ある世界の物語

 

生まれたての子供の瞳より純粋な大理石が、
その繊細なる見栄えを濁さぬようにと磨き上げられた廊下。
アーチを描く天井には、多くの画家の瞳から光を奪う美しき絵画。
そこに響くのは絶え間なく紡がれる吟遊詩人達の尊きさえずり。


ここはプシニーツァ国の王宮、正確に言えばその後宮へと続く回廊だ。
プシニーツァ国は、この世界で三つの指に入る大国である。
軍事と政治に関してはかなり整っているが、まぁ他の国とどっこいどっこいである。
しかし、食料自給率に関しては三国一…否、世界一と言ってもいい。
それと共に他の生産分野も逞しく発展している。
というのも、広大な領地とそこに莫大な資源が埋蔵されている為だ。
「落ち着いたか?ディスール。」
脂汗をかきながらミェースチが問うと、ディスールは無言で頷く。
玄関でディスールが叫んだ後、ミェースチは顔を真っ青にして後宮に続く長い回廊に飛び込み、
何事かと出てきた“王の女”に仕える侍女達にそれとなく微笑み返して、歩いているわけだが、
内心ではもはやパニック状態である。
自分の部屋まではまだ距離があるというのに、ここまでの道を振り返れば取り返しのつかない失態ばかりだ。
ミェースチの予定では、ディスールの顔は王の前に至るまでは隠し通すつもりだった。
その方がより効果的に王の心を揺さぶる事ができるのを知っていたからだ。
また、この長い回廊の奥にある己の部屋へと向かうまでは、“物静かでいかにも占い師らしい”ディスールを従えて、
決して他の美しき女達に気後れせぬよう胸を張って帰らなければなかったのだが、
今の状況と言えば、傍らのディスールの気を落ち着かせようと必死な自分がいる。
とにかく、余裕の無い顔をすればそれだけで足元をすくわれかねないのが後宮なのだ。 にも関わらず、今の二人は余裕の無い顔どころではない。
「落ち着いたならばせめてヴェールを被ってくれ。でないと…。」
「あら、奇遇ですわね?ミェースチ様。」
ミェースチが言い終える前に、悪夢が声を掛けてきた。
後宮の他の女の中でも、特にミェースチと仲の悪いマキヤージュだ。
「ご機嫌麗しゅうございます。マキヤージュ様。」
優雅な物腰で、先ほどの困り顔もどこへやら。魅力的な微笑みを浮かべて挨拶するミェースチ。
それに答えるように挨拶を返すマキヤージュ。
どちらも美女であり、美しい笑みを浮かべているのだが、そこに漂う空気は決して春の日差しのように暖かくも優しくも無い。
「そこに居られる方が占い師ディスール様ですの?」
「えぇ。お美しい方でしょう?」
「そうね。」
マキヤージュがふんっと鼻で笑う。
彼女の中では自分が一番だから仕方が無い。
たぶん、彼女は世界中が認める美女が目の前にいても決して認めないだろう。
「ねぇ、ディスール様、あたくしの事も占っていただけません?」
その言葉にミェースチが反論しようとしたが、マキヤージュが鋭い瞳で反論の余地を与えない。
本物でもない占い師を後宮にいれてたまるか!しかも、こんなに若くて美しい娘を!
それはマキヤージュだけでなく後宮に住まう王の女全員の思いだった。
だから、ミェースチも言い返す事ができなかった。いくつもの扉から視線を感じる。
暫く沈黙が続き、いい加減待ちきれなくなったマキヤージュがディスールに触れようとした瞬間だった。
ディスールが顔を上げ、透き通る、されど力強い声で語る。
「お前は内面の醜さに気付かない。何故なら着飾られるだけの人形だから。
 お前は真実の愛に気付かない。何故なら親から愛される事を教わらなかったから。
 お前は永遠の価値に気付かない。何故ならその瞳に映るのは崩れゆく己自身だから。
 身をただし、心を入れ替えよ。それこそお前が望む安息の眠りのありかだ。」
その言葉に、扉の中からの視線さえも黙ってしまった。
後宮に住まう多くの女性は、若くして、いや、幼くしてといっていいほどの若さで家族と引き離された身だ。
貧しい家族は彼女達を売り、裕福な家は名誉と権力の為に彼女達を謙譲した。
だから、誰もが沈黙してしまった。
美しいだけが取り得で、それ以外を必要とされなかった心が泣いている。
ディスールがマキヤージュの両頬をそっと撫で、そよ風よりも優しく言葉を紡ぐ。
「目を瞑り深く魂へと帰れ。お前の心の闇から、あの愛しい末弟の涙よりも純粋な涙を流せ。
それがお前にとって家族を思う護りとさえなるだろう。」
ディスールが手を離し、硬直するマキヤージュから離れミェースチの腕に絡みつく。
「行こう。ちょっと疲れた。」
ミェースチはハッとして小走りに部屋へと歩き出す。
背後で、マキヤージュがその場に崩れ声を立てて泣いたのを確認せずに。


