり、ジェラーニヤにたっぷりと水をぶっかけた。
「うわっ!?な、なななな、何なん、なんんん!!!?」
冷たい水によってたたき起こされた為か、単なる寝ぼけか、舌がからまわっている。
ちなみに、凰火というと寝袋ごとちょっと遠くへ流されてしまった。
「闇の竜ちゃん、あたしのラブうぇ〜ぃぶ★はどうだったかしらん?」
と、星まで飛ばして喋っているのは、もちろん、大河から現れた巨体である。
―――水の竜だ。―――
ジェラーニヤはハッとした顔で目の前の水の竜を見上げる。
大河に隠れて全体はわからないが、どう見積もってもジェラーニヤの二倍はある。
「あはん、おはよん★あたしはぁ、水の竜ヴァルナーよん♪」
そう言って、“野太い声”の水の竜はウインクした。
…つまり、この水の竜…こんな喋り方をしてはいるが…立派な男なのである…。
いや、女性にだって低い声の人や、ハスキーボイスの人はいるが、そんな可愛らしいものではないのだ。
酒場でがなってるおっさんというか、職人気質の大工の棟梁というか、つまり、あれだ。
筋肉質の肉体派オヤジの典型的だみ声なのである!!
「は、はぁ、お、おはようございます。俺は闇の竜のジェラーニヤです。」
と、言葉に詰まりながら答えるジェラーニヤ。
寝起きに、どでかい水の竜に、水なんて珍しいものをぶっかけられ、
かけた相手は相手でどうみたって性別が逆転している性格だったりしようものなら、
どんなに社交辞令の上手い男だって言葉の一つや二つ詰まってもいいだろう。
「ジェラーニヤちゃんね。ジェラちゃんって呼んでいいかしらん?」
「ど、どうぞ。」
ヴァルナーの微笑みに、顔を引きつらせて頷くジェラーニヤ。
実はジェラちゃん、オカマに出会ったのが初めてなのである。
そもそも闇の竜に性別は存在しない。だから、オカマに会えるはずもない。
また、闇の竜は静かに暮らす事を好む一族でもある。
こんな風に会話中に「★」や「♪」を飛ばして自己アピールする輩なんていないのだ。
だから、ジェラーニヤは固まるしかなかった。
その傍らで、何かが叫んだ。
「先程の水はお前の仕業か!?」
水も滴るいい男、凰火がヴァルナーを指差す。
「そうだけどん、それがどうかしたかしら?色男さん♪」
と、ヴァルナーが凰火にウインクをしたものだから、凰火はずぶぬれの体に底知れぬ寒さを感じて震えてしまう。
ジェラーニヤは、この気の毒な人間を見下ろして、言葉には出さずに同情した。
「この巨体を起こしてくれた事はありがたいが、もう少しどうにかならんかったのか?」
いささか引き気味で凰火が文句をつける。
「えぇ?だって、こんなに“遠い所”の水をこれだけ操るとなると、
細かなところがぞんざいになっちゃうのはぁ、とっても仕方ないことよん★
素敵なお方、許してくれないか・し・ら・ん?」
ヴァルナーが首をくねくねと左右に振りながら問う。
凰火の肌には、冷たい朝の風に吹かれて凍えているのか、無数のサブいぼがある。
もしかしたら風邪をひいてしまったのかもしれない。実に顔色が悪い。
もちろん、水をかぶったから当たり前の事だ。…と、いう事にしておこう。
むしろ、見なかった方向でいきたいものだ。
「もう質問も無いようだからお話を先に進めるわねん★」
硬直気味の凰火と、引きつった笑みを浮かべるジェラーニヤの事をこれっぽっちも気にせずに言葉を続けるヴァルナー。
「実は、あたしがこんな所まで来たのは、ちょっと用事があったからなのん。」
―――またこのパターンか…。―――
二人は心の中で呟きながら、直視しにくいヴァルナーの言葉を待つ。
「あたし達ぃ、水の竜の棲家までいらしてくれないかしらん?」
「実は似たような言伝を受けまして、今から太陽の生まれる地までいくつもりなんです。」
ジェラーニヤが困ったように顔を上げる。
「あら、そうなのん?でもいいわ。あたしはゆっくり待ってあげる。っていうか、貴方達じゃ今日も明日も明後日も、暫くはこれないものね。」
ヴァルナーがくすりと笑う。
「どういうことだ?」
凰火が小声でジェラーニヤに問う。
「水の竜の棲家は、もちろん水の中にあるのだが、それは特別な水の中にあるんだ。そう…」
「虹を映した水溜りの中よん★」
ジェラーニヤの言葉を遮りヴァルナーが話す。
「んでもぉ、虹を映した水溜りは、雷雨の後のほんの一時にできる虹の輪を映さなきゃいけないから、人間の目じゃ決して見えないわよん★」
胸を張って言うヴァルナー。
補足しておくならば、別に雷雨の後でなくてもよいのだが、雷雨の後の特別な虹でもない限り、
滅多な事では水の竜の棲家へと繋がる扉にはならないのである。
「それではお手上げではないか。」
「大丈夫♪その辺はこっちでどうにかするからん♪」
凰火の呟きにまたしても答える水の竜。どうやら、かなりの地獄耳らしい。
「それじゃぁ、朝ごはんの時間だからあたしは失礼するわね。
またお会いしましょん♪可愛い男の子達ん★」
現れた時動揺、巨大な水しぶきを上げて消え去る水の竜。
後には、呆然としたずぶ濡れの男達が突っ立っているだけである。