「さっきのは何だ?占いなんてできないんじゃなかったのか?」
部屋についたミェースチは、部屋にいた侍女達を全員追っ払うと、疲れた顔のディスールに問う。
「ん、あぁ、うん。魂を覗いたの。」
気だるげに答えるディスール。
ミェースチはまたも驚きに耳を疑う。
“魂を覗いたの”
人間には考えられない、それどころか魂の存在さえ人間はいつだって迷っているのに、この光の竜は“魂”を覗いたのだ。
「食べないように自分に言い聞かせるのが大変だったんだから。それでなくてもお腹ぺこぺこなのに。」
ミェースチは、その言葉と一緒にディスールを抱きしめる。
「よくやった!!本当によくやった!!」
ミェースチが興奮してきつく抱きしめるので、ディスールは何がなんだかわからない。
「何がそんなに嬉しいの?」
「ディスールがやった事は、十分"占い"として言い切れる。
それに、いやな奴とはいえマキヤージュを手を出さなかったことは偉い!!本当にお前は最高の女だ!!」
「ねぇ、そんなに誉めてくれるなら食事を取りたいわ。」
「あ、あぁ。わかった。っていっても…やっぱりその、残った体の処理とか考えんといかんし…。」
またも頭を抱えるミェースチ。
困ったことにディスールの食べ物は“命の光”である。となれば、料理した肉では役に立たないだろう。
しかも、長い間石の牢屋に閉じ込められていた彼女の空腹は、人間には想像できないほどのものであろう。
となれば、食べる量も尋常じゃない。ついでに、コレはディスールが生き続ける限り続く問題でもある。
ミェースチが頭を悩ましている傍に、一匹の猫が擦り寄ってきた。
(なぁ〜お)
猫が可愛らしく鳴く。
この猫はミェースチの部屋に迷い込んできた野良猫で、ミルクをやったところ居着いてしまったというちゃっかりものである。
血統書付でも、名前があるわけでもなかった。
「その猫、ミューの?」
「いや、迷い込んできた野良猫だ。何度かミルクをやっただけで、飼い猫面して居着いてしまったのさ。」
ミェースチが猫を撫でる。
「なら、食べてもいいわね。」
ミェースチが反論するよりも早く、ディスールが猫を抱き上げ口付けする。
ミェースチが声にならない悲鳴をあげた。
猫が死んだと思ったからだ。
だが、猫はぼけっとした顔つきでひげをぴくぴくさせている。
(なぅ)
小さく鳴いてディスールの腕から逃れると、窓の外へと消えていった。
「え?あれ?え?えええ?」
さっぱりわからないという顔をするミェースチ。
ディスールはにっこりと笑って答える。
「だから言ったでしょ。あたしが食べるのは命の光だって。」
指をちょいちょいと左右に振るディスール。
「だから、死ぬんだろ?」
「うん。」
困惑顔のミェースチにディスールは満足気な顔で頷く。
「でも、今の猫は死ななかったぞ。」
猫の消え去った窓とディスールを何度も見比べて首を傾げる。
「えっとね、ミューは勘違いしてるみたいだけど、命と命の光は違うものなの。
 命は亡くすとその瞬間に死んじゃうけど、命の光は“生きたいっていう思い”みたいなものだから、
 無くなってもすぐには死なないの。ただ、生きるのに飽きたって気分になるだけで。
 だから、確かに何日かすれば自殺したり事故で死んじゃったりするけど、瞬間的に死んじゃったりしないわよ。」
そう言ってディスールは立ち上がり、大きな天蓋付ベッドに飛び込む。
「うわぁ、ふっかふか!」
楽しそうにベッドの上を跳ねる。その様子を見ながら苦笑するミェースチ。
「な、なんだ…。私はてっきり目の前で死んでしまうと思っていた。
 おかげで調達方法から死体の処理まで考えてしまったぞ。」
「あはは、それはお疲れ様。」
ディスールはあっけらかんに笑った。
だがミェースチは確認をとりたくない一つの疑問を抱いた。
―――ならば何故、誰も光の竜の食事を書き残せなかったのか―――






「夜が来たから今日はここで休もう。」
ジェラーニヤはそう言って、大河の目前で翼をたたんだ。
見上げれば空は紺碧の絨毯に宝石をちりばめたように暗くなっている。
一方ジェラーニヤの背中から降りた凰火の顔には、安堵と疲れが色濃い。
それもそのはずだ。
いくら特別だと言っても今の凰火の体は人間である。
人間が竜の背中に乗って、風を切るほどの速さで空を航行したとする。
勿論、酸素マスクも防護壁もない。
となれば結果は…まぁ、楽しい空の旅にならなかった事は確かだろう。
一人と一匹はまたも即席のかまどを作ると、それぞれの食事をとる。
今度はお互いに火の使い方には寛容な心を持って。
そして、食事も終わり、胃も心も一段落した所で、凰火が問うた。
「あの空に輝く星を、お前の仲間が動かしているというのか?」
「そうだ。あの一等赤く輝く星とその周囲に散らばる大小100の星を俺は担当していた。
その隣のやっぱり100の星を友が担当していた。
空での最後の晩に光の竜の気配を感じて飛び出した時、その友人に俺の星達も任せたんだ。
おかげで彼はとてつもなく怒っていた。」
闇色の竜は懐かしそうに空を見上げ、同時にまだあれから一日しか経っていないことを不思議に思った。
「俺の廻った世界の一つには、太陽を中心に様々な星が廻っているという世界があった。
そこから見ると、全く違うのだな。この世界は。」
凰火は炎を消して座り込む。
「太陽を中心に?変な感じだな。」
ジェラーニヤの方は、ぼんやりとした瞳で空を見上げている。
昼間のようにあれこれ問う様子はない。
「俺からしたら太陽を毎日打ち上げるこの世界の方が不思議さ。」
ジェラーニヤを見上げてから、今度は寝支度をはじめる。
かまどに土をかけ、その上に寝袋を置き、ちょっとした暖房代わりにして。
「そういうものだろうか?」
ジェラーニヤは凰火を見下ろさずに問う。
「そういうものさ。」
寝袋に潜り込む凰火。
「ふむ…。」
ジェラーニヤが首をもたげる。空を、天に輝く星を見ながら、ゆっくりと大地に首を預ける。
「ところで、明日は………。」
ジェラーニヤの顔を見た凰火は、珍しくクスリと笑う。
そこには、闇の竜らしからぬ、子供のように安らかな寝顔があったからだ。
「まぁ、いいさ。俺はまだ暫くお前と旅をしよう。我が弟子ジェラーニヤよ。」
凰火は天に輝く星に一瞥して、眠りにつく。
輝く星が大河に映り、まるで地上へと天が落ちてきたように、
あるいは天が大地のそこからせり上がってきたように輝いている。
どこかで、虫が鳴いている。



最終更新日 2005/05/28
感    想 剣龍さんに連絡もとらずに、勝手にジェラを弟子にしました。
        事後承諾でOKが取れて良かったですよ。本当に。