「お腹減ったよー。お腹減った!!」
後宮の奥まった場所にあるミェースチの部屋に、甲高い声が響く。
「頼むから、後で台所の裏までつれてってやるから、暴れないで服を着ろ。」
ミェースチが疲れきった顔で、紗を縫って作った靴をお怒りの女神の御足にはめる。
「だって、あたしはずっと長い間なぁ〜〜〜〜〜〜んにも!食べてなかったのよ!!」
ミェースチに靴を履かされながら怒るのは、もちろん光の竜ディスールである。
「わかってるから、頼むから静かにしてくれ。威厳というものが…。」
泣く泣くディスールに服を着せ終わったミェースチは、ディスールの長い金髪を良く梳かし、
絡まってしまうのではないかというぐらい編みこんだり巻き込んだりして、実にミステリアスで知的な髪型にする。
「よし、これで良いぞ。さ、台所の裏に行こう。手配は整っている。」
まだ宵と言って良いほど暗い中、後宮が目覚めないよう注意しながらディスール達は部屋を出る。
それから二人そろって静かに台所の裏へと回る。
そこには、今朝の食事である仔豚達が殺される事を知ってか知らずか、目新しい気配に興奮して声を上げている。
「やぁ、コック長殿、おはよう。」
「ミューかい。あんまりにも遅いから、もう一匹卸してしまったよ。」
ミェースチが手を振った先に、いかにも亭主を尻に敷いてそうな、実に強力な壮年の女性が立っている。
「はは、すまない。女神が起きなかったものでな。」
そう言って後ろに立っているディスールを指差すミェースチ。
「あぁ、なんて事だろう!あんたも綺麗だと思ったけど、このお嬢さんの美しさときたら!女神という言葉が良く似合う!!」
コック長の女性は手を叩いてディスールの美しさを讃えた。
だが、ディスールにとって、人間の美への感嘆や賞賛はどうでもいい事柄だったので、首を縦に振っただけだった。
感動を伝え終えたコック長がミェースチに視線を移す。
「それでミュー、このお嬢さんに祈ってもらうと子豚がおとなしくなるって本当かい?」
そうなのだ、ミェースチは昔からお世話になっているコック長に大胆な嘘をついたわけだ。
光の竜は命の光を食べるのだが、食べられたものは生きる気力を無くし実におとなしくなると、
ディスール本人から確認したため、
“殺す家畜がいるならば声を掛けて欲しい。ディスールの祈りで静かになる。”とコック長に教えたのだ。
勿論、コック長は最初は半信半疑だったが、何分相手は“後宮一のひねくれ者”マキヤージュを泣かした占い師である。
殺すときに家畜が暴れて怪我をする者もいるため、事実ならば手を貸してもらいたいという気持ちはあったわけだ。
「ディスール、仔豚達の死を祈ってやってくれ。安らかに死ねるように。」
ミェースチが振り返ると、ディスールがにこりと笑う。
いや、本当は手を上げて喜びの声を上げたかったのだが、ミェースチに止められているので、微笑むだけにとどまっている。
ディスールが二人の前に出て、子豚達の前に立つ。
「我は光。陽光よりも勇ましき光。命の巡りを守る者。我が糧となり、静かな眠りを。」
ディスールが両手を突き出し目を瞑ると、さわやかな風が吹く。
次の瞬間、ざわめいていた仔豚達が静かになった。
ある豚は座り、ある豚は空を見上げ、ある豚はため息のようなものをつく。
皆、一様に落ち着いたのだ。
「すごい!一体今のはなんだい!?」
コック長が驚いてミェースチの顔を見るが、ミェースチも知らなかった事らしく驚きに口を開いている。
「おや、ミューも知らないのかい?」
コック長が飽きれた顔をして、ディスールに視線を移す。
「お嬢ちゃん、今のは一体何をしたんだい?」
「彼等の心をあたしを媒介して光に戻したの。」
と、もっともらしく言う。
実はこれ、昨晩ミェースチと考えた事柄だったりする。
まぁ、普通の人に"命の光を食べました"なんて言えるはずもないのだが、
出来上がったこの言葉を聞いて、ミェースチはますます確信してしまったのだ。
「本当に占い師なんだね。」
そう、実に占い師らしいと。
人間の世界での占い師が、その人の未来や進むべき道を占うものから、
近年では、霊や魂を導くものとして発展しているなぞ、ディスールにはわからなかったのだが、
とにかく、ディスールのやっていることや言っていることは、紛れも無くこの世界の占い師らしい事柄なのだ。
「今度からちょくちょく頼んでも良いかい?牛をばらす時には本当に苦労するんだ。」
「えぇ、皆の役に立てるなら光栄です。」
にこりと笑うディスール。
勿論、これも昨晩考えたきめ文句の一つである。
そこそこにお腹も満足したディスールと、コック長との信頼関係が厚くなってほくほく顔のミェースチが、
後宮の奥にある部屋へと戻ったのは、まだ空が薄紫の頃合だった。
どこかで極楽鳥が鳴いている。



最終更新日 2005/05/28
感    想 この物語、回を増すごとにイロモノ度数が上がるなあ。
        あと、えげつなさも上がると思う。
        シリアスな英雄譚にする予定だったのに……。